「海の夫人」

2015-06-07 23:21:38 | 舞台
佐藤オリエさんがエリーダを演じたの1994年やったんや…(プログラムより)。私はNHK教育で観た。あのオリエさんのエリーダは私には衝撃的でした。あの頃からtptの舞台に興味を持ち始め、ベニサンピットは私には演劇の聖地になった。取り壊しになる前に1度は行きたかった…。

ということで、「聖地X」の前に、tptの常連さんでもあった麻実れいさん(ターコさん)のエリーダを観てきました。

新国立劇場作品の関西公演。しかも私が学生時代に超はまっていたイプセンの作品。ヨットをイメージしたかのような巨大簀の子(すのこ)風な舞台美術が非常に斬新でした。たった一回きりの公演なのになんか贅沢な気分を味わわせてもらいました。

ただ、作品自体は、ぶっちゃけ、イプセン作品の中では最も奇をてらった作品というか、難解というか、イプセンらしくない作品だと私は思ってます。

戯曲を読んでも、オリエさんが演じても不思議な作品だと思ってましたが、ターコさんが演じてもやはり不思議な作品でした。

ただ、今だから分かることは、イプセンなりに“ウーマンリブ”“女性の社会的自立”を描きたかったんだろうな…っていうのが視えた。「人形の家」ノーラなんてまさにウーマンリブを象徴した女性だもんね。

実は、チェーホフもウーマンリブを描いているんよね。チェーホフの作品に登場する女性の方がちゃんとしたヴィジョンを持ってるけど、イプセンに登場する女性は具体的なヴィジョンがないんよね。男性や家族から自立して何がしたいのか明確なヴィジョンを持ってないから結局経済力がある男性に依存しないといけないんじゃないの?ってついつい思ってしまう。

ま、イプセン作品で視えてくるのは、登場する男性は情けない人物が多いってことやね。

エリーダなんて特に何を考えているのか分からない存在だから、本当に抽象的な存在なんよね。

ただ彼女は、“自由意志”を獲得することで、“精神的自己解放”を果たすんやけど、ぶっちゃけ、何が精神的自己解放なのか意味不明。どういうこと???って思う。まだノーラの方が分かりやすい。

エリーダの自由意志の獲得も意味不明なんだけど、更に意味不明なのが、エリーダの心の闇の原因となる“見知らぬ男”の存在なんよね。

この“見知らぬ男”は、「エリザベート」のトートみたいな、死神でも、エリーダのもう一人の自分でも、妄想の人物でもないよね。登場人物皆の目に見える存在だから余計意味不明な存在になる。何かの具体的な象徴なら理解出来るけど、なんの象徴なのかすら分からないから理解に苦しむ。

確かにエリーダは精神的に病んでいるのは分かる。鬱であるに間違いない。ノーラみたいに、旦那にとって可愛い人形のように振る舞うことを自分に課すと益々鬱症状がひどくなるのは明白。ただ、実際のノーラは可愛い人形を演じているだけであって本当の自分はちゃんと心の片隅に隠していたから、実は強かな女性なんよね…。逆にエリーダは可愛い奥さんすら演じることが出来ないくらい心の闇に苦しんでる。そこからの精神的自己解放、自由意志の獲得だから本当にエリーダは本当に魂の自由を獲得したのか理解できんのよね…。

鬱病の人に“責任”を課すことは絶対的御法度だから、エリーダが獲得した自由意志は、まさに“自己責任”を自分に課すことになる訳だから、エリーダは本当に精神的自由になれるのかめちゃくちゃ疑問なんよね。エリーダが欲しかった自由意志って本当は何なん???っていうのが私の正直な疑問。ノーラは強かだからなんとでもやっていけるとは想像出来るけど、エリーダこそ旦那ヴァンゲルに守ってもらいなよ!って言いたくなるよね。結局はヴァンゲルの元に戻るけど…。なんか腑に落ちないラストなんよな…。

ただなんとなくイメージ出来るのは、エリーダが獲得した自由意志で本来の自分を取り戻したのは、「奇跡の人」でヘレンが水汲みの水に触れた時のショック、または覚醒と同じような気がする。一種の閃きのようなショックね…。

なんか意味不明なことばかり書いて申し訳ありませんm(__)m「海の夫人」は難解ということが言いたかっただけなので悪しからず…。

そもそも、私がイプセンにはまったのは、イプセンの人間観察力の鋭さに感動したからです。学生時代は演劇や宝塚だけでなく心理学にも興味があったから、人間観察しまくってたからね。での、イプセンとの出会いだったのでドンピシャだったんですよ。

イプセンの作品に出てくる登場人物が、まさに私の身近にいる人物と同じだったりするので、とても百年前に書かれた作品とは思えないくらいリアリティーがあって、年代だけでなく国境すらも越えてしまう人物描写の共通性に感動して、イプセン戯曲集買っちゃうくらいはまった(笑)

やはり、文庫化された作品はそれなりに普遍性はあるけど、「海の夫人」を含め文庫化されてない作品は特殊性があると思った。

ちなみに私のお気に入りは「野鴨」。人の幸せを無責任にかき回す人っているやん!?放っといてくれたらいいのに、後始末出来ないのに無責任にお節介焼いてくる人いない?ちょうどタイムリーに同じような人物が私の周りにいて、めちゃくちゃこの本を読ませたかった(笑)

は、いいとして、最近では大地真央さんの「ヘッダ・ガーブレル」、瞳子さんで「幽霊」で上演してたけど、どちらも関西には来てくれなかったんよね…。観たかった…。

そうそう、無名塾のレパートリー作品でもある「小さなエイヨルフ」はテレビ中継で観たことがある。

「人形の家」だけ生の舞台で観た。そういえば、「ヘッダ・ガーブレル」はウィーンで観た。←プチ自慢(笑)

7月に関西で「ペール・ギュント」上演されますが、チケット完売なので諦めました。その前に希望休オーバーなんですが…。


そうだ!是非ともケラさんに、チェーホフシリーズが終わったら、イプセンシリーズやって欲しい!!!きっと、学生時代では気付かなかった発見があるはず!←だったら戯曲読み直せ!m(__)m

局、どうでもいいことばかり書いてごめんなさいm(__)m

今日のまとめ:文句ばかり書いていると思われそうですが、ターコさんエリーダ版「海の夫人」は、決してつまらない作品ではなかったですからね!あの美術と使い方は良かった!もちろん役者さんも素晴らしかったです。少し過剰な表現はあったかもしれないけど、戯曲に忠実に表現されていたと思う。←うわ~、マジ、お前何様!?

追記:myブロガーさんの記事を読んで分かりました。エリーダの自由意志の獲得とは、ヴァンゲルからの真実の愛ということを!これで腑に落ちた!そうなんだよ、イプセンの作品に登場する男は真実の愛が分かってないねん!←やっぱ、お前何様!?
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