東大阪の僕の住む地域で秋祭りが昨夜、本祭りを終えた。秋祭りといえば収穫を感謝して祝うお祭りだ。日本の祭りは、春夏秋冬、季節と天候を意識しながら行われてきたことは各地方の祭りを調べてみればよくわかる。春には種まきや花を楽しみ、夏には植えた種の成長を願って日本国中でいろんな祭りが催される。そして秋はもちろん収穫の時だ。豊穣を喜ぶ祭りが地車(だんじり)、神輿(みこし)などを使いながら神社と結びつき神事が行われる。冬には田畑を休ませて、新年への期待を膨らませる。大きく捉えると ”自然” と密接な関係があるということがわかる。まさに「自然の女神」が人の世を支配している(Mother Nature rules.)のだ。
自然との関わりが深い祭りは人の出だって天候に左右される。雨や寒い日は人出がなく、地車だけが掛け声賑やかに通り過ぎるという時もあった。今年はコロナ明けの影響もあるのだろう、たくさんの子どもたちが参加して、本当にお祭りらしい雰囲気であった。地車だの布団太鼓だの賑やかに僕の家の前を何台も通り過ぎて、騒々しい二日間だったがこの祭り明けは静けさを取り戻した。元の閑静な住宅街に戻って気がついたことがある。僕の家の北向かいは地車の待機場所で、曳行された地車が出発したり戻ってきたりする場所になっている。青年団が休憩したりビールを飲んだり、喫煙場所のようになっていた。ところが今年は前の溝も吸い殻は数個、お菓子の包装紙が二、三、転がっているだけで掃除もあっという間に終えられた。コロナの影響でビールはできる限り控えめで、若い人の喫煙者も減ったことを物語っている。コロナ、コロナで騒いだこの数年、「自然の女神」は人に何かを教えようとしているようにも思えた。
自然との関わりが深い祭りは人の出だって天候に左右される。雨や寒い日は人出がなく、地車だけが掛け声賑やかに通り過ぎるという時もあった。今年はコロナ明けの影響もあるのだろう、たくさんの子どもたちが参加して、本当にお祭りらしい雰囲気であった。地車だの布団太鼓だの賑やかに僕の家の前を何台も通り過ぎて、騒々しい二日間だったがこの祭り明けは静けさを取り戻した。元の閑静な住宅街に戻って気がついたことがある。僕の家の北向かいは地車の待機場所で、曳行された地車が出発したり戻ってきたりする場所になっている。青年団が休憩したりビールを飲んだり、喫煙場所のようになっていた。ところが今年は前の溝も吸い殻は数個、お菓子の包装紙が二、三、転がっているだけで掃除もあっという間に終えられた。コロナの影響でビールはできる限り控えめで、若い人の喫煙者も減ったことを物語っている。コロナ、コロナで騒いだこの数年、「自然の女神」は人に何かを教えようとしているようにも思えた。