九州地方の水害で苦しんでいる人々のことを思うと本当に胸が痛む。流される家を見ながらの無常感に被害を受けられた人々が希望を失ってしまわないかと気になって仕方ない。希望という感覚を持ち合わせているのは人間だけだということを本で読んだことがある。立ち直りには個人の気持ちも大切だが公的な支援もまた重要だ。なんとか前を向いてくださいますように。
この季節になるとこの無常感なるものをセミの生き様に見て「希望」とは本当に人間だけが持ち合わせているものとつくづく感じることがある。過去の日記を見返してみると我が家の庭でクマゼミの声を聞くのは大体7月12日頃であるらしい。例年だとセミが出始めると梅雨も終わり夏本番ということらしいが、今年は気温が異常なほど低いのが気になる。ここ数日の最高気温も25℃を境に少し高めという具合だ。朝夕は寒さすら感じて長袖のTーシャツを着るほどの日もあった。線状降水帯という前線が九州を中心に細長く四国や中国地方へと伸びて居座り、毎日のように雨が降る。その影響で曇りの日が続き太陽光が地表に到達しないのだ。セミはちゃんと脱皮できるだろうか。雨の降る日に土中から這い出してきたセミが、羽を十分に乾かせないで飛べなくなって死んでいるのを毎年見るのがなんともいえない儚さである。十分に乾かずにねじれたような羽を背負ってよろよろと木を登っていく姿はこのセミの寿命が長くないことを示している。
“セミの泣き別れ” という言葉があってセミが泣くのはこの世との短い日々を惜しみながら泣くという。一方で、“泣かぬホタルの身を焦がす” は声を出して鳴くセミよりも黙って青白い光を発して燃えるホタルの方が鳴かずに思いを内にこめて虫としては感情豊かであるというような記述も『後拾遺和歌集』にあるという。短い寿命のセミであれ蛍であれ、彼らの生き様を観察しながら人間にのみ与えられた「希望」という言葉を噛みしめて人は生きていかなければならない。
この季節になるとこの無常感なるものをセミの生き様に見て「希望」とは本当に人間だけが持ち合わせているものとつくづく感じることがある。過去の日記を見返してみると我が家の庭でクマゼミの声を聞くのは大体7月12日頃であるらしい。例年だとセミが出始めると梅雨も終わり夏本番ということらしいが、今年は気温が異常なほど低いのが気になる。ここ数日の最高気温も25℃を境に少し高めという具合だ。朝夕は寒さすら感じて長袖のTーシャツを着るほどの日もあった。線状降水帯という前線が九州を中心に細長く四国や中国地方へと伸びて居座り、毎日のように雨が降る。その影響で曇りの日が続き太陽光が地表に到達しないのだ。セミはちゃんと脱皮できるだろうか。雨の降る日に土中から這い出してきたセミが、羽を十分に乾かせないで飛べなくなって死んでいるのを毎年見るのがなんともいえない儚さである。十分に乾かずにねじれたような羽を背負ってよろよろと木を登っていく姿はこのセミの寿命が長くないことを示している。
“セミの泣き別れ” という言葉があってセミが泣くのはこの世との短い日々を惜しみながら泣くという。一方で、“泣かぬホタルの身を焦がす” は声を出して鳴くセミよりも黙って青白い光を発して燃えるホタルの方が鳴かずに思いを内にこめて虫としては感情豊かであるというような記述も『後拾遺和歌集』にあるという。短い寿命のセミであれ蛍であれ、彼らの生き様を観察しながら人間にのみ与えられた「希望」という言葉を噛みしめて人は生きていかなければならない。
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