さてさて皆さま、2014年8月25日(月)、真夏の武道館にて THE ALFEE 40th Anniversary ceremony & special concert が開催されてから、既に一か月半以上が過ぎてしまい・・・
これまでに
THE ALFEE 40th Anniversary ☆ ceremony concert in 8/25 @武道館 その1 導入編 ( 2014年08月30日 | THE ALFEE & Takamiyカテゴリー )
THE ALFEE 40th Anniversary ☆ ceremony concert in 8/25 @武道館 その2 40thセレモニー~前編 ( 2014年09月03日 | 同上 )
THE ALFEE 40th Anniversary ☆ ceremony concert in 8/25 @武道館 その3 コンサート中盤編 ( 2014年09月06日 | 同上 )
と、3回にわたり報告レポートを書いてきましたが、
ダラダラしているうちに、
途中、「これは今、UPしとかないと」 みたいな出来事が起こるたびにそちらを優先しておりましたところ、
気づいたら、こんなに時間が経っちゃってて、真夏の武道館 どころか、
もぉ秋だよー
てなカンジですが・・・
もー、続きはなぃ と思ってたでしょー
チッチッチッ
おぬし、甘いぜょ
「しつこいのがとりえ、猫田ジャレ之介くん」
(何しろ、15年もたって1991年の本を出すよーなヒトですから・笑 σ)
これを書き上げなければ、ピアノ発表会にも電子書籍にも 集中できにゃぁーーーいっ
と、ゆーんで、
またしても 「まえ置きが長い 猫田ジャレ之介くん」 ですが、
続きの記事、スタートぉー
( 何が書いてあったか思い出せない方は、上記記事を読みなおされることをおススメします。 )
と、言いつつも、そんなヒマなんてなぃわぃ なヒトのために、かいつまんでお話しますと・・・、
セレコン直前に、怒涛の5話連続&4話連続ブログUPを終えて 真夏の武道館へと向かったネコタは、
いつものように上京してすぐ会場に直行、記念品を交換した後、新宿に戻り、短時間で着ていく洋服の全揃え大人買いをし、
ホテルにて着換えや持ち物の整理をし、 再び武道館会場へと向かったのですが・・・
いざ記念セレモニーが始まってみたら、鏡割り後に会場でみんなでお祝いするための 「乾杯用の升」 をホテルに置いてきてしまい、
( だってぇ~、升を使うだなんて、よもや思わなかったんだもぉ~ん。ここで主催者側にひたすら文句をタレるネコタ )
涙かすんだ 「夏しぐれ」 ちょっぴり哀しい40thの乾杯を、素手のグーで行い、 「感謝状」の感激も上の空。
おまけに、メンバーの後ろ姿しか見えにゃぁーーーいっ。
と、切ない気持ちでうるうるしていたところ・・・
なんと メンバーが自らマイクスタンドを移動させて、横や反対側の客席も正面になるようにと少しずつ回ってくれはじめ・・・
南正面スタートから、西正面と来て、ヤッタァ~~~ ついに東側が正面だワ。
センターステージのため、普段はありえない、近めのナナメ上からタカミーをご拝観。
その位置からでこそ楽しめる、珍しい舞台装置やタカミーの見え方にほくそ笑むのであった。ちゃんちゃん。
というのが、前回までのオハナシです。そして・・・
あっという間に至福の時間は終わり、今度は最後の方向、北側正面に。
ここまで、一曲終わるごとにMCが入り、デビュー当時のお話、ライブハウス時代などの、興味深い思い出がメンバーの口から語られます。
詳しいことは覚えてないのだが、その話題から、きっと今度はこの曲だわ、遂に聞けるんだわと期待に胸が高鳴り・・・
作詞作曲は 「ヤッターマンの歌」 などを手掛けた山本 正之さん。
1968年12月10日、東京都府中市で現金輸送車に積まれた東京芝浦電気(現・東芝)従業員の “ボーナス約3億円” が、偽の白バイ隊員を装った何者かに奪われるという、
俗にいう 「3億円事件」 は、現金強奪事件としては当時の最高金額であったことや、白バイを装うなどの手口の功名さ、また、白ヘルをかぶり逃走する犯人の “モンタージュ写真” (意外と童顔でかわいらしかった) が公開されたり、何かと話題に事欠かない、当時の 「大事件」 で、幼かった私もよく覚えているのだが、
その、三億円事件のパロディ・ソングを、ALFIE(現・THE ALFEE)の3枚目のシングルとして、三億円事件の公訴時効日である 「1975年12月10日」 に発売をする予定だった。
鳴り物入りで、“アイドル・フォークグループ” として売り出したものの、1枚目のシングル 『夏しぐれ』(高見沢ボーカル)、2枚目の 『青春の記憶』(坂崎ボーカル) と鳴かず飛ばずであったため (その後メンバーの一人が脱退したこともあり)、
3人体制となった “新制アルフィー” の、再起をかけたシングルだった。
曲はパロディーソングのコミカルさを出すために、高見沢が、なんと初めてマンドリンを弾くことになり・・・
当時、坂崎の下宿のあった浜町の、浜町公園は、3人の絶好の練習場所。
秋風のすさぶ公園で、日が暮れてもまだなお練習し続ける高見沢に、桜井が、「もうやめようよ~。」 と声をかける。
「あともう一回。」 そう繰り返しては夜が更ける。
不器用な高見沢は、人一倍の努力家だった。
(マンガ 『ドリ・ジェネ』 の、もう一回、と言いながらバスケットゴールに向かう少年高見沢の描写が脳裏をかすめる。)
そうして、やっと完成した3枚目のシングルが、なんと社の良識に合わないということから、
こともあろうに “発売予定の前日に、突然発売中止” となった。
「発売停止じゃなくて “中止” ですよ。遠足じゃないんだから。」
「そうだよな、(こういう曲で発売されるって)わかってたんだから、やめるんならもっと早くに言ってくれなきゃ。前日になって急に言われてもなぁ。」
メンバーたちは、このころのことを思い出すと未だに冗談交じりのため息をつく。
東京及び近郊で、平凡な中流家庭の次男坊として生まれ、のほほんと育ったためか、人のいいのが取柄で、
闘争心や向上心がないだの、覇気がないだの言われてきたメンバーだったが、この時ばかりは怒った。
当時マネージャーだった関口登 (現在はアルフィーの所属事務所であるエイト・デイズの社長) は、所属していたレコード会社ビクターとの契約を打ち切り、
ここからアルフィーの、ライブハウスでのコンサートを中心とした、関口との4人5脚、孤高の戦いが始まる。
「ちょっと待って、マンドリン久しぶりなんだからさぁ~。 音合わせるの大変なんだから・・・」
ステージ上のタカミーが焦りながら笑う。
取り出したのは、高見沢らしく 「エレクトリック・マンドリン」。
へーえ、そんなのがあるんだぁ~、と息をのむ。
マンドリンの澄んだ音色が響き渡り、 幻の迷曲 『府中捕物控』(ふちゅうとりものひかえ) が、
おそらくホールコンサートとしては初めて披露 (※注) される。
3億円を強奪した人は悪い人だけど、みんなで分けようね3億円、みたいなことを歌った、
「なんでもあり」 の現代からするとそれほど悪い内容とも思えない、というか、むしろ面白くて夢のある曲のような気もするのだが、あの頃としては問題あり、だったのだろう。
当時の悔しさをパロディーに替えて熱唱するメンバーの、若き日の姿がそれに重なる。
意にそぐわないデビューをお膳立てられ、渾身の思いで臨んだ3枚目のシングルが発売中止となり、
こんなふうに悔しい思いをしなければならないのは、自分たちに “オリジナル曲”(主義主張)がない からなんだ
そう悟ったメンバーたち (主に高見沢) は、 この日からモーレツに曲を作り始めた という。
そう思うにつけ、この曲は、ヒットしなくてよかったのだ、と我々ファンは思う。
『府中捕物控』 が、発売中止になったおかげで、私たちはその後、結成40年も続く、
40年たっても初心を忘れることなく突っ走ってくれる、頼もしいアニキたち、THE ALFEE と共に走り続け、一緒に夢を追い続けることができるのだから。
幻の名曲が終わった時点で、一曲だけで気の毒だったけど、北側正面はおしまい。
( どちらかというと北寄りの東だったので、北正面も横顔のメンバーが望めて、南正面よりはおいしかったので自分も残念・笑 )
最初の南側を正面にして、静かにあの曲のイントロが流れる。
( と、いい所だったのに、ギターより小さいエレキ・マンドリンを久しぶりに?弾いて感覚が鈍ったというタカミーが、2,3度出だしをつまずくというハプニングも )
『ロンサム・シティー』 は、学生運動への名残と惜別を歌った、大好きな曲で、心に沁みる。
そして高見沢俊彦が、なぜ曲を作り詞を書いているのか、その根底にあるもの、原点を説くかのような曲でもある。
その後、キーボードとドラムが加わり、 “現代(いま)” の、バンド形態のアルフィーが力強くメロディーを奏でる。
曲は3人のアカペラ部分コーラスが映える スリー・ドッグ・ナイトの 『It's for you』 から
高見沢がヒット2作目として、 “ヒットを狙って作り” 文字通りヒットしたという不滅の名作、 『星空のディスタンス』 へと流れてゆく。
このあたりから、3人の立っているまあるいステージの、外側 (ドーナツ盤の先端) の部分に、懐かしのステージ映像が映し出され、
それがまるで “レコード盤” のようにくるくると回っているのが見える。
まわるステージって、これのことだったんだぁ~
と喜びつつも、この映像と本物の彼らと、どちらを観ようかと戸惑うほど。
回る映像に目を凝らすのも忙しい。
その後、アルフィー初のヒットとなった思い出の 『メリー・アン』 から、
アルフィーの “反骨精神” の真骨頂、 『My Truth』、『SWEAT & TEARS』 と大好きな曲が続き、
セレモニー・コンサートがいよいよクライマックスへと近づいていることを教えてくれる。
上の方だったので、会場全体が見渡せて、
まるで暗闇にともす光のような、美しい照明に照らし出されたメンバーの姿は神々しくすらあった。
感激だった。
( 本当に、この映像の様な感じで見えたんです )
タカミーのMCが入り、40年を迎えた自分たちのこれからの決意を指し示すような 『もう一度ここから始めよう』 が厳かに流れる。
そして大好きな新曲 『英雄の詩』。
子供のころ、空も飛べると信じていた。
なんにでもなれると思っていた。
僕たちは英雄だった。
だけど時が流れ、大人になった今、息の詰まりそうなほどの毎日に、理想と現実との狭間でもがいている。
負けたときこそがチャンス、勇気を奮い立たせてその手に栄光をつかみ取ろう。
( 以上はネコタの意訳 )
力強いメロディーに、夢をあきらめるなとそっと励まされる。
そして、サビの部分は、いつ聞いても胸がきゅうんとする。
THE ALFEE が、タカミーがずっとそこにいてくれること、私たちファンを愛し続けてくれることの幸せ。
ここで本編が終わり、メンバーがいったん北側後方に引っ込む。
衣装替えもなく、再び登場して歌われたのは、
桜井賢が高校時代にクラスメイトと作った 「コンフィデンス」 というグループで、この曲を歌い、それがフォークコンテストで優勝した。
たまたまそのコンサートに出場しつつ、一緒にやれる仲間を探していた、根っからのプロ志向だった坂崎幸之助は、
その歌声に魅了され、これはプロでイケるだろう、そう確信したその矢先に、
偶然レコード屋さんでバンドメンバーから声をかけられたのがきっかけで、ちゃっかりコンフィデンスに潜り込む。
アルフィーというバンドの、全てがここから始まった、サイモン&ガーファンクルの 『THE BOXER』。
この曲は (というかS&G全体だが) 自分にとっても思い入れがあるので (長くなるのでいづれまた・笑)、 しみじみと心に沁みわたる。
オーラスは、高見沢がこれまでの音楽人生、そして自分の人生を振り返り、
そのすべてを賭けて新たなる決意を込めて歌った名曲、 『GLORIOUS』。
初めて聞いたのは2012年のソロコンサートでだったが、その時は色々で素直に入り込めなかったので、
翌年DVDになったときに聞いてみたら、涙があふれて止まらなくなった曲。
失った古い昔の友。
生きている自分。
これから生きていくこと、歌を愛し続け、大切なメンバーと、愛するファンと、共に歩んでいこうとするその決意は、
ミュージシャン高見沢俊彦が、ここまで歌っていいのだろうかと思わせるほどの、ものすごい反省と決意を匂わせるもので、
そんなところにも高見沢の潔さ、男気、穢れのない魂の美しさみたいなものを感じさせて胸が熱くなる。
「(高校時代はエレキをかきならすロック少年だったから) エレキギターを前面に出せないのは、そりゃあジレンマはあったよ。だけど僕は (グループに) 後から入ったから、そこは押さえてた面があったよね。」
アコギにこだわってきた初期のアルフィーの、当時を振り返って語る高見沢に、
「なかなかできることじゃないですよね。」 と堂本光一らが、感心して頷いている。
高見沢の生誕60周年を記念して、彼もレギュラーの一員として長く出場してきた 『新・堂本兄弟』 にて、彼の誕生祝特集番組を組んでくれ、今までの60年間の人生、40年間のバンド生活を映像と共に振り返っていた時の一コマである。
もう音楽はやめて、親父のように先生にでもなろうかな、高校からそのまま進んだ明治学院大学のキャンパスで、ぼんやりとそんなことを思いながら勉学に励もうとしていた高見沢は、坂崎に声をかけられる。
坂崎は違う高校だったが、コンフィデンスのみんなが行くならと、明学に進学、キャンパス内で、高校の文化祭でその姿や声を垣間見ていた高見沢を見つけたのでなんとなく声をかけたのだったが、話してみると意外にも音楽の趣味が合う。
そのまま 「俺んちに来ないか?」 と誘い話し込むうちに、ますます意気投合。「実は明日コンフィデンスのコンサートがあるんだけど、出てみない?」 と誘われたので、 「ああ、いいよ。」 と、のこのこ出かけて行った高見沢は、そのままコンフィデンス (のちのALFEE) の一員になる。
なんとなく加わった、一番最後のメンバーだという遠慮が高見沢にはあったので、
デビュー前にプロデューサーから、ギタリストで入ったつもりだったのに、 「君、ギター弾かなくていいから」 といきなりハンドマイク、リードボーカルを言い渡され、『夏しぐれ』 でデビューすると告げられた時には、どれほど居心地が悪かったことだろう。
なぜならもともとは桜井の声にほれ込んだディレクターが、彼の声でデビューしようと約束をしていて、 『危険なリンゴ』 という桜井ボーカルのポップチューンがデビュー曲となる予定だったのだ。
そして、まだ20歳の学生だったことも手伝ったのか、当時の風潮もあったのか、有無を言わせない、着せ替えられた人形のような仕打ちを受け、あれよあれよという間に、アイドル・グループとしてデビューさせられてしまったのである。
涙滲んだ文字が 読みとれない
ぼくはくちびる噛んで ひとり耐える ( 松本隆作詞/筒美京平作曲 『夏しぐれ』 より )
二人暮らした部屋に置き手紙を残して去って行った彼女との恋の終わりを描いた曲なのだが、
この部分などは、まるでデビューにまつわる当時の、高見沢の心境そのもののようだ。
「なぜバンドが40年も続いたかよく聞かれるんですけど、それは桜井、坂崎、高見沢だったからです。」
高見沢をはじめとするメンバーは、胸を張って答える。
バンドには大抵、グループを創設したり、主に曲を書くかボーカルを取るかで、他のメンバーより一歩リードしていて、グループをひっぱって行くような、強烈な個性の持ち主が存在するものだ。
だが、アルフィーには、そういう “俺が、俺が” という人物がいない。
「どうぞ、どうぞ」 の精神だ、と言っては笑うが、
自分ボーカルでデビューするはずだった桜井が、いきなりその座を高見沢に奪われたからと言って怒ったり拗ねたりもしなかったし、
( ギター弾いてたやつが、弾かなくていいってのはいいよ。ただ歌えばいいんだから。だけど、ただ歌ってただけで弾けない人間に突然ギター弾けって言われてもね。だから、当時は弾く真似だけ。元祖、エアギターですよ・笑。と、当時を振り返り笑っているほどの桜井である。 )
主に曲を書いていて、セットリストやその他もろもろをとりしきる高見沢が、威張ることもない。
傍から見ると、楽曲のほぼすべてを一人で書き上げ、リーダーで、おそらく一番モテて、
普通だったらワンマンになるはずの高見沢は、
実は外見に反して、意外とかなりの間抜け (天然)(←失礼) で愛すべき人物であった。
舞台上で転んだり、下に転がり落ちたり、何かをやらかしてしまう 「伝説」 に事欠かないのは、ロック界の長嶋茂雄かガッツ石松か、というほど。
「だって、こんな面白いヤツはいないよー。見たことないもん。」 と桜井が大声で笑えば、
「ああ見えて、すごいドジなんですよね・笑」 と坂崎もうなづく。
「なんだよ・笑。バンドが続いた原因はオレかい!? 」 と、高見沢も苦笑い。 ゞ
よく、ウマが合うとか、波長が合う、というが、アルフィーのメンバーたちは、
稀に見る、そのすべてがそろった “奇跡の集合体” なのである。
そしてその仲の良さには、偽りがまるでない。
墨田区で酒屋を営む坂崎の実家に、学生時代遊びに行くと、当の坂崎は手伝わずに、桜井と高見沢が坂崎の親父さんにこき使われたという。
「あれはね、人を見てるんだよ。」 なんでお前が手伝わないんだよ(笑)と憤慨する高見沢に坂崎が答える。
素直に言われたまま、一生懸命働く桜井と高見沢を見て、こいつらなら大丈夫だ、とおやっさんは思ったに違いない。
「これだけ曲を作ってきて、コンサートのコント台本まで書くほど、セトリだけでなくステージ全体の構成にこだわるなど、強い思い入れを持つんだから、高見沢、お前がずっとリーダーやれよ。」
そう二人のメンバーから “終身名誉リーダー” の座を高見沢が言い渡されるまでは、
人当たりがよくてみんなをまとめる力があるからと、アルフィーの初代リーダーは、坂崎幸之助であった。
確かに今でも、公開テレビ録画やステージでも、 “客席全体を見渡す” 癖のある坂崎は、
芸術家肌で、役割が与えられない限りは、時に周りが見えなくなることもある高見沢よりも、常に人をたて、脇に徹することもある 「全体主義」 であるのかもしれない。
幼いころから、ウクレレ、ギターと肌身離さず持ち歩き、ひたすら練習を重ね、 「きっとプロになるんだ 」 そう強い思いのもとに、自分を信じて生きてきた。
プロとしてイケる、こいつはきっといいヤツだな、
そんな風に 直感で見抜いて2人をおびき寄せ、アルフィーを作り上げていった坂崎幸之助こそ、アルフィーの影の名プロデューサーといえるだろう。
終わった後の会場の様子を皆が写真に撮っていたので、つぃ、私も。
“回転舞台” の様子が、少しでも伝わるでしょうか?
この、ロゴタイトル (ピンク色の部分) と、3つのロゴマークのところが、くるくると回っていた。
人影がまばらになりつつある、武道館会場。
ラスト、3人の頭上に降り注いだ 「黄金(きん)色の紙吹雪」 が幻想的な雪のようで、とてもキレイでした。
( ステージとその周辺で金色に光って見えるものは、その紙吹雪の降り積もったものです。 )
楽しかった40周年の記念セレモニーは終わり、心地よい夜風に吹かれながら九段下の駅へと向かっていく。
地下鉄の入り口は、前に進むのが困難なほど人の波に埋もれていた。
これだけたくさんの人が、アルフィーの40周年を祝うため、今宵、真夏の武道館に集まったのだ。
そう思うと、進まない歩行にイライラするというよりは、その、沢山の人の波による、コンサートの余韻に酔いしれる。
どうにかこうにかホテルに辿り着き、はっと我に返って 「感謝状」 の筒を開けてみた。
それは、一人一人の名前とプレミアムメンバーズの会員番号の入った、
正真正銘、THE ALFEE のメンバーから、“私だけ” に宛てられた感謝状だった。
そうか、これを一人一人に手渡すために、限定の会員制度を作ったのかもしれない。
なんてありがたいことだろう。
こんなに嬉しくて、素敵なことって、ない。 こんなことしてくれるバンドなんて、絶対ほかにはない。
感謝状、こっちが差し上げたいくらいなのに・・・
感謝状の文面を読んだとたんに、私は涙があふれて止まらなくなった。
改めまして、THE ALFEE のみなさん、デビュー40周年おめでとうございます。
40年前、3人で出逢ってくれてありがとう。
バンドを結成してくれてありがとう。
そして、困難にもくじけず、寄る年波にも負けず、
40年間一度も休まずに、バンド活動、トラベリング・コンサート活動を続けてくれてありがとう。
アルフィーの皆さんがいてくれたから、アルフィーの歌があったから、
つらいときにも励まされ、心の支えにし、頑張ってここまで生きてこられました。
これからも人生の先輩として、表現者として、そして同士として、末永く、共に歩んで行ってくださることを心から願いつつ、
私から THE ALFEE の皆さんへも、誠に僭越ながら 『感謝状』 を贈らせていただきたいと存じます。
受け取ってくださいますか?
あれからひと月以上が過ぎ、何事もなかったかのように、10月2日から、また、いつもの様に THE ALFEE 秋の通常ツアーが始まった。
そして12月29日の、恒例大阪城ホールでのファイナルまでの3か月間を “トラベリング・バンド” として突っ走る。
大好きなアルフィーよ、これからも、ずっとずっと永遠なれ
※ 注
2014年現在でCD化はされていないが、ライブでは歌われたことがあり、ライブビデオ『THE ALFEE HISTORY III 1992〜1997』 (DVD『THE ALFEE KING'S NIGHT DREAM WESTERN Conference Final』) に収録されている。
もう一つの記念品、カセット大のものは、
プレイボタン といって、勘違いでイヤホンはついてなくて、PCから取る充電器のみの付属でしたが、
手持ちのイヤホンジャックを本体につなぎ裏の再生ボタンを押すと、メンバーのオモシロトークが聞かれるという、
「ちっちゃな音の玉手箱」 でした。
録音はできず再生のみ、すでに録音してあるものが聞かれるだけのものですが、缶バッジ大で、裏にはバッジのように安全ピンがついているので、缶バッジのように使用してもよく、カワイイです。
もちろん、いつものごとく、3人の40周年にちなんだ?スペシャルトークに笑い、
心も和ませていただきました。
また、例の記念の “ます” ですが、 “檜” 素材であると添付の印刷物に書いてあったので、
まさか 「Kひのき」、ぢゃぁなぃよね? だったら、すごぉ~くウレシィんですけどぉ~。
と思い色々調べてみましたが、残念ながらそれ以上の詳しいことはわかりませんでした。
補足ながら、この日の武道館には、全国の 「アル中」(感謝状にも記載されているが、 “アルフィー中毒”のこと。本来のアルコール中毒=アル中をもじり、まさに一度なると中々足を洗えない、断ち切るのが難しい、まるで「中毒」のようだ・笑、と言う意味で、ファンの間ではこの名称が定着、むしろ誇りにさえしている) たちが、約8,000人集まったとされている。
都合により、プレミアム・メンバー会員に登録しながらも、残念ながらプレミアムコンサートに参加できなかったという人のために、コンサートチケット (プレミアムメンバーズにしか送られないもの) を所定場所に送れば、代わりに 「記念品」 のみであるが郵送してくれる、(おそらくは、チケットも記念になるため、半券を切り取って送り返してくれたのではないかと予測される) という、心憎いサービスまであった。
なので、推定8,000人以上の感謝状を、一枚一枚、名前部分はおそらく手書きと思われるが、用意してくれたのだと思うと、感動する。
プレミアムメンバーの登録料が、金額としては多少お値段がよかったことや、遠方、その他の事情で、初めからセレモニーコンサートに行かれないとわかって申し込まなかった人もいたかもしれないが、年6回の限定DVDの配布と、この記念品だけでもかなりの元が取れるのではないか、と私などは思うのだが・・・。
( 私だったらもしコンサートに行かれそうにないとわかっていても、せめて会員にはなったと思う。なぜなら、プレミアムメンバーになるのは、特典だけが目当てなのではなく、アルフィーの40周年を共に一年間応援しよう、という気持ちの表れであり、 「プレミアム会員」 であることがファンとしての誇りだからだ。
事実、プレミアム・メンバーズになると、名前と会員番号の刻印された 「1年間限定の会員証」 が贈られるのである。)
コレです。 ゴールドに40thロゴが映える。カッコいいでしょ!?
何より、この感謝状は、ファンであったら何物にも代えがたい宝物だと思う。
( ※ 以上は、あくまでも 「私個人」 としての考え方ですので、念のため。 )
もう一つ、チケットには一枚ずつ会員の名前が記載されており、半券は名前のカタカナ書きとなっていた。これを見て、既に何かを予測したファンもいたようだが、その予測通り、セレモニー終盤で、メンバーがチケット半券をかき集めた箱の中から一人ずつ引いて、当たった人には、なんとメンバーが現在使用している本物のギターに直筆サインを入れてプレゼントされる、という 「超(太っ腹)ビッグ記念企画」 まであった。 (半券がカタカナ書きだったのは、読み間違いを防ぐためであろう。そういえば、申込書には会員証刻印のためのアルファベット明記のほかに、珍しく名前の読み仮名をちゃんと振るようになっていたものである)
そして、桜井、坂崎、高見沢と順に、それぞれのギターが当たった人は会場で手を挙げてもらい、スポットライトを当ててみんなで祝福する、というイキな演出まであった。 (ステージと客席は離れているため、残念ながら手渡しではなく、当たった人はコンサート終了後に所定場所にて交換、ということでした。)
もちろん、私は誰のギターも当たらなかったけど、 タカミーのギターは、私の大好きなギターの一つ、黒いボディーに赤い縁取りの映える、シャープなボディーのカッコイイ 「O.Z.Y -FLYING A-IV- ESP」 だったので、すごい羨ましかったです。 ( でも、今だったら40h&60th記念の ESP FLYING A-V "Limited Anniversary Version 2014" いちご&バニラの方が、もっと好きかも。 )
※ 詳しくは、高見沢俊彦オリジナル・ギターを紹介したESPホームページ
http://www.espguitars.co.jp/artist/toshihiko_takamizawa/ をご参照ください。
溜息が出るほど、細部にまでこだわった美しいギターが並んでおり、楽器に詳しくない人でも、見るだけでも楽しいですよ。
※ 『It's for you』『THE BOXER』 以外の曲で、特に但し書きがない楽曲のすべての作詞作曲は高見沢俊彦。
マンガ 『ドリ・ジェネ』 の正式タイトルは 『ドリーム・ジェネレーション』(吉岡つとむ作:少年画報社、絶版)
※ 写真の一部は、情報番組より、TV画面を写真に撮らせていただきました。
本当にありがとうございます。
あと、360度の件ですが、読解力がないだなんて、そんなことないですよぉ~。私の方が書き方がよくなかったんです。自分でも、ん!?と思って、言われて何度か読み直しちゃいましたもん、変な書き方だよなぁ~って・笑。(^^;)
何度も読み直しても、自分だと気付かないことがあるものなので、助かりました。また気が付いたら教えてくださいね。
娘さん、ほんとにぃ~!?(^^;)そんなぁ、憐みだなんて。そんなことないと思うけどなぁー。
それよりも!!!
激しくノッている人を興味深げに観察している、なぁんてコワイですねぇ~。(^^;)しかも、おばさんやオジサンたちが乗りまくって、きゃータカミーとか言ってたら、二十歳そこそこの人は引いちゃうかもですね。 あはは・・・気をつけなくっちゃ!?あ、気を付けようがないか。(^^;)
では、不思議だなぁ~と思って観察しているうちに、いつしか自分も好きになっていた(自分によくあるパターン・笑)とゆーのを目指しましょう。\(^o^)/
お母さん、自分の大好きなものだもん、文句は言わせないわって感じで強気に、自信持ってくださいね。o(^^)o
ごめんなさい、360°、私の読解力のなさを暴露してしまいましたね。
娘は本当に、本当にアルフィーには興味がありません。本当に憐れみだけなんです。それと、人間観察ですね。激しくノっている方がいらっしゃるじゃないですか?その方を興味深げに観察しています。
大変な事=発表会 の後のコンサートはとても楽しめると思います。無理せず練習に励んで下さい。
いつもいつもありがとうございます。(そういうことが励みになるのです)
客席を360度回る、というのも、全ての方向を正面になるように回ってくれた、という意味だったのですが、誤解を招く変な書き方でしたね。
何度も読み返していたのに、自分では気づきませんでした・笑。ありがとうございました。早速直しました。
それで、もう直すことはない、今日は次の記事を、と思いつつ、もう一度読み返していたら、なんと またしても訂正箇所が
と、ゆーんで、直したり、主には下の方の補足部分を大幅書き加えたりしていたところ、
あ゛あ゛ん、こんな時間にぃ~ じ、時間がにゃい・・・
もしお時間ありましたら、下の方の補足部分だけでも見ていただけると嬉しいです。
秋ツアー、もうすでに参加されたんですね。(^_-)☆
醒めた娘と一緒に、以下のところ、微笑ましくもおかしく笑いながら読ませていただきました。お気持ち、よぉーくわかります・笑。
でも、ほんとに嫌だったら断ると思うので、楽しいんだと思いますよ。何度も言うけど、それを悟られたくない、認めたくないのでしょうね、娘さんとしては。(*^^*)気長に、素直になってくれるのを待ちましょう・笑。
テープまでGetしてくれたなんてよかったですねー。 アニバーサリー・イヤーなので、余計に嬉しいですよね。しかも、初めてなのならなおさら、ですね。
そういえば、フォーラムの翌日が長野でしたっけ? なにかご縁?を感じますね・笑
40周年はパースディ、夏イベ、セレコンと力を入れたので、秋のツアーについては、しばらく書けないと思うのですが、発表会が終わって晴れて?長野アルコンに参加できるのを楽しみにしています。
みゆびさんも娘さんとの2度目を楽しんでくださいね。(^_-)☆ 知らなかった曲も、そうやってCDやDLで「復習」したならバッチリ ですね。今度は思いっきり楽しんでくださいね。
あぁ、それにしても発表会が、発表会がぁ~~~
とはいえ、とても痛ましい災害がありましたし、今回の台風でK町の一部世帯に避難命令が出ていた様なのでALFEEどころではなかったですよね。
でも、これを書き上げないとピアノの発表会と電子書籍に集中できない、という所、そうそう、そうよね、そうこなくっちゃ、とうなずいてしまいました。
また、 『メンバーが自らマイクスタンドを移動させて、反対側の客席を360°回ってくれはじめ・・ ヤッタァ~~~ ついに東側が正面だワ。』の部分では、いや~360°だと一周しちゃうじゃないですか!! それを言うなら180°ですよね、と一人で突っ込んでしまいました 笑
もう、あの武道館は1ヶ月以上も前だったんですね。思い出すと、やはりうるっとしてしまいます。
英雄の詩、初めはあまり好きではありませんでしたが、何度も聞き込むにつれ、やはり心の琴線に触れてきました。励まされます。
秋のツアーに参加して参りました。醒めた娘と一緒です 笑
秋らしい曲満載でした。知らない曲に遭遇しましたが、早速ituneとアマゾンで購入いたしました。まだまだ知らない曲が沢山あるんだろうな、と楽しみになりました。
あ、醒めた娘は、なんと特効テープを私の為にゲットしてくれましたよ!!!初めて特効テープを手にした私は、それはもうテンション上がりまくりでした。特に娘がゲットしてくれて、宝物です。
いい加減少しは興味を持ってくれているのでは、と淡い期待を抱くのですが「本当にどうでもいいから」と打ちのめされるのです。
それでも懲りずに「ねーね、たかみーがね」とか「幸ちゃんがね」と繰り返しています。国際フォーラムもお供してくれるようです 笑
秋のツアー、長野が初日ですかね?楽しんで来て下さい。あ、その前にピアノの発表会も頑張ってくださいね。