雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「能見数馬」 最終回 数馬よ、やすらかに

2013-07-25 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 今年も盆が近づいた。 そして、新三郎に阿弥陀如来の使いが訪れた。 阿弥陀如来の怒りが解けて、新三郎は極楽浄土に導かれることになったのだ。 能見数馬とは今生の別れとなる。
 極楽浄土へ導かれ、成仏、即ち仏様になると、悩み、哀しみ、苦しみ、寂しさなどは無くなるが、楽しみ、喜び、感激、思い出なども全て消滅する。 新三郎もまた、能見数馬や亮啓、久五郎、兄達やお清など今生に係った人々の思い出も消滅する。 魂は如来の膝元に霞のように永遠に靡いているのだ。 年に一度、盆に今生に戻ることができるというのは、生きている人々の希望的空想であって、亡き者の供養は人々の心にこそ安らぎをもたらすものである。
   『数馬さん、お別れのときが来ました、今年の盆に、あっしは極楽浄土へ参ります』
 数馬は驚いた。 いずれは別れがくるのは承知でいたが、こんなに早く来るべきものがこようとは、思いも寄らなかったのだ。
   「新さん、数馬はこれが夢であってほしいです」
   『あっしも、数馬さんを担ぐ嘘ならどんなに良いか知れません』
 数馬は、何をおいてもと、経念寺に出向いて亮啓と久五郎に報告した。 亮啓は「良かった、良かった」と言ってくれたが、数馬も、新三郎も、久五郎さえも悲しそうであった。 亮啓は無遠慮に数馬の懐に手を入れた。
   「こうすれば、新三郎さんの意志が伝わるのだよ」と、久五郎に教えた。 久五郎も手を入れたが、数馬はいつものように「くすぐったい」とは言わず、神妙に受け入れた。
   「新三郎さん、ようやく成仏ができるのですね」
 亮啓が話しかけた。
   『はい、お蔭様で』
 新三郎は、そう答えたが、嬉しくも安堵もなかった。 ただ皆と別れるのが辛かった。
   「久五郎は、新三郎さんと一緒に極楽浄土へ行きたい」
   『それは死にたいってことだ、僧になる身がそんなことを言ってはいけない』
 名残惜しげな久五郎を宥(なだ)め、亮啓にお礼を言って、
   『お盆には、経念寺から浄土へ向います』と告げ経念寺を後にした。 
 このまま、木曾まで行って、兄達とお清に別れを告げたいが、もう時間がなかった。 盆はそこに迫っていたのだ。
   『新二郎兄さんと、お清の祝言も見たかったし、数馬さんとお樹さんの祝言も、それに数馬さんが立派な医者になった姿も見たかった』
 新三郎が流すのであろう、数馬の目から血も混じらんばかりの涙が溢れた。
 翌日は、用もないのに北町奉行所の遠山景元を訪ね、同心の田中将太郎と長坂清三郎、目明しの仙一にも会った。 
   「数馬さん、長崎へ発つのは来年でしょ、まだお別れには早くありませんか」
 長坂が訝(いぶか)った。 
   「いえ、お別れという訳じゃないのですが、ただ何となくお礼が言いたくて…」
   「変ですね、数馬さんらしくない、しっかりしてくださいよ」
 長坂に笑われた。  伊東良庵先生を訪ね、松吉と結衣にも逢ってきた。 本人たちは知らないものの、全て新三郎が関わった人たちだ。 他にも沢山の人と関わったが、遠方まで足が延ばせない。 この辺で諦めようと数馬は屋敷に戻った。

 盆が来た。 朝から酒を買って経念寺に行き、新三郎の墓を開ける許可をお願いした。 最後に新三郎の骨を、新三郎と共に脳裏に焼き付けて置きたいと数馬が願ったことである。

 寺の住職から許可を貰い、壺を開けて新三郎の頭骸骨を見つめていると、初めて会った時、道中合羽に三度笠姿の新三郎の幽霊がぼんやり見えたことを思い出した。
   「新さん、格好よかったですよ」
   『そうですかい、あっしは数馬さんと鵜沼まで骨を拾いに行ったことを思い出します』
   「そう、浮き浮きしていたら、新さんに栗拾いに来たのではないと注意されました」
   『そうは言いながら、あっしも楽しかった』
   「もう、二度とないのですね」
   『永遠にありません』

 夜になると、亮啓から知らされたのか、本堂で住職と亮啓の読経が始まった。 当然数馬は泣いていたが、数馬の胸に手を当て、久五郎もまた涙を浮かべていた。 数馬は飲めない酒を、新三郎のために「ぐびり、ぐびり」と飲んだ。
   『数馬さん、立派な医者になって人々の命を救ってください、久五郎、立派な僧侶になるのだぜ』
 数馬も、久五郎もうな垂れていた。
   『ありがとう、お別れです、皆さんによろしく伝えてくだせえ』 
新三郎の最後の言葉であった。
   「新さん、いや中乗り新三さん、ありがとう」
   「新三郎さんに貰った命、大切にします」 久五郎が叫んだ。
 新三郎の魂は、阿弥陀如来のもと、極楽浄土をさして飛び去った。 きっと、木曾の御嶽の上空を通り抜けたに違いないと数馬は思った。
 数馬は経念寺を辞したかに見せたが、実は新三郎の墓に持たれて、眠りもせずに夜を明かしたのだった。 酒に酔った所為か、新三郎に出会ったこと、一緒に過ごしたこと全てが夢であったように思えて仕方がなかった。

   「新さん、見ていて下さい、西洋医学を学び、心療を極め、きっと良い外科医と心医になってみせます」

 夜明けを前に、数馬はふらふらと経念寺を後にした。 まだ暗闇が残る物陰から、黒い塊が数馬を指して飛び出てきた。 数馬が「あっ」と思う間もなく、その塊は数馬に突き当たった。 横っ腹に激しい痛みが走り、数馬はその場に倒れた。 黒い塊は、黒装束の盗賊だった。 盗賊は数馬の腹から短刀を抜くと、数馬の懐に手を差し込み、屋敷を出るときに持ってきた二両ばかり入った巾着を取り出し、血の付いた短刀で紐を切った。 盗賊は巾着の中身を確かめ、「小僧のわりには持っていたな」と呟き、闇に消えていった。
 残された数馬は、何とか止血をしようと傷口を手で押さえたが、徐々に力が失せて血はドクドクと流れ出た。 
   「新さん、御免! 新さんにあれ程言われていたのに、私は医者になる夢を潰(つい)えました」
 意識が遠のいて行く。 数馬は呟き続けた。
   「私は、新さんに命を支えられていたのですね、それが、独りになるとこのザマです」
 自分はもうだめだと思った。 そう悟ると哀しみは消えてしまった。
   「新さん、数馬は新さんの居るところへ行きます」
 消えかかった意識の中で、数馬に新しい希望が見えた。
   「数馬が浄土へいったら、きっと新三郎さんの魂を見つけてみせます」 
 数馬の魂もまた、新三郎の後を追うがごとく、闇の中へ消え去った。

   「数馬さんが用もないのに来て、礼をいって帰られました」 長坂清三郎は、奉行の遠山に告げた。
   「拙者のところへも挨拶に来おった」 と奉行。
   「町の人々が噂をしている通り、数馬さんは霊能力か予知能力があったのでしょう」 と松吉。
   「自分が殺されることを予知していたのですね」 仙一が口を挟んだ。
   「それにしても、夢も叶えず早すぎるじゃないか」 奉行のその言葉に、
   「この仇は、きっと取ってやります」 長坂は、「ぐっ」と、拳を固めた。

     (能見数馬・(21)数馬よ、やすらかに) -完- (原稿用紙9枚・全292枚)

  「リンク」
   「第一回・心医」へ
   「第二回・江戸の探偵」へ
   「第三回 十四歳の占い師」へ
   「第四回 若き霊媒者」へ
   「第五回 父の仇!」へ
   「第六回 二つの魂を持つ男」へ
   「第七回 江戸の名医」へ
   「第八回 幽霊新三」へ
   「第九回 江戸の痴漢」へ
   「第十回 遠山裁き」へ
   「第十一回 数馬、若様になる」へ
   「第十二回 悪霊退散!」へ
   「第十三回 姉の縁談」へ
   「第十四回 墓参り」へ
   「第十五回 父と子」へ
   「第十六回 弟子入志願」へ
   「第十七回 墓荒らし」へ
   「第十八回 暫しの別れ」へ
   「第十九回 新三独り旅」へ
   「第二十回 数馬危うし」へ
   「最終回 数馬よ、やすらかに」へ
  「次のシリーズ 佐貫三太郎」
   「第一回 能見数馬の生まれ変わり?」へ


最新の画像もっと見る