雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第六回 二つの魂を持つ男

2013-06-17 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 水戸藩江戸上屋敷の藩士、能見篤之進の次男能見数馬が帰宅の途につく早足を遮った男がいた。男は役人らしく、腰に大小の刀の他に、真っ赤な房が付いた十手を差していた。
  「能見数馬どので御座るか」
  「はい、能見数馬ですが」
  「拙者は同心、桧山進八郎と申す」
 数馬が北町奉行に散々頼みごとをするものだから、時には借りを返せと用事を謂いつけに来たのかと数馬は勝手に想像した。
  「よく私が能見数馬だと分かりましたね」
  「いや、声を掛けたのはお主で四人目だ」
  「私がこの刻にこの道を通ることを桧山様にお教えしたのはどなたですか?」
  「伊藤良庵先生のところの松吉でござる」
  「お知り合いですか?」
  「お役目中、眩暈がして倒れ、運び込まれたのが伊藤良庵養生所で、松吉に診てもらった時に故郷の話などをしました」
  「その松吉どのが、どうして私を桧山様に紹介したのでしょうか?」
  「実は拙者、霊媒師を探しておりまして、松吉に話したところ、あなたが高名な霊媒師の御曹司で在らせられると聞きました」
  「違いますよ、松吉のヤツ嘘をつきよったな」
  「嘘でござるか?」
  「嘘ですよ。以前に人助けの為、そんな風に騙ったことが有りましたが…」
  「騙りでも何でも良いですから、是非幽霊に逢ってやって下され」
  「また、幽霊ですか、そんなものはこの世に存在しませんよ」
  「私もそう思っていましたが、今度ばかりはそのお思いが翻りました」
  「へー、面白いかも知れない、お話をお聞きしましょう」
  「聞いて下さるか、有り難い」
 桧山の話を要約するとこうである。街道が山道に差し掛かって間もない場所に、朽ち果てた寺がある。その寺に幽霊がでると近くの村人たちの噂にのぼり、たまたま道を尋ねるために新八郎が村に立ち寄ったところ、腰に差した十手を見て、恐ろしいので調べてほしいと村長(むらおさ)に頼まれたのだった。

 夜が更けて進八郎が寺を見張っていると、やはり村人たちがいうように寺の中から何者かが出てきて、ふわりと空中高く舞い上がると、闇の中へと消えて行ったのだそうである。その出(い)で立ちは、道中合羽に三度笠、手甲脚絆(てっこうきゃはん)に紺の股引(ももひき)、足に草鞋(わらじ)、腰に長脇差(ながどす)だったらしい。

  「幽霊に十手を突き付けても糠(ぬか)に釘でござる、ここは一度引き下がって霊媒師にお出まし願おうと数馬殿を探しておりました」
  「変な幽霊ですね、草鞋履きだなんて」
  「はい、ふざけた幽霊で、生前はやくざだったようです」
 何にでも興味をもつ数馬のこと、何が出来るか分からないが結局は今夜出かけてみることにした。数馬もまた、借り物の縞の合羽に三度笠をかぶり。

    夜半になって、例の幽霊が姿を現した。道中合羽に三度笠の数馬を見つけると、飛んで来て中腰で右手を差さ出し、掌を上に向け、「お控えなすって」
  「あんさんこそ、お控えなすって」
  「いや、あんさんから…」
 こんなことを何時までやっていても埒(らち)が明かないので、数馬が控えると。「早速のお控え、ありがとうござんす」と、仁義が始まった。
  「手前、生国と発しますのは、信州にござんす。信州と申しましても些か広うござんす。信州は木曾の山裾、木曽川の水で産湯を使い、樵(きこり)の親父の背中をみて育った山猿の新三郎と発します。長じて、木曽川で中乗りをしておりましたことから人呼んで中乗り新三というケチな野郎にござんす」
 数馬も負けじと、
「手前生国は水戸にござんす、水戸に生まれて江戸育ち、墨田の数(かず)と発します」
  「ところで、今夜お見えなすったのは、このあっしに何かご用でござんすか?」
  「この近くの村人が、ここで幽霊を見たと騒いでおりますので、どのような事情であなたがここに滞在されるのか、お話を聞こうと参りました」
  「よくぞお訊きくださった」と、説明が始まった。
 木曽川で中乗りをしていた頃、材木の取引で世話になっていた江戸の材木商木曾屋孫兵衛が、やくざの陰謀にかかり殺害された。店も乗っ取られようとしていると噂を聞き、中乗りの水棹(みざお=筏を操る棹)を長脇差(ながどす)に持ち替え、江戸に出向き、やくざの親分を叩き斬り木曾屋の難を救ったが、凶状持ちになりお上の十手から逃げ回らなければならない旅鴉になった。
 一旦は木曾に戻り、将来を約束していたお蓑の家に匿(かくま)って貰ったが、追手が迫りお蓑に火の粉が降りかかってはならぬと、こっそり木曾の架け橋、太田の渡しを越え、鵜沼まで来たがお蓑が恋しくて鵜沼が立ち難く、もう一日、もう一日と日を延ばしているうちにやくざの子分たちに見つかり、 闇討ちに合ったと語った。

 ここで、中乗り新三のテーマ演歌を・・・

   ▽やくざ渡世の白無垢鉄火、ほんにしがねえ、渡り鳥
    木曾の生まれヨ、中乗り新三、いつか水棹を長脇差…
         (木曽節三度笠より)

 幽霊となったが、いつかはぐれてあの世にも行けず、魂魄(こんぱく)この世にとどまりて、独り彷徨う幽霊旅鴉、人恋しさに村里に来たが、人に嫌われ追い払われて、かくなる上は木曽路に身を潜め、悪霊となって旅人を驚かせてやろうかと…。
  「だめですよ、そんなことになれば、もっと人間に嫌われます」と、数馬は慌てて言った。
  「わかりました、私と一緒に人里へ行きましょう」
 だまって遣り取りを聞いていた桧山進八郎は、数馬の袖を引っ張った。
  「町へ連れて行ってどうするのですか」
  「まあ、私に任せて下さい」と、数馬。
  「知りませんよ、命を取られても」
 言い出したら聞かない数馬である。
  「新三郎さん、私の体に取り憑きつきなさい」
  「いいのですか?魂が二つになりますよ」と、新三郎。
  「これからは、この私の体を棲家となさい」
  「本当にいいのですかねえ」
  「私は一向に構いません、ただし、時は密偵として働いてもらう事があるかも知れません、よろしいですか」
  「はい、喜んで」と、中乗り新三。
  「私は夜中にやることがあります、気が散りますからごじゃごじゃ言わないでくださいよ」
  「はい、それはもう、あっしも男でござんすから、よく弁(わきま)えておりやす」
  「あっしも男とは、何なのですか」
  「それは、あのー、布団の中でゴソゴソと…」
  「違いますよ、勉強です!」
  「数馬殿、耳が真っ赤ですよ」と、蝋燭の火を翳して桧山。
  「さあ、新三郎さん、私の中へ入って下さい、もう夜が更けたので私は帰ります」

 翌朝、何時もの時間に雀の鳴く声を聞いて数馬は目が覚めた。何の違和感も無い。数馬は藩学の帰り道、桧山進八郎に会おうと北町奉行所に立ち寄り、「桧山進八郎さんの居場所を教えて下さい」と、尋ねてみたが、北町奉行所に桧山進八郎という人は居ないということだった。
  「南にもそんな名前の同心はいませんよ」と、尋ねた役人は不思議そうな顔をした。
  「数馬殿、夢でも見ているのでは…」
  「は?夢ですか?そんな筈はないのですが」
 ゆうべ、確かに桧山進八郎という人が待ち受けていて、一緒に朽ち果てた寺に行ったのだが、あんな馬鹿げた幽霊が居る筈もなく、自分の体に憑いた感じもない。やはり夢だったのかと思い直した。

 ある日、数馬が考え事をしながら町を歩いていると、どこからか数馬を呼ぶ声が聞こえた気がした。
  「数馬さん、この先の神社の杜で、若い女がチンピラ男たちに囲まれています」
  「行きましょう、なんとか止めさせることが出来るかも知れない」
 神社の裏山にいってみると、案の定三人の男が娘を押さえつけていた。
  「待ちなさい、今役人を呼びに行かせたので、もう直ぐ飛んできます」
  「なに、役人?ちっ!邪魔が入った」
  「逃げようぜ!」
 チンピラたちは丸くなって逃げ去った。
  「見ればお武家の御嬢さん、大丈夫でしたか」
  「はい、ありがとうございます、祈願をかけ、御百度参りをしていて襲われました」
  「今日は、これで帰りましょう、またあの男たちが襲って来るかも知れません」
  「はい、そうします」
  「お屋敷の近くまで、お送りしましょう」
 帰り道、祈願とはどのような… と、数馬が尋ねると、娘は「父の病が良くならないので」と、心配そうに言った。

 貧乏長屋の入り口で、「あばら家ですので恥ずかしいからここで失礼します」と、娘。
  「明日は、私の知り合いの同心に頼んで男たちを召し取って頂きましょう」
 娘を送り届けると、その足で同心長坂清三郎を訪ねた。
  「数馬さん、一緒に隠れて見張っていましょう、仙一も連れていきます」
 娘が御百度参りを始めると、案の定昨日の三人のチンピラたちが娘を取り囲んだ。娘に猿ぐつわをすると、担いで杜の中へ入っていった。

 今まさに乱暴をしようとした時、長坂が叫んだ。
  「待てー!北町奉行所の者だ、神妙にお縄につけ」
 驚いて逃げようとした男たちの一人に、長坂が取っ組み、投げ飛ばした。二人目は、仙一が習いたての十手術で羽交い絞めにした。三人目は、数馬が手に持った石を、足の踝めがけて投げつけた。三人の男は、数珠つなぎにお縄を受け、近くの番屋まで連れていかれた。
  「これで安心して御百度参りができます」と、娘。
  「そうですね、でもお供をお連れになった方がよろしいかと」
  「まだ、御百度参りが終わっていません」
  「では、お済みになるまで、私がここで見張っていましょう」
  「重ね重ね、ありがとうございます」

 数馬も医者を目指す者、娘の父のご病気が気になるので、会わせてくれないかと言ってみた。娘は父の病気のこととなると、恥も外聞も無い様子だった。
  「はい、お願い致します」
 娘は快諾してくれた。一間しかない長屋の部屋で、浪人は煎餅蒲団に寝かされていた。浪人の名は、新井良太郎、娘の名前はお貴であった。
  「新井様、お脈をとらせていただけませんか」
 数馬は、まだ医者ではありませんがと断って頼んでみた。
  「お願い申す」と、良太郎は痩せた腕を差し出した。さらに、お腹を打診しながら数馬は言った。
  「時々、たくさん血を吐かれましょう?」
 良太郎はこっくりと頷いた。お貴も、「それはもう」と、心配そうに言った。そして、数馬に訊き返した。
  「労咳でしょうか?」
  「まだ、医者には一度も診て貰っていないのですか?」
  「はい、父が拒みますので」
どうやら、娘にお金の心配をさせたくないのであろう。
  「労咳ではありません、胃の腑が爛れているようです、放置していると胃の腑に穴が開きます」
 現在で言う胃潰瘍であった。
  「この病は養生次第で治ります、小石川養生所で受け入れて貰えるか、私から問うてみましょう」
 もし、患者がいっぱいで待たなければならないのであれば、伊藤良庵の養生所に数馬の出世払いで頼んでみようと数馬は思った。
 とにかく、早く治療しなければ命に係るのだ。運よく、お奉行の耳にいれて置いたのが功を奏したのか、お奉行が口添えしてくれたらしく、小石川養生所の承諾が得られた。

 翌日、駕籠を差し向け、新井良太郎を小石川養生所に連れて行った。やはり、数馬の見立ては当たっていた。而もその原因は、娘に苦労をかけることに対する心労から来るものらしかった。
  「新井様、もう心配は要りません、娘さんには、暫くここで介護をして頂くそうです」
 数馬が、ここはお金が掛かりませんから安心してしっかり養生して下さいよ、と言うと気の所為か新井良太郎の目が潤んだように見えた。
  「新三郎さん、良いことをしましたね」
  「もう一つ、数馬さんに伝えることがあります」
  「何でしょう?」
  「数馬さんは、お貴さんに惚れてしまいます」
  「ん?そんな事が分かるのですか?」
  「あっしは、色恋沙汰では場数を踏んでおりやす」
  「へー、なんか、嫌なやつ」
  「まあ、そう言いなさんな、今にお役に立つときがきますぜ」
  「ところで、桧山進八郎さんはどうしたのですか?」
 気になって訊いてみた。
  「あの同心は信州のお役人さんで、あっしの成仏を気にかけてくれていました」
  「それで、新三郎さんが私に憑いたことで安心して帰ってしまわれたのですね」
  「本当は、凶状持ちのあっしを捕えるお役をお奉行から命じられていたようですが、あっしに同情して、わざと逃がしてくれました」

 やはり、あの変な出来事は夢ではなかった。あの日以来、「独り言の数馬」と異名をとるようになってしまった。
  「年寄りになったみたいで嫌だなあ」と、思ったが、新三郎の人の良さが快かった。数ヶ月後、数馬がお貴さんに会いに行くと、新井良太郎の病気は改善していて、爽やかな笑顔で迎えてくれた。新三郎の言う通り、数馬の胸がキュンとなったが、抑えて何事も無かったように別れてきた。

 新三郎は、何もかもお見通しの様子であった。

   (二つの魂を持つ男・終)  ―続く―   (原稿用紙17枚)


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