雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第四回 若き霊媒者

2013-06-09 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 ある日の昼下がり、数馬が水戸藩の藩学分校から戻ると、門口の掃除をしていた下男の伝兵衛が「数馬さま、先程から客人がお待ちです」と、庭の隅を指差した。伊東良庵養生所の見習医者松吉だった。伝兵衛は客間に通そうと思ったが、「ここで待たせて貰います」 と、庭石に腰を掛けて待っていたそうである。
  「松吉さん、いらっしゃい。どうされました?」
 数馬の声を聞いて松吉は立ち上がり一礼をした。
  「数馬さまにご相談があり、罷り越してございます」
  「こんな若造の前で、そんなに畏まらないで下さい。結衣さんのご機嫌はよろしいですか?」
  「はい、それはもう活き活きとして、よく働いてくれます」
  「それは良かった」
  「今日伺ったのは、結衣さんのことではありません」
  「お聞きしましょう。ところで松吉さんは昼の食事は摂られましたか?」
  「いえ、まだです」
  「わたしも腹が減りました。母上が何か用意していると思います。家に入って、お話は食べながら伺いましょう」

  数馬は松吉を自分の部屋に案内し下女に二人分の食事を持ってこさせ、松吉と食べながら話した。
  「相談というのは、どのようなことでしょう?」
  「数馬さまが心医という医者を目指していると結衣さんから聞きまして」
  「誤解なさらないで下さい。わたしは心の臓の病を治す医者を目指しているのではありません」
  「はい、承知しております。魂医とかいう胡散臭い医者で無いことも存じております」
  「それで安心しました。どうぞお話し下さい」
  「実は、病人のことなのです」
 松吉が話したのは養生所の患者の病状である。昼間は普通の生活をしているのだが、夜になると体中に痛みが走り眠れないという。亡霊に取り憑かれているのか、恐ろしい幻覚を見るらしく、呻いたり騒いだり悲鳴を上げたりで、霊能者に見てもらったところ悪霊が憑いていると言われ、大枚を払って悪霊祓いをしてもらったが一向に良くならない。家族の手に負えないので養生所預かり(現在でいう入院)にして昼夜脈診をしてみるが異状なく、薬剤も効かないためどうしても原因が掴めない。もしかしたら、これは数馬さまが言っておられた心の病ではないかと、結衣が言い出したのである。
  「わかりました。ちょうど明日は藩学が休みなので、今から養生所へ行きましょう」
  「そうですか。恐れ入り序にお願いですが、今夜は養生所で明かしていただけませんか?」
  「もちろんです。今夜、診察のお手伝いをしましょう」

 数馬は、母上に告げるために部屋を出たが、すぐに母上と共に戻ってきた。
  「こんな子供がお役に立つのでしょうかねぇ」
 母上は笑いながら、「お寝しょをしたら、ぶってやって下さいよ」と、冗談を言った。
  「お寝しょとは酷い、いつまでも赤ん坊扱いされていますから、数馬は中々大人に成れません」

母上が部屋から出て行くと、数馬は声を潜めて、「病人には、わたしを権威ある霊媒者の後継者で、生まれついての霊能力を持った御曹司と嘘の紹介をして下さい」
 数馬が、何を企んでいるのか、或いは悪戯心なのか、松吉には想像がつかなかった。

   道すがら、数馬は松吉に病人について質問をした。病人というのは父親辰平が一代で築き上げた小間物店の長男で、小売店といえどもそれなりの構えと、使用人も五・六人雇っている商家である。
 辰平夫婦には二人の男の子供があり、長男を卯吉、次男は寅次郎という。卯吉は二十歳で博打好き、寅次郎は十六歳の真面目過ぎるくらい真面目な性格で、店の帳簿管理など任されるくらいであった。それに比べて卯吉は、放蕩とまではいかないまでも、ちょくちょく店の金をくすねては博打で使い果たし、父親の辰平に見つかりこっ酷く叱られていた。
 そんなこんなで卯吉と父親は普段から折り合いが悪く、時には派手に親子喧嘩をやらかし、「お前を勘当して、店は寅次郎に継がせる」と、言うのが辰平の口癖になっていた。

 その日、辰平は卯吉に身を固めさせようと二階の卯吉の部屋へ上がったが、思いとどまったのか卯吉の部屋に入らずに降りようとして、階段から足を踏み外して転げ落ち、そのまま帰らぬ人となった。口さがの無い使用人の中には、勘当を言い渡されて「卯吉がカッとなって突き落とした」と噂をしていた。

 松吉に紹介されて、徐に卯吉の前にドッカと胡坐をかいた数馬は、敵に合った小動物が毛を膨らませて出来るだけ大きく見せようとするかのように、肩を怒からせていた。
  「どうぞ、お楽になさって下さい」と、数馬が言った。松吉は横を向いて「ぶっ」と、笑った。どう見ても数馬の方がぎくしゃくしていたからだ。
  「今夜、わたしがあなたに取り憑いている霊に逢って話を聞いてきます」
  「よろしくお願い致します」
 体格は大柄であるが、少しばかり気が弱そうな卯吉であった。昼間は正常という松吉の言葉通り、とても病人と言える様子はなかった。少しばかり世間話のような会話をして「それでは夜にまた参ります」と、数馬は病人の部屋を出た。

 夜、再び卯吉の部屋に入ると、卯吉の様子は一変していた。姿が見えない何かを恐れて、顔面は蒼白になり、体が小刻みに震えていた。
  「卯吉さん、私が今から霊に合ってきます。安心して、わたしを見ていて下さい」
 数馬は、祈祷をするでもなく、念仏を唱えるわけでもなく、黙って目を瞑り、静かに座っているだけだったが、突然立ち上がろうとして、横向けにばったり倒れた。数馬は悶えることもなく、身動きさえしなくなった。ほんの少し時間が流れ、数馬は意識を戻した。
  「卯吉さんに取り憑いたのは悪霊ではなく、あなたのお父さんでした」
 それを聞いて、卯吉は狼狽した。数馬は、卯吉の様子をしっかり見届けていた。
  「卯吉さん、安心しなさい。お父さんは、卯吉さんのことを心配なさっているのです」
 卯吉は、怪訝そうに数馬を見つめた。その顔は、「なぜ?」と、言っていた。
  「お父さんが亡くなったあの日、卯吉さんに身を固めさせようと縁談を持って二階に上がると、卯吉さんが寝ている様子だったので後にしようと後戻りしかかったとき、階段の一番上で眩暈に襲われて、まるで背中を突かれたように前に崩れ落ち、そのまま気を失い亡くなってしまったと仰いました」更に、「倅の卯吉が背中を突いたのではないと、断言されていました」
 何かお心当たりがあるようですねと、数馬は卯吉の表情を読み取って更に続けた。
  「お前を叱ってばかりいたこの父を、どうか許しておくれとも言われました」
 卯吉は下を向いて聞いていたが、グスグスと洟をすすり始めた。
  「お父さんは、兄弟で、店を盛り立ててくれるのが何よりの供養だそうですよ」

 その日限り、卯吉の病状は消えていた。弟寅次郎と力を合わせて商いに精を出し、傾きかかった店を立て直すべく努力した。そんな日々のなか、弟の寅次郎が突然伊東良庵養生所を訪れ、霊媒師の先生に会いたいと言ってきた。
  「先生は忙しくて会われないでしょう」と、松吉が断ると、「兄の命を救ってもらったことにお礼を申し上げたい」と、言う。
 松吉は、「命を救ったとは何と大袈裟な」と、思ったが、
「先生に伝えるから、先生の手がお空きになったら連絡します。そのときは、ここへいらっしゃって頂きましょう」と、寅次郎を帰した。

 その旨を数馬に伝えると、数馬は「そうだったのか」と、呟いた。寅次郎は、何もかも知っていたのだ。兄が、階段で父の背中を押してしまったことも、数馬が霊媒師ではなかったことも。
 兄が、自分が犯した罪の意識に耐え切れずに自訴すれば親殺しは大罪、どのような事情があろうとも磔獄門の刑は免れない。そこで数馬が兄の罪意識を和らげて、その代わりに商いに精をだすように仕向けてくれたのだ。
 それを感じ取り、寅次郎は「兄の命を救って貰った」と言い、その礼を言いたかったのである。
  「お断りします」
 松吉の、「寅次郎に会ってやって欲しい」と言うのを、数馬はきっぱり断った。理由は、「地獄で閻魔様に舌を抜かれるのはごめんです」
  「霊媒師なんて、全部嘘つきじゃないですか」と、松吉は言おうとして止めた。
 この人は霊媒師と違って、自分の嘘に罪意識を持っているのだなあと思ったからである。

   (若き霊媒者・終)  ―続く―   (原稿用紙10枚)

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