雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「能見数馬」 第七回 江戸の名医

2013-06-17 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 数馬が新三郎に尋ねた。
  「新さん、あなた夜中に私の体から抜け出して、姉上の寝所へ行っていませんか?」
  「とんでもない、幽霊になってからは、そっちの方はからっきしダメでござんす」
  「姉が、深夜に天井で物音がして、誰かに節穴から覗かれているような気がする」というのだが、「新さんでないなら、何者だろう」
  「ねずみか、青大将でしょうよ」
  「そんなものが節穴から覗きますか」
  「あっしじゃありませんぜ、あっしには物音なんぞたてられやしません」
  「そうだなぁ」
  「あっしにお任せぐだせぇ、今夜、屋根裏で見張っていましょう」
 何も悩むことはない。新三郎なら簡単に正体を見極めてくれる。持つべきものは、幽霊の友達だと数馬は思った。

 真夜中前に、新三郎は数馬から「すーっ」と抜け出し、千代の寝所の屋根裏に入り込むと、ゆらゆらせずに隅っこで「じーっ」と待った。真夜中になって、大小の黒い塊が何処からか侵入して来た。ムササビの親子であった。ムササビからは新三郎の姿が見えないらしく、警戒することもなく、新三郎のすぐ近くで親がコロンと横になり、子供たちが競っておっぱいに群がった。
  「可愛いものですぜ、人間の棲家ということを弁えているのか、鳴き声もたてずに乳を飲んでいやした」
  「そっとしておいてやりたいが、糞尿が溜まると臭くなるので、出入り口を塞ぐしかない」
 翌日の夕方、数馬が屋根裏に入り、開いていた壁穴を古い金網で塞いだ。そのことを千代に話すと、「流石、数馬」と、褒めてくれた。心の中で、「あっしの手柄ですぜ」と、新三郎が叫んでいた。

 数日後、数馬の母千登勢が実家に戻った際に、千登勢もお付き合いのあるご近所のお屋敷でお嬢様が病の床に就き、医者を呼んだが病名が分からず、医者に「匙をなげられた」話を聞いてきた。

 お嬢様は、食事が喉を通らない所為で段々痩せ衰え、明日をも知れない病状だという。ご両親もまた心労が重なり、方々から医者や祈祷師や占い師を招いたが、やはり原因のわからない病気だと言われて、ただ神に縋る明け暮れだという。
  「新さん、この病何だと思います」
  「それは、お医者の仕事でしょう、幽霊にわかる訳がありませんぜ」
  「そうですねぇ、でもお気の毒です」
  「まてよ、打つ手があるかも知れない、あっしが御嬢さんに憑き、心の中を覗いて参りましょう、病気の手がかりが掴めるかもしれません」
  「それは妙案、明日母上の名代として、お見舞いに行きましょう」
  「ふーっ、若い女に憑ける」
  「何を喜んでいるのですか、新さん本当にそっちの方は、からっきしダメなのですか?」

 翌日、母上の承諾を得てお見舞いに行くことになった。病気の御嬢さんの屋敷を訪ねると、藁をも掴みたい心境の両親が「どうぞ見舞ってやって下さい」と、招き入れてくれた。
  「御嬢さん、私は能見千登勢の次男坊で、数馬と申します、私も医者を目指す者、この手拭の上からで構いませんから、お脈を診させてくださいませんか?」
  「お願いします」と、御嬢さんは蚊の鳴くような声で言った。
  「では、失礼して」と、脈を診ている振りをして固まっている間に、新三郎が「スーッ」と数馬から抜け出て、御嬢さんの中へ入り、暫くして戻ってきた。

  「数馬さん、これは恋煩(こいわずら)いですぜ」
  「なんだ、そうだったのか」
  「好きな男の名前も分かりました」
  「そうか、今からその男を探しに行こう」

 数馬が何やら呟いているので、母親が心配して数馬に声をかけた。
  「なにか、悪い病気なのでございますか?」
  「いえ、この病気は、私に治せるかも知れません」
  「本当でございますか」
  「はい、きっと治して見せましょう」
  「なんと、あれ程探した名医が、こんなにも近くにいらしたなんて」
 妙薬を取ってくると両親に告げると、数馬は屋敷を飛び出して行った。半刻(一時間)程のちに、数馬は若い男を連れて戻ってきた。
 男に訊くと、彼もまた名前しかわからぬ御嬢さんに一目惚れをして悩んでいたのだという。その御嬢さんが自分に恋をして寝込んでいると聞き、急いで掛け付けてきたのだ。男は数馬と同じく武家の冷や飯食いであったが、これが水も滴るよい男で、役者絵から抜け出てきたようであった。(落語・崇徳院のちょいパクリ)

  「御嬢さん私です、お逢いしとうございました」
 人前で、しかも両親が見守るところで、二人は抱き合った。見る見る元気になる娘を見て、両親は唖然としていた。
 御嬢さんは武家のひとり娘、男は旗本の三男坊、話はとんとん拍子に良い方に進むに違いない。
  「これは、心ばかりですが、娘の命を救ってくださったお礼です」と、帰りに小さな紙包みを数馬に持たせてくれた。中に十両もの大金が入っていた。
  「その十両、あっしに貰えませんか」新三郎が数馬の心に話しかけた。
  「幽霊が大金を何に使うのですか」
  「はい、実は私の屍が、鵜沼の山深くに打ち捨てられています、体の骨は狼に持っていかれてありませんが、頭骨だけが草に埋もれています」
  「それを拾いに行くのですね」
  「はい、数馬さんの屋敷裏にでも埋葬してほしいのです」
  「間もなく藩学が夏休みに入ります、鵜沼へ行きましょう」
 数馬は、両親に旅の途中で倒れた親友の骨を拾いに行くのだと打ち明け、旅の許しを乞うた。数馬は、長旅は生まれて初めてである。鵜沼宿は今の岐阜県である。しかし、我が新三郎の為である。尻込みしている場合ではない。旅慣れした新三郎が憑いていることだし何とかなるだろうと、父親の篤之進が止めるのも聞かず、一人旅に出立した。

 お江戸日本橋を出て、中山道を行くと、六十九次の五十二番目の宿が鵜沼である。序に記すと、中仙道、木曽街道、または木曾海道と呼び名は違うが、いずれも中山道のことである。起伏の激しい街道なので、若い数馬でも時にはへこたれることもあるが、そこは先を急ぐ旅でもないので、中山道を旅慣れた新三郎に身を任せ、のんびりと旅を楽しんだ。

 幽霊の新三郎もまた、数馬の目を通して昼間の風景をみることが出来るので、大のおとなとは思えないはしゃぎようであった。
  「前から美人がきやしたぜ」
  「顔を見てはいけませんぜ」
  「振り返ってはいけませんぜ」
  「お貴さんが泣きますぜ」
 数馬が煩い新三郎を窘めた。
  「ちっとは黙っていて下さいよ」
  「お貴さんが…」
  「お貴さんとは、何でもないのですから」
  「それ、顔が火照った」
 数馬がちょっぴり原をたてた。
  「いったい、誰の為にこんな旅をしているのですか」
  「それは…」
 やっと新三郎が静かになった。この足の早さであれば、往復しても二十日ちょっとだろうと、新三郎は予測していた。
  「ここは、南木曽(なぎそ)馬籠(まごめ)の宿ですが、間もなく美濃の国に入ります」  新三郎の道案内に堂が入って来た頃、鵜沼の宿に着いた。宿を取りゆっくり体を休め、明日の朝から山へ入ることにした。どこかの農家で手向けの花を分けてくれるところがないか、旅籠の女将に尋ねようとしたら、新三郎が遮った。
  「あっしゃ、花なんぞ要りません、酒にしてくだせえ」
 翌朝、女将に訳を話して、塩握りと竹筒に酒を満たして持たせてもらった。
  「数馬さん、これからあっしの骨を拾いに行くのですぜ、なんですかそのウキウキした顔は、まるで子供が袋をぶら下げて栗拾いに行くみたいじゃないですか」
  「いちいちうるさいなあ、新三郎さんは注文が多すぎます」
  「それでも、もう少し神妙な顔つきで出かけて下さいよ」
  「えーっと、これから山へ出かけるのは、誰のためでしたかねえ」
  「はいはい、わかりました、あっしのためです」
 こんな遣り取りを宿の者に聞かれたら、新三郎の声は聞こえないので、数馬はアホみたいみえるだろう。

 山裾のなだらかな斜面に、半分土と草に埋もれた頭骨が見つかった。来る途中、農家に立ち寄り、金を払って穴掘り鍬を借りてきたので、少し広く掘って骨格を探してみた。殆どが野犬か狼に持ち去られて大きな骨はなかったが、ばらばらになった小さな骨を拾い集めて持ってきた袋に入れた。頭骨の土を払って拾い上げ、胸に抱えると生きて元気に走りまわっていた新三郎の体温が感じられ、数馬はハラハラと涙を頭骨の上に落とした。新三郎もまた泣いているらしく、二倍の涙で頭骨が濡れた。
 一旦頭骨を岩の上に置き、酒をかけて涙を洗った。

  「ご苦労様でしたなあ」と、旅籠の女将が労ってくれた。
  「余計なことだったかも知れませんが、お骨を納める桐の箱を用意しておきました」
 箱にお骨を納め、白い布で包み、首から掛けて道中の妨げにならないようにと、女将が気を使ってくれたのだ。
  「ご親族の方ですか?」
  「はい、出来の悪い兄でして、私や両親を散々泣かせた上にこのあり様です」
  「そうでしたか、どんなお人でも、亡くなれば仏様です、大切に弔ってあげてください」
  「ありがとうございます」
  「誰が出来の悪い兄ですか」
 新三郎が文句を言った。
  「誰の為にこんな苦労をして遠くまで…」
  「あ、はいはい、あっしのためです、もーどれだけ恩に着せるのですか」
  「ははは、分かればよろしい」
 江戸を出立して、二十二日目に戻ってきた。経念寺に立ち寄り、十両から旅で四両使ったので残った六両を亮啓に渡し供養を頼んだ。亮啓は快諾し、早速本堂にお骨を置き、経を読んでくれた。数馬には亮啓が一段と僧侶らしくなったと、頼もしく思えるのだった。   「母上、数馬戻りました」
  「おかえりなさい、この塩を体に振り掛けて、お浄めをしなさい」
 数馬は躊躇した。もしや塩を掛けたら新三郎が融けてしまうのではないかと危惧したのだ。
  「あのねえ数馬さん、あっしはナメクジじゃありませんぜ」

    「数馬、日に焼けて随分黒くなりましたね」と、姉の千代。
  「ほんと、男らしいですよ、数馬」と、母上。
  「あのなまっ白いピーヒョロの数馬さんが、こんなに逞しくなったのは、誰のお蔭ですかねえ」と、新三郎。
  「それは、あのー」
  「あのー何ですか?」
  「お日様のお蔭です」


   (江戸の名医・終)   ―続く―  (原稿用紙13枚)


  「リンク」
   「第一回・心医」へ
   「第二回・江戸の探偵」へ
   「第三回 十四歳の占い師」へ
   「第四回 若き霊媒者」へ
   「第五回 父の仇!」へ
   「第六回 二つの魂を持つ男」へ
   「第七回 江戸の名医」へ
   「第八回 幽霊新三」へ
   「第九回 江戸の痴漢」へ
   「第十回 遠山裁き」へ
   「第十一回 数馬、若様になる」へ
   「第十二回 悪霊退散!」へ
   「第十三回 姉の縁談」へ
   「第十四回 墓参り」へ
   「第十五回 父と子」へ
   「第十六回 弟子入志願」へ
   「第十七回 墓荒らし」へ
   「第十八回 暫しの別れ」へ
   「第十九回 新三独り旅」へ
   「第二十回 数馬危うし」へ
   「最終回 数馬よ、やすらかに」へ
  「次のシリーズ 佐貫三太郎」
   「第一回 能見数馬の生まれ変わり?」へ


最新の画像もっと見る