雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第十三回 姉の縁談

2013-06-29 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 数馬の姉、千代に縁談が舞い込んだ。 相手は水戸光圀に仕えた儒学者、佐々宗淳(さっさむねきよ)の曾孫、佐々助三郎(さっさすけさぶろう)であった。 助三郎と聞くと、光圀の伴をして諸国漫遊をした佐々木助三郎を想像されるかも知れないが、時代が違う。 曽祖父の宗淳をモデルに作られた架空の人物が佐々木助三郎である。

   「姉上、気が進まないのですか」 数馬は、浮かぬ顔の千代に声をかけた。
   「私の理想の殿方は、兄上のような真面目で優しい方です」
   「兄上とは夫婦にはなれませんよ」
   「分かっています、そんなことぐらい」
   「私で我慢なさい」
   「誰が数馬なんかの世話を受けますか」

 要するに、顔も見たことのない男とくっつけられようとしているのが気に入らないのだ。
   「佐々殿とお逢いになれば気が変わるかも知れません」
   「お見合いをすれば、女のわたくしはお断りすることは出来ません」
   「相手の返事次第なのですか」
   「運悪く気に入られたら、どうしょうもありません」
   「では、相手の男が気に入らぬ場合は、嫌われるように仕向けたら良いではありませんか」
   「どうするのですか」
   「私がお見合い中の座敷の襖をサッと開けて、こう言います」
   「なんて」
   「姉上ッ、姉上のオネショ布団、私が干しときました」
   「バカバカ、なんてこと言うの」
   「姉上、昨夜も首が伸びて油を舐めていましたよ」
   「そんな噂が流れたら、わたくしは生涯お嫁に行けません」
   「その時は、私が姉上の面倒を見ましょう」
   「いりません!」

 結局、父親能見篤之進に押し切られて、能見の屋敷でお見合いということになった。 千代は、しぶしぶ父上と見合いの座敷に入ると、佐々助三郎は父上の佐々信禎(さっさのぶよし)と共に既に席に着き、畏まっていた。 千代の第一印象は、「奥床しい方」、
 挨拶を交わし、控え目な会話であったが進めていくなか、「兄上より真面目そうで、優しそうで、頼りがいのありそうなお方」 と、千代は大乗り気になった。 ただ、心配なのは数馬のことだった。 相手を気に入ったときの合図は伝えていなかったので、いつ襖がサッと開くか、いつ「オネショ布団」と言われるか、気が気ではなかった。その時、襖がサッと開いて「失礼致します」と、千代の母親千登勢が挨拶に入ってきた。
 千登勢の後ろに数馬が控えているのを見た千代は、「シッ、シッ」と、出ていけの合図した。

 若い者どうし、二人だけにして、「あなたと、お父さまは別のお部屋にお酒の用意ができております」と、篤之進に囁いて千登勢と数馬は退席した。

   『数馬さん、あの男優しそうに見えて、一癖も二癖もありそうですね』守護霊の新三郎。
   「私もそう思います」
   『酒癖が悪いとか、女癖が悪いとか、夜中に首が伸びるとか』
   「くだらないから、首はやめましょう」
   『数馬さんが言い出したことですぜ』
   「姉上は相手を気に入ってしまったようです」
   『数馬さん、嫉妬していませんか』
   「嫉妬ではありませんよ、心配しているのです」

 父、篤之進に話したが、取り合ってはくれなかった。 そればかりか、怒鳴られてしまった。
   「佐々殿は、水戸光圀公にも仕えた由緒あるお家柄、難癖をつけるとは何事か!」
   「申し訳ありません」
   「数馬が千代の心配をするのは分かるが、行き過ぎはいけない」
   「これからは、ちゃんと調べて証拠を基に父上にご報告します」
   「こらっ、数馬、何を企んでいるのだ」
   「いえ、何も」

 数馬は藩学に届け出て休みを頂き、母には兄上に相談事があるのでと告げて、水戸へ向けて旅発った。 武蔵の国関本藩主の関本義範から頂いた百両の中からちょっぴり抜き出し懐に入れて。
   「新さん、助三郎の素行調査をしてやりましょう」
   『よしきた格さん、やりやしょう』
   「誰が格さんですか」

 蟻の這い出る隙もない水戸城であったが、頭の上はスカスカ、まして日が落ちれば幽霊新三の天下である。 
 一方、数馬は助三郎が立ち寄るであろう盛り場で助三郎を待ち受けた。
 姉との見合いの席で見た顔の武士が、三人の仲間らしい若い武士を従えて料亭に入った。 表に居て助三郎に挨拶をした年増女に、数馬はさり気無く訊いた。
   「今お入りになったお侍は、もしや佐々助三郎様ではありませんでしたか」
   「そうですよ、あんたは」
   「はい、私は佐々様と同じ水戸藩士の倅です」
   「その倅さんがどうして佐々様の跡を付けているの」
   「いえ、跡を付けたのではありません、偶然お見かけしたのです」
   「あら、そう、それで佐々様ならどうしたいの」
   「いえ何も、佐々様は強そうで、男らしいお方なので、子供のころから憧れていました」
   「あの方が強そうで、男らしいですって」
   「違うのですか」
   「あの方が強いのは、弱い女にだけです、見ていなさい、もうすぐ女の子が悲鳴を上げて飛び出してきますから」
   「女の子を苛めるのですか」
   「そうよ、ご自分の言う儘にならない娘には、暴力を振うの」

 案の定、女の悲鳴が聞こえたかと思うと、頬から血を流した娘が転がり出て来た。 数馬は駆け寄り、自分が持っていた手拭いで出血した頬を抑え、周りの者に「医者は何処ですか」と声を掛けると、通り掛かりの人が指をさして教えてくれた。
   「侍に斬られたのですね、何も言わなくてもよろしい、医者に手当をして貰いましょう」
   「私はお金を持っていません」
   「料亭の店主に出して貰いましょう」
   「たった今、やめさせられました」
   「大丈夫です、私に些か持ち合わせがあります」

 深い傷ではないが、頬に跡が残りそうな刀傷が付いていた。 女の子なのに惨いことをすると、数馬は憤りを覚えた。

 新三郎もまた、悪い噂をたんまり聞いてきた。 コソコソ噂話をしている仲間から外れて、興味なさげに欠伸をしている男にこっそり取り憑いて聞き耳を立てるのだ。
   「一人目の女房は、暴力に耐え切れずこっそり逃げようとして半殺しの目に遇った」
   「二人目は、他の男に助けを求めて隠れたところを見つけ出され、姦通したとして男もろとも手打ちにされた」
   「三人目は、能見氏の娘御だそうだ、能見氏は助三郎の悪い噂を聞いていないのか」
   「縁談に大乗り気だそうだ、娘御が可哀そうに」
   「下手なことを言いふらすな、我らに目を付けられるぞ」

 頬を切られた娘は、傷の手当はして貰ったものの、両親は亡くなり、里には叔父夫婦が居るが、仕送りが出来なくなった姪を引取ることは無いだろう。
   「明日から、どう生きて行けばよいかわかりません、いっそ、切り殺された方が良かった」 と、泣き伏す娘を置いては戻れないので、数馬は、
   「江戸へ行きましょう、奉公先がみつからなかったら、私の屋敷で働いてください」
 少し警戒をしたようだったが、「水戸に残っても死ぬのを待つだけだから」と、思い直したのか、素直に礼をいった。

   「さて、新さん、この事実をどう父上と姉上に話せば良いだろうか」
   『数馬さんが水戸藩主に訴え出ても、話を聞いてもくれないでしょう』
   「父上と姉上を説得するしか、ないようです」
   『すぐに信じて貰えますよ、証人も居ることだし』
   「そうだ娘さん、お名前を聞いていなかったですね、私は水戸藩士能見篤之進の倅、数馬と申します」
   「私は水戸藩ご領地の百姓の娘、樹(しげ)と申します」
   「お歳は」
   「はい、十五になります」
   「お亡くなりになったお父さんの田畑はどうなりました」
   「叔父に取り上げられました」
   「お気の毒なお身の上ですね、さぞ辛い思いをされて来たのでしょう」
 この一つ年上の娘が、将来自分の妻にしようと心に決めるのだが、今の数馬は思いも寄らなかった。
   「お樹さん、江戸は遠いです、疲れたら言って下さい、私が背負っていきます」
   『ん? 数馬さんスケベですね』
   「そんなこと言っている場合ですか、それより新さんの発想、どうやら幽霊は色気がないと言うのは嘘ですね」
   『色即是空と言うじゃないですか』
   「意味が違います」

 数馬とお樹は、途中伊東良庵養生所に立ち寄り、松吉にお樹の膏薬を張り替えてもらい、屋敷に帰り着いた。
   「母上、只今帰りました」
   「おや、お客様ですか」
   「はい、水戸のご城下からお連れしました」
   「まあ、そんなに遠くから、お疲れになりましたでしょ」
   「母上に総てをお話しします」 と、水戸で聞いた助三郎の噂を話した。
   「あの優しげな助三郎殿が」
   「そうなのです、助三郎は酒癖と女癖が悪くて、二度も妻に逃げられています」
   「信じられません、それで兄上はなんと・・・」
   「兄上は知りませんでした」
   「どこまで信じたらよいのやら」
   「数馬は、やっかみや、姉上への嫌がらせで言っているのではありません」
   「この娘さんは、どうして傷つけられたのです」
   「お樹さん、話して下さい」
   「はい、無理矢理寝間に連れ込まれたので、必死で拒んだ所為で、懐刀で刺されました」
   「なんて酷いことを」
   「一人目の妻は、助三郎に連れの男と寝てやれと命令されて拒み、半殺しの目に遭わされて放り出されました」
   「惨いことを」
   「二人目の妻は、逃げて知り合いの男のところで匿ってもらったのですが、それを見つけられ男ともども手打ちにされました」
   「ご亭主どのは、そのような殿方を、なぜ千代の婿に選ばれたのでしょう」
   「父上はずっと江戸詰めですので、噂をご存じなかったのです」
   「わかりました、千代は私が説得しましょう、数馬は今夜、父上を説得して下さい。
   「では母上、死装束をご用意下さい」
   「なぜそのような物を」
   「切腹覚悟で申し上げます」
   「数馬はバカですか 父上は数馬に切腹させる程頑固一徹な方ではありません」
   「わかっています、情に脆い父上への演技です」
   「まっ、狡賢い数馬」

 日が暮れて、篤之進が帰って来た。 着替えを済ませた篤之進の座敷に、
   「父上、お話があります」 と、入ってきて座り、父の許ににじり寄って来た。
 見ると、死装束の数馬、 何事かと驚く篤之進。
   「数馬は、水戸の兄上の処へ行って参りました」
 そこで聞いた助三郎の噂をしたところ、篤之進は、「ただの噂であろう」と、受け流した。
   「いいえ、そうではありません、水戸から証人を連れて参りました」
   「証人だと」
   「はい、助三郎殿に手籠めにされようとして拒み、顔を切られて放り出された娘です」
   「それは、本当か」
   「はい、お樹と言う娘で、廊下に控えてさせております」
   「よし、お樹さんとやら、お入りなさい」
 篤之進は、入ってきたお樹をみて、「娘御の顔を傷つけるとは許しがたい」と、呟いた。
   「もし父上に数馬を信じて頂けない場合は、この場で切腹して抗議します」
   「ほお、それは天晴れな覚悟であるのう」
   「はい、姉上を守るためなら、数馬は命も惜しみません」
   「儂がそなたに与えた刀で切腹をするのか」
   「はい、左様でございます」
   「では、その刀を抜いて見せよ」
   「はい、ただいま抜きます」
   「早よう、抜いて見せい」
   「ん 抜けない」
   「そうであろう、それは真剣に見せかけた木刀じゃ」
   「えっ、名刀長船だと父上は仰いました」
   「それは迷刀棹船じゃ」
   「なんですか、その茶番は」
   「そちは刀など興味がないと、一度も抜かなかったであろう」
   「はい、埃がたかっていました」
   「ただの飾りに名刀は無駄だから、木刀にすり替えて置いたのだ」
   「では、その名刀長船はどうなりました」
   「あははは、質屋の蔵で眠っておるわ」

 翌朝、父篤之進は水戸へ出向いた。 佐々殿から見合いの返事が来る前に、伝えて置きたいことが有ったのだ。
   「助三郎殿には申し訳ないことをしました」
   「なにごとですか」
   「娘千代が健康体であるか確かめるために医者に診てもらったら、病気がみつかりまして」
   「どのような」
   「労咳だと聞きました、隠して嫁がせて、助三郎殿にうつしてはならぬと、恥を忍んでお伝えに参りました」
   「そうでござったか、それは遠路ご苦労様でした」
   「この上ない良縁と喜んでおりましたものを」
   「では、この話は無かったことにしますが、よろしいかな」
   「はい、仕方がありません、本当に申し訳のないことをしました」
   「いえ、いえ」

 この縁談の結末を父から聞いた数馬は、なんとも消極的な終決だと、初めて父上のことを情けないと思った数馬であった。

   (姉の縁談・終)   ―続く―   (原稿用紙18枚)

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