雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第十一回 数馬、若様になる

2013-06-24 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 数馬が母上の使いで町に出かけ、問屋街を少し離れた寺の門前を通ると、木立の根っこに蹲(うずくま)っている老婆がいた。 数馬が駆け寄り尋ねた。
   「お婆さん、ご気分が悪いのですか」
   「はい、急に差し込みが来まして難儀しとります」 顔をしかめて唸り声を漏らした。
   「それはいけません、この近くに診療所でも有ればよろしいのに」
   「そこのお寺の境内の日陰にでも連れて行っていただけませんでしょうか」
   「はい、日陰でいいのですね」
   「少し休めば楽になると思います」
   「わかりました、私が背負って行きましょう」
   「ご親切に、ありがとうございます」
   『ちょっと、待った!』 と、数馬の体に居候している新三郎の魂が数馬に呼びかけた。
 老婆を背負う為にしゃがみ込もうとした数馬の動きが一瞬止まった。
   「お婆さん、ちょっと待ってくださいね」 と、老婆を待たせて、
   「新さん、どうしたの」
   『この婆さん、怪しいですぜ』
   「なにが」
   『どうやら、巾着(きんちゃく)切りのようです』
   「なに その巾着切りって」
   『スリです、負ぶってもらった時に懐に手を入れ、巾着の緒を切って盗み取ることもあります』

   「お若い方、どうかしましたか」と、老婆が急かす。
   「いえ、ちょっと小便をもよおしましたので、申し訳ない暫くお待ちを」
 寺の塀に沿って、曲がったところに行くと、新三郎の話を聞いた。
   『こんな熟練の婆さんにかかったら、締めている褌(ふんどし)まで抜き取られますぜ』
   「えーっ、それは困った、女の前で裾が捲れたらどうしょう」
   『数馬さん、何の心配をしているのですか、巾着の心配をなさい』
   「それなら大丈夫、十文しか入っていませんから掛蕎麦(かけそば)も食えません」
   『数馬さん、貧乏ですね』
   「当たり前でしょう、働いていないのですから」
 走ってお婆さんのところに戻ると、「また急に差し込みが」と、老婆は顔をしかめてみせた。
   「待たせてごめんなさい、はい、背中に負ぶさってください」
 数馬が立ち上がると、老婆の右腕が数馬の胸に伸びてきた。 新三郎に聞いていなかったら、多分気が付いていなかったであろう。 歩いているうちに下がってきた老婆の体を上に持ち上げる際に、右手が「すーっ」と襟に滑り込み、指の間に小さな刃物を忍ばせていたらしく巾着の紐を切った。 透かさず左手が数馬の袖から「すーっ」と入ってきて、巾着を抜き取った。

   「へえ、凄い!」 数馬は思わず両足の付け根を閉じて褌を守った。
   『数馬さん、褌は例え話ですぜ、汚い褌を盗む奴はいません』
   「なんだ、そうだったのですか」

 使いの用を済ませ、数馬が老婆に巾着を切られた寺の前を通りかかると、寺の境内で人だかりがしていた。 何事だろうと数馬も覗いてみると、人が切り殺された様子であった。 そこに同心の長坂清三郎と仙一も来ており、数馬を見つけて走り寄ってきた。 殺されたのは、行きがけに会った老婆であった。 数馬が一刻(30分)ほど前にこの老婆に巾着を切られたことを長坂に話すと、老婆の懐など調べていたがそれらしいものは持っていないという。
   「十文しか入っていなかったので、そんなものを奪うために殺したのでしょうか」    「・・・かもしれないが、どこかに捨てたと見るのが妥当でしょう」と、長坂。
   「私が、辺りを探してみましょう、なにか下手人の手がかりになるかも知れません」
 数馬はそういうと、草むらなどを分けて探し始めた。 見当たらなかったが、「そうだ!」と思い付いて本堂前の賽銭箱を見に行った。 やはり、賽銭箱の縁に、十文入ったままの巾着が「ちょん」と、置いてあった。
   「長坂さん、有りました」 こんなものを奪うための殺しではなかった。
   「お婆さんは、この巾着を私に返そうと思ったが、どこの誰だか知りません」
   「それで、賽銭箱の縁に」と、仙一。
   「私が気づいて探しに戻るかも知れないと、目につき易いところに置いたのでしょう」
   「何故、殺されなければいけなかったのでしょう」長坂は数馬の推理を待った。
   「考えられることは、お婆さんが居ることに気づかず、ここで何か陰謀の打ち合わせをしたのでしょう。それをお婆さんに聞かれたか、聞かれたと思われて口封じをされたのだと思います」
   「長坂さん、今日か明日あたりに、お大名か、ご家老がここをお通りになるご予定はお聞きになっていませんか」
   「あります、先だって武蔵の国関本藩の藩主がご病気でお亡くなりになり、明日の朝、お世継ぎの若様健太郎様が上様お目通りのために、お駕籠でここをお通りになり千代田のお城に向かわれます」
   「それです、若様のお命が危ない」
   「わかりました、直ぐお奉行に申し上げ、対策を立てて頂きましょう」

 北町奉行遠山景元は眉を寄せた。 暗殺の陰謀を避けるためとは言え、大名の若様をお駕籠から下し、もし何事も起きなければ責めを受けるのは奉行である。 数馬や長坂の申し立ては、あくまでも推理である。 遠山は明らかに躊躇していた。
   「わかりました、若様の処へは私を使いに行かせて下さい」
   「こんな重要なことで子供を使いに出すなぞ、ますます奉行の立場が無い」
   「子供ではありません、私も決心したのですから、死を覚悟して参りましょう」
   「そうか、護衛を付けよう」
   「お願いします、若様をお護りする与力様を一騎、馬が必要なのです」
   「わかった、数馬に托そう」

 今日のうちに数馬と町方与力は、一つ馬で関本健太郎の本陣近くまで乗り付け、歩いてこっそりと健太郎に会い、事の次第を話した。 健太郎は数馬と同年代だと遠山景元から聞いていたが、体格もほぼ同じであった。 健太郎に与力を紹介すると、今夜、夕闇に紛れて与力と共に北町奉行所まで駆け、今夜は奉行所で過ごすように依頼した。
   「分かり申した、数馬殿はどうされる」と、健太郎。
   「私はお駕籠の警護をされる方々と打ち合わせをして、若様に扮してお駕籠に乗ります」
   「危険ではないか」
   「私は大丈夫です、多分敵は鉄砲か弓を射てくると思います、その前にお駕籠から抜け出て、 ご家来衆に紛れて道の辺に隠れ、ご家来衆も、お駕籠の横から慌てずに離れて頂きます」
   「どの辺りで襲って来るか分かっているのか」
   「はい、それは絞ってあります」
 銃声が聞こえたら、普通なら家来衆が駕籠の周りを警護するのだが、今回は前と後ろにまわり、方々に危害が及ばないようにと伝えるつもりである。

 昨夜、健太郎と与力は無事に北町奉行所に到着した。 数馬は、家来衆とよく打ち合わせをして、翌朝一行は本陣を後にした。 駕籠が襲撃場所と推測される寺の近くまで来たとき、数馬はどこかで見張っているだろう賊に見えるように駕籠の横に家来を呼び、簾を捲って何事かを言いつけた。 家来は駕籠に向かって一礼し、一旦駕籠の後ろに下がり、数人の家来衆と共に再び駕籠の横に集まった。 健太郎の裃(かみしも)を脱いだ数馬は、家来衆に隠れて駕籠を抜け出した。

 駕籠は、何事も無かったように先に進んだが、暫く行ったところで第一発目の銃声がして、空の駕籠に弾丸が命中した。家来たちが騒ぐ間もなく、第二発目も駕籠を貫いた。

 鉄砲を撃ったのは二人のようである。数馬は銃声がした方に走り寄ると、やはり男が二人寺の裏山に逃げ込むのが見えた。
   「新さん、男たちを追って下さい」
   『えーっ、また真っ昼間に放り出されるのですか』
   「慣れているでしょう」
   『慣れていませんよ、日に当たって干物になってしまいます』
   「そうなれば、私が水に浸けてあげますよ、元に戻るでしょ」
   『あっしは、ワカメですかい』
 新三郎が、鉄砲を持った二人の浪人者に辿り着いたときは、二人は口封じの為か殺害されてこと切れていた。 魂魄あい別れるその瞬間に、新三郎は男たちの魂に会えた。
   『あなたたちに、こんなことをさせた首謀者は誰ですか』    「関本孝徳(たかのり)でござる」
   「われ等は騙され申した」
   「事の成就の暁は、関本藩に志願が叶うと・・・」
   『酷い目に遇わされましたねぇ、でも怨んではいけませんぜ』
   「何故でござる」
   『人を怨んでは、浄土へ行けません、あっしのようにこの世をさまようことになります』    「さようか」
 素直に二人は、靄の中に「すーっ」と、消えて行った。

 この時、ようやく数馬が二人の男の死骸を見つけた。 新三郎の魂が数馬の中へ入り込み、首謀者が関本考徳であることを告げた。 関本孝徳は、亡くなった藩侯の腹違いの弟であった。 若様健太郎は藩侯の一人息子で、彼が亡くなれば孝徳が藩を継ぐことになる。 まだ幼い孝徳の子が長ずれば、藩を継がせる積りであろう。

 翌朝、健太郎は無事に上様のお目通りを終え、晴れて関本藩主になった。 奉行は考えた、このまま藩侯を帰せば、また命が狙われるだろうと。
   「お殿様をここへお連れした与力は、腕が立つ上に、馬術にも優れた者、武蔵の国はそうは遠くない、あの者に馬で送らせよう」 大名の護衛に、大っぴらに大勢の町方役人を付ける訳にはいかない。 遠山の苦肉の策である。

   「数馬、お殿様の身代わりを頼むぞ」
   「えーっ、今度はどこで襲撃されるか分からないのですよ」
   「数馬殿に、そんな危ないことをさせられません」
 健太郎は、帰りは土嚢にでも身代わりをさせようと言った。
 その夜のうちに健太郎と与力は、馬の早駆けで武蔵の国へ発った。 健太郎の家臣には、家老派と孝徳派があったが、健太郎は孝徳派の人物総てを把握していた。 与力の背にしがみ付いて走りながら、自分の迂闊さを反省していた。
   「父上は、奴らによって毒殺されたに違いない」 砒素という毒物は、少しずつ飲ませると、直ぐに死なず、徐々に衰弱していき、遂には命を落とすと聞いたことがある。

   「これだ!」 父の死は正しくこの途を辿った。 何故にもっと早く気付かなかったのかと、健太郎は自分を責めた。

 藩の屋敷に戻った健太郎は、家老以下藩の重鎮を集めて、事の次第を明かした。 家老もまた、自分の迂闊さを責めているようであった。 やがて空の駕籠も無事に到着して、新しい藩主のもと、大掃除がなされたことは言うまでもない。 叔父孝徳は、自ら切腹をして果てた。 孝徳派の家来たちは、悉く藩追放が決まったが、無理矢理に孝徳派に引き入れられたと思われる比較的身分の低い藩士たちは、お咎めなしとの沙汰が下った。
   「健太郎様も、数馬に劣らぬ裁量の持ち主でござったな」 遠山は数馬に言った。
   「当たり前でしょう、若様には権力というものがお有です」
   「数馬にはないのか」
   「それは、皆無とは言えませんが・・・」
   「なんだ、それは」
   「はい、権力を持った友達が居ます」

    (数馬・若様になる・終)   ―続く―   (原稿用紙14枚)

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