雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第一回 心医

2013-06-01 | 長編小説
 夜の田舎道で、一人旅の中年の侍を追ってくる若い武家娘風体の女がいた。侍が振り向くと、娘も立ち止まり下を向いてもじもじしている。侍が歩き出すと、慌てて小走りで付いてくる。
  「これお女中、如何いたした。拙者に何か用がおありか?」
  「いえ、申し訳ありません。夜道が恐ろしゅうて、つい…」
  「左様か、何故若いお女中がこんな夜更けに、このような寂しいところを歩いておられる?」
  「はい、江戸に行って行方不明の兄を探そうと参りましたが、路を逸れまして…」
  「江戸へ参られるのじゃな、拙者も江戸への帰り道でござる。付いて来なさい」
  「有難うございます」
  「ところでお女中、足はおありか?」
  「は? 足で御座いますか?」
 その意味に気付いて、この通り御座いますと、ほんの少し裾をまくって見せた。
  「あははは、なにしろこの夜更け故に、幽霊ではないかと思うてな」
  「まァ、お侍さまがそんなことを仰っしゃいますから、何やら後ろが気になってきました」
  「そうか、もっと近づいて歩きなさい」
 侍は振り返って「ところでそなたは、どちらから来られましたかな」
  「上総の国は佐貫藩(さぬきはん)の藩士、阿部慎之介の娘、佳世と申します」
  「兄上は、江戸で何をしておられる?」
  「わかりません、突然に脱藩して家出同然に飛び出したもので、どこでどうしていることやら、只ただ無事を祈るばかりで御座います」
  「左様でござったか。ご心配ですなァ」
  「はい、お心使い、ありがとう存じます」
  「拙者は水戸藩上屋敷詰めの藩士、能見篤之進と申す」
  「水戸藩のお侍さまで御座いましたか」
  「藩士と申しても、下っ端で御座る」
 謙遜したわりには、豪快に笑った。江戸に入って、四半時(しはんとき=30分)も歩いたところで、篤之進が訊いた。
  「まもなく、みどもの役宅に着くが、佳世どのは行く宛てがお有りか?」
  「いいえ、どこか宿をご存知でしたら、教えて下さいませ」
  「それなら、みどものところへお出でなさい」

 こじんまりしていたが、使用人が数人居そうな立派な武家屋敷であった。篤之進が潜り戸を叩いて「わしじゃ、今帰ったぞ」と叫ぶと、すぐさま戸が開けられた。
  「旦那さま、お帰りなさいませ」
 使用人の初老の男、伝兵衛が主人を迎え入れて、後ろに居る娘に気付いた。
  「あっ、お客様で御座いましたか」と丁寧に頭を下げて、「お嬢さま、こちらへ」と招ねき入れた。
  「あなた、お帰りなさいませ。お客様とご一緒でしたか」と内儀は佳世に会釈して、振り返りざまに奥に向かって、「お多美、お多美、旦那さまがお戻りになりましたよ」と、声をかけた。

  「お客様です、足盥(あしたらい)をふたつお願いしますよ」と、付け加えた。
  「お嬢さま、よくお越し下さいました。今、おみ足を濯いでさしあげますからね」と、笑顔で言った。
  「わたくしは妻の、千登勢です。それから、あちらに控えている二人が、娘の千代と次男の数馬です」と、奥方に紹介されて、二人は揃ってぴょこんと頭を下げた。次男の方は、まだ元服前の少年と見受けられた。
  「数馬はご覧の通り子供ですが、これで中々腕が立つ上に頭も良くて大人顔負けです」と、篤之進が言ったので、奥方が慌てて、「あなた、親馬鹿が過ぎますよ」と、窘めた。

 篤之進は、使用人にも佳世を紹介し、兄上を探しに江戸に来たことも説明した。
  「数馬、お前明日から藩学(藩士の子息のための学校)が終わったら、佳世さんのお供をして、兄上を探されるお手伝いをしなさい」
  「はい父上、承知しました」
 素直そうな真面目顔で、佳世に向かって頭を下げた。
  「よろしく!」と言ったつもりのようであった。

  「お嬢さま、昨夜はよくお休みになれましたか?」
 数馬が自分より五、六才年上らしい佳世に声を掛けた。
  「はい、お蔭様で、ところで数馬さま、お嬢さまは止めていただけません?」
  「では、佳世さまとお呼びしましょう」
  「佳世さんとお呼び下さいな」
  「では、佳世さんも、わたくしのことを数馬とお呼び下さい」

 二人の気が合って来たようなので、数馬は佳世の兄上のことを尋ねるところから始めた。童顔の少年とは思えない程しっかりとした、まるで高校生探偵の工藤新一(名探偵コナン)のような落ち着いた口調で質問した。
  「兄上のお名前とお年は?」
  「申し訳ありません。兄とは嘘で御座います」
 実は兄の仇を探していることを告白した。娘一人で仇討と言えば危惧されてはいけないと、嘘をついてしまったのだ。

 それは、兄の子供の頃からの親友で、佳世はどうしてもその人を仇とは思えないのであった。
  「どうぞ、お父上さまにはご内聞に」
  「わかりました。では、その仇の男のことを伺いましょう」
 数馬は冷静に言った。
  「名前と年は?」
  「兄と同じで佐貫藩士の藤波十兵衛、十九才で御座います」
  「十兵衛が国許にいた頃に、何かをやりたいと言っていませんでしたか?」
  「いいえ、なにも…」
  「それでは、何かに興味を持っていることはありませんでしたか?」
  「別に…、でも、子供の頃から動物が好きで、怪我をした犬や猫や小鳥のお手当をしてやっていましたが…」
  「そうですか、では明日の午後から探しに行きましょう」
 この時代に獣医というのは居なかった。医師の手伝いをしているのではないかと推理して、小石川養生所を皮きりに、お江戸の医者を二人は半日尋ね回ったが見つからなかった。
  「江戸は広いですよ、まだほんの少し回っただけです。覚悟しておいてください」
 数馬は、やる気満々だった。翌日も、翌々日も、尋ねて回ったがだめだった。
  「数馬さんは、将来は能見家を継がれるのですか?」
 歩きながら佳世が聞いた。
  「いえ、私には勘定方にお勤めする兄が居ます」
  「どこかに御養子の予定でも…」
  「ありません、まだ親には言っていませんが、医者になろうと思います」
  「まあ、お医者さんに」
  「はい、まだこの時代には存在しませんが、心医になります」
  「それは、お坊様のことですか?」
  「いえ、違います。わたしは神仏を信仰しておりません。従って、魂を浄土に導くのではありません」
  「魂のお医者さんではないのですね」
  「心の医者です」
 今の時代で言えば、心療内科医だろうか。
  「心も病むことがあるのですか?」
  「あります、憎しみに歪んだ心や、猜疑心に苛まれた心、人前に出たら何も喋れなくなるのは心の病です」
  「素敵なお医者さまですね」
  「いや、これでは食っていけないと思いますよ。私は生涯兄上の荷物になるかも知れません。ところで、佳世さんは仇を見付けたらどうされるお積もりですか」
  「実は、まだよくわからないのですが…」
  「敵討ちをするのではないのですか?」
  「真実がわからないので、取り敢えずそれを突き止めたいのです」
 何故わからないのかという数馬の問いに、佳世は訳を話した。
  「兄慎太郎と藤波は、同じ女の方を好きになってしまいました」
 ある日、諍いをした二人は、決着をつけてくると言い残して山へ登った。その帰り道、藤波は慎太郎を崖下に突き落として、慎太郎を殺したそうである。ひとり帰って来て、私が殺したのではないと喚いていたが、その夜藤波は脱藩して、姿をくらましたというのが佳世の話である。
  「佳世さん、兄上が突き落とされるところを誰か目撃していないのですか?」
  「はい、でも噂が流れ、藤波家のご両親は心痛のあまり自害して果てました」
 数馬は不審に思った。武士が二人決着を付けようとするなら、何故刀を使わなかったのだろう。強いて、「卑怯者」と罵られる方法で殺害し、武士の喧嘩で済まされるのだろうか。たかがとは言わないが、一人の女を取り合って、竹馬の友である親友を殺害するだろうか。自分はまだ子供で、分からないことがあるにしても、何か腑に落ちない。
  「私は大きな間違いをしていたようです」
 数馬は、何か気付いたようだった。
  「佳世さん、明日からは寺をたずねましょう」
 傷ついた動物の手当をしていたと聞き、てっきり医者を目指したと思ったのは早とちりで、気持の優しい藤波十兵衛は父母の自害を知り、僧侶になる決心をしたに違いない。あるいはきっと佳世の長兄阿部慎太郎の菩提を弔っているだろう。数馬はそう思ったのだ。

 数馬の推理は当たっていた。寺を回り出して五日後、経念寺(きょうねんじ)という小さな山寺に、亮啓(りょうけい)という若い僧が居た。応対に出てきた亮啓を見た佳世は、「あっ!」と小さく声を漏らした。
 亮啓は、佳世を見てさっと顔色を変えたが、観念したように佳世の前で土下座をした。
  「佳世さん、申し訳ないことをしました。どうぞご存分に慎太郎殿の仇を打って下され」と、佳世の前に進み出た。

 その時、寺の奥から、多分この寺の住職であろう白髪の僧侶が出て来た。
  「これ、寺の門前で血生臭いことを言うでない」
 数馬が進み出た。
  「和尚様、私どもは敵討ちに来たのではありません」
  「そうであろうとも、ご姉弟は敵討ちの装束ではなく、刀剣もお持ちではないから、お話合いに来られたのだな」
  「はい、姉弟ではありませんが、その通りに御座います」
  「では、門前で立ち話もなかろう」と、仏前に通された。
  「私たちは、真実が知りたくて参りました」
  「真実というと」と、住職。
  「十兵衛さんは、佳世さんが仇討ちに来ることを覚悟されておられたようですが、何故そこまでして真実を隠そうとなされるのですか?」
 数馬が言った。

  「それは、真実を申し上げても、到底信じて貰えないと思ったからです」
  「そんなことはありません。現に私と佳世さんは、貴方を信じてここまで来たのです」

 亮啓は、ぽつりぽつりと話し始めた。
  「私と佳世さんの兄上は、ひとりの女を同時に好きになりました」
 諍いはしたが、それは奪い合うものではなく、譲り合いの諍いだった。二人で話し合った結果、どちらも手を引こうということになった。ただ、二人が好きになった女が、どちらかを好きになったら、好かれなかった方はきっぱり諦めようと約束をした。
 その帰り道、慎太郎が踏んだ石が崩れて足を掬われ、慎太郎は崖下に墜落しそうになって松の幼木に掴まった。十兵衛は、近くに生えていた木を折り、助けようとしたが、慎太郎が掴まった幼木は根こそぎ抜けて、崖下へ落ちていった。十兵衛は、山を駆け下りて救いを求めたが、救助に出かける者の、「これはきっと十兵衛に突き落とされたに違いない」という囁きを聞いて、気が動転してしまった。このままでは、切腹の御沙汰が出るに違いないと思い、気が付けば十兵衛は故郷を捨てて逃げ出していた。
  「わたくしは上総の国に戻りこのことを藩に申し出て、十兵衛さまの冤罪をはらします」
 その時は、佐貫藩に戻り、藤波家を再興なさいますか?と、佳世は亮啓に尋ねた。亮啓は首を振った。
  「いいえ、わたしは生涯このお寺で父母と親友の菩提を弔います」
  「このままでは、亡くなったご両親は無念でしょうに」
  「父母は、もうここに来ております」
  「このお寺に?」
  「はい、このわたしの胸で憩われておいでです。ただ…」
 亮啓は、言いかけて口を噤んだ。
  「どうぞ仰って下さいませ」
 亮啓は、「そうですか」と、遠慮がちに言った。
  「もし、佐貫藩に立ち入ることが許されましたら、どこかに打ち捨てられていよう父母の遺骨を探しとう存じます」
  「それでしたら、ご安心下さい。荼毘(だび)に付してわたくしがお預かりしております」
 それを聞いた亮啓は、あたりを構わずに男泣きをした。
  「佳世さん、有難う御座います」
 何度も、何度も、頭を床に擦りつけて礼を言った。余程、気になっていたのであろうと、数馬は貰い泣きをした。
  「それから、慎太郎殿の持ち物を一つ頂けませんか?」
  「わかりました、兄の羽織がとってあります。上総の国へお戻りになった折に、ご両親のご遺骨と共にお持ち下さい」

 佐貫藩主の許可がおりたら、佳世は亮啓に手紙で知らせる約束をした。数馬は、亮啓と佳世のこころの蟠りを治療した心医になったような気がしていた。

(心医能見数馬終) ―続く―  (原稿用紙15枚)

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