雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第八回 幽霊新三

2013-06-18 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 水戸藩士、能見篤之進の次男数馬に、経念寺の僧、亮啓から使いが来た。亮啓は、元佐貫藩士の藤波十兵衛であったが、同藩士の親友阿部慎太郎が足を滑らせて崖から墜落したのを助けることが出来ずに死なせてしまった。

  「十兵衛が突き落とした」と、口さがない藩士たちの噂に耐えかねて脱藩し、江戸に落ち出家をして経念寺の僧になった。
 数馬が十兵衛の無実を明かしたことから親友となり、折につけ数馬を支えてきた若き僧侶である。
  「新さん、亮啓さんが新さんの墓が出来たからお参りに来るようにと言ってきた」
  「あっしの墓ですかい、なんか気恥ずかしいような…」
  「亮啓さんが、手厚く供養してくれるのだから、幽霊冥利に尽きるでしょ」
  「へえ、ありがとうござんす」

 新三郎の墓は、こぢんまりとはしているが、寺の敷地をちょっぴり占めて佇んでいた。その真新しい墓石は、空の色を反射して青く輝いていた。
  「いずれは木曾へお帰りになりたいでしょうが、当分はここで我慢して頂きましょう」  線香の束に火がつけられ亮啓の読経が始まったが、その声が裏山に吸い込まれて行くかのように耳に遠く聞こえた。
  「私が独り立ちできるようになったら、木曾へ改葬しましょう」
 数馬は新三郎に心で囁いた。
  「いえ、訳はともあれ、凶状持ちになった時点で、あっしは兄弟に縁を切られており、あっしも木曾に未練はありません」
  「そんなに意地を張らなくても、私が新さんの兄弟を説得に行きましょう」
 住職と亮啓に礼を言って帰宅の途についた数馬に、駆け出しの目明し仙一が手を振りながら走ってきて数馬の前で止まった。息を切らしている仙一に「どうしました」と、数馬が声を掛けると、松阪木綿の問屋、松阪屋宗右衛門の孫である四歳の男の子が拐かされたそうであった。

 宵五つ(午後8時ごろ)に指定した神社の境内へ千両持って来れば子供は返すが、役人に知らせたとわかれば、直ぐに子供の命を取ると繋ぎをとってきたという。
  「それで、私に何をせよと言うのですか?」
  「同心の長坂清三郎さまが、数馬さんのお知恵を拝借したいと仰っています」
 仙一は、長坂の下で働く目明しである。
  「わかりました、すぐ長坂殿の許へ参りましょう」
 仙一が息を整えるのを待って、二人は駆け出していった。
  「数馬殿、お待ちしておりました」
 長坂は数馬に一部始終を説明した。とにかく犯人は松阪屋周辺の動向をどこかで見張っており、役人は身動きとれぬ有様であった。例え千両を渡したところで、子供を返すことなぞ有り得ないことである。そこで、数馬に子供の居場所を推理して貰い、千両は奪われようとも、孫の命を救いたいというのが宗右衛門の願いであると言って長坂は昼間に届いた脅迫状を数馬に見せた。
  「暫く、この脅迫状を預からせて下さい」と、数馬は脅迫状を懐に入れると、長坂の前から離れた。
  「新さん、この紙の匂いを嗅いで、犯人を追えませんか?」
  「あのー、あっしは犬じゃ有りませんぜ、匂いなんかわかりません」
  「そうか、そうだろうなァ」
  「でも、神社からそんなに遠くではないでしょう、日が落ちたら、あっしが探してみます」
  「子供を隠しているのは、三町(約300m)四方の範囲内でしょう」
 これは、子供を負ぶってすぐに境内まで行ける距離を推理したもので、千両を渡す時に松阪屋の使いが、必ず「子供が無事か」と尋ねるだろうと犯人は考えて、この時点ではまだ子供を殺していない筈である。
  「指定した宵五つ前には子供を負ぶった犯人が神社の周辺を通るはずだから、それを新さんが見つけて私に場所を知らせて下さい」
  「子供はどうやって助けます?」
  「犯人は一人ではないかも知れません、新さんはその中の、子供を背負った者に取り憑いてください、そして、驚かすのです」
  「どうやって?」
  「うらめしや、とか、魂魄この世に留まりて、とか幽霊の振りをして犯人の心に話しかけるのです」
  「あっしは、振りをしなくても幽霊ですぜ」
  「あ、そうだった」
  「もう、頼りない!」
  「驚いて子供を落とすので、闇にまぎれて私が子供を抱いて逃げます」
  「仲間が居たら?」
  「そいつらも順に驚かせて下さい」
  「うへ、忙しそう、幽霊使いが荒いのだから…」

 数馬は、長坂に頼んだ。千両箱の中に石を詰めたものを用意して、松阪屋の使いの者に説明して途中の道で取り換えて貰う。初めから石を詰めろと松阪屋に言えば、恐らく子供の命が危ないと反対するだろうから、松阪屋から神社に向かう道の途中で、長坂と仙一に隠れて待っていて欲しい。数馬が子供を抱いて逃げてくるので、その時に犯人の居場所を知らせる。直ちに捕り手を呼んで、共に直行して欲しいと告げた。

事は計画よりも簡単に片付いた。新三郎が思いのほか早く三人の悪人たちを見つけた。数馬に知らせに戻った後、悪人たちの処へ戻った新三郎は子供を抱いた男に取り憑くと精一杯驚かせてみた。三人が呼び合う名を記憶したので、名前を出して「儂は死に神じゃが、お前はもうすぐ死ぬぞ~」なんて、取り憑いた男に告げると、「わっ!」と、腰を抜かして耳を塞ぎ、山道に丸くなって蹲り、ガタガタ震えだした。星明りにそれを見た仲間は、何事かと狼狽し、新三郎が取り憑くまでもなく隙だらけになった。その場へ到着した数馬が、子供を抱えて脱兎のこどく今来た道を取って返したのだった。
  「長坂殿、子供はこの通り無事です、長坂どのと仙一どのは、神社の本殿の真裏にある山道に入って行くと、三人の男がまだ狼狽していると思います、星明りで足元が暗いのでお気を付けて奴らを捕えて下さい」
  「よし、わかった」と、同心長坂と、仙一、捕り手衆が駆け出していった。
 子供を安心させながら暫く待っていると、長坂たちが三人の悪人捕えて戻って来た 数馬は仙一に子供を渡すと、「私はこれで…」と、帰途に向かった。

 殆どは新さんの手柄で、ことは計画通りに運んだ。千両も無事で、孫の命も取られずに事件が収拾したが、数馬のたっての希望で自分が手を貸したことを伏せてもらった。役人でもない者が無謀にも捕り物に加担したとあれば、お奉行遠山様のお叱りがまぬかれないのと、数馬の両親が心配するに違いないと思ったからだ。
 事件は長坂と仙一の大手柄になった。
  「あっしの働きはどうなるのです」と、不服な新三郎。
  「いいじゃないですか、新さんもあんな悪戯をしたことが極楽浄土の阿弥陀様に知れたら、ますます浄土へ行けませんよ」
  「誰がやらせたのですか」   「さあ?」   「さあって、無責任な、まあいいか、極楽浄土よりも数馬さんのなかに居る方が楽しいかも知れない」
  「そうでしょうか?」
  「これで数馬さんが嫁をとれば、もっと楽しい」
  「新さん、幽霊は本当に色気が無いのですか?」
  「さあ?」

 それから数日後に、北町奉行遠山影元から「すぐさま奉行所に来てくれ」と、数馬に使いが来た。拐わかし事件のことでお小言を頂戴するのかと恐る恐る出かけてみると、「これからお白洲で取り調べが始まるが、お白洲で畏まる熊吉と寅吉を数馬の観察力で見極めてほしい」と、奉行直々のご依頼であった。

 熊吉は昨夜三両の金を落とし、それを拾った寅吉が熊吉に届けてやった。熊吉は「俺は落としたのだからもう俺の金ではない」といい、お前にやるから持って帰れという。寅吉は拾って届けてやったのだから礼を言って受け取れという。どちらも引かないので奉行所に持ち込み裁定を願い出たということの次第であった。
  「あの両名の者は、正直者なのか馬鹿なのか、心医数馬はどう観る」と、奉行。
  「はい、暫く刻を下さい」と、待ってもらい、
  「さあ、新さんの出番です」
  「あのねぇ、このまっ昼間に抜け出るのは嫌です」という新三郎を宥めすかし、寅吉の真意を観に行かせた。新三郎から報告を受けた数馬は、お奉行に耳打ちした。

  「遠山左衛門尉様、御出座ーッ」

 襖が開いて、お奉行様が颯爽と登場する。お白洲の二人は土下座をしていたが、お奉行の   「両名の者、面を上げ」の号令で、恐る恐る顔を上げた。
  「話は全て聞及んでいる、両名の者、中々殊勝であるな」
  「おそれいりまする」
  「熊吉は、三両を受け取らないというのじゃな」
  「はい、左様でございます、私は落としたのですから、もう私のものではありません」
  「寅吉も、三両は受け取らぬと申すのか?」
  「はい、元々は熊吉のものでございますから、熊吉に受け取らせて下さい」
  「左様か、こう言い張っても埒が明かぬ、ではこうしょう」と、お奉行は懐から三両を取り出し奉行の前に置いてあった熊吉が落とした三両が乗った三宝に、奉行が出した三両を加え六両にした。
 両名は「ははーあ」と頭を下げて、「しめしめ、三両も儲かるぞ」と、ニンマリとした。
  「それでは、この六両を…」
  「ははあー、有り難き幸せ…」
  「小石川養生所へ寄付することとしよう、この裁きを、三方三両損と申す」
 熊吉、寅吉、「ガクッ」

   その昔、南町奉行であった大岡越前守忠相の、三両に奉行が一両足して四両にし、二人に二両ずつ分け与えたという「三方一両損」裁きの、ちょいぱくりであった。

  (幽霊新三・終)  ―続く―   (原稿用紙12枚)


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