雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第二十回 数馬危うし

2013-07-18 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 経念寺を辞そうと、数馬は新三郎を促すと、新三郎は『ちょっと待ってくだせえ』と、数馬の足を止めさせた。
   『あっしは、このままもう少し久五郎に取り憑いてやります』
   「久五郎さんが心配ですか」
   『はい、せめて久五郎が三日坊主でないことを確かめたいのです』と、新三郎が言った。
 数馬は笑った、ことわざ通りの「三日坊主」が、久五郎に当てはまりそうで、「或いは…」と、想像したのだ。 三日坊主とは、出家して厳しい僧の修業に入っても辛抱できず、たった三日で還俗(げんぞく=僧が俗人に戻ること)してしまうことで、新三郎も数馬も、それを疑ったのだ。
   「わかりました、そうしてやって下さい」
   『それから、数馬さんに頼みがあります』
   「何でしょう」
   『江戸の八丁堀にある材木商木曾屋孫兵衛さんを訪ねて、あっしの墓が経念寺にあることを伝えてほしいのです』
   「木曾屋孫兵衛さんと言えば、新さんが命を助けた方ですね」
   『はい、その方が、あっしの墓の在り処を知りたがっているそうで…』
   「分かりました、明日にでも行ってみましょう」
   『ありがとうごいます』
   「礼なんて、他人行儀な」

 経念寺を辞して帰り道、若い男たちが跡をつけてくるのに数馬は気付いた。 以前、藩学を出て間もないところで囲まれ、数馬を路地に連れ込んだ奴らだ。 数馬が気付いた場所が悪かった。 もう少し先まで駆けだしていれば人通りのある場所に出ることが出来たのだ。 数馬が一瞬振り返ったために、それをきっ掛けに男たちが走って来た。
   「あなた達でしたか、何かご用でも…」
   「今日の俺たちは、あの時の兄貴とは違うぜ」
   「あの兄貴はここに居ないようですが、どうされました」
   「能見数馬、お前の術で腑抜けになってしまったのよ」
   「私は、術などかけてはいません」
   「嘘をつけ! 数馬にちょっかい出していると、仕舞には殺られちゃうぜ、と兄貴は怖気付いてしまいやがった」
   「怖気付いたのではなく、賢くなったのでしょう」
   「やかましい!」
   「ところで、あの時のあなた方とは違うとは、何をしてきたのです」
   「教えてやろうか、俺たちはなぁ、一両もの金を払って魔術除けのお祓いをして貰ったのよ」
   「魔術ではないのに、魔術除けですか」
   「誤魔化すな! 兄貴を倒したあの術は、魔術に違えねえ」
   「あれは、医術なのですよ、病気を治すために心理術(催眠術)と言うのをかけるのです」
   「医術で人が倒せるのか、馬鹿も休み休み言え!」
   「倒したのではない、心に訴えたのだ」
   「頭の良いヤツは、いつもこうだ、馬鹿な俺たちを煙に巻こうとする」
   「そうじゃありません、分かって貰って友達になりたいだけです」
   「あははは、友達だって、笑わせやがらぁ」
 こいつらの兄貴分におさまっている男は、他の仲間に数馬を山の中へ連れて行くように指図した。
   「このウゼえ野郎を、崖から突き落としてやろうぜ」    「兄貴、こいつは俺たちに何もしていねえぜ、それを殺すのか」 一番背の低い男が言った。
   「俺の気に要らねえんだよ、俺に逆らうなら、てめえも殺ってやるぜ」
   「やめようよ、こんなこと」 背の低いこの男は、気が優しそうであった。
   「この煩せえやつも、数馬と一緒に崖から突き落としてやろうぜ」

 低い山だが、いま登ってきた斜面の、尾根を越えた反対側は、切り立った崖であった。 ここから落ちれば、間違いなく命は無い。 先ほど兄貴分の男に逆らった背の低い男は、「止めてくれよ」と泣き叫んだが、決して自分だけを助けてくれとは言わなかった。
   「人殺しなんか止めろよ!」 と、この男。
   「この人を突き落とすのはやめなさい、この人こそ、なんの罪もないではありませんか」
 数馬は落ち着いて言い放った。 新三郎も、久五郎も、数馬がこんな目に遭っているなど、夢にも思っていないだろう。 数馬は、自分が如何に新三郎を頼っていたか思い知らされた。

 数馬は、死を覚悟した。 父や母、兄や姉、そしてお樹(しげ)の顔が瞑った瞼に浮かぶ。
   「殺れ!」 と、兄貴分の男の号令が飛ぶ。 数馬を捕まえていた男たちは、力を入れて数馬を崖に押した。 崖縁までくると、ぱっと数馬から手を離し、号令をかけた兄貴に掴みかかった。
   「崖から落ちるのは、兄貴、あんただぜ」
   「なに、俺を裏切るのか」
   「いや、裏切っちゃいねえ、俺たちの兄貴分は、元からあの人だぜ」 
 男が指差す先に、この連中の元兄貴分が立っていた。 どうやら跡をつけて来たらしい。
   「こいつを突き落としてしまいましょうか」
   「待て、俺たちは人殺し集団じゃないぜ」 と、元兄貴分の男が言った。 続けて兄貴面をしていた男に向かって、
   「もう、みんなお前とは付き合わないと言っている、さっさと帰れ!」
 仲間から突き放された男は、 悔しそうに「覚えていやがれ!」と、捨てセリフを残して、山を下っていった。
   「能見数馬さん、申し訳ねえ」
   「いやいや、あなたのお蔭で、命拾いをしました」
   「数馬さん、あんたの予想は外れましたぜ」
   「なんのことですか」
   「数馬さんは俺に、あなたはもうあの仲間には入れないでしょう と言ったでしょ」    「あっ、そうでした、あれは私の間違いでした」
   「それから、あそこにいる背の低い男、まだ子供ですが、俺の実の弟です」
   「そうでしたか、とても素直で優しい弟さんでした」

 男たちと別れて帰り道、自分が死ぬかも知れないと思ったとき、肉親の顔と共にお樹(しげ)の顔も思い浮かべたことを思いでした。 自分はお樹に惚れているのかも知れないと思ったのだ。 恋の始まりは、こんな風にさりげなく始まるのだろう。 今ここに新三郎はいない。 冷やかされることはないので、おもいっきり正直な自分に戻ってみようと考えながら、数馬はゆっくりと帰途に就いた。

 翌日の講義は、数馬の全く興味のない「武士道精神」だった。 武士になる気のない数馬にとっては、全く縁のないことで、ましてや切腹の作法など、聞く気にもなれなかった。 切った腹を縫い合わせて命を助ける医学であれば聞きたいが…。

 藩学を休んで、思い立ち八丁堀の材木商、木曾屋孫兵衛を訪ねることにした。 新三郎との約束を果たすためだ。 八丁堀で木曾屋と訊けば、誰でも知っているようだった。 親切なおばさんが、数馬を店まで連れて行ってくれた。 おばさんに礼を言って別れると、数馬は木曾屋の店先で声をかけた。
   「御免下さい、木曾屋孫兵衛はおいでになりますか」
 番頭らしき人が出て来た。
   「孫兵衛は手前のあるじですが、あなた様は」
   「はい、水戸藩士能見篤之進が倅、数馬ともうします」
   「あるじに伝えます、どう言うご用件でしょうか」
   「木曾御嶽の、新三郎さんのことで伺いました」
   「少々、お待ちください」 と、番頭は店の奥に消えた。
 しばらくして、店のあるじが神妙な面持ちで出て来た。
   「店先で立ち話もなんですから、どうぞ奥へお入り下さい」
   「お邪魔致します」

 店のあるじは、まるでそれを待ち焦がれていたように、質問を浴びせてきた。    「新三郎さんのお墓の場所をご存じなのでしょう」 
   「はい」
   「木曾ですか それとも鵜沼ですか 木曾から鵜沼方面に向かって消息を絶ったと聞きおります」
   「それが、江戸なのです」
   「ええっ、」 と、驚いて、あるじの言葉が詰まった。
   「江戸の経念寺というお寺に、私が新三郎さんのお墓を建てました」
   「あなた様が・・・、水戸藩士の御子息とはどういうご縁で・・・」
 数馬は「お信じにならないかもしれませんが」と、前置きをして、
   「私が霊媒術を修業しておりましたときに、新三郎さんの霊と出会いまして、彼の願いを聞いてやったのがきっ掛けです」  数馬は、またも嘘をついてしまった。
   「新三郎さんの願いとは」
   「新三郎さんは、鵜沼で殺害されました、その新三郎さんのお骨が鵜沼の山中で、野ざらしになっているのを持ち帰って、経念寺でお弔いをしたのです」
   「そうですか、それは良いことをなさって下さいました」
   「恐れ入ります、もしお暇ができましたら、一度お参りをしてやって頂けませんか」
   「それはもう、一度と言わず、毎月でもお参りいたします」
   「ありがとう御座います、それでは私はこれで失礼致します」
   「こちらこそ、わざわざお越し頂きましてありがとう御座いました」
   「では」 

 それから十日ほど経ったある日、数馬は久五郎の様子が気になって経念寺に出かけてみた。 寺の門を潜ると、つるつる頭の寺男が庭の掃除をしていた。
   「久五郎さん、お早うございます」
   「ああ、数馬さん、おはよう」
 新三郎が数馬に憑いた。
   『数馬さん有難う、木曾屋さんを訪ねてくれたのですね、お参りにきてくれました』
   『ここへ来るときは、半信半疑だったようですが、お墓を見て泣いてくれました』
   「新三郎さんも一安心ですね」
   『はい、弟分の久五郎も、三日坊主でなかったし・・・』
   「まだまだ分かりませんよ、なにしろ根が旅鴉ですから」
   『でもねえ、ここに居ると気持ちが落ち着くらしいです』
   「精進料理にはどうですか」
   『干し大根を齧って飢えを凌いでいた男ですから、御の字だと言っていましたよ』
   「それは良かった、私も安心しました」
   『それから、木曾屋さんが永代料だと言って、大金を置いて行ったようです』    「そうですか、木曾屋さんは大金持ちですからね」    『お寺は、数馬さんにお返ししようと相談していましたが…』
   「それは新三郎さんの供養に使って頂きましょう」
 亮啓が出て来た。
   「数馬さん、いらっしゃい」
   「亮啓さん、久五郎さんがお世話になります」
   「いえいえ、よく働いてくれるので、住職も大喜びです」
   「修業の方はどうですか」
   「ここは浄土真宗のお寺ですので、禅寺のような厳しい修業はありません」
   「そうなのですか、でも規律はどの宗派よりも厳しいと聞きました」
   「私に勤まるのですから、器用な久五郎さんはすぐに慣れるでしょう」
   「安心しました」
   「ところで木曾屋…」
   「ああ、お布施を置いていったそうですね」
   「はい、永代料だとか言って・・・ 永代料は数馬さんに頂いていますし」
   「お布施ですよ、木曾屋さんは、功徳のつもりでしょう」
   「功徳とは、信者がお寺に寄進または、恵まれない人にお金をばらまくことではないのです」
   「私にはわかりませんが…」
   「仏様が私どもや信者の方々に分け与える愛なのです」
   「はい、分かりました」
   「あのお金は、能見数馬さんにお預けしましょう」
   「えっ、私に」
   「そうです、数馬さんのご勉学にお役立て、どうぞ立派なお医者になって人々をお救いください」

   (危うし能見数馬・終)   ―続く―   (原稿用紙16枚)

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