雑文の旅

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猫爺の連載小説「佐貫三太郎」 第三回 三太郎、長坂に試される

2013-07-30 | 長編小説
 三太は自分の夢に能見数馬の思い出が応援してくれているような気分になって、これからは良いことが起きたら、数馬に感謝しようと思いながら日が傾いた帰路を急ぎ足で戻ってきた。

   「ただいま三太郎帰りました」
 いつもなら、お樹(しげ)が「おかえり」と声を掛けてくれるのだが、今日はなかった。 その上なにやら診察室がざわついていた。
   「帰ってきたね、よかった、早く手を洗って先生の手助けをしておくれ」
 先生の妻、結衣だった。 湯冷ましを、診察室へ運び込むところだった。
   「先生、三太郎戻りました」
 先生は少し安堵したようだった。 暴れる患者を抑えておく男手がなくて困っていたのだ。
   「横っ腹を匕首で刺されたようで、腸の腑を傷つけておる」と、松庵先生は三太に説明した。
   「腸の腑の傷を縫うのですね」 三太は確認した。
 普通、東洋医学(漢方)ではここまではしない。 ただ、傷口を少し広げると、腸の傷が見え、針と糸で縫えると先生が判断したからである。 これは、西洋医学の知識が多少でもない限り思い付かないことである。 ただし、花岡青洲の麻酔薬は、患者に合った調合が難しいうえに高価で、松庵診療所にはなかった。
 患者はまだ年端もいかない少年だった。 必死に痛みを堪えていたが、とうとう痛みに耐え兼ねて気絶してしまったようだ。
   「急がねば死んでしまう」
 先生も必死であった。 腸を三針縫って、純度の高い焼酎で消毒すると、少年がうめき声を上げた。 腹の皮を粗く塗って消毒をすると、お樹が用意した膏薬を当て、腹にぐるぐると晒しを巻いた。 痛みを和らげる漢方薬を煎じて飲まし、治療は一段落したが、痛みに耐える少年の額は、脂汗の玉が噴出していた。
   「助かりましょうか」三太は先生に尋ねた。
   「わからん、施術はまだ残っておる」
 この治療から、毎日膏薬の張り替えを続け七日程経つと、今度はもう一度腹の傷を開き、腸を縫った糸を取り出さなければならない。 その後、腹の皮をしっかり縫って、数日後にこの糸を抜き取れば完了であるが、その度に少年は死ぬほどの痛みに耐えなければならない。 その後、少年の母親とお樹と三太が手厚い看病した甲斐があって、少年は完全に回復した。

 少年の名は「隆平」と言った。 その隆平のもとへ突然岡っ引きがやって来た。 隆平を刺した少年が罪に問われて牢に繋がれているというのだ。 岡っ引きは、隆平が刺されたときの状況を詳しく教えて欲しいと言った。
   「あれは、俺が悪いのです」
 隆平はハキハキとした口調で、落ち着いて話した。 匕首を持っていた少年は、兵助という名の八百屋の息子で、気の優しい大人しい少年である。 その彼をいつも苛めているのは寛九郎という浪人の息子である。 その日も、喧嘩が強い寛九郎に投げ飛ばされて、何時もなら悔し泣きをしながら帰ってゆく兵助であったが、寛九郎を脅す積りで家から持ち出した匕首を懐から出して鞘から抜いた。 キラリと光る鋩を傍で見て、隆平は気が動転してしまったのだ。
 「やめろ!」と叫び、手に匕首を持った兵助の右肩を引いて自分の方に向かせようとしたとき、隆平から匕首に突っ込んで横っ腹に刺さってしまったのだ。
   「匕首なんか持ち出した兵助も悪いが、苛めていた寛九郎も悪い、それに気が動転して止めに入った俺が一番悪いのだ」
 そう言って、隆平は項垂れた。
   「わかった、隆平は悪くない、平助が重いお裁きを受けないように俺の親分(同心)に言っておくよ」
 岡っ引きがそう優しく言うのを聞いて、三太は「ほっ」とした。  その時、突然に岡っ引きの名前が三太の脳裏に浮かんだ。
   「仙一さん、お久しぶりです」
 仙一は「えっ」と声を上げ、不審そうに三太の顔を見た。
   「誰だったかな どこかで会ったような気がしていたのだが、思い出せない」
   「ほら、私ですよ、能見数馬です」
 仙一はあまりにも驚いたので、その場に尻餅をついてしまった。
   「嘘です、嘘です、私は佐貫三太郎です、驚かせてすみません」
 仙一は数馬の検死に立ち会っている。 そのうえ、同心長坂清三郎と共に葬儀にも行った。 その数馬だと三太に言われて、一瞬頭の中が真っ白になった仙一であった。
   「こらっ、驚かすな、数馬さんが生き返ったのかと思ったじゃないか」
 仙一は腑に落ちなかった。
   「こいつ、何故おれの名を知っているのだ」と思ったのだ。
   「知っていますよ、亡くなったお父さんの名前は達吉さんでしょう」
   「誰に聞いたのだ、松庵先生か」
   「たとえそうでも、お父さんの名前まで教えてくれないでしょう」
   「もっともだ、では誰から…」
   「数馬さんからですよ」
   「嘘つけ! 数馬さんは十五年も前に亡くなっているのだ」
   「私が生まれる前です」
   「そうだろう、数馬さんの幽霊にでも逢ったのか」
   「私の記憶の中に、数馬さんの記憶が混在しているのです」
   「ほう、これは興味津々だ、その話はそのうち親分と聞きにくるとしよう」
 仙一は、隆平や兵助のことを早く親分に知らせたいので引き上げて行った。

 その翌日、隆平と母親を、父親が迎えに来た。
   「隆平どのは、大人でも我慢が出来ない痛みを、よく我慢しました、強かったですよ」
 松庵先生は、迎えにきた父親に隆平を褒めた。
   「どうぞ、ご子息を褒めてやって下さい、自慢の出来る立派なご子息ですよ」
 父親は感謝して、二人を連れて帰っていった。

 十日ほど後、仙一は本当に親分長坂清三郎と二人で松庵診療所にやってきた。
聞けば兵助はお叱りおきだけでお解き放ちになったようである。 そして、寛九郎もまたお叱りを受けたらしい。
   「ところで、今日は能見数馬さんの記憶のことを聞きにきた」 長岡は話を切り替えて言った。
   「三太郎どの、北町奉行所のお奉行様の名を存じておるか」
   「はい、遠山左衛門尉影元さまです」 三太は即答した。
   「やはりそう覚えておったか」
   「間違いましたか」
   「遠山様は疾うの昔に北町奉行を辞されました」
   「記憶違いのようです」
   「いやいや、そうではなく、数馬さんの記憶が正されずに残ったのでしょう」
   「十五年前の記憶なのですね」 三太は納得した。
   「では、試すようで申し訳ないが、数馬さんが若様の身代わりになった事件の記憶があるか」
   「武蔵の国関本藩の若様関本健太郎様で、後のお大名関本義範様です」
   「左様、そなたは正(まさ)しく数馬さんだ、ところで能見数馬さん」
   「はい」
   「ははは、やはり数馬さんでしたね」
   「違います、違います、呼ばれたので、つい返事をしてしまっただけですよ」
   「まあ、良いじゃないですか、私は勝手にそう思い込みたいのですから、ねっ、能見数馬さん」
   「はいっ、て 私もついその気になってしまうじゃないですか」
   「能見さん、その節はお世話になりました」
   「は、いいえ、私は佐貫三太郎ですって」

 どうやら、三太郎は長坂清三郎にからかわれているらしいと気付いたが、何故こうも引っ掛かってしまうのだろうと、不思議でもあった。
   「これから、ちょくちょくお知恵拝借に参りますから、数馬さんよろしくお願いします」
   「はいって、また引っ掛かってしまった」

 三太郎は、長坂に奉行の名を問われて十五年前の遠山景元の名を言ってしまった。 それでは、何故この診療所を「松庵診療所」と知ったのだろうか。 もし十五年前であれば、「伊東良庵養生所」と覚えていても良いではないか。 なぜか謎めいているように思えるが、遠山景元は存命で、伊東良庵先生は亡くなっている。 その辺が謎を解く鍵であるように思えて仕方がない佐貫三太郎であった。

   第三回 三太郎、長坂清三郎に試される -続く-   (原稿用紙10枚)

「佐貫三太郎シリーズ」リンク
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「第三回 三太郎、長坂に試される」へ
「第四回 未来が見える病気」へ
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