雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第十五回  父と子

2013-07-04 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 お樹がどこかへ出かけようとしている。数馬が呼び止めた。
   「お樹(しげ)さん、どちらへ行かれるのですか」
   「はい、奥様のお使いで、糸屋さんまで」
   「町へ行かれるのは初めてでしょ」
   「場所は奥様からよく伺いました」
 お樹の頬の傷は癒え、膏薬は綺麗に剥がしていたが傷跡は痛々しかった。
   「私も出かけるところですので、ご一緒しましよう」
   「それは嬉しゅうございます、でもこんな私と一緒ではお坊ちゃま恥ずかしいのではありませんか」
   「何を言われますか、男なら自慢の刀傷ですが、お樹さんは女ですから気になるでしょう」
   「いいえ、この傷のお蔭で数馬様と出会えたのですし、能見様の御屋敷に置いてもらえるのですから、むしろこの傷に感謝しています」
   「それはお強い、その意気で頑張りましょう」
   「はい、それで先ほどから気になっているのですが」
   「何でしょう」
   「お坊ちゃま、わたくしに敬語をお使いになるのを止めていただけません、わたくしは能見家の使用人です」
   「お樹さんが、お武家の御嬢さんのような丁寧な言葉を使われる所為ですよ」
   「御免なさい、ご奉公していた料亭で、武家娘として振る舞わされていましたから」
   「それにしても、お坊ちゃまは恥ずかし過ぎます」
   「それでは、どうお呼びしましょうか」
   「数馬さん、と呼んで下さい。私はお樹さんを使用人とは思っていませんから」

 若い二人が喋りながら歩いていると、無遠慮な通行人が振り返って樹の頬の傷じろじろ見て通る。樹は、まったく無視している。数馬はかなり怒りを覚えるが、樹の気持ちを考えてやはり無視している。やがて糸屋に着いて、樹は店の中へと消えた。
   「あら、数馬さん、待っていてくださったの」
   「これからお酒でも買って、伊東良庵先生のところにお礼に行きましょう」
   「はい」

 伊東良庵の養生所を訪ねると、良庵先生が自ら応対に出て来た。
   「おい松吉、友達がみえたぞ」
   「いえ、今日は先生にお礼をと伺いました」
   「それはご丁寧に、お樹さんもご一緒でしたか」
   「はい、その節は有難うございました」
   「よかった、よかった、お樹さんがこんなに元気になられて」
 良庵先生は振り返って。
   「おい、松吉、どうした手が離せんのか」
   「はい只今、数馬さんがお見えですね」
 松吉とお結衣がお揃いで顔をだした。良庵は二人を見て、
   「松吉も、医者の腕を上げて来たので、給金を増やしてやって所帯を持たそうと思って」
   「おお、それはおめでとう御座います」
 大袈裟に驚いて見せたが、数馬は気づいていた。
   「祝言には、是非数馬さんとお樹さんをご招待いたします」うれしそうに結衣。
   「結衣さん、おめでとう、お幸せにね」
 お樹は、ちょっと羨ましそう。

良庵養生所を辞して、一町ほど戻ったあたりで、数馬は良庵先生に「花岡青洲」について書かれた書物をお借りするようお願いをしていたことを思い出した。
   「ごめん、ちょっと良庵先生に用があったのを忘れていました」 数馬はお樹に告げると、
   「ここでちょっと待っていて」と、駆け出していった。
 戻ってくると、お樹が四人の若い、ならず者に絡まれていた。
   「おい、姉ちゃん、頬に凄い傷があるなあ、その顔じゃ男に不自由しているだろ」
   「していません」
   「俺たちが遊んでやろうか」
   「いりません」
   「いい体してるいじゃねえか、顔を手拭で隠したら使い物になるぜ」
   「失礼な、無礼は許しませんぞ」
 そこへ数馬が戻ってきたが、若い男たちは数馬が若造とみるや、尚もしつこく絡んだ。
   「やめなさい!」
   「何だ、お前何者だ」
   「その女の亭主だ!」
   「へへーん、亭主だと、止めなきゃどうするのだ」
   「私は水戸藩の能見数馬だ、怪我をしたくなかったら、ここから立ち去れ!」
 男たちの顔色が変わった。能見数馬といえば、小僧を無礼討ちにしようとした侍を、手も触れずに倒した呪術師であることを男たちは噂に聞いて知っていたのだ。
   「やばい!逃げろ!」
 男たちは後も見ずに逃げていった。 お樹が目を丸くしていた。
   「数馬さん、お強いのですね」
   「いえ、私が強いのではなく、私に付いている守護霊が強いのですよ」
   『そうそう』 数馬に憑いている守護霊新三。
   「そんなにお強い方ですか」
   「それはもう、強いの、なんのって」
   『もっと言って』
   「守護霊ってどなたです、知りたい、知りたい」
   「それは、生前は任侠の世界の人で・・・」
   『そうとも』
   「清水の次郎長という人です」
   『ずてん!』
   「幽霊がずっこけてどうする」
   「はあ? どなたですって」
   「まあ、いいじゃないですか、団子でも奢りますから」

 屋敷に戻ると、母千登勢が心配して出て来た。
   「お樹さん、遅かったので心配していたのですよ」
   「奥様、申し訳ありません」
   「足を延ばして、良庵先生の処へお礼に行ってきたもので」 数馬が樹を庇った。
   「そうでしたか、それはよく気が付きました」
   「そうそう、良庵先生のところの松吉さんと結衣さんが、この秋に祝言をあげるそうです」
   「まあ、それはお目出度いこと」
   「数馬さんは、清水の次郎長さんとお知り合いですって」と、お樹。
   「ほほほ、嘘ですよ、誰かに任侠話を聞いたのでしょう」
   「嘘ですかァ、本当は誰です数馬さんの後ろに付いている人って」
   「きっと、お奉行の遠山さまでしょ」と、千登勢。
   「お奉行さま? どうりで無頼の男が数馬さんの名を聞いて逃げた訳です」
   「お樹さん、絡まれたのですか」
   「はい」 
   「お奉行は、この子が勝手に友達だと言っているだけですよ」
   「それに、男にきかれて、数馬さんは私の亭主だと言ってくれました」
   「まあまあ、この幼い顔でそんなことを」
   「はい」お樹は嬉しそうであった。
   「そんな物騒な人たちがうろついているのなら、お樹さんを使いに出せないわねえ」
   「これから、私が付いていきましょう」 と、数馬。
   「本当に、用心棒になるのかしら」
千登勢は、数馬を頼もしいと認めていたが。

 何やら屋敷の門前が騒がしくなった。水戸藩江戸屋敷の藩士たちだった。数馬が外へ出てみると、六人も居て「奥方を呼んでください」と、叫んでいた。
   「はい、能見篤之進の妻ですが」
   「ご家老の命で参った、篤之進殿が藩の金を一千両横領した疑いがあります」
   「まあ、何てことを言われるのですか、夫に限って絶対にそんなことはありません」
   「ご家老はお怒りになって、能見殿のお屋敷を家探しして来いと命ぜられました」
   「どうぞ、ご存分になさって下さい、ところで、夫はどうしました」
   「今、屋敷の牢に繋がれておいでです」
   「数馬、数馬は居ませんか」
   「はい、ここにおります」
   「お話は聞かれたでしょう」
   「はい、聞きました」
 藩士が屋敷に飛び込み、家探しをはじめた。土足で走り回っていたが、一人が
   「おーい、有ったぞ!」と、小判を持って出て来た。
   「百両だが、他に九百両は隠しているに違いない」
 数馬は母の昂った気持ちをおさえようと、決して慌てずに静かに言った。
   「母上、私が水戸藩江戸屋敷へ行って、父上に会ってきます」
   「頼みます、この通りです」
 千登勢は数馬に手を合わせた。 家探しはまだ続いていたが、数馬は水戸藩江戸屋敷を指して駆けていった。門は閉まっていた。

   「お頼み申す、能見篤之進が倅、能見数馬にございます」
   「おお、数馬が来たか、開けてやれ」と、ご家老。
   「お入りなさい、篤之進はお牢に入っておられるが、会っても良いぞ」
   「有難うございます」
   「案内してやれ」 ははあ、と若い藩士が数馬を促した。
   「こちらでござる」
   「ご足労をかけました」
 父篤之進は、牢の入り口に背を向け焦燥していた。数馬が声をかけると、振り向いて
   「よく来てくれた」と、もう何年も会っていなかった父と子のように、手を取り合った。
   「わしは知らぬ、濡れ衣なのだ」
   「父上、わかっております、私がきっと疑いを晴らしてみせます」
   「頼むぞ、数馬」
   「父上、私と約束をして下さい、なにが有ろうともご自害はなさいませんように」
   「わかった、数馬を信じて耐えていよう」
   「くれぐれも、お願い致します」
 数馬がご家老の元へ戻ると、能見家を家探ししてきた藩士が意気をあげていた。
   「まだ百両だけですが、やはりありました」
   「そうか、残りはまだ見つからんのか」
   「はい、今にきっと見つけてみせます」
 数馬が口を開いた。
   「その百両は、私の部屋に有ったものでしょう」
   「その通りだ、奥方が数馬の金だと申しておった」
   「それは、私が武蔵の国関本藩主の関本義範さまより授かったものです」
   「なに、お大名の関本義範様」
   「お疑いなら、武蔵の国に人を差し向けて関本様にお尋ね下さい」
   「そうか、まさかお大名のお名前をだしてまで嘘は言うまい」
   「はい、決して嘘ではございません」
   「そうか、この百両は暫く預かるが、篤之進の疑いが晴れたら数馬に返そう」
   「はい、直ぐに晴らして見せましょう」
   「わかった、それまでの間、この屋敷に居ても構わぬぞ、みなの者協力してやってくれ」
   「はい、承知しました」 数馬は藩士たちに聞いてまわった。
   「最初に横領をお気づきになったのは、どなたで御座いますか」
   「藩勘定役の、定岡卓八郎でござる」
   「定岡様は、どうして気付かれましたか」
   「お納戸役の川口隼太どのが、何度調べても千両足りないと申されましたので調べたところ、この帳簿を調べてみよと、お年寄の柿沢様に手渡された」
   「それが、父能見篤之進が管理していた帳簿だったのですね」
   「その通りだ」
 ちょっと場を外して、数馬は新三郎に川口隼太から調べてもらった。
   『こいつ、臭いですぜ、千両箱の持ち出しを手伝ったようです』と、守護霊新三。
   「新さん、定岡卓八郎はどうだろう」
   『あの人は、何も知らないようです、年寄職の柿沢貴之助に帳簿を見せられて慌てていたようです』
   「そうか、 横領の首謀者は柿沢貴之助だろう、よし会ってみよう」
 家老に願い出て、年寄職の柿沢貴之助と話をさせて貰った。新三郎が柿沢に忍び込んだ。
   「柿沢様の御屋敷のお蔵に、大きな甕(かめ)が御座いますね」
   「有るが、それがどうかしたか」
   「その中には何が入っていますか」
   「あははは、千両箱でも入っておったかも知れんな」
   「それでは、最近天井裏のお掃除を使用人に命ぜられましたか」
   「歳の暮にしか掃除はしない」
   「お屋敷の中に、井戸は幾つお有ですか」
 柿沢が動揺したのを、新三郎がしっかりと感じとった。 「二つあるが」と、答えたが、怒りが込み上げてきたようであった。
   「お前は、この儂が横領したとでも言うのか!」
   「いえ、まだわかりませんが、井戸を調べさせて下さいますか」
   「無礼な、調べて何も出て来なかったら何と致す」
   「切腹してお詫びを申し上げます」
 この遣り取りを聞いていた家老は六人の藩士に、柿沢が藩邸に居る内に、屋敷の井戸を調べて来いと申しつけた。
   「井戸の中に千両箱が隠してありました」
   「流石は数馬じゃのう、よく見抜いた」
   「父上を牢からお出しください」
   「もちろんだ」
   「それから、もう一人共犯がいます」
   「それは誰じゃな」
   「お納戸役の川口隼太様です」
   「よし、儂が問い質してみよう」
   「この不祥事は、私が水戸のお城に参り、お殿様にお知らせしておきましょう」
   「数馬、待ってくれ、もし殿に知れたら、この儂は切腹しなければならん」
   「では、父上が屈辱のあまり牢内で自害されていたら、どうなされました」
   「能見殿には申し訳ないことをした」
   「よく調べもせずに父上に濡れ衣を着せ、牢に繋いだ責任はどなたが償われるのですか」
   「すまぬ、数馬、許せ」
   「能見家の屋敷を土足で家探しして、私の百両を押収したことはどうなのです」
   「もちろん、土足で汚した詫びを付けて返そう」
 数馬の背で、篤之進が黙って聞いていたが、数馬の剣幕に思わず口を挟んだ。
   「数馬、もう良い、ご家老を責めるではない」
   「数馬は、悔しゅうございます」
   「悔しいのは父も同じだ、同じ藩士にも信じてもらえなかったのだから」
   「母が心配しています、早く帰りましょう」
   「そうだなぁ、皆が心配しているだろう」
 数馬は、父と肩を並べて歩くのが嬉しかった。父もまた、頼もしくなった我が子が誇らしかった。 

       (父と子・終)   ―続く―   (原稿用紙18枚)

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