雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第十九回 新三独り旅

2013-07-16 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 新三郎の江戸への帰りは、信濃方面から来た旅鴉風の男を選んだ。 江戸方面に向かうのか、上方方面かは分からないが、それは草津まで行けば分かることである。 女に取り憑けば旅がもっと楽しいだろうと思われるが、幽霊に下心がある訳でなし、女に取り憑いて変に戸惑うよりも、慣れた男の方が無難、まして任侠の世界に身を置く男であれば言うことなしである。新三郎は、自分が死んだ歳よりも若いこの男が気に入ったようだ。
 達者な早足で日が落ちるまで歩いて、旅籠をとると一風呂浴びて飯を食い、バタンと横になりドスの抱き寝でぐっすり眠ってしまう。 新三郎は、この男と話がしたいと思うが、不意に話しかけて恐怖心を煽るといけないとそれを慎んだ。
 御嶽を出発して、難所である木曾の架け橋、太田の渡しも超えた。 鵜沼の宿は新三郎が殺されたところであるが特に恨みも感慨もなく、草津までは何事も無く過ぎた。 草津から新三郎にとっては都合がよいことに、男は東海道を下り、すなわち江戸方面に進路をとった。
 東海道、関の宿場町に入って暫くしたところで、旅の男は七人のやくざ風の男たちに、河川敷へ追い込まれた。 
   「お前は沓掛の久五郎だな」
   「そうさ、久五郎だ、てめえらは何者だ」
   「てめえに親分を殺された武藤組の身内よ」
   「そうか、仕返しって訳か、それにしては大勢で待ってやがったな」
 親分とはサシでやり合って勝ったが、今度は七人相手で分が悪い。 どうやら久五郎は年貢の納め時と観念したようだった。
   「一度にかかってくる積りらしいな、卑怯だぞ」
   「やかましい、やくざの果し合いに、卑怯も糞もあるかい!」
   「死出の土産に、何人連れて行ってやろうか」
   「そうは行くか、親分への供養だ、血祭にしてやるぜ」
 その時、久五郎は天の声が聞こえたような気がした。
   『まだドスは抜くな! 河の水際まで走るのだ!』
新三郎が念を送ってきたのだ。
   「誰でえ!」
   『きょろきょろするな、それっ、走るのだ!』
 久五郎は新三郎の掛け声と共に走った。
   『河縁まで来たら、奴らが全員追いつく前に水際に沿って走るんだ』
 久五郎は素直に天の声に従った。
   『もういいだろう、ここでドスを抜いて構えろ!河は味方だと思え』
 新三郎の作戦はこうである。 足の速いヤツから順に追いついてくるから、一人乃至二人とやり合う、久五郎は腕っぷしが強そうであるから、それ位ならやれるはずだ。
   「わかった」 久五郎は破れかぶれではあるが、新三郎の思った通り強かった。

 次々と七人全部をやっつけたのは、あっと言う間であった。 新三郎が久五郎に加担したのは、久五郎に取り憑いて運んでもらっている恩義のためだけではない。 自分の場合と似ていると思ったからだ。 親分を叩き殺したのも自分と同じく、よんどころない事情があったに違いない。 この男は、これからもお上の網をくぐっての旅鴉だろう。 新三郎は自分よりも三つ四つ若いこの男が不憫でならなかった。
   「俺は死を覚悟した時から、気が変になってしまったらしい」 
 久五郎はそう考えるほかはなかった。 しかし、それを神様だと信じようと思った。
   「神様、ありがとうごぜえました」
 神様が人殺しの手伝いをするのは不条理であるが、自分には自分の神様が付いているのだろう。 久五郎は無理矢理に自分を納得させたようだった。
 新三郎は新三郎で、こうなったら、せめて江戸まではこの久五郎を護ってやろうと、そして、このまま久五郎の神様でいてやろうと考えていた。

 鳴海の宿に入ったあたりで日が暮れた。 久五郎は街道を逸れ野宿をする積りらしい。 途中で農家の軒下から干し大根を一本取ると懐に突っ込み、その下に十文おいて立ち去った。 その干し大根を齧って飢えを凌ぎ、黎明と共に旅が続くのだ。 新三郎は、自分もまたそうであったことを思い浮かべ、なんとかしてやりたいと思うのだが、今は何ともし難いじれったさに泣いた。 久五郎は、別に悲しくもないのに、涙があふれ来る自分に、「俺も弱くなったものだ」と、自嘲するのであった。
   「ねえ、そこのお兄さん、今夜はここで野宿かえ」 
 寝場所を探している久五郎に女が話しかけてきた。 どうやら街道からつけて来た夜鷹らしい。
   「安くしとくから、遊んでくれないか」
   「姐さん、折角だが俺は銭をもっていねえぜ」
   「なんだい、しけた野郎だねぇ、つけてきて損をしたよ」
 女はチェッと舌打ちをして、クルッと踵を返すと今来た道を戻ろうとして、ビタッと止まった。 一瞬の後、また歩き出し、振り向きもせずに消えていった。
   「ちくしょう! 女を抱く甲斐性も、元気もねえぜ」 と、久五郎はその場にへたり込んだ。
 しばらくして、先ほどの夜鷹が戻ってきた。
   「久五郎さん、たくさん食べて元気を出しな」
   「えっ、俺の為に持ってきてくれたのか」
 見ると、竹の皮で包んだでっかいお結びを三個と、焼いた魚の干物が添えてあった。
   「文無し野郎に買ってくれとは言わないから、遠慮なく食べな」
   「有り難え、だが姐さん何者だ、何故に俺の名を知っていなさる」
   「あたしゃねえ、久五郎さんの神様さ」
   「嘘だろ、神様が夜鷹の姿で出てくるかよ」
   「来たのだから仕方ないだろ、河原でやくざに襲われた時、水際まで走れと言ったのは私さ」
   「知らない筈の俺の名前をしっていたし、そんなことまで知っているなんざ、本物だな」
   「そうさ、これからも、お前さんを護ってやるよ」
   「嬉しいぜ、よろしく頼まあ」

 次の夜からも、人の姿は変わるが、神様が飯を持ってきてくれた。 久五郎はもう何があっても驚かなかった。
   「俺の神様だから、何でもできるのだ」
 久五郎の神様は、役人の気配に敏感だった。 いち早く役人を察知すると、久五郎の逃走勘を刺激した。

 久五郎は江戸に入った。 最後に姿を現した神様が、久五郎に告げた。
   「江戸に着いたら、能見数馬という若者にお逢いなさい」
   「そんな人は知らないが、何をする人ですかい」
   「あなたの神である私の知り合いです」
   「変だなぁ、神様に知り合いがいるのですか」
   「逢えば総てがわかります」 と、屋敷の場所まで教えてくれた。
 能見家の屋敷は、人に尋ねずともすぐに分かった。 勘が働き、すいすいと足が運び、気が付くと目的の屋敷に着いていたのだ。
   「このお屋敷の能見数馬さんに会いにきました」 久五郎は門をドンドンと叩いた。
   「どなた様でいらっしゃいますか」
   「はい、沓掛の久五郎と申しやす」
   「只今主人をお呼びします、暫くお待ちを・・・」
 使用人の伝兵衛は、一旦屋敷に入って行ったようである。 暫くして潜戸が開いて、若い男が顔を出した。
   「久五郎さんを存じ上げませんが・・・」 能見数馬である。
   「へい、あっしは信州佐久の生まれ、沓掛の久五郎と申しやす」
   「私は水戸藩士能見篤之進の倅、能見数馬です」
   「旅の途中で神様がお出ましになって、命を助けて貰いました、その神様が能見数馬さんをお尋ねしなさいと・・・」
   「神様ですか 仏様ではなかったですか」
   「確かに神様と仰いました」
   「わかりました、どうぞお入りください」
   「こんな汚ねぇあっしが、お座敷に入っていいのですかい」
   「いいですよ、いま風呂の用意をさせますから、座敷でお待ちください」
 数馬は、「心配しなくてもいいですよ」 と、付け加えた。 股旅姿と言い、着物に付着した血痕と言い、只者でないことは最初から分かっていた数馬であった。
   「新さん、お帰り、あの人の神様って、新さんでしょ」
   『分かりましたか、その通りです』
   「あの人は、人を殺してきたようですね」
   『あっしとまったく同じで、つい同情して助けてしまいました』
   「そうですか、それで私にどうせよと・・・」
   『奴の行く末を数馬さんに相談しようと思いまして』

 数馬が久五郎のところへ戻ると、そこには久五郎の姿は無く、お樹が掃除をしていた。
   「久五郎さんはどうされました」
   「いま、お風呂に入ってもらっています」
   「暫く風呂に入っていないようですから、積る旅の垢を落としておいででしょう」
   「浴衣は数馬さんのものをお出ししておきました、下帯は奥様が先ほど縫っておいででした」
   「お樹さんに、お世話をお掛けします」
   「いえ、いいのですよ」
   「ところで、父上はもうお休みですか」
   「はい、もうぐっすり」
   「よかった、父上は任侠がお嫌いですから、黙っておきましょう」
 久五郎は髪も洗ったらしく、鈴ヶ森のさらし首のように長い濡れ髪で風呂から上がってきたのを、お樹が束ねてやった。 数馬の母千登勢は、久五郎をお勝手(台所)に入れ、
   「夜も遅いので、ここで我慢してくださいね」 と、詫びて、
   「碌なお持て成しもできませんが、たくさんお召し上がりください」 と、夕食をすすめた。
 久五郎をよく見ると、なかなかの男前である。 千登勢はこころなしか、いそいそとお給仕をしていた。
   「久五郎さん、今夜は私と同じ部屋でお休みください」
   「えっ」 と、身構える久五郎。
   「いえいえ、そんなのではなく、神様のお言い付けです、あなたの今後をご一緒に考えましょう」
 久五郎は、安心したのか「ニッ」と、苦笑した。
   「私が思いますに、二つの途があると思うのです」
 一つは、陸奥へでも逃れて、無宿者の悲哀に明け暮れるか、出家して僧になるかだが、自由奔放に生きてきた久五郎にはどちらも厳しいに違いない。 追われ者では、いつか役人の手に堕ちるだろう。 僧になれば命の保証は有るものの、窮屈な仏道修行に耐えられるだろうか。 数馬は、そう言ったことを真綿で包んで久五郎に刺激を与えないように尋ねてみた。
   「わかりません、命は惜しくありませんが、あっしが斬ったやつら魂を供養してやりたい気持ちもあります」
   「そうですか、簡単に決心はつかないでしょう」
 数馬は、「明日、あなたにお会わせしたい人がいます、昼まで私は留守にしますので、私が戻るまで、ゆっくりしていて下さい。 決して役人に知らせたりはしませんから、どうぞ安心を・・・」 
 久五郎にそう告げると、数馬はさっさと眠りに就いた。

 翌朝、数馬が目を覚まし、布団を畳んで部屋を出たのも気付かず、久五郎は数馬を信じて安心しきっているのか、旅の疲れからかぐっすり眠っていたが、長ドスはしっかり抱いていた。 午後になって数馬が帰ってくると久五郎は部屋に居ず、裏からトントンと玄翁(げんのう)の音がしていた。
   「久五郎さんはどうしました」
   「いま、裏で鶏小屋の修理をして呉れています」 お樹。
   「お客様に、ですか」
   「どうしても、何かさせて欲しいと仰るもので」
 数馬が裏へ回って見ると、ガタガタになっていた鶏小屋を器用な手付きで修理していた。
   「もう使えないかと思っていたのに、綺麗に修理して下さいましたね」
   「これでも、堅気の頃は大工の修業をしていたもので・・・」
   「惜しいですね、その腕」
   「あははは、棟梁には叱られっぱなしでした」

 食事が終わると、二人で町へ出た。 屋敷から持ってきた瓢箪徳利に酒を買って、経念寺に向かった。
   「お会わせしたいのは、この方です」 数馬は、新三郎の墓を指差した。
   「新三郎さん 知りませんが・・・」
   「すでに何度もお会いになった方ですよ」 と、持ってきた酒を供えた。
   「もしや、私の神様ですか」
   「おっ、勘がいいですね、その通り、通称中乗り新三さんです」
   「えっ、中乗り新三、あの木曾の御嶽の中乗り新三ですか」
   「ご存じなのですか」
   「知っていますとも、会ったことは有りませんが、噂は私の村でもしていました」
   「そうですか、では話が早い、その新三郎さんが、あなたの言う神様ですよ」
   「どうりで、喧嘩の術が上手かった」
   「その新三郎さんに、いまお会わせします」

 新三郎は、数馬から久五郎へ
   『久五郎さん、あっしの念が分かるかい』
   「わかります、わかります、新三さんですね、これは感激だ」
   『あっしと話をするのがそんなに感激ですかい』
   「それはもう、あっしは新三さんに憧れて任侠の世界に飛び込んだのですから」
   『手放しに、喜ばれねえ』
   「へえ、面目ねえ」
   『それで坊主に成る気はあるのかい』
   「逃げ回っても、いずれは捕まって三尺高い木の上で曝されるのでしょう」
   『そうだな』
   「あっしは坊主になります、坊主になって、新三さんの墓を供養します」
   『そうか、あっしもそれが良いと思いますぜ』
   「ては、今日からこの寺のお世話になりやす」
   『おっと、それはまだ早い、この寺で修業させて貰えるかどうかは分からねえ』

 経念寺の住職と亮啓さんに話すと、構わないということだった。 久五郎の気の変わらない内に、さっそく髪を剃って、本日から僧の修業に入ることになった。
   「ところで、数馬さん、神様があっしに出家を勧めて呉れたのは、何か変ではありませんか」
   「まあ、そう固いことを言わずとも、仏様を信心している神様もあるってことで・・・」
   「?」

    (新三独り旅・終)   ―続く―    (原稿用紙18枚)

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