雑文の旅

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猫爺の連載小説「佐貫三太郎」  第一回 能見数馬の生まれ変わり?

2013-07-26 | 長編小説
彼の名は「三太」である。 本当の名は「佐貫(さぬき)三太郎」、信濃の国、上田藩士 佐貫慶次郎の一人息子である。 母は三太が四歳のときに、同藩士中岡慎衛門と姦通したと噂されて、父佐貫慶次郎が手討ちにした。 中岡慎衛門は、父とは親友であり、「姦通などしていない」と、きっぱりと否定したが、母が手討ちになったために証人もなく、脱藩して行き方知れずになった。 父はただ噂のみを信じて妻を斬り、無実かも知れない友の将来を断った迂闊さを悔いて、父もまた藩主に女仇を討つためと脱藩を申し出て、三太を連れて江戸に出てきた。

 母は庶民の出で、姉が江戸の町に住んでおり、父は彼女を頼って江戸へ来たのであった。毎月の仕送りを約束すると、母の姉である三太の叔母は快く三太を引受けてくれた。 当時、叔母夫婦の職業は分からなかったが、成長してくると、何となく三太にも分かってきた。 他人の懐を狙うスリの仲間らしい。

 八歳になった頃から、三太はそれがはっきりと分かってきたが、父親譲りの正義感は影を潜め、三太もまたスリを手伝うようになっていた。
 三太の仕事は、そこいらを走り回って遊んでいる子供の振りをして、叔母やスリ仲間がスリ取った財布を受け取り「さっ」と、路地の所定の場所に隠すことである。 続いて箒(ほうき)を持った仲間の女が、掃除をしながら財布の中身だけを抜き取り、財布は溝の中に捨てる。 掏(す)られた人が気付いても、とっくに財布は消えている。 「スリだ!」と、騒がれて捕まえられても、肝心の財布が消えてしまっているので、掏った本人は惚(とぼ)けるか、開き直って啖呵(たんか)を切ればいいのである。

   「叔母さん、俺の親父は銭を送って来なくなったのだろ」
   「そうだよ、どうしちゃったのかねぇ」
   「俺、叔母さんの厄介になっていちゃ悪いから、ここを出て行こうと思うんだ」
   「何を言うんだよ、銭なんか送ってこなくても、三太はよく働いてくれるじゃないか」
 叔母の本心だった。 ようやく手がかからなくなった上に手先が器用で、今に立派なスリになるだろうと思っていた矢先である。
   「俺、もっともっと働いて、叔父さんと叔母さんに恩返しがしたいのだ」
   「働くって、何をするのだい」

 三太がまだ生まれていない頃だったが、武士の次男で「能見数馬」という少年が居た。 少年は西洋医学の医者を夢見ていたが、果たせず盗賊に殺されてしまった。 三太がその話を聞いたとき、三太もまたおぼろげではあるが医者になりたいと思ったのだ。 根拠も何もないが「俺は能見数馬の生まれ変わりかも知れない」と思った。
   「どこかの医者に弟子入りして、将来は医者になりたい」
   「バカをお言いでないよ、こんな寝小便もしかねないガキを、誰が弟子にとってくれるもんかね」
   「江戸に伊東松庵(しょうあん)という先生が居るのだ」
   「その先生なら弟子にしてくれるのかい」
   「わからない、でも一所懸命に頼んでみるつもりだ」
   「お前がそう言うのなら、やってみるがいいさ」
 叔母は残念で仕方がなかったが、堅気になろうと言うのを止めるのも寝覚めが悪い気がしたのだ。
   「叔母さん、ありがとう」
   「その代り、ダメだとわかったら戻ってくるのだよ」
   「はい」

 だが、三太はここへ戻る気はなかった。 例え浮浪児になろうとも、人の物を盗む仕事はしたくない。 父親譲りの正義感が、ぼちぼち芽生えてきたのであろう。

 伊東松庵先生の診療所は、すぐに見つかった。 先生は有名であるが、診療所はみすぼらしいものであった。 破れ門を入って声を掛けると、女の人がでて来た。
   「坊や、どうしました?」 と、額に手を当ててきた。
   「ちがうのです、俺を松庵先生の弟子にしてほしいのです」
   「あら、患者さんではなかったの? ごめんね」
 女の人は優しかった。
     「先生は弟子をとっていないけど、一応伺ってみますね」
 女の人は、そう言って奥へ入っていったが、暫くして、
   「話を聞いてくれるそうだから、診察が済むまで奥で待っていて下さい」
 と、  奥の空き部屋へ三太を案内した。 
   「お腹が空いていたら、どうぞ召し上がれ」
 おむすびをすすめてくれた。
 三太は、朝から何も食べていなかったので、遠慮会釈もなく喜んで頬張った。
   「はい、お茶を・・・ あらま、もう全部たべちゃったの」
 女は、おほほほ と、大仰に笑った。
   「正座をしていなくてもいいのよ、もっと楽にしていらっしゃいな」
 松庵先生の診察が終わって、三太は診察室に呼ばれた。
   「弟子になりたいって? 名前は?」
   「はい、信濃の国の 元、上田藩士佐貫(さぬき)慶次郎が一子(いっし)佐貫三太郎です」
   「そうか武士の子か、でもまだ遊び盛りの子供じゃないか」
   「洗濯でも、食器洗いでも、厠(かわや)の掃除でも、何でも出来ます」
 三太は、うっかりスリも出来ますと言おうとして、ヒヤリとした。
   「それは頼もしい、ところで、どうしてこの養生所を選んだのかね」
   「はい、松庵先生は、昔、能見数馬さんとお知り合いだったとお聞きしました」
   「ほう、能見数馬さんを知っているのかね」
   「俺が生まれる前に亡くなっているので、名前だけです」
   「そうだろう、能見数馬さんと知り合いだったらどうなのかな?」
   「俺は、能見数馬さんの生まれ変わりです」 三太は嘘をついた。
 松庵は、嘘だとはわかっているが、そう言われてみると聡明そうな顔立ちと言い、喋り方と言い、どことなく能見数馬似ているような気がして、懐かしさが込み上げてきた。
   「能見数馬さんは、俺 ではなく 私 と言っていたぞ」
   「はい、私もこれからは、俺 とは言いません」
 先生の傍で助手を務めていた女が、そっと涙を拭いていた。
   「こちらの方は、お樹(しげ)さんと言い、能見数馬さんの許嫁だった人だ」
   「よろしくお願いします」
 見ると、頬に刀傷があった。 そこへ、先ほど応対をしてくれた女が、
   「先生、お茶をお持ちしました」と、入ってきた。
   「こちらは私の妻で、結衣だ」 と、先生は紹介した。
 他に、男の患者を看護する男の看護人が居たが、最近止めてしまったらしい。
   「どうだろう、この子に手伝ってもらったら」 松庵先生が二人の女に言った。
   「しっかりした子で、私は賛成ですが、患者さんは頼りなく思うのではありませんか」
 お樹は、三太に居て欲しいようであった。
   「やらせてみましょうよ、この子なら教えてやれば何でもできそうです」 結衣も意義はなかった。
 空き部屋はあるが、いつ患者が入るかも知れない。 お樹の提案で、お樹と相部屋にさせることになった。
   「可愛い弟が出来たみたい」 お樹は浮かれていた。
   「息子でしょ」 と、結衣に言われて、「まあ、ひどい!」 と怒ってみせたが、「まっ、息子でもいいか」と、妥協した。 思えば、能見数馬の妻になっていれば、このくらいの息子が居ても不思議はない。
   「今日はゆっくり休んで、明日からは頑張って貰いましょう」
 松庵先生も満更ではない様子だった。

(第一回) 能見数馬の生まれ変わり? -続く-   (原稿用紙9枚)

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