雑文の旅

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第十八回 暫しの別れ

2013-07-13 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 中山道は、江戸よりも一足早い秋を感じさせた。 新三郎にとっては、旅慣れた街道であるが、その多くは故郷を追われ、お上の目を逃れる旅であった。 能見数馬と鵜沼の宿まで歩いたのは楽しい旅であったが、やはりガキの頃から仲が良かった新二郎との旅は一際心が休まった。
 新二郎は新二郎で、木曾から江戸へ向かう旅は、少ない路銀をどう節約して江戸から木曾へ帰りの路銀を残そうかと、旅慣れない不安があった。 帰路の旅は、数馬が「新三郎さんの稼ぎ分だから返さなくてもよろしいよ」と、さり気無く渡してくれた路銀があるので金の心配がなく、気持ちにも余裕が持てる旅であった。

   「新三郎は、子供の頃から喧嘩が強かった、苛められている俺をよく助けてくれたなぁ」
   『そんなことがあったなぁ、兄貴は弱虫だったから苦労させられた』
   「何も言い返せないよ」
   『新二郎兄貴は、優し過ぎるくらい優しかった、俺が親父や兄貴に怒られていたらよく庇ってくれた』
   「あんなことさえなければ、いまでも兄弟仲よく筏に乗っていたのに」
   『俺がお助けした江戸の材木商の木曾屋孫兵衛さん、お元気だろうか』
   「お元気で、村の事を気にかけて下さっている」
   『そうか、それは良かった』
   「良かったって、同じ江戸に居て、何も知らなかったのかい」
   『こちとらは幽霊だし、のこのこ逢いになんていけねぇよ』
   「数馬さんに頼めば簡単じゃないか」
   『そうだな』
   「孫兵衛さん、お前の墓に参りたがっていた」
   『そうかい、じゃあ今度教えに行くよ』
   「こんな近くにあったのに、何故教えて呉れなかったと怒るだろう」

 沓掛の宿で旅籠を取った。 旅の疲れか、宵に久しぶりに飲んだ酒の所為か、新二郎はぐっすり眠りこんでいた。 目を開けて、そーっと何者かが襖を開けるのに逸早く気付いたのは新三郎である。
 新二郎の枕元に置いた道中笠をそっと捲り、中にあった数馬が持たした十両が入った巾着を懐に入れた。 枕探しという盗人である。
   「おい、待て!」 これは、新二郎が言っているのだが、言わせているのは新三郎である。
 盗人は足を掴まれて、慌てふためき開き直って懐からドスを出して斬りかかろうとした。 新三郎はやくざ時代の習性で、長ドスを握ろうとしたが、そんなものは持っていない。 握った盗人の足を力任せに引き、倒れて怯んだ盗人に新三郎の霊が忍び込んだ。 盗人が気を失った隙に新三郎は盗人から新二郎にもどり、浴衣の紐で盗人を縛り上げた。
 旅籠の主人を呼び、「こいつ、枕探しですぜ」と、告げた。 盗人の懐には、新二郎の巾着の他、泊り客の巾着や財布も入っていた。 主人は使用人に命じて役人を呼びに遣り、盗品がすべて持ち主にもどった。

   「昨夜は、ありがとう御座いました」
 旅籠の主人が翌朝早々と礼を言いに来た。 新二郎は何のことかと、きょとんとしていたが、新三郎が語りかけてきた。
   『俺だよ、昨夜俺が盗人を捕まえたのだ、いえいえとか、お気遣いなくとか言っておきなよ』
   「いえいえ」
   「お蔭様で、旅籠の信用を無くさずに済みました」
   「お気遣いなく」
   『まんまかい』
   「旅籠の泊賃は頂かなくて結構ですから」
   「ほんとうでか、それは有難うございます」
   『なんだい、金のこととなると、とたんに言葉が出てくるんだなぁ、兄貴は』
   「それと、これはほんの些少で御座いますが、お収め下さいますように」
 小判が五枚、紙に包んであった。 新二郎が一年間働いても手に入るかどうかわからない額である。
   「こんなに頂戴してもいいんですか」
   「どうぞ、どうぞ、旅の路銀にお役立てください」

 沓掛の宿を発った。 木曾の御嶽宿はまだまだ先ではあるが、新二郎の心は軽かった。
   「新三郎と一緒だと、いくらでも金儲けが出来そうだなぁ」
   『たまたまじゃないか』
   「いや、もっと盗人を捕まえようぜ」
   『浮かれていて、金を掏られるなよ』
   「ほいきた」
 呑気な一人と一柱の旅だったが、藪原の宿に入った途端、新二郎の気が重くなってきた。
   『兄貴、どうした元気がスーッと消えたぜ』
   「お清ちゃんになんて話そうかと思うとなぁ」
   「何も気に病むことはないさ、ありのままを言えばいい」
   「新三郎は死んで、幽霊になって帰って来たと言うのか」
   『そうよ、後は俺とお清ちゃんにしか分からない秘密の話をするから納得してくれるさ』
   「その秘密の話って」
   『そんなこと、兄貴に言っちゃったら、秘密にならねぇ」
   「新三郎はスケベだったから、いろいろ秘密があるのだろうよ」
   『なんだ、俺に喧嘩を売ろうって言うのかい』
   「お前と喧嘩しても勝てねぇよ」
 新三郎が急に黙り込んだ。 別に喋っているわけではないが、何も伝わって来なくなったのだ。 一息おいて、新二郎がきいた。
   「どうした、新三郎」
   『声を出すな、あの前から来る背の高い男に注意しろ』
   「あっ、爺さんとぶつかった」
   『その後をよく見ろ、こちらからは見えないが財布を手にしたぞ』
   「あ、本当だ、財布を自分の懐に突っ込んで、こっちに向かって来る」
   『兄貴の巾着を狙うかも知れねぇぞ』
   「おっ、近づいてきた、どうしょう」
 新二郎が「ヤバい」と思った瞬間、男は体を交わして横に跳び、新二郎の後ろを歩いていた女に突き当たった。
   「姐さん、ごめんよ」
   「気を付けなよ、危ないじゃないか」
 新二郎は、先を行く爺さんを呼び止めて、財布を掏られたことを教えてやろうと声を掛けたが、先を急いでいるのか爺さんは振り向きもせず、さっさと歩き去った。
   『あははは、兄貴は旅慣れしていねぇなぁ』
   「爺さんが可哀そうじゃないか、今頃気づいて慌てているかも知れないぞ」
   『いねえよ、あいつらはグルだ』
   「どういうことだ」
 つまり、先頭の爺さんが掏り役で、二番目の背の高い男が中つぎだ。 三人目の女が、財布の受け取り役だと新三郎は兄に説明した。
   『兄貴が江戸へ向かったとき、よく掏られずに江戸へ着いたな』
   「ははは、殆ど金は持っていなかったからだ」
   『野宿したのか』
   「何回かは野宿だ」
   『食い物は』
   「食い物は、川魚でも、イナゴでも食い放題だからな」
   『すると、帰りは金持ちになった訳だ』
   「そうとも、お前のお蔭で」

 新二郎は、木曾に帰り着いた。 まっすぐ家には帰らず権六の家へ行き、お清ちゃんにあった。
   「新二郎さん、新三郎さんに会えたかい」 お清は待ち焦がれていたようだ。
   「それが、弟はならず者に殺されていたのだ」
   「嘘だ、あの強い新三郎さんが、ならず者にやられるなんて、信じられないよ」
   「弟の生き死にで、嘘が言えると思うかい」
   「私を諦めさせようと嘘をついているのだろう」
   「いまに分かるよ」
 今、新三郎の霊がお清に移るから、二人にしかわからない話をしなさい。 それできっと新三郎の霊だと分かるに違いないと、 お清に言って聞かせた。
   『お清ちゃん、俺が分かるかい」
 お清はきょろきょろ辺りを見回した。 新二郎しか居ない。
   『新二郎兄さんが呼びかけているのではないよ、新三郎だよ』
   「これは手妻かい」
   『違うよ、ほら、お清ちゃんと二人で初めて村の祭りに行ったとき、手を繋いでお社の裏へいったら』
   『二人連れの先客がたくさん居て、そこへ割り込んで・・・」
   「買った蕎麦饅頭を二人で分けてたべたろう」
   「ほらっ、新三郎さんのアレ、太いから口に入れたら おえっ となって、私、涙を出したりして」
   『そうだ、ヒノキの切れ端で箸を作ってやったら、太すぎて嫌だとお清ちゃん言ったあれだね』
   「そうそう、あれはちょっと太すぎたよ、それに新三郎さんたら、あんなところを舐めたりして」
   『あれは、おふくろに教わったのだ、目にゴミが入ったら舐めて貰うと取れるってね』
   「あと、湯冷ましで洗ってくれたね」

 新二郎には新三郎の言っていることが分からない。 お清ちゃんがいちいち声を出すもので、新二郎ムラムラッ。
   「お前たち何の話をしているのだよ」
   「二人だけの秘密の話だもんね」 と、お清。
   「もう分っただろう、新三郎は幽霊になったのだ」
   「うん、わかった、私も死んで新三郎さんの処へ行く」
 お清は、包丁を持ち出すやら、荒縄を梁に引っ掛けるやら、池をさして走って行くやら、新二郎右往左往、疲れ果ててその場に座り込んでしまった。
   「新三郎頼むよ、余計お清ちゃんに火を点けてしまったみたい」
 新三郎はお清に落ち着くように促すと、静かにお清に話しかけた。
   『お清ちゃん、死んでも俺のところへ来るとは限らないぜ」
   「そうなの」
   『うん、それより俺の分まで生きて呉れよ』
   「俺の分までって、私が二十代であと三十年はあるし、新三郎さんも二十代だから死んでいなかったら三十年は生きられる筈、と言うことは、二十に六十を足して、私、八十歳まで生きるの」
   『こら、誰が足し算をしろと言った』
   「だって、俺の分も生きろと…」
   『信濃の国は、長生きの国だからな、八十も九十も長生きしてくれよ」
   「うん、わかった」
   『それで、新二郎兄貴のことを俺だと思って、世話をしてやってくれないだろうか』
   「あの、アホの兄さんを新三郎さんだと思うの」
   「いま、アホの兄さんと言った、誰のこと」 新二郎が口を挟んだ。
   「アトの兄さんと言ったのよ、新三郎さんと別れた後の・・・」
   「そうか、そうか」
   「騙しやすっ!」
   「だましたのか」
   「魂安らかにと言ったのよ」
   「そうか、そうか」

 お清から抜け出た新三郎は、この二人はお似合いの夫婦になると思った。

   (暫しの別れ・終)    ―続く―   (原稿用紙13枚)

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