雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

チョロムケ

2013-07-23 | 日記

 街の中の木は、人間の都合で小鳥が食べに来て糞を落とすからと、実が成らない内に、花の咲く枝を切られたり、切り倒されたりご難続きである。 見出しの木は、昔「季節の花300」サイトの運営者の方にお教え頂いたものでモクセイ科の「ネズミモチ」という名が付いているのだそうである。 実は黒くネズミの糞のようで、葉はモチの木に似ているのでそんな不名誉な名がつけられたらしい。 

・・・・・・・・・子供のモチの実・・・・・・・・・

 私が子供の頃には、山に自生する灌木で、実を「クチャクチャ」噛んでいるとトリモチのように粘りがでてくるのを「モチの木」と言っていたが、ネットで調べても見つからない。 トリモチの木というのがあったが、これは樹脂を発酵させて作る本物のトリモチだそうで、駄菓子屋で売られていたあの臭いトリモチだろう。 これで子供たちは鳥やトンボ、セミなどを捕えていた。 今は野鳥を捕ることは禁じられているが、当時は子供だけではなく、小鳥屋さんもやっていたようだ。  私たちはいったい、何を「クチャクチャ」噛んでいたのだろうか。 何の味もしないあの緑色の木の実は何だったのだろう。 考えていると、一緒に遊んだ友垣の顔々が浮かぶ。

 ・・・・・・・・・チョロムケ・・・・・・・・・

 こちらは食べる灌木の実で「ヤマナスビ」というのを口の中をまっ黒にしてよく食べていた。 小さい実だが甘酸っぱくておいしい実である。 私たちは「ヤマナスビ」とは言わず、「チョロムケ」と言っていた。 これもネットで検索してみたが、 「チョロムケ」ではヒットしなかった。 方言というよりも、子供の創作言葉だったようだ。 もし、この「ヤマナスビ」の実の画像がネット上にあれば、この実を下(枝の反対側)からみていただくと、「チョロムケ」の意味が分かっていただけると思う。 特に男性には・・・

 ・・・・・・・・・イタドリ・・・・・・・・・

 スイスイ、スカンポ、エッタン これは宿根多年草で、山に入ると太い茎のものが見つかった。 それを「ポキン」と根本から折って、皮を剥きカブリ付く。 一瞬、その酸っぱさに顔をしかめるが、決して吐き出したりはしない。 立派なオヤツなのだから。 家に持ち帰ると、母がお漬物にしていた。 そのまま、塩をつけて食べるのも、また美味い。 私たちは子供の頃から「食べられる」ものと、「食べられない」ものの区別は本能的に分かっていたのだろうか。 山猿並みに・・・


月夜に釜を抜く

2013-07-23 | 日記

 ・・・・・・・・・犬も歩けば棒に当たる・・・・・・・・・

 最近は「江戸いろはかるた」は見かけなくなった。 とは、私の感想であって、案外100円ショップなどで売られているかも知れない。 「い ・ 犬も歩けば棒に当たる」 絵を見ると犬が棒に当たっている。 どういうシチュエーションなのか理解に苦しむのだが、最近では「犬も歩けば棒が当たる」ところを目撃したことがある。 悪ガキが犬に棒を投げつけているのだ。 どうやら犬に吠えられたか噛まれたかして、恨みを持っているらしい。

 ・・・・・・・・・月夜に釜を抜く・・・・・・・・・

 いくら江戸時代だからと言っても、屋外に釜戸がある訳ではないし、仮に屋外に釜戸があろうとも、夜は大切な釜は屋内に仕舞っておくはずだ。 月夜の明るい夜に、油断して釜を盗まれたとするシチュエーションは怪しい。 絵を見ると、月が出ていて釜戸があってお釜が抜かれている。 品のない私の解釈はこうである。

 月が煌々とてる真夜中、その月明かりを当てにして夜遊びが過ぎ、独り夜道を帰る商家の若旦那風の男に屈強な体つきの男が近寄る。
   「兄ちゃん、こんな遅くに独りで歩いていると襲われるぜ」
   「大丈夫です、銭は使い果たして、すっからかんですから」
   「盗まれるのは、銭だけとは限らない」
   「命ですか?」
   「いいや、違う」
   「身包みですか?」
   「いいや、違う」
   「もう、何も有りませんが」
   「これだよ」
 屈強な男はいきなり若旦那を押し倒し、釜を抜いた(掘ったともいう)。

 ・・・・・・・・・破(わ)れ鍋に、綴じ蓋・・・・・・・・・

 破れた鍋と、修理をした蓋が、似たものということで、似たものどうしが夫婦になるとうまく行く例え。 考えてみれば、割れた鍋にどんな蓋を合わせようとも、使い物にはならない。 品のない私の解釈はこうである。

 破れ鍋とは、恋に破れたお鍋さん、心は男なのに体は女、性同一性障害者である。 言い換えれば、性と心が一致しない障害だ。 このお鍋さん、思い悩んだ末、世間体を考えて女性姿に戻り、男性と夫婦になる。 不愉快な夜の作業は、天井の節目を数えて終わるのを待つ。 そのうち子供が出来たら、子育てに専念しようと思ったのだ。

 綴じ蓋とは、少なくとも見かけだけは破れ鍋の蓋になってくれる男のこと。 この夫もまた恋に破れて、時が心を修復したばかりであった。 

 違うかな?