気がつけば12月も半ば。年末までに終わるのか、我家の片付け。
ところで、最後まで残っていた紙類についに着手しました。
古い段ボール箱の中から昔のノートや日記がたくさん出てきたのですが、その中の一冊、1967年のノート(私が高3の時)には、祖父が亡くなった頃のことや父から聞いた我家の歴史が書かれていました。
そのノートによると、父の実の母親(私の祖母)は父の祖父母および同居していた叔母と折り合いが悪く、幼い父を残して家を飛び出していったというのです。
つまり父は幼くして母親に捨てられたと思い込んでいた。
でも、私が実際に祖母から聞いた話は全く逆でした。
父が3歳になるまで(昔は数え年だったので恐らく2歳)祖母は父を一人で育てていたのですが(なぜなら婚姻外の子どもだったので)、ある日、父の父親の家から使いの人が来て、むりやり幼い父を祖母から奪っていった、というのです。
父の両親は、祖父母の反対を受けて結婚できなかったので、父は婚外子だった、というのは戸籍からも明らかです。
祖母はその話を泣きながら私にしてくれました。
(祖母は長年行方知れずだったのですが、祖父が亡くなる直前に探し出して東京に呼び寄せたのです。祖母から話を聞いたとき私は20代半ばでした)
何ということでしょう。
二つの真逆のストーリーが立ち上がってきたではありませんか。
母親に捨てられた子どもと子どもを奪われた母親という二つのストーリーが。
どっちが事実なのか定かではありませんが、もしかすると父は、実の父親あるいは祖父母や親戚から事実とは異なる母親の姿を刷り込まれていたのかもしれない。幼い父はそれを信じこみ、実の母親はとんでもない悪女で男たらしだったと思い込まされていたのかもしれない。
私の印象では祖母はごく普通の愛情深い女性でした。
人間の歴史というのは、かくのごとく捏造されるものなのか、と愕然としています。
だからこそ、父は私が離婚したとき理由も聞かずに「人の道を外れ子どもたちを犠牲にしてしまった」と言ったのでした。
なぜあの時、父は過去形で断罪したのだろう、とずっと疑問に思っていました。
あの「犠牲」という言葉は、私の子どもたちのことではなく、父自身のことだったに違いない、と今回思うに至り、ようやくすべてが腑に落ちたのでした。
父が私に厳しかったのは、自分の母親を重ねていたから。離婚した娘は、幼い父を残して去っていった母親と重なって見えたのでしょう。
祖母が生きている間、父はついに一度も祖母に会いに行きませんでした。
本当は会いたかったに違いないのに・・
父が亡くなってすでに10年以上の時間がたちますが、人の歴史というのはこんな風に過去から掘り起こされ、白日の下に晒されたりするものなのか・・
過去は時に大事なものを見せてくれます。過去のモノを捨てずにとっておいて本当によかった。
記憶は時に捏造されるけれど、それを補正するのは過去の資料、紙に書かれた歴史です。
明治大正の時代を生きてきたご先祖様たちは、彼らの価値観で生きていたわけで、それはたかだか100年かそこら前のことです。なんと大きな変化だろうか。
曽祖父母の時代には、人権だの子どもの権利だのといった思想は皆無だったことでしょう。
大事なのは「家」であり「個人」ではなかった時代。その思想が、大事なのは「国」であり「個人」ではない、という軍国主義に容易につながっていったのは、想像に難くありません。
私たちの人生というのは、生きている時代の価値観にこんなにも左右されるものなのか。
それは過去だけではなく、現代に生きている私たちをも束縛しているかもしれません。いえ、束縛しているはずです。
そうしたことを肝に銘じながら生きていきたいとつくづく思いました。
もしかすると誰かが導いてくれたのかもしれないなあ。私がしつこく疑問を抱き続けていたので。今回はマジでそう思いました。
皆さん、断捨離をするときはくれぐれも注意が必要です!
過去を捨てるときは今一度振り返ってみることをお勧めします。
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