池のカイツブリの雛は生まれたかしら?
昨日、久しぶりに近所の公園に行ってみたら、雛がすでに池に出て泳いでいるじゃないですか。
いつのまに生まれたんだ?
(たぶん先週。先週来ればよかった)
2羽か3羽。私の小さな双眼鏡ではよく見えないので、定かじゃないのですが。
カルガモの雛も4羽生まれて、しばらく親鳥のあとに列を作っていたのですが、
いつのまにか数が減って、ついに一羽だけになったようです。
その一羽は健在で昨日も親鳥と一緒に泳いでいました。
公園の緑は日に日に濃さを増し、夏の緑陰を形成しつつあります。
近所にこうした公園があるのは何て幸運なことだろう。
子どもの頃、但馬の山奥や陸の孤島と呼ばれる四国の片田舎に育ったので、自然はいつも恋しい。
小さな公園ではあるけれど緑の中にいると本当にほっとします。
カイツブリの雛をウォッチングするのに、倍率の高い双眼鏡かカメラが欲しい、
とずっと思っていたのですが、
実は自然の中にいると、双眼鏡やカメラは必要ないんじゃないかと気づきました。
カメラに収めたいというのは、人間のエゴでしょう。
小さな箱に閉じ込めて所持したいという。
カメラに収められた自然はどんなに美しくても、時に実際より綺麗に撮れていたとしても、
目の前の今この瞬間の感動に勝ることはないのです。
切り取られた瞬間はメモリの中で生き続けるけれど、実際のところ、私たちも彼らも寿命は短く、ほんのわずかな間だけ、この地球の上に生をもらって生きている者同士である、という感覚を忘れがちになります。
少しでも流れ去る時間を止めたいがために、人間は記録するのでしょうけれど、
記録する必要なんてないのかもしれない。書くことも含めてね。
せっせと雛たちに餌を運ぶのに忙しいカイツブリの親たちを見ていると、
それだけで、ああ、彼らも一生懸命生きているんだなあ、と思えてきて、
それでもう十分じゃないか、という気がするのでした。
でも、もうちょっとだけ倍率の高い双眼鏡を手に入れようかな、
と思ってはいますが。
カワセミは最近姿を見かけません。
どこか別の場所に巣穴を作って子育てに忙しいんじゃないか、とバードウォッチャーの人が言ってました。
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