1998年/米/ピーター・ウィアー監督/ジム・キャリー エド・ハリス
2006年8月10日 テレ東午後のロードショー
【あらすじ】
生まれる瞬間から、その生きっぷりを全米に24時間365日中継されている…ことを知らない男・トゥルーマン(キャリー)。
彼はニセモノの町で、ニセモノの社会を生かされていた。が、かつての父親(役)の男がトゥルーマンに接触したからさあ大変!トゥルーマンは世の中がなんだかおかしいことに気が付いた。
自身の尊厳と自由を求めて、外の世界に脱出を試みる!
見始めた最初の印象は、<「サトラレ」に似てる>というものだった。
後半に至り、宗教的な側面が垣間見えてからは、むしろ<哲学>作品だなと。
しかし、今作のレビューを見てまわって、「俺もトゥルーマンなんじゃないか、という妄想を抱いて生きている(た)」という意見が少なくなくて驚いた。
かつて「サトラレ」の掲載誌に、「『自分もサトラレだ』という投書が多くて困っています」という編集部の声が記載されていた。
やっぱりトゥルーマンとサトラレは同じ土俵にあるのだ。
そして一部の思索深い人の中には、自分がその本人であるかの様な妄想を抱くこともある。いや、そういう心の病があるってのも聞いたことはあるが、<病>と切り捨ててしまうにはあまりにも深い。哲学ってこういう妄想から発展したんじゃないの?
ところで、トゥルーマンは最終的に外の世界へと旅立った。
しかし、アメリカに居る限りは彼は誰からも知られた存在だ。それどころが、相当恥ずかしいところまで皆覗き見て知っている。そんな人々に囲まれて、果たして彼は<脱出できた>と言えるだろうか。
今度こそ本当に精神に支障を来してしまうだろうな、と架空の人物ながら心配してしまったのだった。
2006年8月10日 テレ東午後のロードショー
【あらすじ】
生まれる瞬間から、その生きっぷりを全米に24時間365日中継されている…ことを知らない男・トゥルーマン(キャリー)。
彼はニセモノの町で、ニセモノの社会を生かされていた。が、かつての父親(役)の男がトゥルーマンに接触したからさあ大変!トゥルーマンは世の中がなんだかおかしいことに気が付いた。
自身の尊厳と自由を求めて、外の世界に脱出を試みる!
見始めた最初の印象は、<「サトラレ」に似てる>というものだった。
後半に至り、宗教的な側面が垣間見えてからは、むしろ<哲学>作品だなと。
しかし、今作のレビューを見てまわって、「俺もトゥルーマンなんじゃないか、という妄想を抱いて生きている(た)」という意見が少なくなくて驚いた。
かつて「サトラレ」の掲載誌に、「『自分もサトラレだ』という投書が多くて困っています」という編集部の声が記載されていた。
やっぱりトゥルーマンとサトラレは同じ土俵にあるのだ。
そして一部の思索深い人の中には、自分がその本人であるかの様な妄想を抱くこともある。いや、そういう心の病があるってのも聞いたことはあるが、<病>と切り捨ててしまうにはあまりにも深い。哲学ってこういう妄想から発展したんじゃないの?
ところで、トゥルーマンは最終的に外の世界へと旅立った。
しかし、アメリカに居る限りは彼は誰からも知られた存在だ。それどころが、相当恥ずかしいところまで皆覗き見て知っている。そんな人々に囲まれて、果たして彼は<脱出できた>と言えるだろうか。
今度こそ本当に精神に支障を来してしまうだろうな、と架空の人物ながら心配してしまったのだった。