夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

とても重要な事で分からない事がある

2011年01月31日 | 社会問題
 一つはJR山手線のホームの点字ブロックの事である。目白駅で全盲の男性が転落死した。そして調べて分かったのは、その点字ブロックは10年以上前の物で、現在の規準に沿っていないと言う事だった。同じような障害者からすると、点字が点字に感じられず、平面に思えてしまうのだと言う。それでは点字ブロックの意味を成さない。そうした指摘は以前からあったにも拘らず、一向に顧みられる事が無かった。
 それが事故をきっかけとして、やっと改善される事になった。それすら遅きに失するのに、何と、その費用はわずか2千万円なのだと言う。JR東日本の巨額な利益から見れば、それはまさしく 「雀の涙」 であろう。それなのに、そんなわずかな費用をケチっていた訳だ。
 新聞にはこんな意見が載っている。 「鉄道会社は全盲の障害者を雇っているのか」 「点字ブロックを定期的に点検しているのか」
 
 世の中には他人の身になってみなければ分からない事は数多くある。鉄道での危険性などはその最たる物である。それなのに、そうした配慮が全く無い。点字ブロックを定期的に点検するためには、点検の規準が必要になる。それは当然にその時点で最新の規準である。 「最新の規準に照らして、細心に点検する」。 これは詰まらぬ冗談ではない。最低限の処置である。
 そうした点検をしていなかった。それは点検をしていた事にはならない。 「利益の点検」 はしているくせに、乗客の安全を守る点検は怠っていた。そうした会社を 「鉄道会社」 などと呼ぶ事は断じて出来ない。

 今、盛んにバリアフリーなどと言われている。しかしそれはほんのわずかな所でしか出来ていない。私が毎日歩いている歩道にしても、歩道と車道との段差はもの凄くある。狭い範囲で急激に高くしているから、健常な人間でさえ歩きにくく、転びそうになる。障害者はとても怖くて歩けないはずである。
 大体、歩道を車道よりも高くする発想が時代遅れだと思う。そんな事をするから、家々に車庫がある所の歩道は頻繁に高い低いが繰り返されている。だから歩きにくくて仕方が無い。その高低差にうっかりと気付かずに歩くと、ガクンと衝撃が来る。とんでもない事である。

 国旗・国歌の強制が二審で合憲とされた。
 卒業式などで日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱する事を東京都教育委員会は求めている。それに対して都立高校の教職員達の一部が通告に従う義務は無い、と訴えて、東京地方裁判所の判決で義務の無い事が認められた。その控訴審で、東京高等裁判所が 「強制は合憲」 との判断を下した。
 前にも書いたが、平成11年に、 「国旗・国家法」 が制定されている。国旗は 「日章旗(日の丸)」 で、国歌は 「君が代」 である。法律で決まっている事を、都立の高校が教職員に強制してどこが悪いのか。言うまでも無く、都立高校は東京都の管轄下にあり、地方自治体が国の管轄下にあるのもまた当然だろう。どこから、通達に従う義務は無い、との考え方が生まれるのだろうか。
 こうした記事を読むたびに思う事がある。諸外国ではどうなのか、である。独裁国家は別として、民主国家と考えられている欧米の各国などではどうなのか、を新聞は書くべきだと思う。マスコミが真実を伝えているとは限らないのは知っているが、欧米では国旗と国歌を無視する事が当然だ、と言う話は伝わっては来ない。
 もちろん、外国がこうだから日本も見習え、と言うのではない。しかし欧米の国民が揃って無教養で、国旗も国歌も尊重しない、と言うのでない限りは、当然に参考になるはずだ。少なくとも、民主国家としての成熟度は日本よりも早くて確かなはずである。

政党や政治家の能力が不足している、とのコラムがよく分からない

2011年01月30日 | 政治問題
 東京新聞のコラム 「筆洗」 が面白い事を書いている。政治制度には想定されたレベルがある、との話である。

 (二院制では) 衆院で過半数をとった勢力が参院で過半数を得られない 「ねじれ」 になることも当然ある。だから、たとえ、そうなっても対立を議論で乗り越えることができるレベルの政党や政治家が国会にいる、というのが前提である。

 まさに正論である。ただ、その次が私にはよく分からない。

  一つの勢力が両院を制す「まっすぐ」の時しか機能しないなら、二院制は、わが国の政治には高級すぎることになる。

  「一つの勢力が両院を制する時しか機能しない」 と言うのは、一つの勢力が両院で過半数を得て、「ねじれ」 は無いのだから、当然に対立を議論で乗り越える必要は無い。従って、それを乗り越える事が出来るレベルの政党や政治家も必要にはならない。
 だから、「こうした時だけしか二院制が機能しないなら、その政治は高級すぎる」 とはならないはずである。「過半数をとる」 と言う事は、現状の国会では、「問答無用」 で議案が通る、との事である。従って、過半数で問答無用である場合にも、「対立を議論で乗り越える事の出来るレベル」 が必要となれば、それは 「高級すぎる」 事になる、と言うらしい。
 しかし、そうでもないらしい。と言うのは、「一つの勢力が両院を制す時しか機能しないなら」 と言っている。普通はそのようには言わない。「一つの勢力が両院を制す時にも機能するなら」 と言う。本当は問答無用なのに、議論を戦わすのだから、「高級すぎる」 事になる。当然、それは日本ではあり得ない、との見解である。
 「議論」 は「 対立を乗り越える」 ためにされる訳だから、「対立」 はあるにしても、「乗り越えるとか乗り越えられない」 などと言う情況には無いはずなのだが、それは大目に見よう。

 結局、コラムは、「ねじれ」 で対立が起きても、議論で乗り越える事の出来るレベルの政党や政治家を前提としているから、二院制は成り立っているのだ、と言っているのである。だからもしもこれが一院制だったら、どうなるのか。一院制に 「ねじれ」 は無い。それは当然に一つの勢力が制するか、同じような勢力のどちらかになる。同じような勢力の場合、「高級なレベル」 の政党や政治家が存在するなら、「議論で乗り越えられる」。 ところが、コラムはそうは言わない。「高級すぎる」 と言ったそのすぐ後に、次の文章が続く。

 それでも、一院ではやはり心配、第二院は必要だとなると、今度は、国民の投票の 〝自由〟 が損なわれる。 「ねじれ」 ると、即、行き詰まるのだから、注意して、衆院で勝たせた勢力を、嫌でも参院で勝たせなければならなくなる。もう与党にノーも言えぬ…。そうならないための策は一つ。政党や政治家が制度の想定に沿う能力を見せることだ。

 これもよく分からない。過半数で制する場合には、一院制と 「ねじれ」 の無い二院制は同じになる。二院制で 「ねじれ」 がある場合のみ、過半数の勢力同士の議論が対立する。そして、コラムは明確に対立があるのが理想的だと言っている。それを議論で乗り越えるからこそ、そこに知恵が生まれる訳で、それは正しい。
 「一院制では心配で、二院制が必要だ」 と言うのは、過半数で制するのは駄目だ、と言う事になる。二院制、それも 「ねじれ」 のある必要がある。
 しかしながら、コラムはそうも言わない。「ねじれ」 が即、行き詰まりなのだから、「ねじれ」 は駄目だ、と国民が言っていると言う。「ねじれ」 ないためには、一つの勢力が過半数をとるしか無い。それがコラムの言う「 国民の投票の自由が損なわれる」 になるはずである。
 だから、そうしないためにも、「ねじれ」 は必要で、それには二院制が必要で、国民の自由な投票が必要で、つまりは現状のままで良い、と言っている。しかしそこに政党や政治家の能力が伴って来ないのである。それこそが、このコラムの言いたい事なのである。それが 「政党や政治家が制度の想定に沿う能力を見せることだ」 の結論になる。

 こうして色々と考えて分かったのは、コラムは結論として現在の政党や政治家の、相手と議論を戦わせて国民の求めている理想的な政治をしよう、と言う能力が欠けている、と言いたい。それを理想的に出来るのが、二院制で 「ねじれ」 がある場合だ、と言いたい。政党や政治家が制度の想定に沿う能力を見せる事を前提と考えているのだから、そうである。
 そこに、何かよく分からない例を持ち出して来た。だから、その例をじっくりと考えると、何が何やら分からなくなるのである。コラムは野球で、投手からホームベースまでの距離は案外と遠く、幼稚園児が投げるのが前提なら、そんな規則にはしない、との話から始まっている。ボールが届かなくてはゲームにならない。それと同じなのが政治制度だ、と。
 そして結論は、ちゃんとホームに届く球を投げて、決して幼稚園児ではない事を証明して欲しい、と結んでいる。これらの話はとてもよく分かる。途中をざっと読み飛ばせば、とてもよく分かる有意義な話である。だから、途中で戸惑ってしまった私が悪いのかも知れないが、私は先の文章を筋が通るように読む能力が欠けているのである。でも案外と、私の能力不足ではなく、コラム執筆者の能力不足かも知れない、などと考えているのである。

 それにしても、国会の様子を見る限り、政党と政治家の馬鹿な事、自分勝手な事、下品な事、どれを取っても政治制度に沿う能力など見られない。彼等を選んだのは我々国民なんだから、国民も同じレベルなのか。でも国民はもう少し馬鹿でも自分勝手でも下品でもないと思うのだけど。

暦の二十四節気とは何か

2011年01月29日 | 文化
 東京新聞の言葉についての校閲部記者のコラムに面白い事が書いてある。
 まず、陰暦の一月と太陽暦の一月は俳句ではきちんと区別している事を述べている。
 そして、陰暦の正月は立春の前後に当たり、これを旧正月として祝い、そのころに年賀状が届いたら 「迎春・初春」 が実感しやすいだろう、の述べている。
 そしてすぐ続いて、次のように述べる。

 現在は地球温暖化やヒートアイランド現象などの影響もあり、二十四節気の季節区分を感じることが難しくなっています。そんな中で立春、小寒、大寒はぴったりという気がします。

 ここで話が分かりにくくなる。
 と言うのは、季節区分を感じる事が難しくなっているのは、二十四節気は陰暦で、現在の暦は太陽暦だからのはずなのである。ほんの一例を挙げれば、立夏は5月6日頃、立秋は8月8日頃、立冬は11月7日頃で、それぞれ、夏や秋、冬の実感は無い。特にまだもの凄い暑さの中で、 「立秋」 だと言われても、ピント外れである。
 しかしながら、暦が太陽暦ではなく、陰暦だとすると話は違って来る。二つの暦のずれは一ヶ月ではないが、仮に陰暦が太陽暦から約一ヶ月遅れているとしよう。すると、現在の2月は陰暦の1月になる。順に遅れるから、立夏は6月10日前後に、立秋は9月10日前後に、立冬は12月10日前後になる。これなら、今よりはずっと季節感に合う。大寒は2月20日前後になり、1月や2月は寒さのさなかであまり季節感に違いは無いから、十分に通用する。
 つまり、これは単に月の名前の呼び方がずれているだけの話である。執筆者の言う 「地球温暖化やヒートアイランド現象などの影響もあり」 ではない。それにそうであるなら、大寒などはなぜ季節感がぴったりと来るのか。今頃が初春でぴったりなのは、冬至を一ヶ月以上も過ぎて、日増しに日差しが伸びて、明るさも増して来るからだ。

 何でこんなとんちんかんな事を校閲部の記者たる者が言っているのか。多分、「 何月」 と言う呼び名に騙されるのだろう。立秋は8月10日前後なのではなく、陰暦では9月10日前後なのだ。
 二十四節気の中で、季節感ではなく、太陽と地球との関係で決まって来るのが、春分と秋分、夏至と冬至だ。これはずれる事が無い。だから昔は一年の始まりは冬至だった。立春は冬至から数えて何日目、と決まっているから、後に立春が季節感からも一年の始まりとされたのである。なお、陰暦は月の満ち欠けで計算するから、年によって日にちはずれる。
 季節を表していた二十四節気を季節とはずれている太陽暦に合わせているから、季節感が一致しないのは当然の事である。季節感では分かりにくくても、七夕を考えればすぐに分かる。七夕が梅雨のさなかの7月7日ではまことに具合が悪い。旧暦なら8月初旬になるから、空は晴れて、絶好の七夕になる。

 先に 「何月」 の呼び名に騙されると言った。本当にこれは難しい。私自身、これを書いていて、何度も混乱している。一番分かり易い例を挙げる。今日は1月29日だが、あと5日も過ぎれば立春である。その1日前が今年は旧1月1日になる。この日から 「睦月」 が始まるのである。
 これから順に季節を数えて行けば、春分は如月に、立夏は卯月に、大暑は水無月になる。この水無月を現在の6月と考えてしまうが、本当は現在の7月で、梅雨が明けて、かんかん照りになる。まさに 「水無月」 である。だからその下旬は当然に 「大暑」 であっておかしくはない。

 1月=睦月、12月=師走だから、いくら立春が正月だと言っても、睦月や師走の呼び方が現在の1月と12月の呼び方になっているのだから、その間の月の呼び方を変える訳には行かない。だから6月は梅雨で水がたっぷりとあるのにも拘らず、「水無月」 などと変な名前になってしまう。
 5月は 「旧暦の皐月 (さつき) 」、6月は 「旧暦の水無月」 などと言うからおかしくなる。 「旧暦」 と言うからには、それは現在よりも一ヶ月前後遅れている事をきちんとわきまえて言う必要があるはずだ。確かに 「皐月 」は正月から数えて5番目の月なのだが、立春が本来の正月との考えで行けば、季節からは、 「如月=正月」 になる。そうやって行くと、本当の季節で言うならば、5月は 「旧暦の5番目の月で呼び名は皐月」 となるのが正しい。だから 「さつき晴れ 」とは、本来は梅雨のさなかの晴れ間の事なのである。そして 「五月の晴天」 は本来は「ごがつ晴れ」と言う。
 繰り返しになるが、 旧暦の5月」 は、正月を1番目とするから5番目なのであって、その 「正月=一番目の月」 とは、自然の季節感から言えば 「=如月」 なのである。
 どうもよく分からないのだが、自然を表している陰暦の呼び方が、一部、単に順番とか 「全国の神様が出雲に集まって全国的には留守になるから、神無月と呼ぶ」 とか 「法師が読経に忙しく走り回るから師走と呼ぶ」 などと言う、自然とは離れた呼び方が入っているから、どうしても自然の季節とは合わなくなるらしい。
 「正月=1月」 とは暦の順番の事なのであって、季節の暦とは違う、と言う考え方をしない限り、陰暦と太陽暦のずれは分かりにくい。しつこいようだが、 「睦月・如月・弥生」 などと呼ぶ旧暦の月の名称は、自然の暦で考えれば、と言うか、天体の運行上からは、現在我々が 「2月・3月・4月」 と呼んでいる月になる。
 月の名前を数字で呼ぶから分かりにくいと言う事情もあると思う。欧米では月の名前と数とは関係が無い。特に9月を Septembre などと呼ぶ方式は、「sept=7」 であるからには数字の観念があるとはとても思えない。日本では7番目の月は 「陰暦の文月」 であって、それは本来順番とは関係が無かったはずである。単に睦月から数えれば7番目になると言うだけの事であって、それを我々は現在、 「文月=7月」 としてしまうから、話が複雑でややこしくなるのである。

 先に挙げたコラムの文章は、季節感を語っている限りにおいては正しい。けれども暦と季節感のずれを 「地球温暖化」 や 「ヒートアイランド現象」 などのせいにしてしまっている。少なくとも、陰暦と太陽暦とのずれである、との明確な発言は無い。その事に私は大きな不信感を持っている。 



学者の論理はなぜ筋が通らないのか

2011年01月27日 | 歴史
 表題の事は、当然ながら、私にもその内容が分かる事柄についてである。だから日本語とか古代史に関する事柄になる。古代史についても、私にも理解出来る説明での事になる。
 『古代日本七つの謎』 と言うタイトルの本を読んでいた。ずいぶん昔の話だが、千葉県市原市の稲荷台古墳から、短い銘文のある鉄剣が発見された。全12文字で、「王賜□□敬□」 「此廷□□□□」 とわずかしか読めない。でも、 「王賜」 とあるから、 「王が誰かに下賜した刀」 だろうと推察出来る。ここまではいい。
 さて、その王とは誰なのか。それをある学者は次のように言う。

 この銘文によって、この剣は大和朝廷の大王が、官の刀として、大王に従う市原市附近を治めた地方豪族に授けたものだと考えられる。

 何故に 「王」 が大和朝廷の大王だと決定出来るのか。だから当然にこうした考えに反対の考えもあって、この学者は次のようにも言う。

 銘文には 「王」 とあり、そこに 「大王」 と記されていないことから、王と自称した関東の大豪族が稲荷台一号墳の被葬者に鉄剣を与えたとする意見もある。     

 普通に考えれば、この考えの方がずっと筋が通ると思う。しかし、そうはならないのである。学者は続けて次のように言う。

 しかし、そこまで考える必要はない。奈良時代に、 「大王」 の語も 「王」 の語も 「オオキミ」 と読まれていることや、当時の関東の鉄器の多くが大和からもたらされたこと、埼玉県行田市の稲荷山古墳からも、乎獲居という豪族が。大和朝廷の大王に従ったことを示す銘文をもつ鉄剣が発見されていることから、 「王賜」 の鉄剣は大和朝廷が下賜したものであるとみるのが良い。

 上記の文章には多くの問題がある。
 一つは 「そこまで考える必要はない」 と断言している事である。もちろん、その理由は以下に述べているのだが、普通は 「何何だから、こうなる」 と言う論理の展開をする。 「何何だから、そこまで考える必要はない」 と言うような展開になる。それを、そうした原則を外して、まず先に断言してしまう。だから、その理由の追究はいい加減に終わる。
 第二に、確かに 「王」 は 「オオキミ」 と読まれている。そして我々はそうした人の名前を知っている。例えば最も有名なのは 「額田王」 だろう。けれども 「長屋王」 とか 「鏡王」 など 「おう」 と読まれる人々も含めて、 「王」 は「 大王」 つまりは後の天皇ではない。 「大王」 と 「王」 は違う。重要な身分上の違いを一緒くたにしては学問は成り立たない。
 第三に、関東の鉄剣の多くが大和からもたらされたとしても、この剣がそうである確証は無い。 「多くが」 なのだから、 「少なくは」 そうではない可能性は非常に高い。
 第四に、稲荷山古墳の 「乎獲居」 が大和朝廷の大王に従った、との証拠はどこにも無い。それは単に学者がそうだろうと推定しているだけに過ぎない。問題の鉄剣は 「ワカタキロ」 としか読めない銘文を、無理に 「ワカタケル」 と読んで、 「オオハツセワカタケ」 の名前である雄略天皇に当てはめているのである。雄略天皇は 「ワカタケル」 などと呼ばれた事は一度たりとも無いのにである。しかも百歩譲っても、 「ワカタケル」 と「 オオハツセワカタケ」 は同一人物にはならない。これは人にとって最も重要な個人の識別名称なのである。同じだと言うなら、古代史はめちゃくちゃになる。
 この第四の理屈が最も危険である。

 普通に常識で考えれば成り立たない理屈を持ち出して稲荷山古墳の鉄剣の持ち主が雄略天皇に従った豪族だ、と決め付けてしまう。そしてこの理屈は更に乱暴に暴れ始める。熊本県の古墳から出土した鉄剣はその銘文から、反正天皇が下賜したと結論付けている。 「蝮□□□歯大王 」と読める銘文で、 「蝮=タヂヒ」 「歯=ハ」 だから、これは 「タヂヒミヤミズハ」 大王だと言うのである。しかし 「歯」 は実は 「鹵」 であって、これは 「ロ」 としか読めないらしい。それを 「ミズハ」 としたいがために無理を承知で「 歯」 と読んでいたのである。
 しかも3文字は完全に読めないのである。5文字の内、わずか1文字だけで 「タヂヒミヤミズハ」 が成立して反正天皇になってしまう。どこかの検察よりもずっと恐ろしいでっち上げである。
 更には、稲荷山古墳の鉄剣の銘文の 「獲加多支鹵」 は 「ワカタキロ」 としか読めないと言いながら、 「ワカタケル」 と無理に読んで、 「蝮□□□歯」 の 「蝮」 を 「獲」 に直し、 「歯」 を元の 「鹵」 に戻して、今度は 「雄略天皇」 だと言うのである。読めない3文字を、以前は 「宮彌都 (みやみず) 」と推定していたのを、今度は 「加多支」 を嵌め込んでいる。
 本当にこんな無理が通れば、黒は白になる。
 都を遠く離れた東西から雄略天皇の名前のある鉄剣が出土したから、雄略天皇は日本列島を広く治めていたのだ、との理屈が生まれてしまうのである。

 こうした馬鹿馬鹿しい理屈が大手を振って通っているのには、もちろんはっきりとした理由がある。大和朝廷が日本全国を統治していたのだ、と思い込んでいるのである。だから何とかして天皇 (当時は大王) の名前に結び付けたいと必死の、それこそなりふり構わずのみっともない理屈を振りかざすのである。
 そんな、小学生にも分かるような屁理屈をこねないで、素直にそのまま銘文を読んだらどうなのか、と思う。自分達の知らない名前の大王が、あるいは銘文が欠けていて読めない大王が埼玉県や熊本県に居て、配下の豪族に剣を下賜したと考えれば良いのである。素直ですっきりとした解釈になる。そこから、新たな古代史の視点が開けるはずである。

 一つの妄想が更に妄想を生み、でも、最初の妄想が妄想ではないと勝手に決め付けているから、次々と妄想は 「真実」 になってしまう。こうした学者の体質は枚挙にいとまが無い。
 『古代日本七つの謎』 に、天皇陵の話がある。

 中尾山古墳も 『大和志』 が文武陵に擬していたものであり、火葬墓と考えられるその内部構造も、文武を火葬したとする 『続日本紀』 の記載と一致し、文武陵の可能性が大きい。

 火葬墓と考えられるその内部構造が 『続日本紀』 の記事と一致していると言う。歴史書に内部構造が書かれている例を私はあまり見ていないが、それは私が無知なだけだから、 『続日本紀』 の文武天皇の巻を読んでみた。

 慶雲4年 (707) 6月15日、天皇が崩御した。遺詔して哀悼の声を発する拳哀の儀礼は三日間、喪服を着けるのは一ヶ月とした。親王や官吏に殯宮での行事に仕えさせ、拳哀と喪服の着用は、もっぱら遺詔のとおり行わせた。初七日から七七日まで、大官・薬師・元興・弘福の四大寺で斎会を行わせるようにした。
 10月3日、親王や官吏達を御竃を造る司に任じ、別の官吏達を山陵を造る司に任じ、王と官吏を喪儀の装束を調える司に任じた。
 11月12日、飛鳥の岡で火葬した。
 11月20日、檜隈の安古の山陵に葬り申し上げた。

 以上、儀式の事はかなり細かく書かれているのに、山陵の事は上の事だけである。つまり、 「火葬墓と考えられるその内部構造」 は 「文武を火葬したとする 『続日本紀』 の記載」 には無い。崩御以前の記事は読んでいないが、崩御の前に山陵の事を書くだろうか。
 古墳の内部構造が一致していると言われれば、従わざるを得ない。ところが、とんでもない。 「文武天皇を火葬して山陵に葬った」 と 「山陵は火葬した遺骨を納めてあった」 が一致しているだけなのである。これを普通はペテン師と呼ぶ。

 古墳に関してはまだある。上記の本に次のようにある。文章は長いのを分かり易く短くまとめてある。

 7世紀中葉から8世紀初めにかけて、大王墓として、近畿地方に八角形の平面を持つ八角墳が出現する。そして墓が特定出来ない天皇が何人か居る。それらの古墳のほかにはその地域には7世紀の大王陵と考えられるような古墳は見られないところから、天皇陵である蓋然性はきわめて大きい。このことは、7世紀中葉以降、即位した大王にのみ固有の墓、すなわち 「陵」 として、八角墳が創出されたことを示すものであり、また逆に、これらの八角墳が7世紀中葉以降の各天皇陵にほかならないことを傍証するものといえよう。

 八角墳を天皇陵だと推定するのは良い。○○天皇の墓として名前は分かっているのだが、場所が特定出来ない。でもそうした八角墳をそれに当てなければ、ほかには天皇陵に該当する物が無い。だからこの理屈は通る。しかし、八角墳以外を天皇陵にした可能性は皆無なのか、との疑問はある。更には、天皇陵以外に八角墳にした人物は居ないのか、との疑問もある。歴史的にはこれしか無いからと考えるのだろうが、我々の知らない歴史上の事実が無いと断言は出来ない。 「また逆に」 の論理が納得行かない。

 ある学者は 『日本書紀』 の理解不能な記事と、ある別の事柄を、ほんのわずかな類似点を使って強引に結び付けて、その理解不能な箇所はこのように解釈するのだ、と勝手に決め付ける。そしてその記事を今度は別の事柄の証拠として使う。そして、こうした事から、 『日本書紀』 の今まで読めなかった部分が読めるようになる、と断言している。
 『日本書紀』 には色々と不可解な事がある。それなのに、それを元にして古代史を読み解き、その読み解きを事実だとする事で、今度は 『日本書紀』 の別の不可解な部分を解明出来るのだ、と言うのである。
 本当にどうしたらこんないい加減な考え方が出来るのか、非常に不思議だ。分かり易く言うなら、これでは冤罪は絶対に無くならない。 

テレビの字幕を作るなら、日本語くらい勉強せよ

2011年01月23日 | 言葉
 日曜日の朝の娯楽番組で、あわびを獲る漁師が登場した。一日の収穫は 「2~300」 とあった。さて、これを何と読むか。
 番組は当然に 「二三百」 のはずである。しかしこの表記を真面目に読むなら、「2から300」 としか読めない。これを 「二三百」 と読めと言うのは無理な話である。この 「二三百」 にしても、今は普通は 「二、三百」 と書く。
 まずはこの 「二三百」 から考えよう。これは日本語の数字の表記と密接に関係がある。日本語では 「10」 の位から単位語が決まっている。英語などの11から19などとは違う。十、百、千、万などと漢字でその単位が書ける。従って、「200」 なら 「二百」 に、 「300」 なら 「三百」 になる。もちろん、これを洋数字表記にして、 「2百」 「3百」 とも書ける。
 だから「 にさんびゃく」 と言う場合は 「にさん」 は「 百」 と言う単位語を前提にしている。それで 「二三百」 と書く事が可能になる。これは絶対に 「2千3百」 ではない。けれども、単位語を抜いて数字を表記する事が行われて、 「二十三」 を 「二三」 と書くようになってしまったから、 「二三」 ではどちらだか分からない。そうした実情があって、 「二三十 」はそのままでは 「二百三十」 と読まれてしまう恐れがあると言うので、 「二、三十」 と書くようになったのである。考えてみれば馬鹿な話である。
 このように、数字の表記に単位語を書かない風習が広まったが、それでも言い方は 「にさんびゃく」 と、はっきりと単位語の 「ひゃく 」などを意識した言い方をしている。これは 「二三百 」としか掛けない。もちろん、今風の 「二、三百」 でも構わない。これを 「2、300」 とは書けないのは誰にだって分かる。しかしそれをしてしまうのが、冒頭に挙げた 「2~300」 の表記になる。これは単に 「、」 を 「~」 に変えただけに過ぎない。

 こうした弊害が概数にも及んでいる。普通に 「にせん」 とか 「さんぜん」 とか言う場合、それは明確に 「二千」 や 「三千」 の事である。これと 「2000」 「3000」 が違うのは、確か小学校の上級で習ったのではなかっただろうか。 「二千」 は 「2千」 でも良いが、こうした表記は 「千」 を単位とした数ですよ、との表示である。だから 「二千人収容の会場」 とは、 「約2千人」 なのであって、「 きっちり2千人」 なのではない。だからこれを 「2000人収容」 とは書けない。しかし現在では新聞でさえそう書いて平然としている。
 「三千メートル級の山々」 は絶対に 「3000メートル級」 とは出来ない。 「級」 とは 「概数ですよ」 との意味なのだから、そこに一位の数字も0ですよ、との表記である 「3000」 は使えない。
 もちろん、 「5000円」 の品物を 「5千円」 と書いたからと言って、 「約5千円」 などにはならない。物の値段と山の標高では数字の表す性格が違う。そうした事を全く無視してしまうから、おかしくなる。数の表記だからと言って馬鹿にしてはいけない。こうした小さな積み重ねが大切なのである。それを守らないから、日本語はどんどんいい加減な言葉になってしまうのである。

新聞記事の間違いは文章を訂正すれば済む問題か

2011年01月21日 | 言葉
 今日の東京新聞の朝刊を読んでいて、小さな訂正記事で私はびっくりしましたねえ。訂正記事は次の通り。

 日航元機長らの会見記事で、原告団長の山口宏弥さんの発言に 「いずれ大事故に結び付く」 とあるのは、「今後、さまざまな問題が発生する」 の誤りでした。

 言葉の間違いではないし、外国語を翻訳した間違いでもない。どのような話し方をしたのかは知らないが、「今後」 が 「いずれ」 になるのは分かるとしても、「さまざまな問題が発生する」 と 「大事故に結び付く」 はまるで違うじゃないか。こんないい加減な間違いがあり得るものか。
 そこできのうの新聞を引っ張り出して来て読みましたよ。
 話の顛末は、昨年末に整理解雇されたパイロット達146人が、解雇は無効だとして東京地方裁判所に提訴して、その原告達の会見である。「裁判を通じて経営破綻の原因を突き止めたい」 と言う。見出しは 「再生 協力したのに」 である。これだけで言いたい事は十分分かる。団体交渉で破産管財人は 「破綻の原因は社員にあった」 と言ったと言う。原告達は、「労組は投資事業の拡大や放漫経営について再三指摘したが、経営陣は改めず、破綻に至った」 と経営サイドを批判している。
 こうした記事の最後に問題の発言が書かれている。

 機長で原告団長の山口宏弥さんは、日航の人員削減計画について 「いずれ大事故に結び付く」 と批判。 「安全と公共性を守るため146人は立ち上がった」 と訴えた。

 上の文章を訂正文の通りに訂正してみる。

 機長で原告団長の山口宏弥さんは、日航の人員削減計画について 「今後、さまざまな問題が発生する」 と批判。「安全と公共性を守るため146人は立ち上がった」 と訴えた。

 「安全と公共性を守るために立ち上がった」 の、特に「 安全を守る」 と 「大事故に結び付く」 は密接に関連する。我々は、そうか、社員を減らす事は安全に問題があるのか、と納得する。しかし本当はそうではなかったと言うのだ。「さまざまな問題が発生するから、安全と公共性を守るために立ち上がった」 のだと言う事になってしまう。でもそれではあまり説得力が無い。
 つまり、原告団長の発言はすっかり色あせてしまう。
 この記事に関して、私が思っている問題は幾つもある。
 一つは、上に述べたように、記事を訂正してみると、何のこっちゃ、と言いたい、内容のよく分からない記事になってしまう。団長の発言は意味を持たないし、と言う事は、記事の結びその物も意味を持たなくなる。単に文章を訂正しただけでは終わらない重大な結果となる。
 一つは、何でこんな考えられないような間違いが発生しているのか。これは普通によくある記事の訂正とはまるで性格が違う。団長の発言内容その物にまで疑問を感じてしまうような間違いなのだ。
 百歩譲って、こうした間違いが生じたのは無理の無い事だったとしよう。それでも、これは原告団長から抗議があったりして間違いに気付いたに違いない。もしもそうした事が無かったら、この記事は大手を振って通っている訳だ。そうなると、同紙の記事にはこうした間違いがしょっちゅうあるのかも知れない、それが単に間違いだと指摘されていなだけに過ぎないのだ、と思うのは不思議ではない。

 東京新聞は訂正記事で済むと思っているらしいが、これはそんな簡単な事ではない。新聞社の信用を揺るがす大問題だと私は思う。まあ、新聞がどこまで真実を書いているかとの重要な問題があるから、それを考えればこれは小さな事かも知れない。しかし、小さいけれども、新聞の真実とはこうした物なんだよ、と教えてくれる証拠の一つにもなる。
 こんな事を書いていると、どこからか、新聞を信じている方がおかしいんだよ、との声が聞こえて来そうだが、それでおしまいではどうしようもないとも思うので、それに購読料も払って読んでいるのだから、言ってみてもしようがないとは思いながら、書いている。 
 

JR東日本の新幹線ストップは処理能力の超過

2011年01月20日 | 社会問題
 システムは15年前の物だった。当時としては最先端の能力を持ったシステムだったのだろう。だから十分に余裕はあった。でも、15年と言う年月がどれほどの技術の進歩をもたらしているかを考えようとしなかった。技術の面だけではない。列車の本数が4割も増えている。半分近くも増えているのに、それに対しての認識が甘かった。
 東京新聞の記事の 「解説」 は、「新幹線の頭脳ともいえる運行管理システムの処理能力の不足、システム改善を先送りしてきた同社の経営判断、そしてシステム担当者と現場の意思疎通の不足。それらが重なって起きた」 と書いている。
 でも、これって、何かが起きるといつもそうなのではないか。特に 「システム改善を先送りにしてきた」 のが根本的な原因のはずである。それは今に始まった事ではない。あのJR西日本の尼崎脱線事故の時も、安全運行を先送りにしてきた結果の事故だった。その事は天下の知る所となった。何しろ、安全運行は鉄道の管理部門にはなく、経営部門の管轄だったのである。経営、つまりは利益が先行するから、安全面などはどうしたって先送りになる。
 そして、その事はJR西日本に限っては全国で初めて、鉄道の管理部門に移した事で一歩前進したのだが、当時の新聞によれば、それはあくまでもJR西日本一社だけの事だった。その後、他のJR各社がどのように対処しているかは分からない。
 しかし、このJR東日本の基本的態度を見る限りでは、基本的なシステムさえ先送りなのだから、ましてや安全面などとても信用が置けない。

 それにしても不思議だ。システムの処理能力は急激に超過に陥ったのだろうか。運行本数は徐々に増えている。だから処理能力もそれに従って加重になっているはずではないのか。我々のパソンコはそうだ。データやソフトが増えて行くに従って、徐々に処理能力が遅くなる。だから毎日使っていれば嫌でも気が付く。そこでメモリーを増やしたり、ハードディスクをより高性能の物に取り替えたり、最も重要なCPUを更に高機能の物に取り替えたりと、色々と考えている。
 更には万一の事を考えて、私はウインドウズとマックの二種を使っているが、それぞれ予備機を持っている。ほとんど利益を生まない仕事に使っているのに、そうした防備をしていると言うのに、利益追求を主な目的としているJRが全くの無防備とは驚く。莫大な利益を挙げているのだから、システムの構築にもっとカネを掛けるべきなのである。
 公共事業は、ほとんど利益が無くても構わないとさえ私は思っている。いつも言う事だが、利益はその事業が支障無く前進する程度で良い、と思っている。余った利益は設備の改善にどんどん使ったら良い。もちろん、利用料金の値下げもそこに入る。大体、利益が有り余ると言うのが納得出来ない。
 JRは元々は国民の税金で出来ている。それを民間会社にして利益を生むと言うのなら、その利益の大半は国民の物ではないのか。

 どこでも誰でも同じだと思うが、みなさん、仕事に熱心になると、自分の仕事の事しか見えなくなる。自分の仕事が社会の中でどのような位置を占め、どのように社会の役に立っているのかを考えようとしなくなる。それが「解説」も言う「意思疎通の不足」の原因にもなる。
 自分の仕事の事だけを考えると言うのも大切な事だ。と言うよりも、我々には普通は自分の仕事の事で精一杯である。だからこそ、全体を見通せる立場の人間が必要なのだ。それが企業の経営者ではないのか。その経営者が、今度は自分のその 「経営」 の仕事に全力を尽くしていない。
 ホント、経営者って一体何なのですか。町の小さな工場の経営者の方が、技術も理念ももっとずっと立派で、だから世界で最も有名な会社にもなっているのである。

ウサギはなぜ一羽、二羽と数えるのか

2011年01月18日 | 言葉
 何かの本でウサギの長い耳を鳥の羽に擬して一羽、二羽と数えると読んだ覚えがある。そして私は深く考えもせずに、あまり納得はしないが、まあいいか、などと気楽に考えていた。ところが、今日の東京新聞の投書欄に90歳の男性が、何かで知った知識だが、鳥だと言って食用にしたからだ、と書いている。
 これは納得が出来る。日本人は昔は一般には獣は食べなかった。いや、仏の教えで食べられなかった。そこでウサギを鳥だと言って食べたのだと言う。
 考えてみれば、ウサギの耳が鳥の羽に似ているなどと本当に思うだろうか、と疑問に思うのが当然である。似ていると思う方がおかしい。食べると言う本能的な要求から 「これはウサギじゃない。鳥なんだ」 と言って食べたと言うのはおかしくはない。私自身は牛肉も豚肉も食べるくせに、自分が殺して食べろ、と言われたら食べられない。ましてやウサギなど、とんでもない。
 昔、苦しい生活の中で庶民がウサギを貴重なタンパク源とした気持はよく分かる。鳥だと言って食べたのは、仏教の教えだけではなかったはずだ。獣よりも鳥の方が抵抗感が少なかったのだと思う。
 でも、仏の教えだ、と言うのもまた変な話だ。仏性は生きとし生ける物すべてに存在する。抵抗感の少なさと仏の教えは違う。だから 「御免なさいね。私が生きるためにあなたの命をもらいますよ」 と謝り、感謝して食べたに違いない。そして、それは肉食に限らず、すべての事に今もなお通用しているはずである。

 5冊の国語辞典で「うさぎ」を引いたら、1冊だけに数え方が書かれていた。

 鳥に擬して 「一羽…」 と数える慣用があるが、今は 「一匹…」 が普通。

 残念ながらなぜ鳥に擬するのかは書いてない。大型の1冊は写真も入っていて説明も詳しいが、数え方については無言。
 「一羽」 の数え方には、ふーん、と感心する所はあるが、今となってはあまりにも古い。上の辞書の言うように 「一匹」 が普通で良いと思う。ただ、こうした数え方が残っている事で、何でウサギが鳥と同じなのか、との疑問が湧き、様々な事を考える事に繋がる。日本人の文化としては、「一羽」の数え方を残して置きたいとも思う。

 先に命ある物の命をもらって食べるのだ、と書いた。それは「頂きます」と言う食事の前の挨拶にきちんと残っている。「食べる・飲む」の丁寧語だ、などととんでもない事を国語辞典は言っているが、以前にも書いたが、これはれっきとした謙譲語のはずである。誰から頂戴するのか。それは仏様、神様から 「頂く」 のである。 「頂きます」 の食前の挨拶が丁寧語だなどとの考えからは、本当の日本文化は分からないと思う。

「なぎ倒す」 ってどのような事?

2011年01月16日 | 言葉
 日本列島が大雪に見舞われて、あちこちで被害が出ている。今朝のテレビ朝日では石川県金沢市で大雪で根元から倒れた樹木を映して、アナウンサーが 「木がなぎ倒された」 と言っていた。えっ? 「なぎ倒す」 ってこうした事か? と疑問に思った。
 と言うのは、「なぎ」 は 「なぎなた」 の事だと思っていたからだ。つまり、なぎなたを横に払って切るようにして倒す事を 「なぎ倒す」 と言う。映像で見た樹木はそんな風には見えない。雪の重さに絶えかねてメリメリッと折れたのだろうから、最初は少しずつ、そして徐々に加速して、最後にはドサッと倒れたに違いない。従って、その折れた部分はギザギザで複雑な形をしている。
 辞書で 「なぎ倒す」 を調べた。

・薙(ぎ)倒す=横に打ち払って倒す。相手を勢いよく打ち負かす。「強豪をなぎ倒す」
・薙(ぎ)倒す=大きな草などを、横に払って倒す。「たたくたびに杖の先がすすきを薙ぎ倒す」
・薙倒す=刃物をよこにはらって、切りたおす。「雑草を薙倒す」。大ぜいの敵をうち負かす。
・薙ぎ倒す=勢いよく横にはらって倒す。「台風で薙ぎ倒された稲」。大勢の相手を勢いよく打ち負かす。

 四冊の小型辞書はほとんど同じ見解である。原義は 「刃物を横に払って切り倒す」 である。「なぎなた」 は 「長刀」 「薙刀」 と書かれるが、物を 「なぐ」 からの命名である。「なぐ=横ざまに払って切る」。
 それぞれの辞書の用例で 「薙ぎ倒す」 対象は、「すすき」 「雑草」 「稲」 で、樹木は無い。樹木は刃物を横に払っても切り倒せない。「強豪」 とか 「大勢の敵 」に対しても使うのは、「勢い良く倒す」 事からである。

 またまた重箱の隅をつついている、と言われるのは覚悟の上。「薙ぐ」 との言い方から 「薙刀」 の名前が生まれた訳だが、「薙ぐ」 の言い方がされなくなっても、「薙刀」 は残っている。だから 「薙ぎ倒す」 の意味も 「薙刀」 を通じて分かるはずである。
 倒れた樹木を見て、我々が「 木が薙ぎ倒されている」 と言うのは許されても、プロであるアナウンサーが言っては駄目だろう。アナウンサーとは元々はその言葉通りに 「アナウンス」 をする人である。だから発音がはっきりしていて、標準語が話せる事が必須だった。今では原稿を読むだけでなはく、外に飛び出して行って取材もする。だから物を見る目もしっかりしていなければならない。特別に 「アナウンサー」 と 「リポーター」 に分ける必要は無いはずだ。
 だから、カメラに向かって報告をする人は、正確に物事を見て、はっきりと正確に伝える必要がある。それが出来て初めてプロである。聞く所によると、民放の社員の給料は非常に高いそうだ。もちろん、その給料は我々が払う訳ではないが、我々が払う商品の価格の中から、CM料金として民放各局に支払われている。
 そこまで考えずとも、自分の仕事を考えたら、もっと言葉に敏感であるべきではないだろうか。物事をいくら正確に見ても、それを正確に伝える技術が伴わなければ、情報はいい加減にもなってしまう。そう言う私とて、そんなに言葉が正確ではない。だが、敏感ではある。だからこのように疑問に思うたびに辞書に当たり、色々と調べている。
 言うまでも無く、我々は言葉で考えている。その言葉が不確かなら、考えた結果も不確かに終わる。
 テレビ朝日の先輩社員は、あの放送のあの表現を聞いて、多分、そのアナウンサーに 「君、ああした場合に、薙ぎ倒す、は不適切だよ」 と言って、正しい言い方を教えているに違いない、と思っている。正しい言い方は何かって?
 さあ、私も知らない。でも 「薙ぎ倒す」 ではなく、「雪の重みで根元から折れている」などと言う。

犬と私は親子なのか仲間なのか

2011年01月14日 | ペット
 私が居ない時、犬はとても静かなのだ、と言う。だが、私が家に入ると途端に騒ぎ出すのだそうだ。勤めから帰って来た時、誰も迎えてくれないのに、犬だけは大喜びで迎えてくれると言うのが相場らしいから、私の場合もそれなのだろう。しかし我が愛犬の場合は度が過ぎている。
 家に入って、まずは鞄を置き、鍵や定期や腕時計などをしまい、コートなどを脱ぎ、などをしている間にも、早く挨拶をしろ、とうるさくせっつく。分かったよ、ちょっと待ってくれよ、などと声を掛けながらそうした事をしているのだが、一向に収まらない。それにトイレにも行きたい。本当は玄関を入るなり、すぐに抱き上げたりすれば良いのだろうが、コートに毛が付くのが煩わしい。特に毛の付き易く取れにくい材質のコートなのである。
 食事の前に風呂に入ろうかと眼鏡を外せば、ワンワンワンと大興奮して風呂場に走って行く。息子が、うるさいから、抱いて行けば静かになるよ、と言うのだが、すぐに走り出しているんだから、とても追っ付かない。それに洗面所には家内が行こうが息子が行こうが知らん顔をしているのに、私の場合だけ騒ぐのである。別に私と一緒に風呂に入る訳ではない。子犬だった時には一緒に入っていた。風呂場の椅子はちょっと大きめで、その後ろにちょこんと座る。だから私は前半分にやはりちょこんと座って体を洗う。湯を掛ける時にも犬にあまり掛からないように、遠慮して掛ける。
 で、いつの間にか一緒には入らなくなった。その代わり、私が洗面所でひげをそったりしていると、風呂場に入れろ、とうるさく催促する。仕方がないからドアの鍵を外してやると、風呂場に入ってドアを閉めて、ドアをガリガリ引っ掻いて騒ぐのが定番となってしまった。うるさいからドアを開けると出て来て、すぐにまた中に入り、中からドアをバタン。それでまたまたガリガリ。何が面白いのか、その繰り返しなのである。ドアを閉めておけば、開けろとうるさい。
 それで今では洗面所に居る時には犬を洗面台の上に乗せてしまう。不思議な事に、それでおとなしくなる。

 最初にきつく叱らなかったのがいけないのだ、と今更言われても後の祭り。それに、やるのは私の場合だけなのだから、しつけのしそこないとばかりも言えないと思う。で、私を親だと思って甘えているのか、それとも仲間だと思ってやりたい放題なのか、と考えてしまうのである。家内は、もちろん、仲間よ、と突き放す。いや、そうじゃないよ、と私は反論する。この犬はね、自分が我々と同じ人間だと思ってるんだ。だから仲間なら、みんなも同じ仲間になる、と。
 じゃあ、母親だと思ってるのよ、と家内。いいよいいよ。どうせ私は甲斐性がないさ。一家の主人にはふさわしくないんだから、母親で結構さ。うん、本当に犬は私を父親ではなく、母親だと思っているようだ。朝だって、家内はとっくに起きているのに、私が寝ている間は犬も私のそばで寝ている。仕事場に行けば付いて来るし、ベランダに出れば、やっぱり付いて出る。
 あんまりそばにいるもんだから、時々、ついうっかりと踏んでしまう。すると猛烈に怒る。キャイン、痛いじゃないか、気を付けてよ、と言うなら可愛らしいが、鼻にしわをよせて、猛烈に抗議をする。この野郎、気を付けろ、俺が居るじゃないか。
 本当にもの凄い剣幕なのである。ごめん、ごめん、と撫でたり抱いたりして謝るのだが、どうしてどうして、許してはくれない。怒るのは誰に対しても同じである。冗談で、お前なんかダイッ嫌いだ、などと言おうものなら、誰が言っても途端に怒り出す。こうなると、親子関係ではない。仲間意識である。
 うーん、やっぱりどこかで間違えたのだ。犬はボスに従う習性があるから、人間を、我が家では三人だが、我々の誰をもボスと思わせて置かなくてはいけなかった。三つ子の魂百までも、と言うから、この我が儘で、でも馬鹿ではないこの犬とこれからも丁々発止とやって行く事になる。
 どうも私は犬に教えられる所が多分にあるらしい。