マスコミがJALの再建がまだ出来ていないと報道した事に対して、私はなぜ今になっても出来ていないんだ、と疑問を呈した。それに対して流蛍さんが、そう考えるのはマスコミに騙されているのだ、と教えてくれた。我々には分からない事が一杯ある。JALを食い物にしていた奴らが居る。
そうしたら、今日、空港整備会計を見直す、との国交相の見解が発表された。地方空港を造り続け、そこにJALを飛ばせ、と命令する。その地方空港は乗客が少ない。当然JALは赤字になる。
つまり、空港を造る事によって多くの利権が発生している。ゼネコンは仕事になる。そうやって利益の上がらない空港を造って金儲けをして、その尻拭いをJALにさせていた。これじゃあ、JALが赤字になるのは当たり前だ。それを見直すのだと言う。
でも不思議だ。今日の東京新聞は次のように書いている。
国交相は「特別会計で採算が合わない空港をつくり続け、日航などに飛ばせと政治家や役所が押しつけてきたことが、経営の悪化の要因となっている」と述べ、空港整備にかかわる国の特別会計を見直す考えを明らかにした。
私は2年前は東京新聞を取っていなかったから分からないが、他の新聞はJALはリストラが足りないのだ、と書いていた。空港整備の問題点なんか微塵も無かった。そうそう、東京新聞だって、JALの再建が出来ていないと今月報道した時点では、こうした問題など天から考えていなかった。
つまりマスコミは何ら定見を持っていない。単にその場その場で考えているに過ぎない。利権が闊歩していても、世間にそれが漏れない限りは知らん顔を決め込む。そして大臣がそこには利権があったのだ、と発表すれば、それに跳び付く。
我々が様々なニュースをその時その時で処理していれば、こうした構図と全く同じになる。しかし同じ事を何年にも渡って追い続けていれば、真実が分かって来る。2年前にJALの再建問題がニュースになり、2年経った今日、いまだに解決出来ていない事が分かっても、私のように不審にしか思えない人間が居ても不思議ではない。しかし地方空港を造り続けて来た事が赤字路線の要因だ、と明確に言われれば、私だって因果関係が分かると言うものだ。
裏の裏まで読むのはかなり難しい。真実を伝えていると思われるマイナーな報道にしても、どこまでそれが信じられるかは難しい所がある。それを吟味するのはよほど裏の事情に通じている必要があるだろう。私にはそれが出来る自信は無い。しかし自分自身でそのニュースを追い掛け続けていれば、自分なりに分かって来る事がある。自分自身が考えて納得したのであれば、それはそれで良いのではないか、と思っている。
そうしたら、今日、空港整備会計を見直す、との国交相の見解が発表された。地方空港を造り続け、そこにJALを飛ばせ、と命令する。その地方空港は乗客が少ない。当然JALは赤字になる。
つまり、空港を造る事によって多くの利権が発生している。ゼネコンは仕事になる。そうやって利益の上がらない空港を造って金儲けをして、その尻拭いをJALにさせていた。これじゃあ、JALが赤字になるのは当たり前だ。それを見直すのだと言う。
でも不思議だ。今日の東京新聞は次のように書いている。
国交相は「特別会計で採算が合わない空港をつくり続け、日航などに飛ばせと政治家や役所が押しつけてきたことが、経営の悪化の要因となっている」と述べ、空港整備にかかわる国の特別会計を見直す考えを明らかにした。
私は2年前は東京新聞を取っていなかったから分からないが、他の新聞はJALはリストラが足りないのだ、と書いていた。空港整備の問題点なんか微塵も無かった。そうそう、東京新聞だって、JALの再建が出来ていないと今月報道した時点では、こうした問題など天から考えていなかった。
つまりマスコミは何ら定見を持っていない。単にその場その場で考えているに過ぎない。利権が闊歩していても、世間にそれが漏れない限りは知らん顔を決め込む。そして大臣がそこには利権があったのだ、と発表すれば、それに跳び付く。
我々が様々なニュースをその時その時で処理していれば、こうした構図と全く同じになる。しかし同じ事を何年にも渡って追い続けていれば、真実が分かって来る。2年前にJALの再建問題がニュースになり、2年経った今日、いまだに解決出来ていない事が分かっても、私のように不審にしか思えない人間が居ても不思議ではない。しかし地方空港を造り続けて来た事が赤字路線の要因だ、と明確に言われれば、私だって因果関係が分かると言うものだ。
裏の裏まで読むのはかなり難しい。真実を伝えていると思われるマイナーな報道にしても、どこまでそれが信じられるかは難しい所がある。それを吟味するのはよほど裏の事情に通じている必要があるだろう。私にはそれが出来る自信は無い。しかし自分自身でそのニュースを追い掛け続けていれば、自分なりに分かって来る事がある。自分自身が考えて納得したのであれば、それはそれで良いのではないか、と思っている。