夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

JALの再建問題が分かった

2009年09月28日 | 社会問題
 マスコミがJALの再建がまだ出来ていないと報道した事に対して、私はなぜ今になっても出来ていないんだ、と疑問を呈した。それに対して流蛍さんが、そう考えるのはマスコミに騙されているのだ、と教えてくれた。我々には分からない事が一杯ある。JALを食い物にしていた奴らが居る。
 そうしたら、今日、空港整備会計を見直す、との国交相の見解が発表された。地方空港を造り続け、そこにJALを飛ばせ、と命令する。その地方空港は乗客が少ない。当然JALは赤字になる。
 つまり、空港を造る事によって多くの利権が発生している。ゼネコンは仕事になる。そうやって利益の上がらない空港を造って金儲けをして、その尻拭いをJALにさせていた。これじゃあ、JALが赤字になるのは当たり前だ。それを見直すのだと言う。

 でも不思議だ。今日の東京新聞は次のように書いている。
 国交相は「特別会計で採算が合わない空港をつくり続け、日航などに飛ばせと政治家や役所が押しつけてきたことが、経営の悪化の要因となっている」と述べ、空港整備にかかわる国の特別会計を見直す考えを明らかにした。
 私は2年前は東京新聞を取っていなかったから分からないが、他の新聞はJALはリストラが足りないのだ、と書いていた。空港整備の問題点なんか微塵も無かった。そうそう、東京新聞だって、JALの再建が出来ていないと今月報道した時点では、こうした問題など天から考えていなかった。

 つまりマスコミは何ら定見を持っていない。単にその場その場で考えているに過ぎない。利権が闊歩していても、世間にそれが漏れない限りは知らん顔を決め込む。そして大臣がそこには利権があったのだ、と発表すれば、それに跳び付く。
 我々が様々なニュースをその時その時で処理していれば、こうした構図と全く同じになる。しかし同じ事を何年にも渡って追い続けていれば、真実が分かって来る。2年前にJALの再建問題がニュースになり、2年経った今日、いまだに解決出来ていない事が分かっても、私のように不審にしか思えない人間が居ても不思議ではない。しかし地方空港を造り続けて来た事が赤字路線の要因だ、と明確に言われれば、私だって因果関係が分かると言うものだ。

 裏の裏まで読むのはかなり難しい。真実を伝えていると思われるマイナーな報道にしても、どこまでそれが信じられるかは難しい所がある。それを吟味するのはよほど裏の事情に通じている必要があるだろう。私にはそれが出来る自信は無い。しかし自分自身でそのニュースを追い掛け続けていれば、自分なりに分かって来る事がある。自分自身が考えて納得したのであれば、それはそれで良いのではないか、と思っている。


JR西日本の経営者は芯から腐っている

2009年09月26日 | 社会問題
 私はあの福知山線の脱線事故からずっと、JR西日本の経営陣はおかしいと思っている。あれだけの事故を起こしながら、何の反省もしていない。大体、JR全体がおかしい。安全を守るのは鉄道の命なのに、それは鉄道部門には無くて、経営部門に任されていたのである。どのJRも同じだ。何しろ「安全投資」などと言う言葉があるのだ。それをJR西日本は事故を教訓にして、安全を守る仕事を鉄道部門に移した。それは事故後1年も経ってからである。それはJR全社で初めての事だと言う。それだけでも恐ろしい。
 そして首脳陣はずっと責任は西日本には無い、と言い続けて来た。事故調査委員会の発表に対しても、「無理なダイヤではなかった」と堂々と反論している(07年2月1日)。
 ATSの設置が出来ていなかった事は申し訳ないとは言うものの、国による設置の定めは無かったから、違法ではないとけつをまくった。更にはトラブルを起こした運転士に対する日勤教育も有益であって運転士には有用だ、と主張した。
 それだけ堂々と自分達には何の落ち度も無いと信じているのなら、何も事故調査委員会の報告を心配などする事は無い。堂々と対処すれば良いではないか。しかし前社長は「知りたい一念」で事前に調査報告を教えろと言った。

 何の事は無い。裁判所に犯罪人の仲間が居ただけの話である。私は事故調査委員会の調査にしてもおかしいと思っている。ダイヤの遅れを検証したって、何の役にも立たない。運転士の思いがどうだのこうだのと推定したって、それは推定に過ぎない。会社から強制された事が圧力になる、ならないは人によって違う。だからそんな事を言っても何にもならない。
 問題はわずか1分半の遅れをあの運転士が必死になって取り戻そうとしていた事実にしか無い。事故現場になったカーブは70キロの速度制限がされている。それをプロの彼は知っている。私はきちんと計算をして、その遅れを取り戻す事が困難である事を掴んでいる。そしてJR西日本のダイヤには無理があった事も時刻表で調べて分かっている。
 ただ、誰もがそうした事を言わないのがとても不思議なのだ。私のような素人でさえ分かる事が、なぜ専門家には分からないか。多分、分かっていて言わないだけだと思っている。それが今回のなあなあの環境で明確になった。下手な芝居をして我々を騙そうとしたのである。
 結局は一つ穴のむじななのである。一蓮托生。毒を食らわば皿までも、なのである。

 JRは国鉄時代もひどい企業だった。乗客よりは自分達の事しか考えていなかった。それが民営化して良くなったのかと思えば、とんでもない。ぬるま湯に浸かったような体質からは抜けられたが、今度は利益第一の体質に変わってしまった。単に金儲けのためにぬるま湯では駄目だ、と悟ったに過ぎない。
 不採算路線は遠慮会釈も無しに廃止するか、第三セクターにしてしまう。自分達は金儲けの出来る路線だけを持っていたい。
 こんな人的な企業に鉄道と言う公共施設を任せる訳には行かない。幸いな事には関西圏は私鉄が発達している。大阪、京都、奈良、神戸といった都心部は、言わば私鉄王国である。JR西日本なんか無くしたって困りはしない。JR西日本は私鉄の無い地方でだけ運営をしていれば良いのではないのか。少なくとも、大事故を起こして何の反省もしていないのだから、そう言うしか無いではないか。

電子部品を使うと壊れやすいのか

2009年09月25日 | 暮らし
 テレビが壊れた。電源は入るのだが、絵と音が出ない。すぐにスタンバイになるかそのままか、どちらにしても見られない。テレビは結構うるさいから、たまにはラジオもいいか、と携帯ラジオを持ち出したが、音が悪い。せっかくのFM放送なのに。テレビの音声も入るが、テレビは絵で勝負しているから、音だけ聞いたってちっとも面白くない。時には絵がまるで生きておらず、音だけの方がずっと素晴らしい番組もあるが。
 そしてあきらめずにそのままテレビを付けておくと、突然絵と音が出たりする。すぐに出る時もあれば、2時間経っても駄目な時もある。どうしても、と言うような番組は皆無だから、困りはしないが、テレビのある生活に慣れ切っているから、なんとなく寂しい。
 99年製なのにと言うと、息子はそんな古いの、と言うが、昔はもっとずっと長持ちしたもんだ。東京オリンピックの時のカラーテレビが今も使えるとの話を聞いて、それを息子に話したが、そんな話が通用するはずが無い。第一、東京オリンピックが分からない。私はこれでカラーテレビは3台目だ。と言うと、みなさん、えっ! よくそんなに持つねえ、と感心する。そんなに我が家は物持ちが良いのだろうか。確かに、電機洗濯機は結婚してからまだ2台目だし、冷蔵庫も2台目だ。これらも壊れたからではない。もっとも2台目の冷蔵庫は製品的な欠陥があったらしく、メーカーが新しい別の製品と交換してくれたから、3台目ではあるが。最初のテレビは色が悪くなって、二度目は大きいのに買い替えてで、壊れたからではない。しかし今度は完全に壊れている。
 今時は修理代がとても高いから、10年経っている事だし、ブラウン管だし、大型の液晶に買い替えよう、と言う事になった。でも、ほかになんにも悪くないのに、電源が入らないなんて。昔はこんな変な悪くなり方なんて無かったと思う。

 私は物持ちが良いから、今もベータのビデオデッキが健在である。レコードプレーヤーも健在。調べたら、ビデオデッキは1985年製。レコードプレーヤーは1981年製だ。仕事場で見ているテレビは1986年製だ。
 けれども、その後に買ったVHSのデッキは2台ともとっくの昔に壊れたし、最近買ったカラープリンターも壊れている。MOも3台ある内の2台が壊れている。ハードディスクを簡単に入れ替えられるJAZドライブも、Jipドライブも壊れている。
 最近の製品は性能が良く、価格は安く、軽く、とても使い勝手はいいのだが、とにかくかなり簡単に壊れてしまう。それだけ精密になっているのだろうとは思うが、素人が手を出せないから困る。昔は扇風機が回らなくなった、なんて言うと、工具を持ち出して直したりしたものだ。しかし現在では基板が駄目になるとかで、素人には手が出せない。それならそれでもっと丈夫な製品を作って欲しいと思うのだが、勝手な思いだろうか。

間違っていてもいい。とにかく考えよう。JALと八ツ場ダム

2009年09月24日 | 社会問題
 JALの再建問題で、我々には想像も付かない事が裏で起きているらしい事が分かった。すべてが金儲けにからんでいるから、加担している側はもちろん隠しておきたい。マスコミもまた加担しているなら、我々庶民は永久に餌食になっているしか無い。
 だが、どのように隠そうとしても隠しきれない事はある。よんどころなく、ポロッ、ポロッと出てしまう。完全犯罪は成り立たないのだ。我々が、あれっ、おかしいぞ、と思えるのはそうしたわずかの事しかないだろう。だからそれに食い付く。そして自分なりに考えてみる。
 それを誰かに話せば、その誰かが、自分よりもっと事情を知っていれば、知らなかった事を教えてもらえる。あるいは誰かの話を聞いてもいい。この場合に、自分が白紙状態では多分駄目だろうと思う。白紙ならどんなことでも貪欲に吸い込んでしまう。ある色に染まってしまったら、なかなか後戻りは出来ない。
 自分でまずは考える事で、白紙の状態に防染剤と言うか、簡単にはほかから染められてしまわない防御が出来る。

 群馬県の八ツ場ダムの問題などもそうした事柄だろう。我々は何も知らない。そして新聞もテレビも、現地の人々はダム建設推進派で、民主党政権は建設中止派だと言う事しか伝えない。そうした現地の人々の話を聞くと、もう何十年にも渡って建設で進んで来て、それなりに様々な苦労をして来たのだから、今更中止は出来ない、と口々に言っている。
 確かにそうした事情は分かる。そしてダム建設のそもそもの目的はカスリーン台風のような大きな台風が来ても水害に遭わないためだと言う。過去の大災害は繰り返したく無い。だがその目的はどうも達せられないらしい。それがいつ頃分かったのかは知らない。しかし現時点で当初のダム建設の目的は失われている。
 これをどのように捉えるのか。そうした場合に、外野の方がずっと真実を見る目を持っている。何も利害関係がないから、純粋に考えられる。マスコミも本当は外野の位置にある。ところが、報道しているのは圧倒的に現地の声ばかりである。既に外野の持ち場を放棄してしまっている。現地にぴったりと寄り添っている感じがある。
 つまり、我々の白紙を現地色で染め上げようとしている。これは危険だ。考えたって分かる。群馬県は代々の総理大臣を輩出して来た県だ。娘だと言う事だけで簡単に議員に当選してしまう。そうした所に何の利権も無い、などと言う事はあり得ない。
 知り合いに区会議員と接触する機会の多い人が居る。彼は身近にそうした議員や区長の姿を見ている。で、利権が渦を巻いているのをその目で見ている。我々の暮らしには関係の無さそうな所で利権が闊歩しているのである。ある議員の邸宅は地元では「利権御殿」と呼ばれているそうな。
 一見、何の変哲も無いような地域でさえ利権で動いている。八ツ場ダムのような、ダム本体だけではなく、周辺の様々な開発までも含む事業がどんなに大きな利権の巣窟になっているかは素人でも簡単に分かる。

 過去のいきさつに囚われるのが一番危険だと思う。柔軟な考えや心を失ってしまう。ちょうど要らなくなった物を捨てられないのと同じである。大金をはたいて買ったのだから、色々な事を犠牲にしてまで買ったのだから、とても捨てられないと思ってしまう。そうやって、要らない物に囲まれて家を狭くして暮らしている人が何と多い事か。
 かく言う私も、ある面でそうした暮らしをしているから、その馬鹿馬鹿しさがよく分かる。確かに、その要らなくなった物には持ち主の気持が入り込んでしまっている。だから簡単には捨てられない。それと同じ事が八ツ場ダムにはあると思う。
 ついでに一言。
 漢字の読み方は様々あるが、「ツ」と言う仮名を「ン」と読むとは知らなかった。

スーパーのレジで感心した

2009年09月22日 | 暮らし

 スーパーのレジで私は並んでいた。昼間なのでそれほど込んではいない。レジの半分は休止になっているが、行列は短い。行列が長くても、一人一人の籠の中に買った物が少なければ、回転は速い。短くても、大量に買い込んでいる人の後ろに付けば、延々と時間が掛かる。もっとも、レジの係員の能率にも大きく影響される。それと支払いにひどく時間の掛かる人が居る。なぜか財布の中からなかなかお金が出て来ないのである。お金が無いのではない。小銭を選ぶのに時間が掛かっているのだ。何でそんなに時間が掛かるのかと不思議に思うくらいにのろのろとしている。計算が出来ないのか。自分で選べなければ、レジの店員に財布の中身を見せて、取って下さい、と言えば、それこそ店員は素早く正確に必要な小銭を選び出してくれる。

 その日はそんな事は無かったが、休止していた隣のレジに店員が入った。思った通り、レジが開いた。多くの店では、レジの店員が無造作に「お待ちの方」と呼び掛ける。すると長い列の最後尾に付いていた人々がわっと群がる。同じお待ちでも、ずっと待っていた客ではなく、つい今しがた待ち始めた人々である。それはそうだ。列の中程に居る人が簡単に動ける訳が無い。
 そのたびに、私は何て不公平な事やるんだ、と怒りが込み上げる。フォーク並びが普及したのは不公平さが是正されるからだ。ところが、その日のレジは隣のレジの次に並んでいた人に「お次の方」と声を掛けたのである。幸い、それほどの列ではなかったから、隣のレジへの移動は割とスムーズに行った。私はその店員に「素晴らしいやり方ですね」と声を掛けた。
 言わずもがなかも知れないが、きちんと客は見ているんだ、とのアピールは大切だ。仕事が的確で速い人にはそれなりに言葉を掛ける事も大切だと思う。店と客とは単に物とカネを交換しているだけではない。
 客は店が良い品を安く取り揃えている事に感謝し、店は客が見る目を持っている事に感謝する。それが店と客との関係だ、と私は思っている。
 甘っちょろい、と言われてもひるまない。そうした関係にある店が繁盛しているのだと思っている。損して得取れ、と言うではないか。儲け心が見え見えになれば敬遠されてしまう。店も客も真剣勝負をしているのだ。

 笑うかも知れないが、私はよく行く4店のスーパーでは、それぞれにお気に入りのレジ係を持っている。ざっと見渡して、お気に入りの店員の居るレジに並ぶ。多少列が長くたって構わない。笑顔が良くて、仕事が的確で、速くて、そして親切なのである。同じ商品を10個買った人が居る場合、普通は一つのバーコードを読み取り、それに買った個数を掛ける。ところが、それを一つずつバーコードを読み取らせたレジが居る。自分の頭を使わず、機械にやらせるのだから確実で楽なのかも知れない。だが、それを見ている客の身にもなってくれ。
 こうしたレジは論外で、多くはバーコードを読み取った品物を籠に戻す、その戻し方が品物に対して優しい。レジ係が袋に詰めてくれるある小さなスーパーで、男子店員が軟らかいパンの上に重い砂糖を乗せた。品物に優しくないなら袋に詰めてなんかくれるな。自分でやる。
 別にきれいで若い女性に目を付けているのではない。青年でもおじさんでもおばさんでも、誰だっていいのだ。私がレジ係に描いている理想に近ければそれで良いのである。

日航の再建。まだそんな事言っているのか

2009年09月21日 | 社会問題
 日航つまりJALが再建に苦しんでいる。航空業界のグループを越えて、デルタ航空に提携を呼び掛けた。しかし再建はもっとずっと前から目指されていた。2年前の07年1月に既にJALの再建策が問題になっている。新聞の見出しには「リストラ〈不十分〉の声」とある。その記事には「JALは05~06年に相次いだ安全トラブルなどで、06年9月中間連結決算で航空事業が34億円の赤字となった。07年3月期は資産の切り売りなどで30億円の最終黒字を確保する見込みだが、安定的に黒字を出す体質にはほど遠い」とある。
 そこで、人員削減、不採算路線の廃止、子会社約15社の再編、などが盛り込まれ、数百億円のコスト減を目指した。
 しかし国交省はそれでは足りない、人員削減は5千~6千人は必要だ、との意見も出している。主力銀行からは「最後は国に頼るという意識があるなど、民営化以前の意識が抜けていない」と批判もされた。
 結局、2年半も経ってまだ、そのリストラが出来ていない事が明白となった。

 リストラでは機長職などの給与の引き下げが出来ない事も問題視されていた。一般職は簡単に解雇出来るし、給与も下げられるのに対して、機長は人材がいない事もあって、現状のままなのである。確かに、腕の悪い機長では困る。しかし、替えが無いからと、野放図な厚遇を与えていた事は無いのか。
 民営化した国鉄が大きな黒字を出しているのに、なぜ民営化したJALはそれが出来ないのか。そこには小学生も老人も乗らなければならない鉄道と、そうではない航空機の性格の違いがあるだろう。JRは客が一般庶民だから真剣になれた、と言うか、それだから、簡単に金儲けが出来た。しかしJALはそれが出来なかった。それだけの違いだろうと私は思っている。
 以前の事を覚えていない人にとっては、そうかJALが経営が苦しいのか、で済んでしまうが、マスコミはそうであってはならない。なぜ2年以上も前からの問題がいまだに解決出来ていないのかをきちんと追及すべきである。

 大体、公共の交通機関などを民営化するのがおかしい、と私は思っている。庶民の足なんだから、それは当然に国が守って当然ではないか。民営化などするから、不採算路線だからと言って、安易に廃止してしまう事が出来ている。庶民の足に採算などは無関係なのである。健康の面で靴が重要である事は誰もが知っている。安かろう悪かろうでは駄目なのだ。生活が苦しいから裸足でいなさい、などとは誰もが思わない。
 それなのに、足である公共交通機関は、裸足になりなさい、靴は安全よりも見た目や対経済効果を重視しなさい、などと無責任に安易に言うのである。国民に必要な足は赤字でも、それは国が補助すべきである。国の政策とはそうした事ではないのか。

パソコンはやはり難しい。ソフトメーカーの対応について

2009年09月19日 | 文化
 おととい、PDFを添付したメールを何通か送った。PDFにすると容量がぐんと小さくなるから、カラー写真がたくさん入っていても、結構大量の文書が送れる。で、最初に30ページほどのPDFを送った。ところが、次に送ろうとすると、エラーになってしまう。「文書は配布出来ませんでした。容量が○MBオーバーしています」とメッセージが出る。それで半分に減らすが、それでもエラー。次に三分の一にする。それでも駄目。
 忙しい真っ最中だから、私は恐慌を来してしまった。そこでプロバイダーに電話した。お決まりのメッセーが流れ、指示に従った操作をしたが、マックには繋がらずウインドウズに繋がってしまう。それでも対応はしてくれた。それは良いのだが、まずはユーザーIDと名前を聞かれ、OSのバージョンを聞かれ、メールソフトの名前とバージョンを聞かれ、と延々と続く。こちらは勝手ながら、つい直前までは送れていた容量のメールが突然送れなくなった原因を知りたいだけである。急を要しているのである。勝手ではあるが。
 すると今度はメールの受信は出来ていますか、と来た。次から次へとメールを送っているのに受信なんかしている暇は無い。そして更に関係の無さそうな事を聞いて来る。こちらはいらいらし始めていて、もう結構です、と電話を切ってしまった。
 いつもそうなのだが、何か答えると「有り難うございます」とまず言って、実質的な話になる。こちらの名前を確認してもそうである。いちいちお礼を言う暇があったら、どんどん話を進めてくれ、と言いたくなる。すべてマニュアルに従ってやっているのだろう。下らないマニュアルだ。
 結局は私の考えが足りなかったのだが、きちんと送信出来ていたのである。「送信済み」の所を見れば、送った時間がきちんと出て、送れている事が判明する。エラーメッセージは一体なんだったのか、の疑問は残るが。

 何が言いたいのかと言うと、こうしたトラブルはしょっちゅうあるに違いない。年中質問を受けているのだから、彼等は様々な事を知っていて当然である。そうしたら、「エラーメッセージは出ていても、一度送信済みの所を確認して下さい」と言うような助言をしてくれても良いではないか、と思うのだ。
 考えてみれば、それはこちらのやるべき初歩的なチェックだろう。しかしこちらはパソコンの専門家じゃないんだから、そうした事に気が付かない。それを教えてくれるのがプロではないのか。
 実は同じような事が以前にもあった。ウインドウズで突然にインターネットに接続出来なくなった。その時は、やはりルーターのメーカーや製造番号まで聞かれ、USB接続なので、そのケーブルがおかしいのではないか、ケーブルを交換してみてくれとか様々なチェックをさせられた。2時間ほどあれこれと面倒を見てくれて、それでもとうとう解決が付かない。こちらには何の問題も無いのである。最後に「ウイルスセキュリティーを外せませんか」と言われた。それが最後の策で、それでも駄目ならお手上げらしかった。
 そして外したら、いとも簡単に復旧したのである。知人に聞いたら、やはり同様の経験をしていると言う。つまり、そうした事は結構頻繁に起こっている。だから、色々とチェックして駄目だと分かった初めの頃の段階で、ウイルスセキュリティーを、との話になっても当然ではないか、と思う。彼等はプロなのだ。

 両方の件ともに、初歩的なチェックだろうと思う。だから、彼等がどんなに人が代わっても、同じような対応しかしてくれないのは、きちんとした技術を持っている社員ではなく、電話での質問専門に配置されている、それこそマニュアル通りにしか対応出来ないような社員ではないのか、と疑ってしまう。
 私が使っているあるDTPソフトの会社の対応は全く違う。困っているから相談しているのだから、それ相応にきびきびと現状に即した対応をしてくれる。それで短時間でほとんどの事が解決が付いている。だから先方も一人の質問に時間を取られずに済む。
 DTPでの質問が専門的なのは分かる。同時にインターネットに関する質問が初歩的であるのも分かる。だからそれなりの対応をしているのだろう。しかし例えばDTPでも、印刷にするとすぐにエラーになるとか、突然固まってしまうとか落ちてしまうとかの初歩的な障害はしょっちゅうある。その時に相談すると、「初期設定ファイルを捨てて下さい」のような初歩的な指示をしてくれる。そう、それでたいていの障害が解決する。
 つまり、何事も初歩的な操作が鍵を握っている事が多い。このプロバイダーのようなやり方をしていたら、何人人手があったって足りゃしないだろうと思う。今までは親切に対応してくれると言う点だけを評価して、素晴らしい、などと思っていたのだが、とんだ思い違いだったのかも知れない。

ファックス付き電話機を急遽買った

2009年09月17日 | 暮らし
 大型のコピーとファックス兼用のビジネス機を、相当長く使って来たので、リース契約を解除した。自動送りでのコピーに筋が入るのである。一度直してもらったのだが、また駄目になった。自動送りでコピーが出来ないのなら持っている意味が無い。大きいのが邪魔にもなっていた。で、次の機械を買う予定だったのだが、選定に迷いが出てしまってまだ買っていない。だからフッァクスとコピーが出来ない。まあコピーはほとんど取らないし、自分で作った印刷物のコピーなら、印刷時に複数取れば良い。ファックスはほとんど来ない。
 と思っていたら、急な校正の仕事が入って、宅急便で送れば良いかと考えていたら、それでは間に合わないと言う。コンビニでファックスが送れるから、費用は持ちますから、と言われたが、1枚50円で70枚以上送らなければならない。こちらの不都合で3500円も負担をかける訳には行かない。それに請求もしにくい。
 そうだ、先日リサイクルショップでファックスの付いた電話機を安く売っていた。で、急遽買った。B4まで送れるから当分は間に合う。現在の電話は子機が付いていないから、仕事場で電話が鳴ったら急遽駆け付けなければならない。そんなに広い家ではないから、たいていは留守電になったところで電話に出られるが、そのたびに走らなければならない。
 それが、子機付きだから走らずに済む。ファックス、コピー、プリンター、スキャナーの四つの機能が付いたカラーの機械を買う予定だから、そのうちファックスは要らなくなるのだが、急場に間に合わせるためには仕方がない。

 先方からはPDFで送られて来るから、それを印刷して校正するのだが、PDFに校正をしてメールで送る事も出来る。それで両方を使って何とか間に合わせる事が出来た。こうしてみると、普段から、どこで何を幾らで売っているのか、と言う情報も持っていると役に立つと実感した。そのリサイクルショップは3日前、たまたま通りがかって、普段なら通り過ぎるのだが、どうしてか気になって入ったのだ。そしてカラープリンターやこのファックス付き電話機、VHSとDVDの複合機などが有るのを見た。
 時々、こうして先方から私に呼び掛けて来る事がある。だからそうした時は拒まずに素直に従う事にしている。今まではたいてい良い事ばかりだったが、事故のお招きなんかは嫌だよ。それも日頃からの心掛け次第なのかも知れない。明るい事ばかり考えている人には闇は近寄って来ないと言う。

またまた体重が増えてしまった愛犬

2009年09月16日 | ペット
 ついに我が家のポメラニアンの体重が7キロになってしまった。標準は3・5~5キロくらいらしい。1年程前、獣医から、6・5キロなので、せいぜい6キロに減らしましょうね、と言われた。元々、骨格が大きいのだと言う。息子は見るたびに「でっけー、重てー。なんだこりゃ」と言ってはぶら下げて喜んでいる。いや、喜んでいるのではないだろうが、楽しそうに見える。私らの餌のやり過ぎだと非難するのだが、やり過ぎで太る事はあるが、骨格まで大きくはならないだろう。我々が食べているテーブルの下で、真剣に悲しそうに声を出されると、ついつい甘くなってしまう。それこそ、本当に子猫みたいな声を出すのである。吠える時は猛犬のようなのに。
 別に肥満体ではないらしい。と言うのは肉が固くしまっているからだ。背中などポンポンと強く叩いたってびくともしない。外出から帰って跳び付かれようものなら、ひっくり返ってしまいそうになる。重さとその勢いでかなりの衝撃になるのだ。息子は自分の体力が無さ過ぎるのだ、と私を非難するが、まあ、一部当たっているから仕方が無い。犬に負けずに私も体力を増強しなければ。
 何しろ、何でもよく食べる犬なのだ。中辛のカレーライスも好き、やはり中辛の、と言ってもテンメンジャンもトーバンジャンも私の目分量で入れているから結構辛いマーボ豆腐もぱくぱく食べてしまう。カレーライスやハヤシライスは、みじん切りにしたタマネギを入れてある場合には注意してタマネギを除く必要があるが。

 以前、動物病院でうちではペットフード以外は絶対にやりません、と言って25歳くらいになる猫を連れて来ていた夫婦がいたが、それはそれでその猫は幸せなんだろう。だから本当は人間の食べ物の味を教えてはいけないのだ。
 そうは思うが、ペットフードだけで長生きするのと、旨い物も食べて、つまりは太く短く生きるのとは、どちらが本当に幸せなんだろうか、とつい考えてしまう。まあ、ポメラニアンの場合に一般的な寿命とされる12年とか13年とか生きられれば、好きな物を食べて暮らすのが幸せなんだろうな、と思う。前のポメはやはり人間の食べ物も食べて12年生きた。ある動物病院ではペートフードは良くない、と言っている。
 で、私も家内も半信半疑で、ペットフードと人間の食べ物との二本立てをやっている。
 今このらちもない文章を書いているすぐその横で、なにしろ、机と同じ高さの所なのだ、すやすやと寝ている犬を見ていると、やっぱりかわいいなあ、と思ってしまう。結局、私は単なる犬バカに過ぎない。

 きのうだったか、「徹子の部屋」にピアニストの中村紘子さんが出た。飼い犬のミニチュアダックスフントがミニではなく、標準ダックスフントになってしまった、と言っていた。子犬の時、手足が大きいので、ご主人が、確か庄司薫さんだったよね、やめたほうがいいよ、と言ったのだそうな。「でもね、目と目が合ってしまって」。
 うん、それは想像が付く。あの無心な目を見たら、誰だって駄目になってしまう。人間だって邪心の無い人はかわいい。そう言えば、実業家とか政治家にはあまりかわいい人は居ない。

素人に負けたプロ。自転車屋での話

2009年09月15日 | 暮らし
 捨てると言う自転車から、新品同様とも言えそうな前籠をもらった。私のは20インチの折り畳み自転車なので(一度も折り畳んだ事は無いが)籠も小さく、錆びていて、しかもハンドルからぶら下げる方式なので安定が悪い。さて、取り付けようとしたら、支柱のボルトでとめる穴が小さくて入らない。鉄やすりは持っていない。息子に相談したら、電動ドリルで穴を大きくしてくれると言う。私には危なくて出来ないと言う。
 で、やってもらったのだが、結構大変だった。2時間以上は掛かった。無事に籠も付いて、ついでに油を注したり、点検をしてくれた。彼はバイクを改造したりするから、メカニックには強い。ブレーキが甘いのも指摘され、グリスが切れているから、バイク用の最高級のグリスを注しておいたよ、と言う。
 実はブレーキについては、つい先日、顔なじみの自転車屋で前輪のボルトを緩めてもらった時にも「もうブレーキも効きが甘くなっている」と指摘されていた。全体にもう寿命だね、との話である。だから、今度タイヤが駄目になったら買い替えようと思った。そして彼はブレーキには何もしてくれなかった。
 息子がグリスを注してくれたお陰でブレーキの甘さは無くなった。なんだなんだ、素人が出来て、何でプロが出来ないんだ。自転車屋は自転車に関してはそれこそ話し始めたら止まらなくなるくらい熱心な人だ。だから私も評価していた。それなのに、と思った。

 ブレーキは命に関わる。突然に効かなくなるのではなく、普段から甘いと知っていれば、それなりに対処は出来る。出来るがそう言う問題ではない。自転車屋とのやりとりは、私にとって勉強になったが、それ以上に大きな衝撃ともなった。

 プロと言えば、先日のスーパーストアでの話。
 平日の昼間、私はレジに並んでいた。客が少ないからレジの半分は閉じている。でもそれほどの混雑にはなっていない。と、隣のレジに人が入った。ははあ、と見ているとレジを開けた。普通なら、ほとんどの店が「お待ちの方」と声に出す。すると隣などの列の最後に付いていた人がさっとそのレジに並ぶ。前の方の人は動くに動けないのだ。
 つまり、次の人と言うのは、本当の次の人ではなく、最後の人なのだ。ずいぶんと不公平な仕打ちだな、といつも思っていた。ところが、その店のレジは、すぐ隣のレジの次に並んでいる客に声を掛けたのである。その後の列の移動はそれこそ情況に応じる。
 で、私もそのレジに並んで、精算の時に言った。さっきのあのやり方、とても素晴らしいですねと。彼女はちょっと照れたように、でも嬉しそうに反応してくれた。プロはこうでなくてはいけない。
 私は行き付けのスーパーではお気に入りのレジを決めてある。別に美人だとか若いとかではない。男性だって良いのである。仕事が丁寧で速くて客に対して思いやりがあれば。だから、少しくらいレジの列が長かろうと、そのレジに並ぶ。こちらは買う側のプロだと自負している。だから売る側もプロでなくては。変な話、私の買い物はそれこそ常に真剣勝負なのである。ああ、馬鹿馬鹿しいとの声も聞こえて来そうだが。