夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「パンダの赤ちゃんがなくなった」はおかしな言い方だ

2012年07月11日 | 言葉
 上野動物園の赤ちゃんパンダが残念ながら死んだ。テレビのニュースで知って、えっ、と思った。あんなに大騒ぎをしたのに、あんなにみんなが期待していたのに。原因は肺炎だと言う。それなら、保育器の中で育てていた方が良かったんじゃないか、と言うのは素人考えだろう。人間でも動物でも、赤ちゃんは、ちゃんと母親の手で育てられる必要があるのだ。

 えっ、と思う事がもう一つある。テレビでは「なくなった」と言っている。字幕は「死んだ」である。
 「なくなる」は私は人間の場合に言うのだとばかり思っていた。「死ぬ」の丁寧な言い方だと思っている。そこで四冊の小型国語辞典を見た。
 面白い事に、説明がみんな違う。
 (岩波)は、岩波国語辞典。
 (明解)は、新明解国語辞典。
 (新選)は、新選国語辞典。
 (明鏡)は、明鏡国語辞典。

・【無くなる】それまであったものが無い状態になる。
 【亡くなる】「死ぬ」の婉曲な言い方。〔岩波〕

・【無くなる】無い状態になる。「財布がなくなる」「親がなくなる〔=『死ぬ』のえんきょく表現〕。
 後者の例は、「亡くなる」と書く。(明解)

・【無くなる】無いようになる。【亡くなる】「死ぬ」の丁寧語。(新選)

・【亡くなる】人が死ぬ意を、婉曲にいう語。死者に対して改まった気持ちが、聞き手に対して丁寧な気持ちがこもる。
 【無くなる】それまであったものが存在しなくなる。それまで存在していた物が見当たらなくなる。表記=かな書きも多い。(明鏡)

 (明解)は「無くなる」と「亡くなる」は、「無い状態になる」との点では同じだよ、と言っている。ただ、「死ぬ」の場合は、婉曲表現で、表記は「亡くなる」だ、と言う。同書の「婉曲」は「直接的(露骨)でなく、遠回しな様子、である。そうだろうか。
 (岩波)も「婉曲な言い方」だと言う。
 (新選)と(明鏡)は「丁寧」だと言う。私はこちらが正しいと思う。直接的かどうか、などではなく、丁寧かどうか、の違いだと思う。直接的と丁寧はまるで情況が違う。
 ただ、(明鏡)の説明が変だ。
 「死者に対して改まった気持ちが、聞き手に対して丁寧な気持ちがこもる」は文章として成立しない。「死者に対しての改まった気持ちが、聞き手に対して丁寧な気持ちがこもっていると伝わる」だろう。更には、「改まった気持ち」と「丁寧な気持ち」の二つに分けている、その理由が分からない。これは単純に、「死者に対しての改まった、丁寧な気持ち」で良いではないか。
 「無くなる」を仮名書きも多い、と言うのは(明鏡)だけである。これは単に現状を説明しているだけに過ぎない。ほかの辞書が「無くなる」としか表記していないのは、それが正当だからである。「無くなる」と「亡くなる」をきちんと識別するためばかりではなく、「無くなる」とする事で、「無い状態」を明確に表す事が出来るのである。

 パンダの赤ちゃんに戻る。字幕ではきちんと「死ぬ」とあるのに、話し言葉では「なくなる」になっているのは、「亡くなる」の意味が正確に理解出来ていないからだろう。上の国語辞典の説明でも、動物に対しては「なくなる」などとは言わない事が明確に分かるはずである。「亡くなる」が丁寧語であろうと、婉曲表現であろうと、動物に対して使う義理は無い。
 テレビで話している人々が国語辞典で勉強しているとは思えないから、多分、普段からそうした「亡くなる」との使い方をしているのだろう。それとも、テレビだから、普段の会話とは違うのだから、と身構えて「亡くなる」などと言ってしまうのか。どちらにしても、テレビで話す資格は無い、と私は思う。

産經新聞のコラム「産経抄」に疑問がある

2012年07月05日 | 言葉
 7月4日のコラムである。縄文文化の凄さを語っている。遊動生活から定住生活へ移行した事、つまりは「ムラ」を形成した事が文化を充実させた、との考え方である。食糧を求めて動き回る生活では、体の弱った老人は付いて行けない。しかしムラに定住すれば天寿を全う出来る。そこで老人の知恵や情報が子孫に伝わる。ムラが図書館や文化センターの役割を担って、世界でもまれに見る進んだ文化になった、と言うのである。

 これは大いに納得が行く。しかしここからの展開が私には納得が行かない。
 「ムラ」を「閉鎖的」とのマイナスイメージだけで捉えた用語が使われていると言う。それが「原子力ムラ」であると言う。以下に引用する。

 福島での原発事故以来、反原発をとなえる人たちが電力会社や行政、大学の原発推進者を非難するときの言葉である。情報を独占し、自らの利益だけを求めるそのムラ的閉鎖性が事故を招いた。そう言いたいようだ。

 「そう言いたいようだ」ではない。我々はみんなそう思っている。思っていないのは、それこそ原子力ムラの連中と、それを自分の利益に利用しているやから達だけである。「そう言いたいようだ」の言葉だけでもムカッと来る。そしてまだ続く。

 だがもし原発推進者に閉鎖的な面があったとしても、日本のムラは決して閉鎖的ではなかった。ムラの外の自然と巧みに共生をはかってきた。どこかピントはずれのレッテルに思える。しかもこうしたレッテルをはることで、今後のエネルギー行政から「原子力ムラ」の人材を締め出すことは、安全面でも必要な原発技術の放棄につながる。ムラをつくることで文化を引き継いできた日本の歴史に対しても失礼だ。

 以上で、このコラムは終わる。
 これは非常に危険で悪質な考え方であると私は思う。
 「ムラは決して閉鎖的ではなかった」は単に「ムラの外の自然と巧みに共生をはかってきた」だけがその根拠になっている。「ムラの外の人間界との共生をはかってきた」とは言わないのである。ムラの外の人間界との共生をはかって来なかったからこそ、我々は、それを「ムラ」と言っているのである。「どこかピントはずれ」と言うが、ピントがはずれているのは、コラムである。

 そして次が最悪である。
 「こうしたレッテルをはることで、今後のエネルギー行政から原子力ムラの人材を締め出す」と言う。原子力ムラが国民に開かれた存在になった、と断言出来るのか。相変わらず原子力ムラそのものではないのか。そうした勢力が、安全面の検証もきちんと済ませずに大飯原発再開を決めたのではないのか。
 「原子力ムラの人材を締め出す」事が、原発技術の安全面の放棄につながる、と言うに至っては、空いた口がふさがらない。原子力ムラが開かれた、真に国民の幸福のための存在なら、我々は「原子力ムラ」などのレッテルを貼ったりはしないのだ。
 「ムラをつくることで文化を引き継いできた日本の歴史に対しても失礼だ」などと、どこを押せばこんな無責任な言葉が出て来るのか。

 「ムラ」は誰もが思っている閉鎖的な存在を象徴する言葉である。閉鎖的でなければ、我々は何も「ムラ」などとは呼ばない。そして日本の文化を引き継いで来たのは「村」であって、決して「ムラ」ではないのである。
 多分、単なる勘違いなどではなく、意識して勘違いを装っているに違いない。

話の本質が分からない人が少なくない

2012年06月30日 | 言葉
 昨日、学童交通安全誘導の仕事の講習会があった。様々な仕事でプロの仕事とはどのような事かを教えるのが専門の講師が来て話をした。我々のしている仕事を良く知っている女性だった。だから、渡された資料もごく一部を除いては理解出来るし、具体的も話も筋が通っている。
 ごく一部を除いては、と言うのは、「基本動作を知り、分かっていることと出来ることの違いを認識しましょう」との文言がおかしいからだ。これは講師の説明で分かったのだが、「分かっていることと出来ていることの違い」なのである。わずかの違いだが、この違いは大きい。

 何で講習会が開かれたのかと言うと、区民からの我々の仕事の仕方に対しての苦情があるからだ。その多くはほんのちょっとした行き違いが原因であり、言葉や態度がカギを握っている。だから、そうした対応の仕方の講習なのである。
 私達が日頃からしている事を改めて言われていると言った感じだから、疑問には思わないが、何もわざわざ呼び出されてまで受ける講習ではない、と思った。

 しかしながら、私が感じた大きな違和感はもっと別の事にある。この講習は二回に分けて行われていて、私達のグループの半分の三人は既にこの講習を受けている。その彼等が言うには、区民がお客様なのだから、学童以外の区民にもいつもニコニコして居なさい、と言われたと言うのである。
 事前にその話を聞いた我々は、そんな馬鹿な、それじゃ、単なる馬鹿じゃないか、と思ったし、児童の安全を守るのにニコニコしながら出来るか、と怒りさえ覚えた。
 そこで私は、今回の講習と前回の講習とは中身が違うのか、と質問した。答は、説明の取り方が人によって違うのだ、であった。そうだろうと私も思う。確かに「ニコニコ」のような表現は今回もある。だから、我々の仲間にこうした説明が分からない人が居ると言う事になる。で、私はそうした事も述べた。
 講師は言った。こうした事を理解するのは結構難しいので、何度も講習をする必要があるのだ、と。反論はしなかったが、そんな馬鹿な話があるものか。こんな易しい話が分からない人に、こうした仕事をさせる事自体が間違っているのだ。

 そうした事をもっと象徴的に示す事柄がある。クレームの中に、疲れた犬を道の端に寝かせていたら、我々の仲間が犬の腰を叩いて、「家と間違えているんじゃねーぞ」と暴言を吐いたと言うのである。日時と場所から担当した人が分かった。それは女性で、「あら、雑巾みたいになっちゃって、どうしたの」と言うような事を言っただけだと言う。
 この二つには天地雲泥の差がある。特に「雑巾みたいになっちゃって」はリアルな表現だから、この言葉に間違いは無いはずだ。クレームは男性が暴言を吐いた事になり、言った本人は女性なのである。
 これに対して、講師は、こうした被害妄想の人が居るのが、クレームが多い原因の一つでもあります、と言う。自分が受け取った印象が、実際とは大きく隔たっているのに、それが分からない。そうと思い込んでしまっている。

 これが何で象徴的な出来事かと言うと、私達の仲間に、それもリーダーに典型的な被害妄想の男が居るのである。私はどちらかと言うと記憶力が悪くはない。だからその男が、前にどのような情況でどのような事を言ったのかをはっきりと覚えている。ところが、彼は次には全く違った事を主張するのである。
 そうした事で我々は何度も被害を蒙っている。

 そして今回講習を受けた我々三人は、この講習の説明書を我々の仕事場の机の上に置いて帰った。次には前回の三人が仕事の担当だからだ。私は、本当は次のようなメモを付けたかった。
 「前回受けられた講習とは、内容が大きく違っているように思えますので、御参考までに」
 それではあまりにも嫌みになる、との事でやめた。でも本当に、訳の分からない人が多過ぎるのである。そして講習会でも、私は本当は、こうした講習の内容が理解出来ない人には学童の安全を守る資格は無い、と主張したかったのである。

「政治生命をかける」がいい加減に使われている

2012年06月26日 | 言葉
 野田総理が「政治生命をかけて、この法案を通したい」と熱心に語っている。執行部も同調している。
 でも「政治生命」とは何だろう。
 普通には、「政治家の生命」であり、「政府の生命」である。もちろん、今回は増税がその目的である。しかし庶民の絶対的多数が増税に反対である。つまり、「政治生命」とは庶民は全く抜きにして、「政治家だけの生命」であり、「政府だけの生命」である。
 まあ、増税ではなくても、「政治生命」とはそうした事なのである。
 中身がいかようにもなる曖昧な言葉で、しかも見てくれだけは良い言葉を使うのは政治家の常套手段である。「粛々とやる」が代表的な例である。
 「粛々と」には「きちんと」とか「着実に」などの意味は全く無い。単に「厳かに」とか「静かに」などの意味しか無い。けれども政治家が「粛々とやるだけです」と言うと、庶民は、そうか「着実に実行してくれるのか」と安心してしまう。そしてその結果はたいていは良く分からないから、「粛々と」は相変わらず政治家ご愛用の言葉なのである。
 これは我々も悪い。もちろん、マスメディアが悪い。「粛々と」の意味をきちんと理解出来ていない。

 「政治生命」も全く同じである。もちろん、総理にとってはそれこそ「命」をかけている。国民の幸せに命をかけるのではなく、自分だけの、総理としての地位に命をかけている。だから、馬鹿馬鹿しくて聞いていられない。だから、すっかり同調している執行部がアホづらに見えてしまう。
 でも、みんな、何にも言わないから、もしかして、「政治生命」にはもっと重大な、国民全体の幸福を祈る意味があるのかも知れない。

立派な親は市井にたくさん居るのに、立派な政治家はほとんど居ない

2012年06月22日 | 言葉
 6歳に満たない男児が脳死となって、移植のために臓器が提供された。その御両親は、「息子を誇りに思う」と記したと言う。誰かの体の中で、息子の命が生きている現実は、少なくとも、御両親の心の支えになる事だろう。
 けさ、テレビの「はなまるマーケット」のお客様はサッカーの長友佑都選手だった。彼は祖母からもらった手紙を大切にしていると言う。その中の印象的な言葉が紹介された。正確な引用ではないが、
 「成功はうわべの飾りに過ぎないが、失敗は内面を豊かにする」と言う内容だった。何歳くらいの頃にもらったのかは、私は見損なったのか、分からないが、そんなに歳も行っていないはずだ。そうした孫にこれだけの言葉を与える事が出来るとは、何と素晴らしいおばあさんなのか、とほとほと感心した。
 以前、ガッツ石松さんが、別の番組にお客様として出演して、母親の次のような言葉が心に残っている、と語っていた。
 「偉い人にならなくてもいい。でも立派な人間になれ」
 この時も私は何て立派なお母さんなのか、とつくづく感心した。

 こうした家庭環境があって、現在の長友選手が居るし、ガッツ石松さんが居る。
 地位が「偉い」だけで、ちっとも「立派」じゃない政治家達は、一体、どんな家庭に育ったのだろうか。

スカイツリーの技術と原発の技術は関係が無い

2012年05月24日 | 言葉
 ある新聞のコラムが、スカイツリーに関しての日本の技術の高さについて書いていた(5月21日朝刊)。

 複雑な構造の鉄骨は一本一本職人たちが手作業溶接でつないだ。その結果、塔は高さに対して0・003%のゆがみしかない正確さでできあがった。モノ作りの伝統技である。耐震のための中心の柱には、法隆寺などの五重塔の心柱の技術が使われたそうだ。

 なるほど、そうだったか、と納得しながら読める。
 ところが、すぐ続いて、次のように書いている。

 原発をめぐって、福島の事故以来新たな原発の建設が長く中断すると、蓄積された技術が断絶する恐れがあるという。伝統の技術を継承することは日本の生命線である。天空の塔を見上げながらそんなことも考えたい.

 呆れて物が言えない。原発の中断で原発の技術は断絶する恐れがあるだろう。しかしそれは「日本の伝統の技術」などではない。執筆者本人が、五重塔の心柱の技術に言及しているではないか。五重塔の心柱などの技術と原発の技術はまるで違うはずだ。
 それに原発が優れた日本の技術の総決算であるなら、あんなにも無惨に破壊されはしなかっただろうとも思える。
 スカイツリー建設の技術と原発の技術を同一視するのは、明らかに「魂胆」がある。そうでなければ、非常に頭の悪い執筆者だと言う事になる。
 そう、だから、「天空の塔を見上げ」て頭を冷やすと良いだろう。

産經新聞の社説を読んでびっくりした

2012年05月08日 | 言葉
 原子力発電所の稼働がゼロになって、日本の新しい歩みが始まった。東京新聞は6日の朝刊で『原発ゼロ 未来へつなぐ」との大見出しを掲げていた。
 そして同じ日の産經新聞のコラム「産経抄」は次のように書いている。

 このまま猛暑の夏になると、需要急増に対応できるのか、経済界も家庭も不安にさいなまれる。むろん「原発ゼロ」を想定してこなかった電力会社の責任は大きい。だがこんな事態になっても、再稼働に指導力を発揮しようとしない民主党政権も異常である。

 何でびっくりしたかと言えば、私の考えとまるっきり正反対だったからだ。私の考えは世論の考え方とほとんど同じだと信じていた。だから東京新聞の正論に拍手喝采をしていた。上の社説は、政府は原発の再稼働を指導せよ、と言っているように、私には思える。
 もしかしたら、これは文章が中途半端なのかも知れない。
 政府は原発ゼロを維持し、その上で、それに代わる電力供給の方法に指導力を発揮せよ、と言っているつもりなのかも知れない。でも、そうであるなら、上の文章は成っていない。
 ただ、そのように好意的に理解するのもまた難しいのだ。なぜなら、一般家庭は、需要急増で不安にさいなまれてなどいないはずだ。東京新聞の投書欄を見る限りでは、一般家庭は、節電をしようと呼び掛けている。そして社説は、「原発ゼロ」を想定して来なかったのは電力会社の責任だと言うが、自分達マスメディアには責任は全く無いのだ、と言うつもりなのか。

 これを見て、私は産經新聞の読者でなくて良かった、とつくづくと思った。私は東京新聞が好きだ。時々変な文章を書いてはいるが、主義主張は正しいと思っているから、まあ、我慢して置こう。
 そう言えば、きのう、テレビで、竜巻が南西から北西へ通り抜けた、としゃべっていたアナウンサーが居た。まあ、咄嗟に出た言葉だし、気持は分からないでもない。彼は、南から北へ通り抜けた、と言いたかったのだろう。そして西とか東にはあまり関心が無かった。方向は真っ直ぐだから、そのまま『西」と言ってしまったのだと思う。
 テレビは一過性だから何とかなるが、新聞ではそうは行かないのは当然である。

藤村官房長官は皮肉が分からない人らしい

2012年04月25日 | 言葉
 大阪府知事と大阪市長が政府と直談判をするために上京した。8か条の提案書を突き付けた橋下市長は、飲めないのなら無視すりゃいいんですよ、と言った。橋下氏は、こうした提言をして国民の意識を盛り上がらせる事が目的だ、と言っている。お粗末な対応しか出来ない政府をとうに見放している。
 それに対して官房長官はこう言った。「自分で提案して置きながら、無視すれば良いなどと、支離滅裂な事を言う」。

 本当に馬鹿な人なんだなあ、と思う。痛烈な皮肉が通じない。その程度の言語力と言うか思考力だから、大切な事が何も分かっていない。明確な言い方は覚えていないが、確か「大飯原発を再稼働して、安全対策をその後で実施すれば良い」と言うような意味の事を言っていたと思う。間違っていたら、お許しを。

 話は違うが今朝のフジテレビで番組を仕切っている小倉氏が、目下の電力不足をどうするか、としきりに発言していた。ゲストは、本当に電力が不足するのかどうか、明確な資料を出すべきだ、と言っている。そうした発言はあちこちでされていると言うのに、電力会社と産業・経済界の一方的な情報だけを信用して、番組が成り立つのだろうか。

日本語の水準を考える

2012年03月13日 | 言葉
 何で日本語の水準なんて考えるのかと言うと、次のような情況があるからだ。

 東京新聞が兵庫県にある竹田城跡の「雲海に浮かぶ幽玄な写真」を載せて、その記事で「但馬の支配を目指した豊臣秀吉が一五八〇年に落城。」と書いたからだ。読者から、表現に違和感がある、との意見が寄せられた。

 その事について言葉の解説をしているコラムが次のように言っている。

 ご指摘の通り、文末を名詞で終わらせる体言止めを使った悪例です。辞書によると、「落城」は敵に城を攻め取られることを意味します。秀吉が落城では、どうなったのか分かりにくくなります。ここは体言止めは避け「落城させた」としなければなりませんでした。

 当然と言えば当然の事を言っている。だから私は疑問に思ったのだ。これは新聞の記事としては「基本中の基本」とも言える事だ。何よりも明確な記事を書くべき新聞がこんな馬鹿馬鹿しい失策をしている。そしてそれを堂々と謝罪している。本来なら、こんな恥ずかしい事は、他の大新聞なら多分、隠すだろう。
 何で恥ずかしいかと言うと、記事を書いた記者はともかくも、校閲は一体何をしていたのか、と言う事になるからだ。「豊臣秀吉が一五八〇年に落城。」との記事を、何らかの事情があって、校閲は見ていなかったとしか考えられない。でも、そんな事が実際にあり得るのだろうか。
 
 しかし上のような事が堂々と書かれているからには、この程度が現在の日本語の水準なのか、と考えざるを得なくなる。ただ、このコラムの文末はちょっと面白い。

 繰り返しにはなりますが、新聞では、可能な限り体言止めは避けるようにしています。今回の記事のように文章が曖昧になるためです。写真は神秘的でもいいのですが、記事が不明瞭ではどうしようもありません。

 まあ、お粗末さの言い訳にはならないけれど。それに、この記事で体言止めでも十分に用が足りる。「但馬の支配を目指した豊臣秀吉により一五八〇年に落城。」とすれば良い。
 A 但馬の支配を目指した豊臣秀吉が一五八〇年に落城させた。
 B 但馬の支配を目指した豊臣秀吉により一五八〇年に落城。

 この二つの表現で、単純に記事としてなら、Aの方がより明確だろうが、写真を説明する文章としては、私はBの方が好ましいと思う。Aは豊臣秀吉が強調され、Bは竹田城が強調される結果になるからだ。もちろん、「落城した」とすれば完璧になる。

万葉集の解釈で分かった重要な事がある

2012年02月26日 | 言葉
 非常に個人的な事だが、私が万葉集を取り上げてその新しい解釈をしている事は先述した。主として取り上げているのは、古来意味が良く分からずに曖昧な解釈しかされて来なかった歌である。その代表が天智天皇の皇后と天武天皇の皇后(次の持統天皇)の天皇に対する挽歌である。天皇に対する皇后の挽歌なのだから、万葉集にとってはとても重要な歌になるはずなのだが、それらがいずれも曖昧でいい加減な解釈しかされていない。
 と言うのは、歌その物が曖昧な歌だと思われているからである。
 私の新しい解釈とは、たとえ伝えられている史実とは違っても、歌を詠んでいる本人が歌にしている史実を疑わない、を大原則とした解釈である。そしてわずか一つの歌に何ヶ月も掛かっているから、次第に色々な事が分かって来る。
 そうした中に、信じられないような言葉の解釈が存在するのである。

 これは万葉集の歌その物にあるのではなく、その歌の史実を実証しようと、日本書紀の記述を読んでいる中にある。
 天智天皇の病気に関して、「疾病弥留」との表現が出て来る。これはきちんと漢語を解釈すれば、「病が長引いている」である。「弥」の文字と「留」の文字を正確に解釈すれば、それしか意味は出て来ない。ところが、これを「重態」と解釈している。もうこれは定説になっているらしい。その証拠には、漢和辞典がこの日本書紀の記述を用例として取り上げて、「弥留=重態」だと説明しているのである。漢和辞典までもがそう言うのだから、気の弱い人間なら、それで納得せざるを得ないだろう。

 けれども、私は本当は気が弱い人間なのだが、相手が目に見えない学者達なのだから、敢然と立ち向かう事が出来る。彼等がよってたかって、日本書紀の様々な所から「弥留」の言葉を引き出して来て、それらをすべて「重態」あるいは「熱で意識不明」だなどと説明している事の理不尽さを証明している。
 天智天皇が日本書紀の原文では「病気が長引いている」としか書いてないにも拘らず、読み下しも現代語訳も「重態になった」としているのが不思議だった。日本書紀ではそうした中で、突然に天皇は亡くなる。だから、その突然さを不審に思わせないように、重態になって、そして崩御したのだ、と人々を納得させる魂胆なのだ、と考えた。実は私は天皇は暗殺されたのだ、と考えている。

 そして気が付いた。天智天皇暗殺説は11世紀から存在しているのである。それは『扶桑略記』と言う歴史書にある。そこに、異説ではあるが、との但し書きがあって、天皇は山科の山林に入って、亡くなった所を知らない、と書かれている。私はこの説を下敷きにして天智天皇暗殺を唱えているのではない。基になるのは皇后の詠んだ歌だが、同時代の人々の詠んだ歌や日本書紀の文章の隙間からも、そうした考えを導き出している。
 けれども、病気が長引いている事実を、重態と偽ってまで天皇は病死だよ、と言うのは異常である。その異常さがこの『扶桑略記』の記述と結び付くのである。つまり、重態であれば、天皇が山科の山林になど出掛ける事は出来ない。従って、この異説は全くの間違いである、と言える。
 逆に言えば、それほどの事をしなければ、サギをカラスと言いくるめるような事をしなければ、この異説を否定する事は出来ないのだ、と言う事になる。このブログのタイトルで「重要な事が分かった」とはそうした事なのである。
 古代史の世界では、日本書紀には真実だけが書かれているのではない事は誰もが知っている。しかし重要な事柄は日本書紀の記述を信じている。そうしないと、それ以後の歴史が狂って来てしまう。本当はそんな事はないのだが、学者はそう信じているらしい。自分達の信念が崩れては元も子も無い。
 だから、必死になって自分達の主張を守ろうとする。天智天皇が山林で行方不明になった、などと言う事は完全に否定し去らなければならない事だと考えているのである。だから学者達は「ぐる」になってそれを遂行しているのである。