5月31日の東京新聞の第一面のコラム「筆洗」が小三からの英語教育を言う前に、日本語をきちんと教える重要さを語っていた。当然の話である。その同じ日の投書欄にそれよりもずっと長い、小学生の英語教育は待ったなしだ、との38歳の女性の投書が載っている。自分が日常会話くらいは英語で出来るようになったから、英語が世界共通語として第二母国語として使われていると感じたと言う。最近よく行く東南アジアではコンビニの店員でさえ英語が話せる、と褒め上げている。
ねえ、奥さん(まさかお嬢さんとは言えないものね)、東南アジア諸国ではどのくらいの言語が話されているかご存じですか。フィリピンでは確か数え切れないくらいの言語が話されている。だからタガログ語が公用語にもなっているはずだ。そうした国で英語が共通語として使われているのは理解が出来る。何よりも民族の垣根を越えているから不公平にはならない。
だが、日本は日本語一つで事足りている世界でも希有の国である。多言語国家と同じように考えられるはずが無い。
彼女は日本の「危機」が分かっていないのではないか、と懸念しているが、その危機は主体性を持たない事から生まれているのですよ。英語が分かれば国際競争に勝てると言うその単純な発想には恐れ入るしか無い。何よりも、考えがしっかりとしていなければ諸外国から馬鹿にされるだけである。しっかりとした考えを育てるにはきちんと日本語が出来なければ駄目だ。日本語がしっかりと出来ているとお思いか。
空気が読めない事をKYなどと言って喜んでいないで、日本がクラスター爆弾の禁止に一時、保留の態度を取った事をこそ、空気が読めないと批判すべきだろう。エゴを押し出している米中ロの“超大国”だけが禁止に同意をしていない。世界の空気が読めないのに、英語が話せたからと言って何の役に立つのか。
でも東京新聞もなんで、こんな意見を大きく載せるんでしょうね。せっかく同紙の良さが分かり掛けて来たと言うのに。
私はずっと朝日新聞を取り続けていたが、あまりのおかしな分からない記事に業を煮やして読売に替え、それもまた駄目で毎日に替え、やはりがっかりして、今は東京新聞なのである。地元にしっかりと目を注いでいる感じがして好ましいと思っている。日経は記事は冷静なのだが、かなり簡単な事も多く、しかも経済が中心なので、私のような貧乏人の読む新聞とは思えない。
東京新聞はページ数が毎日と同じく、他紙の3分の2くらいしか無いが、毎日とは違い、700円も安い。ページ数が多いばかりが能ではない。毎日は配達と集金の青年に「薄いねえ」と言ったら、中身が濃いですから、と胸を張ったが、残念ながら決して濃くはない。分からない記事も非常に多い。私はそんなに頭は良くないから、同紙では分からないので、購読を止めたのである。
新聞でさえ日本語が分かっていない。日本語教育を忘れて英語教育に走った、その結果が恐ろしい。英語で日常会話が出来るようになったのは大変素晴らしい事だと思うが、今一度、御自身の日本語力を振り返ってみる事を是非ともお勧め致します。日本語力とは言うまでもなく、日本語でしっかりと物事を考えられる事を指します。
ねえ、奥さん(まさかお嬢さんとは言えないものね)、東南アジア諸国ではどのくらいの言語が話されているかご存じですか。フィリピンでは確か数え切れないくらいの言語が話されている。だからタガログ語が公用語にもなっているはずだ。そうした国で英語が共通語として使われているのは理解が出来る。何よりも民族の垣根を越えているから不公平にはならない。
だが、日本は日本語一つで事足りている世界でも希有の国である。多言語国家と同じように考えられるはずが無い。
彼女は日本の「危機」が分かっていないのではないか、と懸念しているが、その危機は主体性を持たない事から生まれているのですよ。英語が分かれば国際競争に勝てると言うその単純な発想には恐れ入るしか無い。何よりも、考えがしっかりとしていなければ諸外国から馬鹿にされるだけである。しっかりとした考えを育てるにはきちんと日本語が出来なければ駄目だ。日本語がしっかりと出来ているとお思いか。
空気が読めない事をKYなどと言って喜んでいないで、日本がクラスター爆弾の禁止に一時、保留の態度を取った事をこそ、空気が読めないと批判すべきだろう。エゴを押し出している米中ロの“超大国”だけが禁止に同意をしていない。世界の空気が読めないのに、英語が話せたからと言って何の役に立つのか。
でも東京新聞もなんで、こんな意見を大きく載せるんでしょうね。せっかく同紙の良さが分かり掛けて来たと言うのに。
私はずっと朝日新聞を取り続けていたが、あまりのおかしな分からない記事に業を煮やして読売に替え、それもまた駄目で毎日に替え、やはりがっかりして、今は東京新聞なのである。地元にしっかりと目を注いでいる感じがして好ましいと思っている。日経は記事は冷静なのだが、かなり簡単な事も多く、しかも経済が中心なので、私のような貧乏人の読む新聞とは思えない。
東京新聞はページ数が毎日と同じく、他紙の3分の2くらいしか無いが、毎日とは違い、700円も安い。ページ数が多いばかりが能ではない。毎日は配達と集金の青年に「薄いねえ」と言ったら、中身が濃いですから、と胸を張ったが、残念ながら決して濃くはない。分からない記事も非常に多い。私はそんなに頭は良くないから、同紙では分からないので、購読を止めたのである。
新聞でさえ日本語が分かっていない。日本語教育を忘れて英語教育に走った、その結果が恐ろしい。英語で日常会話が出来るようになったのは大変素晴らしい事だと思うが、今一度、御自身の日本語力を振り返ってみる事を是非ともお勧め致します。日本語力とは言うまでもなく、日本語でしっかりと物事を考えられる事を指します。