民主党の姫井由美子議員が離党を表明し、一夜で本意をひっくり返した。「本意」をひっくり返して「翻意」とはこれいかに、と駄洒落を言っている場合ではない。何ともみっともない人だ。週刊誌であれこれ書かれ、半分同情して、馬鹿を見た。根っらのおかしな人だったらしい。
新党結成のためなら比例代表選出議員の移動は認められている、と言うのもおかしな話だが、選挙民から直接選ばれたはずの姫井議員は移動は認められないはずである。何よりも、選んでくれた選挙民に顔向けが出来ない。民主党であるからこそ、片山虎之助氏に勝ったのではないのか。
「自民党による民主党切り崩しの受け皿だったことが分かった。当初描いていた形とは違った。軽率だった。心からおわびしたい」と陳謝した。
と新聞は伝えているが、これが陳謝になるか? そして詫びて済む事か? 「軽率」は何よりも議員にとってあってはならない心構えではないか。
最も重大な罪は、選挙民の信頼を裏切った事にある。こんな事が許されるなら、以後、このような輩がどんどん出てくる危険性ある。無所属、しかも新党などでは当選は覚束ない。そこで有力な党から出馬し、ほとぼりが冷めた頃になって、どうも主義主張が合わない、と飛び出るのである。
菅直人代表代行を始めとする民主党幹部は「結果として、雨降って地固まるだ」と語った、と東京新聞は伝えているが、菅さん、甘いですよ。甘過ぎますよ。私はある仕事で奥様とご一緒した事がある。仕事が終わるまで、それが菅直人夫人とは知らなかった。夫人をその仕事の重要なメンバーとして招いた主催者が明かしてくれなかったからだ。だが、我々編集者、と言ってもわずか二人だったが、我々二人は、彼女のしっかりとした、そしてあか抜けのした立ち居振る舞いに心から感歎していた。
そのご夫人から、確か年金に加入していなかった期間があった問題だったと思うが、「あなたは甘過ぎます」と言われたと聞いているが、本当にお人好し過ぎますよ。
多分、党の勢力の問題も含んでの事情だろうが、こんないい加減な議員は、本人が戻りたいと言っても、断固排除すべきである。党のためではない。我々選挙民のためなのだ。
多くの人がそうだが、いったん、ある地位に上ってしまうと、自信過剰になる。すべてが自分の実力の故だと思い込んでしまうらしい。そこから様々な勝手な言動が飛び出している。我々は日常茶飯事のようにそれを見ている。第一、言葉遣いがなっていない。我々を「君ら」扱いし、非常にぞんざいな口の聞き方をする。態度も横柄である。まるで、丁寧なしゃべり方をしたら、議員の、政治家の面目が丸潰れになる、とでも言うようだ。議員や政治家ばかりではない。
東京新聞は、自民党については、次のように書いている。
一方、民主党分断の思惑が外れた自民党幹部は「大山鳴動してネズミ四匹…」と嘆息した。
本当にそう言ったのかは疑問だが、まことに的を射ている表現だと思う。つまり、5人の離反者は単なる「ネズミ」にしか過ぎなかった、と言う訳だ。もちろん、自民党幹部は格言として使ったのだろうが、言い得て妙、とはこうした事だろう。ネズミなら退治しなければならないだろう。
この「大山鳴動して」だが、私はずっと「泰山」だとばかり思っていた。そこで辞書で調べたら、「泰山」とも書く、と説明しているのは、小型四冊の内で『岩波国語辞典』だけだった。「泰山」とは中国に実在する名山で、物事の安定している様に例えられる。辞書はこぞって「泰山の安きに置く」の用例を挙げ、「しっかりと揺るぎない状態」と説明している。その重要な「泰山」を『明鏡国語辞典』は載せていない。
「大山」は普通には「おおやま」だ。中国地方には「伯耆大山(だいせん)」があるが、調べた全36の「大山」の内、「だいせん」と読むのはわずかに四つ。それは島根県と岡山県にある。そして同県には「おおやま」もまたある。32もの「大山」が「おおやま」と読むのだから、「大山=おおやま」は定着しているとも言える。
東京にも「大山=おおやま」の地名が、私の知る限りでは、板橋区と渋谷区にある。
そうした「おおやま」に「たいざん」を想定するのは難しい。それに「泰山」は単に「大きな山」ではないのだ。
因みに「大山鳴動して」を「泰山」とも書く、との説明は『大辞泉』にもある。『広辞苑』は私は本質的に信用していないから、引用はしません。
新党結成のためなら比例代表選出議員の移動は認められている、と言うのもおかしな話だが、選挙民から直接選ばれたはずの姫井議員は移動は認められないはずである。何よりも、選んでくれた選挙民に顔向けが出来ない。民主党であるからこそ、片山虎之助氏に勝ったのではないのか。
「自民党による民主党切り崩しの受け皿だったことが分かった。当初描いていた形とは違った。軽率だった。心からおわびしたい」と陳謝した。
と新聞は伝えているが、これが陳謝になるか? そして詫びて済む事か? 「軽率」は何よりも議員にとってあってはならない心構えではないか。
最も重大な罪は、選挙民の信頼を裏切った事にある。こんな事が許されるなら、以後、このような輩がどんどん出てくる危険性ある。無所属、しかも新党などでは当選は覚束ない。そこで有力な党から出馬し、ほとぼりが冷めた頃になって、どうも主義主張が合わない、と飛び出るのである。
菅直人代表代行を始めとする民主党幹部は「結果として、雨降って地固まるだ」と語った、と東京新聞は伝えているが、菅さん、甘いですよ。甘過ぎますよ。私はある仕事で奥様とご一緒した事がある。仕事が終わるまで、それが菅直人夫人とは知らなかった。夫人をその仕事の重要なメンバーとして招いた主催者が明かしてくれなかったからだ。だが、我々編集者、と言ってもわずか二人だったが、我々二人は、彼女のしっかりとした、そしてあか抜けのした立ち居振る舞いに心から感歎していた。
そのご夫人から、確か年金に加入していなかった期間があった問題だったと思うが、「あなたは甘過ぎます」と言われたと聞いているが、本当にお人好し過ぎますよ。
多分、党の勢力の問題も含んでの事情だろうが、こんないい加減な議員は、本人が戻りたいと言っても、断固排除すべきである。党のためではない。我々選挙民のためなのだ。
多くの人がそうだが、いったん、ある地位に上ってしまうと、自信過剰になる。すべてが自分の実力の故だと思い込んでしまうらしい。そこから様々な勝手な言動が飛び出している。我々は日常茶飯事のようにそれを見ている。第一、言葉遣いがなっていない。我々を「君ら」扱いし、非常にぞんざいな口の聞き方をする。態度も横柄である。まるで、丁寧なしゃべり方をしたら、議員の、政治家の面目が丸潰れになる、とでも言うようだ。議員や政治家ばかりではない。
東京新聞は、自民党については、次のように書いている。
一方、民主党分断の思惑が外れた自民党幹部は「大山鳴動してネズミ四匹…」と嘆息した。
本当にそう言ったのかは疑問だが、まことに的を射ている表現だと思う。つまり、5人の離反者は単なる「ネズミ」にしか過ぎなかった、と言う訳だ。もちろん、自民党幹部は格言として使ったのだろうが、言い得て妙、とはこうした事だろう。ネズミなら退治しなければならないだろう。
この「大山鳴動して」だが、私はずっと「泰山」だとばかり思っていた。そこで辞書で調べたら、「泰山」とも書く、と説明しているのは、小型四冊の内で『岩波国語辞典』だけだった。「泰山」とは中国に実在する名山で、物事の安定している様に例えられる。辞書はこぞって「泰山の安きに置く」の用例を挙げ、「しっかりと揺るぎない状態」と説明している。その重要な「泰山」を『明鏡国語辞典』は載せていない。
「大山」は普通には「おおやま」だ。中国地方には「伯耆大山(だいせん)」があるが、調べた全36の「大山」の内、「だいせん」と読むのはわずかに四つ。それは島根県と岡山県にある。そして同県には「おおやま」もまたある。32もの「大山」が「おおやま」と読むのだから、「大山=おおやま」は定着しているとも言える。
東京にも「大山=おおやま」の地名が、私の知る限りでは、板橋区と渋谷区にある。
そうした「おおやま」に「たいざん」を想定するのは難しい。それに「泰山」は単に「大きな山」ではないのだ。
因みに「大山鳴動して」を「泰山」とも書く、との説明は『大辞泉』にもある。『広辞苑』は私は本質的に信用していないから、引用はしません。