夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

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2011年06月29日 | 社会問題
東京電力の株主総会で原発撤退は否定された
 何と9千人を越える株主が集まったが、89%が原発撤退に反対した。当たり前である。株主の圧倒的大多数は大企業である。
 日本トラスティサービス信託銀行
 第一生命保険
 日本生命保険
 日本マスタートラスト信託銀行
 東京都
 三井住友銀行
 みずほコーポレート
 三菱UFJ銀行
 ステートストリートバンクアンドトラストカンパニー

 以上、大手だけを挙げたが、これだけでもほぼ25%を占めている。庶民の株主の意見などが通るはずも無い。我々はこうした株主の名前をしっかりと覚えておく必要がある。上記は東京都を除けばすべて保険会社と銀行ではないか。
 株式投資は安全で利益率の高い会社に投資するのが常道である。企業の方針に賛成して投資するなんて、素人ならあっても、こうした大企業がする訳が無い。すべてカネ儲けの手段としてである。彼等は利益が出さえすれば、どんなに庶民が不安に思っていようが全く無関心なのである。
 そして彼等が原発撤退に反対した事実を肝に銘じて置くべきである。
 

便利過ぎる世の中だが、人間が追い付いて行けない

2011年06月25日 | 暮らし
 格安でインターネットも出来るとの事でパソコンを買った女性が居る。私の仕事仲間で、年齢も行っている。で、インターネットが出来ない、とそのパソコンを持って来た。富士通の本格的なパソコンで、ウインドウズ7である。私のはウインドウズXPだから、手に負えるか自信は無いが、一応触ってみた。
 何と、プロバイダーとの契約をしていないのである。それすらも知らないのである。マニュアルに「インターネットをするには」の章があり、そこにきちんとプロバイダーとの契約をして、電話線とルーターを接続し、ルーターとパソコンを接続する、と絵にもなっていて明確に説明があるのに、それが分からないのである。
 普通にはとても物分かりの良い人で、男勝りの所もあって、私は大好きな人なのだが、事、機械とか電気に関してはとことん駄目なのである。インターネットをするためにと、別にもう一台のケイタイを持っている。本人もよく分からないで持っている。
 だから近くにあるドコモショップに行って、よくよく話を聞いて来る事を勧めたが、何をどのように聞いたらいいのかも多分、分からないのではないか。私は本人にはっきりとそう言った。本当は私が一緒に行ければ良いのだが、そのような暇が無い。

 私もそうだが、あまりよく知らないで機器を使っている事は多い。あまりにも複雑で進化し過ぎてしまったから、我々が追い付けないのである。そしてマニュアル類がこれまたひどくてお話にならない。なぜなら、マニュアルは技術者が書いている。そして彼等は往々にして日本語が不得手だったりもする。技術者が技術の説明をしているだけなのだから、一般人が分からないのは無理も無い。
 なぜ技術者ではない、営業とか事務とかの普通の人に読んでもらわないのだろうか。そうした機器類を製造し販売している企業にそうした発想が無いのは、単にカネ儲けの手段に成り下がっている証拠である。だから要りもしない機能をどんどん付加して、より良く、より高い機種を作り出す。
 みなさん、自分の程度を考えてみなさいよ、と言いたくもなる。それほどにまで程度の高い人ばかりなら、日本の現状はこんなみじめではないはずである。

目くそ鼻くそを笑う政治家達

2011年06月24日 | 政治問題
 誰が内閣総理大臣になったって、どの党が政権を握ったって同じだよ、と国民は思っているに違いない。この大震災の被害、福島原発の被害に対して政治のやっている事を見ていれば、誰だってそう思う。何か、世間を知らないと言うか、常識を知らないと言うか、どこかの別世界の住人達のしている事としか思えない。
 何で彼等がこんなにまで狂ってしまったのか。その原因は黙っていても入って来る巨額のカネにあるらしい。それに「権威」が伴う。権威なんか無いのに、様々な特権がある。そりゃあ、誰だって慢心してしまうよ。
 昔、杉村太蔵と言う新人の衆議院議員が居て、えっ、こんなにもらえるんですか? と正直な発言をしてしまって、党のお偉方から大目玉を食らってしまった。その太蔵くん、日本の文化についてのここがおかしいとの外国人の批判に対して弁護すると言う趣旨の番組に出演して、大変面白い所を見せている。こちらの方がずっと生き生きしているし、本人の真面目と言うか、真剣なキャラクターが出ていると思う。

 結局、まともな神経では国会議員は務まらないのである。外から単に見ているだけの私でさえ、彼等の無神経ぶりには呆れ果てている。奥さんとか子供も居るだろうに、家族も分からないのだろうか。あるいは匙を投げられているのか。だから彼等が他人の批判をすれば、それはそのまま本人に帰って来る。なのに、それにさえ気付いてはいない。
 年がら年中首相の顔が変わっている国なんて、どこの国だってまともに相手にしてはくれないだろう。それがいかに恥ずかしい事なのかさえ分からない。いっその事、報酬を現在の10分の1くらいにしてみてはどうか。それでもなお議員であって国のために尽くしたいと言う人だけを残したらどうなのか。

マレーシアへの原発輸出の入札を断念

2011年06月20日 | 社会問題
 東京電力などの日本企業がマレーシアでの原発の事業化調査への入札を断念すると言う。当然だろう。自国で大きな災害になっているのに、それをよその国に売り込むと言うのでは人間性を疑われてしまう。ただ、新聞報道では米国やロシアは参入に意欲を見せていると言う。ロシアはチェルノブイリの事故があったと言うのに、よその国で原発で儲けようと言う訳だ。両国共に原発その物だけではなく、徹底的な安全対策も含めての事業化調査のはずだから、さぞかし大変な事だろうと思う。東南アジアでの大津波は記憶にまだ新しい。もっとも、福島原発は津波ではなく、地震でも被害を被っていて、それが放射能汚染水の漏れの原因になっているらしいから、果たして安全対策などが採れるものかどうか。
 地震とか津波による被害ばかりではなく、例えばある日突然に隕石が直撃するとかの被害だってあり得る。そうした事への安全対策までは講じられないのではないか。そしていったん暴れ出した原子力は制御が難しい。あまり正確な表現ではないが、原子爆弾を瞬時に爆発させるのではなく、少しずつ少しずつ爆発させるのが原子力発電だと聞いた。結局、早いか遅いかの違いだけで、本質は変わらない。

 日本人は今度の事故で人間が自然を操れると増長していた事を反省している。みんながずっと謙虚になっている。それは人間としての自然な考え方である。日本は狭いから一カ所の原発事故でも大きな影響がある。でもロシアは広いから多分、チェルノブイリの事故などは国民全体の関心事にはならないのだろう。そうでないのなら、ロシアは人間の皮をかぶった獣に過ぎなくなる。
 我々は両国の動きを見守る必要があると思う。

国会を福島原発に限りなく近い所で開く事をお勧めする

2011年06月18日 | 政治問題
 もはや国会が国民の幸せを守るためにあるのではない事は全国民が知っている。単に自分達の党利党略だけが考えられているに過ぎない。それはつまりは自分自身の保身のため、生活の糧を得るために過ぎない。もっともらしい事を言っているが、その実、何の中身も無い事が多い。自分が嘘をついた事は棚に上げ、嘘をついてはいけません、などと、いけしゃあしゃあと言う人など、顔を見るだけでも虫酸が走る。みなさん、自分が世間からどのように見られているかをまるで知らないらしい。それとも恥を知らないだけなのか。おそらくはそのどちらでもあるのだろう。
 自分達はのうのうと安全な所で贅沢な暮らしが出来ているから、被災地の人の事など真剣に考える事など出来る訳が無い。考えても所詮は頭の中だけの考えだから、そこには痛みも悲しみも何も無い。妻と二人の息子を残して自殺した酪農家の苦しみや絶望など、まるで分からない。

 だから、雲の上になど居ないで、降りて来て外に出て、しかも原発に限りなく近い所で考えたらいい。住む所は仮設住宅で良い。津波で家を失った人は別として、放射能汚染を避けて仮設住宅に住まされている人の身になるべきである。どの党の時に原発が推進されたのか、などは関係が無い。常に政治に関わって来た国会議員全員にその責任はある。もちろん、常に態度を明白にして原発反対に徹していた議員は除外する。ぞうではないのに、自分は原発の事故には関係が無いとでも言うのなら、国会議員であった期間の全給与と得た特権を全額返済すべきだろう。それが嫌なら、被災地の仮設住宅に住んでそこで国会を開くしか道は無い。
 雲の上に居るつもりだろうが、雲なんてあんな頼りない物は無いんですよ。落ちない内に早く心を改めるべきなのである。
 

新聞で知った重要なニュース

2011年06月15日 | 政治問題
 イタリアで原発再開反対派が大勝利をしたのは知っていたが、ベルルスコーニ首相が棄権を呼び掛けたとは知らなかった。更には、同首相傘下の多くのテレビ局が国民投票のニュースを黙殺した事も知らなかった。国賊ものの首相のその地位が安泰なのも超不思議だが。東京新聞の「筆洗」は「露骨なメディア戦略がまったく効を奏しなかったのも痛感だった」と、今日のコラムを始めている。
 そこにはまだまだ私の知らなかった事が書かれている。

 超党派の国会議員が「地下式原子力発電所政策推進議連」なる団体をこんな時期に発足させる日本の政界とは雲泥の差だ。

 今朝、寝起きのテレビで地下室の利点を取り上げていたが、あれはこの話だったのか。
 国民投票に関する事では、日本では国民投票が出来るのは、特定の自治体の住民投票を除いて、憲法改正と最高裁判所裁判官の国民審査だけである事も私は無知で知らなかった。ホント、何にも知らない男なんだね。いや、そんな事はどうでもいい。そこに書かれている事が重要なのだ。

 世界第三の原発大国の日本では、国民投票は可能なのか。実施されれば、主権者の選択を「集団ヒステリー」(石原伸晃自民党幹事長)と評する「上から目線」は覆せるのだろうか。

 石原が主権者の選択を「集団ヒステリー」だと言っているとは知らなかった。テレビでもっともらしい顔をして非常につまらない事をしゃべっているあの顔を私はダイッ嫌いだが、こんなとんでもない事まで言っているとは。彼が憲法改正の国民投票を「集団ヒステリー」とは言わないのは、それはまずは実施に至りそうもないからだろうし、最高裁の国民審判なんて、実質的に意味が無いからである。最高裁の裁判官がどのような判決を出しているかなんて、重大な裁判でもない限りはニュースにはならないから、裁判の記録でも読まない限りは分かる訳が無い。
 「集団ヒステリー」と言うなら、政党こそその最たるものではないか。自分の事は何にも分からないで、他人のあら探しばかりしている。まさにその名に恥じず、である。だから私は政党は要らない、と考えている。
 菅総理を辞任に追い込もうとしているのも、原発推進派の揺り戻しの疑いがある、と言うのももっとも事だと思う。
 今、日本中の国民が日本の政治家のアホ、バカの実体を知ってしまった。何かを言えば言うほど、素性がすっかりばれてしまう事にも気が付かないらしい。ホント、救いようが無い、と言うしかないけど、救われないのは我々全国民なのだ。

「直ちに影響があるわけではない」を今更取り上げられても

2011年06月14日 | 言葉
 今日の東京新聞があの枝野官房長官の「直ちに……ではない」の様々な発言を取り上げて「連発の迷台詞」と言い、「解釈が不一致」だと言っている。でもねえ、今頃になってそう言われてもねえ。
 あの発言を聞いて一般の主婦から、「それでは後になって影響が出るのでは」との疑問が出された。当然である。日本語としてはそう解釈するのが常識だろう。しかし彼はなんとかかんとか言い訳をして、それを弁護する意見もあった。今売れっ子の元NHKの解説者がそれを認めた事を私は厳しく批判した。
 専門家と一般の解釈が食い違うような言葉があって良い訳が無いし、使って良い訳が無い。一般の解釈は長い間の歴史があり、特に間違いが慣習となって固定してしまった言葉(例えば「独壇場」は「独擅場」が正しい)は別として、正しい使い方のはずである。それを専門家が特別な意味に仕立て上げるのは裏切り行為とも言える。それは「専門馬鹿」だからこそ出来る「英断」である。
 
 現代の日本語には様々なおかしな言葉がある。例えば「認知症」。「痴呆症」は差別用語だとして言い替えられた。症状は同じなのにね。しかし「…症」とは「…である症状」の意味である。それでは「認知である症状」とはどのような事なのか。「認知症」の意味は「認知が不可能な症状」である。「認知が不可能」と「認知である」が同じ意味とはとても思えない。「子供を認知する」は「自分の子供として認める」である。
 「認知科学」の言葉がある。
・人間の知の働き・仕組みを探求する科学の一部門。
・人間や生物、さらにコンピューターシステムの認知活動を対象にする科学。
・人間やその他の生物の認知機能を解明しようとする学際的な科学。
 「学際的」とは研究対象が複数の学問領域にかかわっているさま、とこの辞書は言うが、何とも分かりにくい説明である。
 まあ、それはともかくとして、「認知活動」「認知機能」とある。言うまでもなく、「認知する活動」「認知する機能」である。「認知する」あるいは「認知出来る」なのである。だから「認知症」は「認知する症」あるいは「認知出来る症状」になって少しもおかしくはない。
 それが「認知出来ない症状」として使うのだから、日本語の破壊である。

 「…症」なる言葉は「…に障害のある症状」とは限らない。「心臓弁膜症」なら「心臓の弁膜に障害のある症状」になるが、「胃酸過多症」なら「胃酸が過多である症状」である。これらは専門的用語だからそれでも良いのだが、「認知症」は我々一般人の大いにに関心のあるべき症状なのだから、もっと普通に分かるような言い方を考えるべきなのである。
 結局は、いわゆる「専門家」がどうにもいい加減な人が多い事の証拠なのでしょうね。

恐ろしき執念の人

2011年06月13日 | 言葉
 全くの個人的な話なのだが、私はある女性から徹底的に憎まれている。原因はいとも簡単な事である。単なる言葉の問題である。私は小学生の登下校の交通安全誘導の仕事をしている。朝、学校に出勤すると出勤簿に判を押しに職員室に行く。職員の名札が掛かっている下で判を押すから、どうしたってその職員の名札を見る。出勤すれば札を返して赤を黒にする。女性の主事(用務員)が居て、その札が赤だった。そうか彼女はまだ来ていないんだ、と思って廊下に出たら、同女が掃除をしていた。そこで、あれっ、札が赤かったので来てないと思いましたよ、と思わず言ってしまった。途端に同女の面相が激変した。もの凄い怖い顔になった。あれほどの邪悪な表情を私は見た事が無い。
 不思議だったが、何で気に触ったのかが分からなかった。そしてその理由が分かった。本人が私に言ったのである。副校長(教頭)からは出勤したら札を返すようにと厳しく言われている。それをしていなかったのを私が指摘したと思い、怒ったのである。
 私はそんな事情は知らない。それにたとえそうした事情があるとしても、それは同女の不注意に過ぎない。怒り狂う事は無い。そしてその件は同女の方から謝りに来て、解決した。以後、仲良くやって来た。しかしその事件から2年以上も経ったつい最近、それをいまだに根に持っている事が判明した。同女が面と向かって私にそう言ったのである。だから最近ずっと私は無視され続けていたのだ。理由が分かったが、それで万歳とは行かない。私自身は無視されていても一向に構わない。根性の悪い女だなあ、で済む。しかし私と一緒に仕事をしている仲間にもとぱっちりが来る。
 ある時、私は自分の出番を忘れていて、仲間から電話が掛かって来てやっと間に合った事があった。その時、仲間は同女に、もし間に合わなかったら代わりに仕事をして欲しいと頼んだのだそうだ。しかし同女は即座に、あの人の代わりなら御免だ、と言った。仮にも自分の勤めている学校の児童の安全を守る仕事である。個人的な感情でしていて良い訳が無い。これでは、同女の根性が変わらない限り、平穏な仕事は出来ない。
 私は管理者に職場の変更を願い出た。そして受け入れてもらえた。まだ新しい職場は決まっていないが、執念や妄念からは一応は逃れられる。

政治の連立はなぜ難しいのか

2011年06月09日 | 政治問題
 連立構想が打ち上げは華々しいが、一向に実を結ばない。なぜなら理屈ばかりが先行している。やれ、方針の合意だ、何のと言っている。それぞれに自分勝手な党ばかりなんだから、方針の合意がそう簡単に行かない。そうしたそれぞれの党の身勝手があるからこそ、連立構想が出てきたのではないのか。
 連立と言うのは、みんなが一致団結して現在の困難な情況に当たろう、と言うのが目的のはずである。それなのに、連立を組む、と言う事がまず始めの障害になっている。本末転倒ではないのか。与党だの野党だのと言っているからまとまる話もまとまらない。だからこそ一つの内閣にしよう、と言う話ではなかったのか。

 結局、みなさん自分の立場を守る事に必死になっている。今必死にならなければならないのは、大震災からの復旧であり、福島原発の処理である。だから庶民のみんなからそっぽを向かれている。呆れ果てられている。それでもまだ気が付かない。テレビなどに登場してとくとくと自分の立場を主張している政治家達は、良い事を言っているつもりなのだろうが、結果としては馬鹿さ加減を披露しているに過ぎなくなる。何で目先の小さな事しか見えないのだろうか。
 多分、政治家の立場を離れたら、個人的にはちゃんとした人間であり、常識もあれば思いやりもある人達なのだろう。つまり、政治家と言う立場が魔物なのだ。なぜ魔物になるのかと言えば、政治家には名誉とカネが付いて来るからではないのか。名誉とカネ、世俗の最たるものである。だから高潔な政治家が存在しないのだろう。

 お詫びを一言。最近、ブログの休みが多くて申し訳ありません。さぼっている訳ではないのですが、どうにも忙しくて、ついつい目先の事に追われています。それにブログの調子が悪くて、本文のプレビューが出来ず、コメントの管理も出来にくくなっています。何とかしないと。

今朝の東京新聞に小気味良い東京新聞批判が載っている

2011年06月05日 | 社会問題
 筆者はノンフィクション作家の高橋秀実氏。福島の原発避難者達の取材記事で、一部省略しているが、次のように書いている。

 これらは取材せずとも導き出せる話で、取材の結果というより論理的な帰結なのではないだろうか。深刻な状況を既成の深刻そうな言葉でなぞるから読んで沈鬱になるわけで、もっと機微に着目し、細部から新しい言葉を見いだしてほしいのである。
 事故原因に関しても同じこと。ずさんな設計などを次々と明らかにしているが、事故の前に調べようと思えば調べられたはず。

 コラム「筆洗」についても、「福島の事故のような危険性が〝見えて“いたら、原発推進の前提など翻っていただろう」との5月24日付のコラムに対して次のように言っている。

 危険性は最初から見えていた。老朽化している原発は頻繁にトラブルを繰り返し、電力会社も公表していたのに、マスコミは報じなかっただけ。単にきちんと取材しなかったことを後から「隠蔽だ」とすり替えたりするのである。事故前は安全ぶりに寄り添い、事故後は危険ぶりをなぞる。だから新聞を読んでも将来が見えない。論理的な追認に展望は開けないのである。

 まったくその通りだと思う。私も何度か筆洗の考え方がおかしいと言った事がある。高橋氏が言っている事はすべてのマスコミにそのまま当てはまるし、いわゆる有識者と称され、自らも称している人々にもまさに当てはまる。もちろん、政治家にも完全に当てはまる。もって瞑すべし。
 もって瞑すべし、とは、あとの事は私どもが引き受けますから、あなたは安心してあの世へいらっしゃい、との意味である。本当に、今世の中を先導しているような人々を総取っ替えしたいと誰もが思っているはずである。彼等は「先導」しているのではなく、「煽動」しているのである。