標準語とは、全国共通の言語、全国のどこでも通用する言語、そう考えられている。自分は使えないが、聞いて分かる、読んで分かる。それは話し言葉もあるし、書き言葉もある。全国的に使われているのは書き言葉の方である。各地方の新聞はみな標準語で書かれているはずだ。
だが、話す事になると、標準語でなど話す人はいない。いるとすれば、NHKのニュースのアナウンサーぐらいなものだ。民放はニュースのアナウンサーであっても、結構アクセントのおかしな人が多い。結構と言うよりも、驚くほど多く居る。
テレビの出演者、特にバラエティー番組では、全員と言えるくらい、皆さん出身地の言葉でおしゃべりになる。東京の局の番組でも半分くらいは関西弁だったりする。ところが、東京弁は、と言うと、これがさっぱり聞かれない。えっ? 東京弁なんてあったっけ?
……ちゃった、などが典型的な東京弁で、関西人が東京弁の真似をすると、決まって、……でさ、……ちゃったよ、などの連発になる。正統的な江戸弁だと、よござんしょ、などがそうだと聞いた。歌舞伎俳優の誰だったかにそうした言葉を言ってもらって、喜んでいた人をテレビで見た事がある。確かに粋である。
方言の特色は特に付属的な言葉に現れるし、それが面白い。名詞や動詞、形容詞などは、場合によっては意味が分からなかったりするので、それほど注意はされない。私の知っているごく少数の方言としては、大分県の「とぶ」や「美しい」がある。「とぶ」は「走る」、「美しい」は普通に言う「きれい・清潔」である。
こうした方言はあれっ? とは思うが、別に面白くはない。
標準語で話す、などと言うが、それはとても無理な事だと思う。やれば出来なくないが、ニュースのアナウンサーのような話し方しか出来ない。そんな話し方をしたって、ちっとも楽しくない。生き生きともしない。もっとも、NHKの宮田輝氏などは標準語を使って、時には方言を交えてではあったが、全国ののど自慢会場を沸かせていたと思う。しかしそれは飛び切りのプロだから出来る事だと思う。だからこそ、テレビでは方言が花盛りになるのだろう。だから、東京人は「言ってしまった」などと言わずに「言っちゃった」と言ったって、良いのである。
もちろん、公式の席上以外での話である。
話し言葉に標準語は要らないと私は思う。実際に、無いのかも知れない。変な作り言葉、無理な言葉、感情の籠もらない言葉、で話されるよりも、方言まるだしの方がずっと気持が伝わる。
私はNHKは、番組を手伝う仕事をしていて、それは何年も続いていたのだが、始まっていた仕事の途中で突然に、私には分からない理由で仕事を取り上げられたので、それ以後、見ない。生活の糧でもあったし、それ以上に意欲を持って当たっていた仕事だったのだから、悔しさは言いようも無い。
朝の連続テレビ小説は毎日見なければ、との脅迫観念に駆られるから、以前からも見なかったが、ある時、ふとチャンネルを間違えて、見てしまった。ところが、それが非常に印象的なシーンであって、ついつい、続きを見たくなってしまった。それが、何と、3回も続いたのである。
ドラマの作り方が上手かった訳だが、次第に引き込まれて行ったのには別な理由があった。それがドラマでの方言である。
最初は「ちゅらさん」の沖縄方言、次が「どんど晴れ」の盛岡弁、そして「ちりとてちん」の若狭弁。「どんど晴れ」では草笛光子の、「ちりとてちん」では和久井映見の話し方が心に染み込んで来る話し方なのである。
そしてつくづくと、東京人はそうした話し方が出来ているのかと考えた。標準語が東京方言を基準にして作られたがために、標準語=東京弁のような錯覚、並びに現実がある。東京弁は活力を失っているのではないか。
活力を失っている証拠の一つに、東京弁の特徴でもある「ガ行」の柔らかな鼻音がある。これが今や風前のともしびになってしまった。
小学校の国語の時間に、「ガ行」が鼻音である事を習った。「学校」の「ガ」などの語頭の音ではなく、「歓迎」などの途中に出て来る「ガ行音」の事である。「……ですが、」の「が」も当然に鼻音になる。「……です」を略した言い方の「が、」も、だから鼻音だ。
しかし民放テレビの、それも特に女性のアナウンサーやリポーターのほとんどが非常に強くて汚い「ガ」の発音をする。それはそれは本当に汚い。まるで、視聴者の期待を裏切るのが楽しくて楽しくて仕方がない、とでも言うように嬉しそうに「ガ」とおっしゃるのである。
こうした女性達は、多分、人前で平気で音を立てておならをするのだろうと、私は思っている。
無礼な考えではない。人前でしゃべる事を仕事としているからには、全国の美しい方言の数々を勉強しなれ。これは若狭弁。「しなさい」より、どれほど優しくて、しかも指導する気持が籠もっている事か。
ついでにきちんと標準語の勉強もしなくてはいけない。アクセントなどでたらめではないか。言葉その物も知らない。
ある局では、北九州市の小倉北区を「おぐらきたく」と読んだ若い女性アナが居た。番組の終わりで、先輩の男性アナが、「こくらきたく」の間違いでしたと申し訳無さそうに訂正していたが、その気持は察するに余りある。
自分の恥が局の恥にもなる事をしっかりと胸に刻み込むべし。
これは知識の有無の問題ではない。仕事人としての自覚が有るか無いかの問題なのである。自覚が無ければ、給料泥棒と言われても文句は言えまい。
だが、話す事になると、標準語でなど話す人はいない。いるとすれば、NHKのニュースのアナウンサーぐらいなものだ。民放はニュースのアナウンサーであっても、結構アクセントのおかしな人が多い。結構と言うよりも、驚くほど多く居る。
テレビの出演者、特にバラエティー番組では、全員と言えるくらい、皆さん出身地の言葉でおしゃべりになる。東京の局の番組でも半分くらいは関西弁だったりする。ところが、東京弁は、と言うと、これがさっぱり聞かれない。えっ? 東京弁なんてあったっけ?
……ちゃった、などが典型的な東京弁で、関西人が東京弁の真似をすると、決まって、……でさ、……ちゃったよ、などの連発になる。正統的な江戸弁だと、よござんしょ、などがそうだと聞いた。歌舞伎俳優の誰だったかにそうした言葉を言ってもらって、喜んでいた人をテレビで見た事がある。確かに粋である。
方言の特色は特に付属的な言葉に現れるし、それが面白い。名詞や動詞、形容詞などは、場合によっては意味が分からなかったりするので、それほど注意はされない。私の知っているごく少数の方言としては、大分県の「とぶ」や「美しい」がある。「とぶ」は「走る」、「美しい」は普通に言う「きれい・清潔」である。
こうした方言はあれっ? とは思うが、別に面白くはない。
標準語で話す、などと言うが、それはとても無理な事だと思う。やれば出来なくないが、ニュースのアナウンサーのような話し方しか出来ない。そんな話し方をしたって、ちっとも楽しくない。生き生きともしない。もっとも、NHKの宮田輝氏などは標準語を使って、時には方言を交えてではあったが、全国ののど自慢会場を沸かせていたと思う。しかしそれは飛び切りのプロだから出来る事だと思う。だからこそ、テレビでは方言が花盛りになるのだろう。だから、東京人は「言ってしまった」などと言わずに「言っちゃった」と言ったって、良いのである。
もちろん、公式の席上以外での話である。
話し言葉に標準語は要らないと私は思う。実際に、無いのかも知れない。変な作り言葉、無理な言葉、感情の籠もらない言葉、で話されるよりも、方言まるだしの方がずっと気持が伝わる。
私はNHKは、番組を手伝う仕事をしていて、それは何年も続いていたのだが、始まっていた仕事の途中で突然に、私には分からない理由で仕事を取り上げられたので、それ以後、見ない。生活の糧でもあったし、それ以上に意欲を持って当たっていた仕事だったのだから、悔しさは言いようも無い。
朝の連続テレビ小説は毎日見なければ、との脅迫観念に駆られるから、以前からも見なかったが、ある時、ふとチャンネルを間違えて、見てしまった。ところが、それが非常に印象的なシーンであって、ついつい、続きを見たくなってしまった。それが、何と、3回も続いたのである。
ドラマの作り方が上手かった訳だが、次第に引き込まれて行ったのには別な理由があった。それがドラマでの方言である。
最初は「ちゅらさん」の沖縄方言、次が「どんど晴れ」の盛岡弁、そして「ちりとてちん」の若狭弁。「どんど晴れ」では草笛光子の、「ちりとてちん」では和久井映見の話し方が心に染み込んで来る話し方なのである。
そしてつくづくと、東京人はそうした話し方が出来ているのかと考えた。標準語が東京方言を基準にして作られたがために、標準語=東京弁のような錯覚、並びに現実がある。東京弁は活力を失っているのではないか。
活力を失っている証拠の一つに、東京弁の特徴でもある「ガ行」の柔らかな鼻音がある。これが今や風前のともしびになってしまった。
小学校の国語の時間に、「ガ行」が鼻音である事を習った。「学校」の「ガ」などの語頭の音ではなく、「歓迎」などの途中に出て来る「ガ行音」の事である。「……ですが、」の「が」も当然に鼻音になる。「……です」を略した言い方の「が、」も、だから鼻音だ。
しかし民放テレビの、それも特に女性のアナウンサーやリポーターのほとんどが非常に強くて汚い「ガ」の発音をする。それはそれは本当に汚い。まるで、視聴者の期待を裏切るのが楽しくて楽しくて仕方がない、とでも言うように嬉しそうに「ガ」とおっしゃるのである。
こうした女性達は、多分、人前で平気で音を立てておならをするのだろうと、私は思っている。
無礼な考えではない。人前でしゃべる事を仕事としているからには、全国の美しい方言の数々を勉強しなれ。これは若狭弁。「しなさい」より、どれほど優しくて、しかも指導する気持が籠もっている事か。
ついでにきちんと標準語の勉強もしなくてはいけない。アクセントなどでたらめではないか。言葉その物も知らない。
ある局では、北九州市の小倉北区を「おぐらきたく」と読んだ若い女性アナが居た。番組の終わりで、先輩の男性アナが、「こくらきたく」の間違いでしたと申し訳無さそうに訂正していたが、その気持は察するに余りある。
自分の恥が局の恥にもなる事をしっかりと胸に刻み込むべし。
これは知識の有無の問題ではない。仕事人としての自覚が有るか無いかの問題なのである。自覚が無ければ、給料泥棒と言われても文句は言えまい。