夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「直ちに影響がある訳ではない」の曖昧さは許せない

2011年03月31日 | 社会問題
 枝野官房長官が常に発言している、例えば「放射性物質が検出されたほうれんそうを食べても直ちに健康に影響がある訳ではない」に対して、「直ちにではなくても長い間には影響が出るのではないか」と疑問が出ている。普通に常識で考えれば「直ちに…ではない」と言う言葉はそうした理解になる。
 しかし放射能に関する専門家はそうではないと断言する。「直ちに」とは「毎日毎日食べ続けなければ」との意味だと言う。そんな馬鹿な話があるものか。でも実際にはそれが事実だと言うのだから、「直ちに」との言葉を官房長官は間違って使っている事になる。だからだろう、その後の発言では「将来的にも影響は無い」との言葉を付け加えるようにしていると言う。
 しかしこれは危険な発言である。それならそうと、最初から「少量の摂取では健康に影響は無い」と明確に言えば良いだけの話である。そうでなくても風評で放射能に汚染されていない野菜までもが拒否されている情況にあるのだ。
 上記の「毎日毎日食べ続けなければ」との専門家の発言は、池上彰氏が司会をしている「学べるニュース」でされた。そして同氏はそうした「直ちに…する訳ではない」の使い方を結果的には認めた。何が「学べるニュース」なもんか。本当は「これはとても危険な言葉の使い方になるから、改めるべきだ」と言うのが同氏の言うべき事である。こうした言葉の使い方は非常に危険な事だ。一部の野菜に関する事だから命取りにはならないだろうが、もっと別の事だったら大事に至る事だってあり得る。そんな危険な事を平気な顔をして認めてしまうような人間に人様を啓蒙するような番組を取り仕切る権利は無い。色々な事を知っている人のようだが、そうした事を伝える言葉をいい加減に考えているようなら、その知っている事だって大した事ではないのかも知れない。
 私如き人間がこのような事を言うのも、知識にしても事実にしてもそれを不特定多数の人々にきちんと正しく伝えるのには言葉しか使えないからだ。いい加減で曖昧な言葉を使うような人には正しい知識や事実を伝える事は出来ないのである。また、その権利さえも無い。

 官房長官ははっきりした事をなかなか言わない。様々に影響が及ぶのを懸念しての事だろうが、ただでさえ明確ではないのに、誤解を生むような発言をする事は断じてしてはならない。政府を代表して発言しているのだから、もっと責任を持つべきだ。福島の原発にしても、1号機から4号機の廃炉は決定したが、5号機、6号機については東電は明確には言わない。それを問われて官房長官は「社会的な見方はもう決まっている」としか言わない。社会に責任を負わせるのではなく、原子力発電に片棒を担いでいる政府として責任を負うべきではないか。
 関連するニュースを見聞きするたびに私はいらいらする。何で誰も彼もはっきりした事を言わないんだと。破壊されている原子炉の内部の実情を見た訳でもなければ知っている訳でもないのに、推測でさも改善しているかのような事を言うのは許されないはずである。はっきりと私には分からないと言うべきではないか。
 前の福島県知事がはっきりと言っている。原子力発電所の建設に反対したら、東京電力と政府からはっきりと脅迫を受けたと。専門家も脅迫が怖いのだろう。それならテレビになど出なさんな。危険を避けて町ごと埼玉県に移動している人々が居ると言うのに、あまりにも無責任な人間ばかりが出て来るので、いい加減、テレビなど見たく無くなってしまった。無責任な情報しか流さないのなら、テレビも放映をやめたらいい。大きな節電効果がある。CMの莫大な利益で肥え太る事をちょっとばかり諦めたら、もっと良心的なテレビ局になれる。CMによる儲けだけが頭にあるから、テレビ局は悪循環に陥っているのである。

福島原発の事が何でこんなに分からないのか

2011年03月30日 | 社会問題
 ニュースワイドショーで毎回どのテレビ局も福島原発を取り上げている。そして専門家が出演している。けれど、その専門家の話が一向に要領を得ない。何ミリシーベルトだったのが何ミリシーベルトになった、と言われたって、それがどのような意味なのかが分からない。新聞の記事のような、現状は1000ミリシーベルトを越えていて、3000ミリシーベルトを越えると50%が死亡する、と言うような具体的な数値が出されて初めてその恐ろしさと危機的な情況に陥っている事が分かる。日当40万円でも作業員のなり手が居ないのは当然だと分かる。
 専門家だから知らないはずが無い。結局はどこかに遠慮して明確な事を言わないのではないのか。たとえそうした事が無いとしても、我々素人に分からないような事しか言わない専門家など要らない。
 そして番組の司会者も相当いい加減だ。彼等は頭が良いのだろうからそれで分かるとしても、視聴者の立場に立たなければ司会者は務まらない。専門家の言う事をただハイハイと言って聞いている司会者は視聴者の敵だとさえ言える。
 私の周囲ではみんな怒っている。何であんないい加減な事だけしか言わないのか、と。

 2号機では汚染された水がトレンチに6000トンも溜まっていて、今にもあふれそうだ、との話がある。たまり水はほかにもある。緊急にそれをどこかに移さなければならないと言う。そしてニュース番組ではそれをサージタンクに移して解決するような事を専門家が言っている。しかしサージタンクは2基しか無く、その容量は合計でわずかに6800トンらしい。汚染されたたまり水はそれでは収まるまい。
 それなのに、原子力発電に対しての世論調査では、4割が現状維持で、4割が徐々に減らす、などと回答しているらしい。危機的な情況を目の前にしてさえこうした対応をしていると言う事が私には全く信じられない。
 今、節電で街は暗い。スーパーに買い物に行っても、肝心の商品がよく見えなかったりする。でもそれでも暮らしはちゃんと出来ている。電力に頼って贅沢な暮らしをして来た事を見直してみる良いチャンスだろう。危険な原発など廃止しても、我々の暮らしが成り立つ方法は絶対にあるはずだ。フランスが世界第二位の原発国であるのは、地震が無い国だから納得出来るが、世界第三位の日本は地震王国なのである。そうした事を冷静に考えるべきだと思う。

 言い訳を一つ。地震で私の仕事部屋は壊滅的な打撃を蒙った。家具や機器の設置を変え、補強対策もした。しかし今まであった物を安全を旨とした今度のレイアウトでは納め切れない。だからその整理をしなければならない。同時に居間や生活の場の改善も緊急を要する。それがまだ終わっていない。だからどうしてもパソコンに向かう時間が限られる。それに、さあ、やるぞ、と言う気が湧いて来ない。そこで復活したブログがまたまた休みがちになっている。御理解下さい。

福島原発設計者の証言

2011年03月23日 | 社会問題
 今朝の新聞に福島原発の設計者の証言が大きく載っている。東電の想定していた津波は最高で5・5メートルだったと言う。それでも呆れ果てるが、この件で一番重要なのは次の事だ。

 M9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性まで想定するよう上司に進言した。だが上司は「千年に一度とか、そんなことを想定してどうなる」と一笑に付した。

 上の事故が千年に一度だと言う事には何の根拠も無い。ありそうも無いから「千年」と言う単位が出て来ただけの事だ。だからこれは例えば二千年に一度とか三千年に一度でも同じである。重要なのは、事故が起こる確率とそれがいつ起こるのかは関係が無いと言う事である。例えば千年に一度だとして、それは「千年目に一度」ではないのだ。もちろん「500年目に一度」でもない。「千年間の最初の一年目に一度」の事だってあり得る。最初の一年目ではなく、最初の100年目だって問題だ。
 それに、航空機の墜落なら、とても千年に一度などと言う有りそうも無い事ではない。あの日航のジャンボ機のように、コースを大きく外れて墜落する恐れは非常に高いはずである。地震やそれによる津波にしても、我々はそうした自然現象をすっかり解明出来ているのではない。現に、地面の下でどのような事が起こっているのか、誰もはっきりとは知らない。見た訳でもなし、何とか想像しているだけに過ぎない。
 プレートが動いて衝突すると言うプレートテクトニクス論理にしたって、せいぜい1960年代に出来上がった考え方に過ぎない。そうした論理が成立していたって、現に地震の予知は出来ない。そんな程度の我々の頭脳で、M9の地震が千年に一度くらいしか起こらない、などと考える事自体が傲慢である。

 自然の恐ろしさをまるで知らないような人間が寄ってたかって原子炉を作り上げ、挙げ句の果てにはその安全性を言い立てている。原子炉に対してだって、どれほどの知識を持っているのか知れたものじゃない。現にテレビに出て来る専門家は東電の技術者も含めて、何とも頼りない連中ばかりである。
 我々の命に直接関わる原子力発電に関して、こんなにも馬鹿な連中にやりたい放題にさせて置いて良いのか。東京新聞ははっきりと次のように書いている。「一部政治家・官僚・電力業界の利権は強固だ。気が付けば『安全強化』で推し進める。」と。
 今、一番分かり易いテレビでは毎日、それも一日中、福島の原子炉がどのように改善されつつあるかを報告している。しかしそれは改善とは言えない。単に注水が出来たとか、外部から通電が出来た、などと言う破壊された現状を少しでも元に近づける作業が出来ていると言うに過ぎない。それによって、原子炉の安全性が確保されていると言う事にはならない。もしも安全性が確保出来たと言うのなら、解説している専門家は率先してそれらの建屋の中に入って、ほらこの通り安全ですよ、と言えるはずである。
 大体、我々素人には分からない原子炉の構造に関する説明しかしていない事が臭い。そして出て来るのは分かりにくい放射能の数値ばかり。それでもこれらは我々に何らかの安心感を与える効果があると思ってされているはずである。どこまで我々を馬鹿にしたら気が済むのか。こうした無責任な解説をしている連中と、それをそのまま流して納得している番組の司会者の名前と顔を我々はしっかりと記憶にとどめて置く必要がある。他人に対して何事かを言う事はそれだけの責任を伴う。かく言う私自身、責任を持って発言している。

食べ続けても健康に被害が無いホウレンソウがなぜ出荷停止なのか

2011年03月22日 | 政治問題
 ホウレンソウと牛乳の放射能汚染が毎日放映されている。しかし放射能は微量で、ホウレンソウは毎日食べ続けても人体に影響は無いと言い切っているにも拘らず、国の命令で出荷が停止されている。おかしいじゃないか。規制値を越えたかららしいが、健康に害を与えない規制値とは何なのか。
 健康に害が無いと宣言しているのは、原子力発電の擁護であり、出荷停止を命令しているのは、原子力発電の危険性の宣言である。そうとしか考えられない。
 新聞の投書欄に80歳の男性の次のような声がある。

 菅直人首相や民主党の皆さん、素人同然の政治力しかないあなた方の政治生命がほとんど終わろうとしている時、あなた方のするべき仕事はただ一つ。原発の見直ししかない。将来の日本のため、国民の生命を守るために、今のあなた方だからできるこの決断をくだすことが真に国民を思う政策として後世に残るに違いない。

 そう、原発を必死に安全だと言って擁護しているのは、それこそ原子力発電の専門家とそれによって利益を得ている連中だけだ。灰色の煙か水蒸気か分からないものが原子炉から立ち昇っていても、その正体も原因も分からないと言っている東電の技術者や専門家なんか絶対に信用出来ない。専門家が分からないのに、それに100%の安全を保証出来る訳が無い。自分達が推進した原子力発電だから、安全だと言い張っているに過ぎない。少しでも安全に疑念を抱く発言をすれば、それこそ袋叩きに遭って、恐らくは生きていられまい。
 投書者の言うように、政府は原子力の専門家じゃないのだから、訳も分からずに専門家の言う事に同調していてはいけない。それこそ「素人」として原子力発電に断を下すべきだろう。

 同じ投書欄にこんな話がある。地震直後、投書した女性はJRのターミナル駅に降りた。駅の対応は早く、さっさとシャッターを下ろし、人々を駅の外に追い出した。トイレの使用やテレビを設置して情報の共有も出来るだろうに、とその女性は怒りをぶちまける。「シャッターで人々の喧噪から離れ、ほっとしている公共機関には呆れました」

 JRは公共機関ではないのだ。民営化して、利益追求が最大の目的の交通機関に成り下がったのである。そんな事、今に始まった事じゃない。あの尼崎脱線事故に対する対応、何の反省も無く、経営の責任者達は一様に自分達には責任は無いと言い張っている。列車自動停止装置を利益を優先して後回しにしていたのはどこのどいつだ。
 JRのこのような対応はテレビや新聞は伝えない。だから体験した人々がそれを大いに語るべきだろう。そうした情報を交換し合って、この世の中で大きな力を持つ者達がどのような動きをしていたかを冷静に見詰める必要がある。そして、この際、我々は全面的に日本のすべての機構を考え直すべきだ。被災者への支援、我々自身の助け合いはもちろんだが、目の前の事だけに追われていると、重大な事を見逃してしまう。
 テレビの情報は大切だが、被災地の様子とかこまごまとした情報を伝える事に重点が置かれているのは、案外と、細かな事に目を奪わせて大きな事柄を見逃すようにさせる魂胆なのかも知れない。

マスコミは原子力発電の擁護者らしい

2011年03月21日 | 社会問題
 購読紙の東京新聞の第一面のトップニュースは毎日毎日福島の原子炉の事である。テレビも繰り返し繰り返し原子炉の様子をああだのこうだのと言っている。いずれも専門家を招いての話なのだが、見ている私にはさっぱり分からない。原子炉の構造を説明されたって、それがどのように改善されたかを知ったって、ああ、そうですか、と関心の無い返事をするしか無い。
 どうもマスコミはこぞって原子力発電を何とかこのまま続ける事に力を注いでいるようだ。理由は分かる。電力の供給を少しでも損ないたくないからだ。なぜなら、計画停電がこのまま続けば、テレビは命綱であるCMが放送出来ずに収入が激減する。新聞だって同じだろう。そして節電で世の中から多くの無駄が姿を消せば、困るのだろう。
 多くの人々が言っているが、我々は贅沢に慣れ過ぎている。電気に頼って要らない物にまで手を伸ばして来た。だから原子力発電が必要になる。そうした生活を見直せば、あるいは原子力発電なんか要らなくなる可能性はある。庶民はそう考える事が出来る。
 しかし、企業やマスコミはそう考える事が出来ない。何しろ、金儲けだけが彼等の命なのだから。国民に贅沢をしてもらわなくては困る。電気をばんばん使ってもらわなければ困るのだ。だから原子力発電の中止を国民が言い出してはならないのだ。

 我々の周囲ではみんなが言っている。あの地震の災害の様子を繰り返し放映しているが、生活用品の買いだめを防ぐような放送は何一つして来なかった、と。私もそう思う。被害地でインタビューされた人が、困っているのはみんな同じです。私だけそんな事聞かれても意味がありません、と。本当にテレビ局は馬鹿だなあと思う。今、何が一番大事なのかが分かっていない。
 それは政治家だって同じだ。国を挙げて取り組もうと、入閣を依頼された自民党の谷垣氏はそれを断った。普段から、民主党のやり方を批判しているのだから、この際、自分達自民党の実力(?)を見せたら良いではないか。結局、自ら実力が無い事を白状している。彼等にあるのは、権力への野心だけなのだ。
 この際、我々は大いに声を挙げるべきだ。要らない物は要らないと言うべきだ。でも、安全だった多くの人々はそう言い出す勇気が無い。今までの安泰な暮らしに浸っていたい。でも、この日本ではそれは単なる夢物型に過ぎない。今安全な地域がいつ岩手や宮城、福島、茨城のような被災地になるのかは予断を許さない。

 被災者ではない我々が今何をしなければならないのか、をテレビはそれぞれの門家に聞いた。物流とか経済の専門家は萎縮せず、従来の活発な経済活動を続ける事だ、と言う。確かにそれは必要だろう。しかし、その「従来の活発な経済活動」に何の反省も無くて良いのか。物がカネが回らなくては駄目なのは分かる。それは人間が食べて働いて、それで得たカネでまた食べて働いて、と言う循環的な活動をするのが重要な事とよく似ている。しかしその人間のサイクルにも無駄食い、その結果の肥満と言う情況がある。考えられない贅沢だってある。経済ではそれがバブルだろう。バブルの恐ろしさは我々は身にしみている。
 そうした反省無しに、従来通りの経済活動を、と言うのは無責任だろう。大きな災害を受けた今だからこそ、今まで考えて来なかったそうした事を考えるべきではないのか。専門家はその道で食っている。テレビもとにかく放送する事で食っている。そうした人々が寄ってたかって自分達の食って行く道に都合の良い事を言っているのに騙されてはならない。こうした時に一番健全な事が考えられるのは、毎日地道に暮らしている我々以外には存在しない。

 絶対に安全だ、とは言えない原子力発電を一切やめたら、現在のような節電生活がもっと大きくなるだろう。でも、それならそれで、そうした電力でやって行けるような暮らしを考える事になる。日本は今借金で暮らしている。その借金を今の子供達全員に背負わせて、我々大人は平気で暮らして来た。借金は無駄を省けば無くせるはずだ。電力も同じはずだ。原子力発電が日本の借金に当たる。
 今、我々が考えるべきなのは、国家の借金や原子力発電なのではないだろうか。無理な背伸びをせず、着実で、それこそ健康で文化的な生活とは何か、を考えるべき時だと思う。

地震で仕事場が半壊した

2011年03月20日 | 暮らし
 12階にある我が家は重量級の家具だったので、わずかに食器が破損したくらいの損害で済んだが、仕事部屋は見るも無惨な有様となった。重量級の家具はわずかに書棚が一つだけ。そしてそれは中身がぎっしりと詰まっていた事もあって、無事だった。しかしそのほかは安価なカラーボックスを安易に積み重ねて補強もしていなかったし、スチールの支柱と棚板を組み合わせた棚を180センチもの高さで組んでいたから、上の方はすべて倒れて中身が散乱していた。ただ、相対して設置していたお陰で互いに支え合って、まるで「人」の字のようになっていたのが救いだった。
 そうは言っても、部屋の中に入れない。なぜなら、倒れた家具が内開きの扉を押さえてしまっていた。ベランダの戸は冬なのでしっかりとロックしていた。万事休す。もう扉を壊すしか無い。ガラスの入っている扉ならガラス交換のためにガラスを押さえている縁はねじ止めになっているが、全部が木製の扉では薄い板の部分は釘止めの縁でしっかりと固定されている。その縁を息子が丹念に時間を掛けて外してくれてやっと中に入れた。
 幸いな事には2台のパソコンもモニターも無事、2台のプリンターも無事、スキャナーも無事。転げ落ちていた素焼きの招き猫の貯金箱さえ無傷だった。

 パソコンは一応起動して中身も無事な事を確認したのだが、すぐに仕事は始められない。今まで通りの棚の設置では危なくてどうにもならない。180センチもあった棚類のすべてを120センチ以下の高さに抑え、今まで通りの備品や書籍、資料などを収納する事は不可能だ。かなりの物を捨ててもまだ収まらない。
 そこで大幅な模様替えと徹底的な補強をした。この際すべてを重量級の家具にしてしまえば良いのだが、そんなカネは無い。ある物を利用して動かない、倒れない工夫をする必要がある。すぐに取り出せなくても、せめて余震のおそれのある期間持ちこたえられれば良い。要らない物の処分はその後でも出来る。
 朝と夜の仕事の合間を縫っての作業だから1週間掛かってしまった。今日、始めてキーボードに向かっている。ブログに復帰しますので、またお訪ね下さい。

アメリカの沖縄愚弄問題

2011年03月10日 | 外交問題
 アメリカの国務省長官が「沖縄県民はごまかしとゆすりの名人で、ゴーやも栽培出来ない」と発言していた事が問題となっている。問題発言は更に色々とあるらしいが、これはアメリカン大学が沖縄と東京に2週間の研修旅行を計画していた同大学の学生14人にした講義の内容だと言う。
 対象がごく少人数に限られているから、そんなに大きな害になるとは思いにくいが、何よりも私はそうしたアメリカの考えは何も今更始まった事ではないと思っているから、そんなには驚きもしないし、怒りもしない。
 元々アメリカは日本など黄色人種を馬鹿にしているのだと思っている。アメリカはイギリス人が宗教的迫害を逃れて建国したのが始まりだ。元々そこには先住民族が居た。いわゆる「インディアン」だ。西部劇で何度も何度も見た。「野蛮で獰猛な」彼等を「文明人」であるアメリカ人達が追い詰め、殺し、彼等の土地を奪って行った歴史を。元々が侵略者なんだから、自分達以外の人種に大きな偏見を持っているのは当然の事だと思う。
 欧米のいわゆる白人種の考えている事なんて、だいたい、そんなものだろうと思う。以前よく「白豪主義」なる言葉を見聞きした。オーストラリアは徹底的な白人主義の国なのだ、と。オーストラリアだって、ヨーロッパの白人に奪われた土地なのだ。何しろ「オーストラリア」とは白人達にとって「未知なる南の土地」と言う意味が語源なのだから。

 アメリカは弁明に努めているようだが、単に本音が明らかになったに過ぎない。我々はこれはアメリカの本音である事をきちんと認識している必要があるはずだ。もちろん、建前である日本との友好を信じて行かなければだめだが、心の底で常にこうした米国の本音をきちんと理解している必要がある。そうした心構えが無いから、簡単にアメリカの様々な誘いに乗ってしまうのである。郵政民営化なんか、最たるものだ。
 やっぱり日本人は徹底的にお人好しなんだろうねえ。インディアンのように、あるいはオーストラリアの先住民族達のように、「駆逐」された経験など一度たりとも持った事がないのだから。あの太平洋戦争では何十万人もの日本人がわずか一日で殺された経験をあちこちで持っていると言うのに、すっかり忘れていると言うのは、お人好しなのではなく、多分、馬鹿なんだろうねえ。アメリカと付き合うのに、毎度毎度そんな事を意識していろ、と言うのではない。しかし心の奥底に「何をっ」と言う怒りを持っている必要が絶対にあると私は思う。それはロシアに対してだって言える事だと思う。

巧妙なカンニングが成功した事に感心する

2011年03月08日 | 社会問題
 もっと前に発信しようとしていたら、前原外相の事件が起きて後回しになってしまった。でもちょっとばかり時間を置くのも、カッとなっていた頭が少しは冷やされて良い場合がある。
 カンニングの件は、率直に言って、凄い事だと感心する。問題文を投稿する事自体が普通ではとても出来ない。そしてそれにすぐに対応出来る素晴らしさ。どちらの能力も非常に優れている。問題と答とを詳細に見た訳ではないから、正解かどうかは私には分からないが、そんな事は問題ではない。とにかく、その対応力が素晴らしい。
 考えてみれば、こんな事はずっと以前から分かっていた事だろう。ブログと言い,ツィッターと言い、その旺盛な繁殖力を見れば、それがほかにどのように発展して行くかなんて、専門家ならそれこそ簡単に想像出来るはずである。それが出来なかった。
 試験にカンニングは付き物だ。だからカンニングが出来ないような仕組みを考えるのが試験をする側の責務である。結局、試験官側は見抜けなかった。それだけの態勢だったと言う事だ。カンニングをした側の巧みさに比べて、何とお粗末な事か。

 大学側は大問題にしているが、たとえ解答が正答であったとしても、受験生の一体何人がその答の恩恵にあずかれたと思うのか。この受験生一人くらいしか考えられないではないか。
 自分達の不備を顧みず、しかも携帯有り、ヤフーだのグーグルだのと投稿サイト花盛りの現状を理解せず、旧態依然とした受験風景しか考えられなかったお粗末さを何の反省も無く、簡単に犯罪扱いをする事に私は大きな疑問を抱いている。
 あなた達大学は、こうした事件を引き起こすような社会体制を作り、そうした人間を育てるために学生の教育をしているのではないだろうか。少なくとも、大学で真剣に学ばなければ社会で役には立たない、と言うような教育をしているのか。入学してしまえばそれでおしまい、と言うような教育なのではないか。恥ずかしながら、私自身はそうだった。私が在籍していたのは東京の某国立大学だが、一般教養などは有名教授が十年一日といったぼろぼろになったノートをめくって講義をする。そこに新しい学問の進展があったのだろうか。
 極端な言い方かも知れないが、京都大学とか東京大学とかは、それで人間に箔を付けたと称される存在なのである。そうした学閥が有害無無益な事は誰もが知っている。学閥が 「学問の真実」 を決定し、 「日本国民の幸せ」 を決定している。有名私立大学は 「大学」 と言う名の企業を経営して金儲けをしている。

 数学を知らないから言うのではないが、テレビで見た数学の問題なんか、あれが出来てどうなんだ、と私は思う。それがこれから実社会に出て社会に貢献するべき人間に必要な知識なのかと。これから学ぶ学問のための必須の基礎知識なのかと。
 大勢の受験生の中から少しでも優秀な人材を選ぶためだから、難しい問題になるのは仕方が無いだろうが、単に頭の良さだけではなく、大学生として真剣に学問を学ぶ能力があるのかどうかをテストする方がずっと役に立つのではないだろうか。そうした人材選びをしないから、人間としての資質で劣る頭でっかちの変な学生が卒業してしまうのである。そして彼等が社会の重要な部署を担う事になるのだから恐ろしい。
 

前原氏の辞任を疑問に思う

2011年03月07日 | 政治問題
 外国人からの寄付を受ける事が許されないのは確かに政治家のイロハのイだろう。それが守られなかった。しかし違反していたのは後援会である。寄付金の一つ一つのチェックまで政治家がしている後援会があるのだろうか。議員と後援会の関係は、社長と例えば会計部長のような関係ではないのか。社長に一々首をつっこまれたら、部長はやりにくくてたまらないだろう。
 組織とは本来そうしたもののはずだ。だからこそ、その長には任命責任がある。私は前回のブログで前原氏を馬鹿だと書いた。それは政治家全部を含めての事なのだ。自民党を主とする野党のこの問題に対する意見を聞いていると、本当にみんな馬鹿なんだなあ、とつくづくと思う。
 こんなにコロコロと大臣が替わっていたら、外国からどんな目で見られるか。それでなくても、日本は傲慢で野蛮な国々に囲まれている。アメリカ、ロシア、中国なんか、その最たるものではないか。部下の不始末にその長たる者がいちいち責任を取っていたら、多分、何も出来ない。後援会は部下ではないが、それならなおさらの事、後援会の不始末に責任を取る必要は無いのでは無かろうか。
 牛肉輸入問題にせよ、郵政省の民営化にせよ、様々なアメリカからの勝手な外圧が掛かってくる。ロシアは北方領土の占領を正当化しようとする。中国は尖閣諸島を占領しようとする。そうした様々な無法に立ち向かって行こうと言うのに、一年5万円、5年間で25万円ぽっちの外国人寄付金で外務大臣が重大な任務をほっぽり出すとは信じられない。そのように要求している野党の政治家が全く信じられない。

 日本の政治家は、日本の発展よりも、自分達が日本国内で権力を握る事だけが目的なのである。だから、政府を応援するのではなく、その落ち度を見付けては何とか代わろうとするだけなのだ。そんなコップの中の争いをしていてい、日本が発展などする訳が無い。
 偉そうな顔をして、前原氏の辞任を要求していた自民党のお偉方よ、あなたがたは、北方領土をロシアから取り返す自信がおありですか。前原氏がロシアの外交筋から信頼をされていると言うのであれば(これは佐藤優氏の情報)、何とか前原氏の手腕を発揮させようと応援するのが日本国民としての役目ではないのか。
 ずっと昔に読んだ話なのでうろ覚えだが、 「どんぐりと山猫」 で、どんぐり達がこの中で誰が一番偉いのかとそれこそ 「どんぐりの背比べ」 をしていて、その審判を山猫に頼む。考えた末に山猫は、この中で一番駄目でどうにもならなくて、と様々な悪条件を挙げて、そいつが一番偉いんだ、と答えた。どんぐり達は沈黙してしまった。多分、こうした話だったと思うが、今の日本の議員達はみんなこの 「どんぐり」 並みである。そうそう、井の中のかわず、大海を知らず、と言うことわざもある。政治家達は蛙並みなのである。
 テレビで堂々と顔をさらして、前原氏の辞任を要求していた政治家達は本当に恥を知らないし、政治を知らないし、何よりも我々日本国民の幸福が何かを知らない。自分達だって日本人の端くれのはずなのにねえ。

前原外相の外国人献金問題

2011年03月05日 | 政治問題
 在日韓国人からの献金が4年間で20万円。大した金額ではない。しかし政治資金規制法で禁じられている事を「まえはら誠司後援会連合会」と言う名称の後援団体がした事が大きな問題だ。後援団体の主な役目は金銭的な支援である、と誰もが思っているはずだ。その最も重要な事に関して、政治資金規正法を知らなかった、は通らない。後援団体は故意にやったのである。前原氏自身は故意ではなかったと弁明しているが、それはそうだろう。知っていて、そんな金額で違法行為をするほどの馬鹿ではあるまい。
 だが、馬鹿ではある。後援団体を信頼し過ぎた。人の性格なんて、ちょっと付き合えば簡単に分かる。細かな情緒的な事は分からなくても、いい加減な人か、考え方のおかしな人か、悪い事の出来ない人か、と言ったような事は分かる。だから後援団体の責任者として適切かどうかなんて、簡単に判断が付くだろう。
 そうした判断が出来なかった、あるいはしなかった。だから馬鹿なのである。「後援」と言う名前に盲目的になってしまった訳だ。そこですぐに思い出すのが、佐藤優氏がロシアの外交筋では前原外相を買っている、と言っている事だ。私もブログでその話をした。一年間わずか5万円の違法でつまづくような人が、外交に対して手腕を発揮出来るのかと疑問に思う。

 結局いつも思う事なのだが、誰も彼もがカネに対して汚過ぎる。それが全世界の風潮になってしまっている。食糧を投機の対象にするなんてその最たるものだ。国家レベルでなら、アメリカがその代表だろう。我々の周囲を見回してみても、カネ、カネ、カネである。カネに目がくらんでいるから、真実が見えない。国内の産業を活発にするのではなく、他国の産業を活発にして、それで安い製品を作り、国内で売りさばいて儲けようと考える。その結果、国内の購買力はどんどん低下してしまう。そうした図式が全く見えてはいない。
 繰り返すが、前原さん、一年間たった5万円ですよ。もしかしたらもっとたくさん、別の件があるのかも知れないけど、今、問題になっているのはわずかそれだけの金額なんですよ。かわいそうと言うか、呆れて物が言えない。政治家の資質なんて、そんなもんなんですね。