国会中継のニュースを見ていると、本当に情けなくなる。あまりに程度が低過ぎる。相手のちょっとした非をまるで鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てる。北朝鮮の馬鹿げた爆撃の時の総理官邸の対応のまずさを非難するのはまだいい。自衛隊を暴力機関とか何とかだと言ったと問責決議をしてどうなると言うのだろうか。ある人は広辞苑にそうした説明があると投書をしていたが、確かに自衛隊は暴力機関になり得る。それは官邸が言論の弾圧、圧政機関になり得るのと同じ事ではないのか。自衛隊は暴力機関になり得るからこそ、国を守る事も出来るのだと思う。官邸は圧政機関になり得るからこそ、有事に際してはやはり国を守る事が出来るのではないのか。
物事の解釈は人それぞれに違う。性格もまた違う。議員とか政治家とはそうした存在で良いはずだ。常識があって、思いやりがあって、などが基本的な事だとしても、その「常識」とか「思いやり」にしても、人によって解釈が違う。この世の中に、これこそ文句無く満点を付けられるような人物は存在しない。みんな何かしらの欠点を持っている。そうした人間が互いに切磋琢磨して、色々と相談して大事な事を決めれば良いだけの話である。ただし、あまりにも欠点の多過ぎる、または大きい人は資格が無いが。
国とは家庭と同じだと思う。家庭には農家の家庭もあれば、商家の家庭もある。サラリーマンの家庭もあれば、社長の家庭もある。代々の遺産で楽して暮らして行ける家庭もある。それと同じ事が国家にも言える。国はそれぞれにみんな性格が異なる。その国をどうやって運営して行ったら良いのか。
それは家庭の運営と同じだと私は思う。夫と妻が常に文句を言い合っている家庭が、果たして良い暮らしの出来る家庭だろうか。それぞれに欠点や失敗があっても、それを補い合い、助け合いながら暮らして行くのが人間の暮しだと思う。
でも今の日本の国は違う。事あるごとに相手を非難し、ののしり合って暮らしている家庭と全く同じである。選挙で多数を取った与党にしても、我々国民はその与党の絶対多数ですべてを乗り切ってくれ、などと頼んではいないはずである。舵取りをするのは与党であって良いが、独断では困ると考えているはずである。与野党が知恵を絞ってより良い道を探ってほしい、と思っている。
何で与党と野党は対決姿勢になるのかねえ。それは単にそれぞれの議員の人間性が駄目な証拠だろう。○か×かだけで乗り切れるなんて本当に思っているのだろうか。まあ、国会でのあのやりとりを見ている限りでは、本当にそう思っているとしか思えない。そうした議員達を選んだのは我々の責任だ。でも、そうした議員候補しか居ないのもまた事実である。
たとえ選挙中は立派な人だなあ、と思えても、当選して、どこかに属してしまうと、途端に変わってしまう。うーん、これは人間性だけの問題ではなく、政党とかの問題なんだろうなあ。でもその政党を率いているのは個人個人なのだから、結局は人間が出来ていないと言う事になるのかも知れない。そうした人間が日本を引っ張っているのである。
物事の解釈は人それぞれに違う。性格もまた違う。議員とか政治家とはそうした存在で良いはずだ。常識があって、思いやりがあって、などが基本的な事だとしても、その「常識」とか「思いやり」にしても、人によって解釈が違う。この世の中に、これこそ文句無く満点を付けられるような人物は存在しない。みんな何かしらの欠点を持っている。そうした人間が互いに切磋琢磨して、色々と相談して大事な事を決めれば良いだけの話である。ただし、あまりにも欠点の多過ぎる、または大きい人は資格が無いが。
国とは家庭と同じだと思う。家庭には農家の家庭もあれば、商家の家庭もある。サラリーマンの家庭もあれば、社長の家庭もある。代々の遺産で楽して暮らして行ける家庭もある。それと同じ事が国家にも言える。国はそれぞれにみんな性格が異なる。その国をどうやって運営して行ったら良いのか。
それは家庭の運営と同じだと私は思う。夫と妻が常に文句を言い合っている家庭が、果たして良い暮らしの出来る家庭だろうか。それぞれに欠点や失敗があっても、それを補い合い、助け合いながら暮らして行くのが人間の暮しだと思う。
でも今の日本の国は違う。事あるごとに相手を非難し、ののしり合って暮らしている家庭と全く同じである。選挙で多数を取った与党にしても、我々国民はその与党の絶対多数ですべてを乗り切ってくれ、などと頼んではいないはずである。舵取りをするのは与党であって良いが、独断では困ると考えているはずである。与野党が知恵を絞ってより良い道を探ってほしい、と思っている。
何で与党と野党は対決姿勢になるのかねえ。それは単にそれぞれの議員の人間性が駄目な証拠だろう。○か×かだけで乗り切れるなんて本当に思っているのだろうか。まあ、国会でのあのやりとりを見ている限りでは、本当にそう思っているとしか思えない。そうした議員達を選んだのは我々の責任だ。でも、そうした議員候補しか居ないのもまた事実である。
たとえ選挙中は立派な人だなあ、と思えても、当選して、どこかに属してしまうと、途端に変わってしまう。うーん、これは人間性だけの問題ではなく、政党とかの問題なんだろうなあ。でもその政党を率いているのは個人個人なのだから、結局は人間が出来ていないと言う事になるのかも知れない。そうした人間が日本を引っ張っているのである。