夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

とても重要な事で分からない事がある

2011年01月31日 | 社会問題
 一つはJR山手線のホームの点字ブロックの事である。目白駅で全盲の男性が転落死した。そして調べて分かったのは、その点字ブロックは10年以上前の物で、現在の規準に沿っていないと言う事だった。同じような障害者からすると、点字が点字に感じられず、平面に思えてしまうのだと言う。それでは点字ブロックの意味を成さない。そうした指摘は以前からあったにも拘らず、一向に顧みられる事が無かった。
 それが事故をきっかけとして、やっと改善される事になった。それすら遅きに失するのに、何と、その費用はわずか2千万円なのだと言う。JR東日本の巨額な利益から見れば、それはまさしく 「雀の涙」 であろう。それなのに、そんなわずかな費用をケチっていた訳だ。
 新聞にはこんな意見が載っている。 「鉄道会社は全盲の障害者を雇っているのか」 「点字ブロックを定期的に点検しているのか」
 
 世の中には他人の身になってみなければ分からない事は数多くある。鉄道での危険性などはその最たる物である。それなのに、そうした配慮が全く無い。点字ブロックを定期的に点検するためには、点検の規準が必要になる。それは当然にその時点で最新の規準である。 「最新の規準に照らして、細心に点検する」。 これは詰まらぬ冗談ではない。最低限の処置である。
 そうした点検をしていなかった。それは点検をしていた事にはならない。 「利益の点検」 はしているくせに、乗客の安全を守る点検は怠っていた。そうした会社を 「鉄道会社」 などと呼ぶ事は断じて出来ない。

 今、盛んにバリアフリーなどと言われている。しかしそれはほんのわずかな所でしか出来ていない。私が毎日歩いている歩道にしても、歩道と車道との段差はもの凄くある。狭い範囲で急激に高くしているから、健常な人間でさえ歩きにくく、転びそうになる。障害者はとても怖くて歩けないはずである。
 大体、歩道を車道よりも高くする発想が時代遅れだと思う。そんな事をするから、家々に車庫がある所の歩道は頻繁に高い低いが繰り返されている。だから歩きにくくて仕方が無い。その高低差にうっかりと気付かずに歩くと、ガクンと衝撃が来る。とんでもない事である。

 国旗・国歌の強制が二審で合憲とされた。
 卒業式などで日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱する事を東京都教育委員会は求めている。それに対して都立高校の教職員達の一部が通告に従う義務は無い、と訴えて、東京地方裁判所の判決で義務の無い事が認められた。その控訴審で、東京高等裁判所が 「強制は合憲」 との判断を下した。
 前にも書いたが、平成11年に、 「国旗・国家法」 が制定されている。国旗は 「日章旗(日の丸)」 で、国歌は 「君が代」 である。法律で決まっている事を、都立の高校が教職員に強制してどこが悪いのか。言うまでも無く、都立高校は東京都の管轄下にあり、地方自治体が国の管轄下にあるのもまた当然だろう。どこから、通達に従う義務は無い、との考え方が生まれるのだろうか。
 こうした記事を読むたびに思う事がある。諸外国ではどうなのか、である。独裁国家は別として、民主国家と考えられている欧米の各国などではどうなのか、を新聞は書くべきだと思う。マスコミが真実を伝えているとは限らないのは知っているが、欧米では国旗と国歌を無視する事が当然だ、と言う話は伝わっては来ない。
 もちろん、外国がこうだから日本も見習え、と言うのではない。しかし欧米の国民が揃って無教養で、国旗も国歌も尊重しない、と言うのでない限りは、当然に参考になるはずだ。少なくとも、民主国家としての成熟度は日本よりも早くて確かなはずである。