夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「うちわ」を団扇と書く理由/説明はきちんと

2008年07月30日 | Weblog
 月曜日の夜8時、テレビ東京に「和風総本家」と言う番組がある。日本の伝統文化に関する雑学クイズである。
 7月28日、「うちわ」に関する問題が出た。漢字で書けば「団扇」。「扇」は分かるが、なぜ「団」なのか、と質問が出された。誰も答えられない。どこかの大学の教授にも聞いたが、「団子」とか「大団円」などに使っているから、「丸い」なんでしょうね、よく分かりませんとおっしゃる。
 えっ! うそー、と私は思った。
 『常用字解』では「団」の元の字は「團」で、「專」に「タン=うつ。まるめる。まるいつゆ」の音があると説明している。固めてまるい形にしたものをさらに円形を加えて外から包んだ形が「團」で、意味は「まるい。まるくあつまる。あつまり。まるくかたまる。かたまり」だと言う。
 漢和辞典『新字源』にも「まるい。まるめる。かたまり。あつまり」などの意味が挙がっている。「団扇」には「円形であるからいう」との説明もある。
 これらは別に難しい説明ではないはずだ。普通に「団=まるい」と考えられるはずである。なにゆえに、この教授は分からないと言ったのか。

 私はすぐに「どんぐり=団栗」を思った。「どんぐり」は「かし・くぬぎ・なら」などの丸い実を言う。韓国の学者は古代朝鮮語で「どんぐる=円い」だと言っている。イ・ヨンヒと言う学者だが、同氏は20年近く前に『もう一つの万葉集』と言う、万葉集の前半の大半は朝鮮語で詠まれていると称している本を書き、その意表を突く考え方と出版社が文藝春秋だとの点で、ベストセラーになったが、そこにその説明がある。それが非常に面白いと言うか滑稽なのだ。

  日本語の「どんぐり」の語源はこの「どんぐるり」だと言われています。「どんぐるりじ」の語幹であるこの言葉には、「ころがる」という意味が含められています。どんぐりの木の実が、ころころたくさんちらばっている上を歩くと、ころがることが多い。「どんぐるり」する、すなわちよくころがるので、この名がついたとのことです。

 確証は無いとは言っているが、いやはや、と言うしか無い。どんぐりの実が散らばっている上を歩くところがる、だって? 目の良い古代人がなんでどんぐりの上を歩いてころがらなければならないんだ? それにどんぐりは貴重な食料ではないのか。食料の上を、普通、歩くか? 「どんぐる=円い」で十分説明は付くではないか。
 こうした浅い考え方だから、万葉集の前半の大半が朝鮮語である、との考えもまた信用は出来ない。私はそうした同氏の解釈に一つ一つ細かく反論を書いた。見たいとおっしゃる方がいれば、いつでもお目に掛ける。朝鮮語、それも古代語を知らなくても、日本の古代語や万葉集の歌を知っていれば、常識でおかしいと思えるのである。

 それは別としても、朝鮮語の「どんぐる」が日本語の「どんぐり」になっている、との考えは納得が行く。だから「団栗」と書くのだと思っている。朝鮮語の事はともかく、日本語の学者なら、「どんぐり=団栗」は常識である。「団」の漢字を見て、どうしてそうした連想にならないのか、と私は不思議で仕方がない。
 そして、この番組はどうして漢和辞典を引かなかったのか、と不思議でたまらない。学者が分からないと言うなら、自分達で追究してみようとは思わないのか。
 そう、思わないのですね。だから、いつもいい加減でお茶を濁しているんですね。昨日、TBSの番組で同じような批判をした。話題にしている言葉の意味を様々な国語辞典で調べようともしていない。単に二つの辞典を引いただけである。しかも使われている言葉すら正確に使えない。「呆然」を「あぜん」と読んで平気である。「呆れる=あきれる」だから「呆然=あぜん」となった、のだとは思うが、でも、言い訳にはならない。

 テレビは一過性である。これぞ、と思わない限りは録画などしていない。毎日のニュースショーなどを録画していても仕方がない。だからどのような間違いがあっても、顧慮される事が無い。たまに番組の終わりで訂正があるが、それだって、何をどう間違えたかは明確にしないで、単に「○○の間違いでした」と言うだけである。そんなの訂正とは呼べない。つまり、訂正だって形式的なのである。
 そうしたテレビのいい加減さを私は一冊の本にした。だが、あまりにも小さな事と思うのだろう、どこも本にはなりません、と言う。テレビについての批判書はある。私も買って読んだ。だが、大局的な見地からの批判は今一つ分かりにくい。言っている事は正論なのだが、どうにも具体的にそうだそうだ、と納得出来ないのである。
 私は高邁な事が分からない。よく演繹法とか帰納法とかが話題になるが、それすらも私には分からない。なんで、そんなに難しく考えなきゃならないんだ、と思ってしまう。もっと具体的にああだのこうだのと言う訳には行かないのか、と。それが一番分かり易いではないか。難しい事、原則的な事を言うから、切実感が無いのである。切実感が無くて理解した事など、何の役にも立たない。

言葉の説明はきちんとするべきだ。文化庁の国語調査

2008年07月29日 | Weblog
 文化庁の国語調査の事を先日書いた。28日のTBSの午後2時からのワイドショーの終わりの方で、たまたま見たのだが、その一つ「憮然」を取り上げて説明していた。「憮」の漢字の意味を説明し、「失意」の意味だから、「失望してぼんやりしている様子」になるのであって、「腹を立てている様子」が間違いであるとの説明だった。そして大型辞典の『辞林』だったか、1988年から「腹を立てている様子」だとして、その意味で使っている人の方が多いから、との編集部の意見も紹介していた。
 私は中型辞典の『新辞林』しか持っていないが、そこにも「思いどおりにならなくて不満なさま」とある。用例は「憮然たる面持ち」。そこで他の辞典で調べてみた。
・岩波国語辞典=失望するさま。また、(あきれはて)驚くさま。「憮然たる面持」
・新選国語辞典=意外なことに驚いて、がっくりするようす。失望して心のしずむようす。「憮然たる表情」
・新明解国語辞典=自分の力に余るという表情で、ためいきをつく様子。「憮然としてあごをなでる」。意外な出来事で、ぼんやりする様子。暗然。
・明鏡国語辞典=落胆して、また、驚きあきれて、呆然とするさま。「憮然として立ち去る」「憮然たる面持ち」
・大辞泉=失望・落胆してどうすることもできないでいるさま。また、意外なことに驚きあきれているさま。「憮然としてため息をつく」「憮然たる面持ちで成り行きを見守る」
・広辞苑=失望してぼんやりするさま。失望や不満でむなしくやりきれない思いでいるさま。「憮然たる表情」「憮然として立ちつくす」

 色々な解釈がある。とても文化庁の解釈で済むとは言えない。各辞典の意味を挙げてみる。
失望。驚く。驚いてがっくりする。失望して心がしずむ。ため息をつく。ぼんやりする。暗然。落胆し、驚いて呆然とする。失望・落胆。驚きあきれる。失望してぼんやり。失意や不満でやりきれない。
 文化庁が正解だとする「失望してぼんやりしている様子」はどうも広辞苑の解釈を取り入れているらしい。説明がそっくりである。
 それにしても「失望してぼんやり」と「失望してがっくり」「失望して呆然とする」は違うだろう。広辞苑の「ぼんやり」は「気がきかないさま。利発でないさま」と同辞典にある。明確に「がっくり」「呆然」とは違う。

 何ゆえに、文化庁はこの広辞苑の解釈を是としているのか。そしてこのテレビもまたそれに唯々諾々と従っているのはなぜなのか。
 各種辞典の「驚きあきれはて」や「不満でむなしくやりきれない思い」なら「腹を立てている」とも似ているではないか。それらの意味をなぜ無視するのか。
 そうした事を考えると、文化庁のこうした調査とその結果発表が果たして役に立つのか、との大いなる疑問が湧く。この「憮然」なら「腹を立てている」のような説明をしている辞典もあるのが原因とも考えられるのである。
 では同じく調査をした「さわり」ではどうなのか。
 正解は「話などの要点」で、間違いが「話などの最初の部分」である。「さわり=最初の部分」の説明をしている辞典は私の持っている7冊では新選国語辞典のみで、同辞典は正しく「いちばんの聞かせどころ」と説明して、最近の用法では「曲などの出だしの部分」も言う、と説明をしている。
 つまり、文化庁が間違いだとしている用法は最近の用法らしい。ではなぜ最近はそのように使われているのか。前出の辞典は「曲などの」と言っている。そこにヒントがある。ポップスなどの曲では、「さわり=聞かせどころ」を「さび」と呼ぶ。そこから出だしの部分が「さわり」となったのではないか、と私は推測している。
 なぜ正しいのか、なぜ間違っているのか、をきちんと説明してくれなければ、ただ、間違いですよ、と言われたって、納得出来る訳が無い。どの年代が何%などと数値を挙げるよりも、そうした説明をする方がずっと役に立つはずである。と言うか、数値など実際には何の役にも立ちはしない。

 文化庁がこの有り様なら、せめて新聞がきちんと説明したって罰は当たるまい。マスコミはいつだってそうなのだ。単に現象を挙げているだけなのだ。テレビはさぞ、これは絶好の話題が出来たぞ、とほくそ笑んだ事だろう。
 このTBSの番組では、何と説明者が「呆然(ぼうぜん)」を二度も「あぜん」と読んでいた。あまりの事に私は「ぼうぜん」とし、そして「あぜん」とした。間違った言葉遣いの話をしていて、自分が間違っていれば世話が無い。この人は以前は朝のニュースショーの司会もしていたくらいの人である。私は面白く見ていたが、何の理由あってか、降ろされてしまった。その後、同局はオーム事件の不始末があったとかで、ニュース番組から手を引いて、朝、どの局もニュースショーをやっている時間帯に全く異質の「はなまるマーケット」なる番組を放送している。まあ、その前にみのもんた氏のニュースショーをやっているから、現在では、ニュースから手を引いたとは言えないが。
 この例だけで言うのは乱暴だが、テレビの報道のいい加減さに、私はホント「憮然たる思い」なのです。この場合の「憮然」にはもちろん正解を含みますが、同時に間違いとされている「腹を立てている」も含んでおります。

どなたか合理的なDTPの仕事を下さい

2008年07月28日 | Weblog
 私はDTPの仕事もしているが、印刷会社の下請けの仕事は本当に間尺に合わない。なぜなら、クライアントの言うがままだからである。どんな無理難題を言われても、ごもっともと、その問題を解決しなければいけない。印刷会社がそれを承知で引き受けた仕事だからである。近年は素人でも、製本を除けば、印刷会社にひけをとらないような印刷が出来る。従って、印刷会社は競争が激しい。少しでも仕事が欲しいのである。だから無理を承知で引き受ける。
 そうではなくても、クライアントが非常にわがままである。昔は印刷会社に発注するのは編集者だった。クライアントの意向を受けて編集作業をし、完全な原稿を印刷所に入れる。だから無理な注文などはそもそも存在しない。
 しかし現在はそうではない。簡単に文書が作れるソフトがあり、素人でも簡単に編集作業が出来る。ただ、悲しい事に、編集のしっかりとしたノウハウが無い。そこでとんでもない物を作り、それをそのまま印刷会社に渡す。印刷会社はその中途半端な作業の結果を下請けにそのまま流してしまう。

 受けた側はさあ大変。用字用語はなっていないし、文章だって下手くそだ。使っているパソコンだけでしか通用しない文字なども平気で使っているし、そのソフトだけでしか働かない機能もふんだんに使っている。これを「汚いデータ」と呼ぶ。そのままではどうにも使えないデータだとの意味である。
 それを直し、更には用字用語を統一し、変な文章や間違いを直してどうにか一人前のデータになる。これを一体、幾らに見てくれるのか。見てなどくれない。ただ同然なのである。
 更には、何度でも様々な直しが出て来る。もともとしっかりと仕上げた原稿ではないから、ぼろぼろと出て来る。パソコン上では簡単に直せるから何の遠慮もしない。当然のように言って来る。
 その直したるや、本当に情けなくなるような直しなのだ。「……は」を「……が」に直すよう指示が来た。そこで直す。すると今度は「……が」を「……は」にせよ、と言うのである。これに類する直しが本当に多いのである。一括して一度とか二度の直しならそれでも仕方がないが、それを何度でも繰り返す。
 要するに、自分達でしなければいけない作業を他人にやらせているのである。当人達は当然にそうした作業も料金の内に入っていると思っている。だが違うのだ。そのほとんどを下請けが泣きの涙でただ同然にやっているのである。

 手を入れるのは電子記録のデータである。紙の上にきちんと固定して存在するデータではない。そこに思わぬ落とし穴がある。
 一箇所直したために、1行増えてしまう事は多々ある。そうなると、そのページの体裁が変わって来る場合がある。私の最近の仕事では、囲みの中の行が増えて、囲みの大きさも変わった。普通は単に囲み罫の大きさを変えれば良い。しかし私はそこにイラストレーターで作った影を付けていた。つまり、その影の大きさも変わってしまう。たまたま作ってなかった大きさの影だから、新たに作って取り替えた。
 するとまたもや、別の直しで元の大きさに戻ってしまった。こうした事を繰り返していると、直しの無い所にまで影響が及び、下手をすると、1行消えてしまったりもする。固定していない電子記録だからこうした怖さがある。
 だから、一度作成したデータは出来るだけいじりたくないのである。いじるなら、組版の段階ではなく、下書きの段階ですべきなのである。ところが、クライアントはそれが出来ない。きちんと出来上がった姿が想像出来ない。そこで一度出来上がらせて、それからやおら直しに掛かるのである。自分に能力が無いから他人に依頼する。それはいい。しかしそれには金が掛かるのだ。

 昔、写植で組版をしていた時代、私は編集側で発注する立場だった。その時の我々の基本的な事は、完全原稿で印刷所に入れる事、直しは出来るだけ少なくする事だった。なぜなら、直す度に訂正代を取られるからである。何文字直して幾ら、だった。だから直したくても我慢もした。
 当然である。それだけ手間ひまが掛かっているのだ。ただで済む事ではない。だが、DTPではそれがただなのだ。印刷会社は自分の所でそれをしていた時には、相手に当然のように料金を請求した。しかし下請けに出してしまえば、料金の請求はしなくて済む。請求が出来なければ、総額からそれを捻り出す必要がある。それだけ利益は減る。
 それをしたくない。クライアントに請求すれば、次に仕事は来なくなるだろう。かと言って利益を損なう事も嫌だ。そこで下請けを泣かして済ませてしまう。下請けは文句を言えば、次から仕事は来ない。
 組版のノウハウを持っている印刷所なのだから、当然、クライアントにそうした説明をして協力を求めるべきなのに、自分が損を蒙らないからと、知らん顔を決め込んでいる。

 DTPとは、単に決まった体裁に文字を流し込む仕事ではない。そこには様々な創意工夫が必要とされる。特に日本語の組版に十分適応していないソフトなどで取り組んでいる場合、本当に技でねじ伏せなければならない場面がある。
 そして時には編集者も校正者も及ばないような力を発揮する事だってあるのだ。だが、そのような事は認めてもらえない。なぜなら、下請けに出す側にそれだけの力と知識が無いから、どれほど素晴らしい仕事をしているかが分からないのである。
 その上、金銭的に見ても、DTPは設備に金が掛かっている。まずはパソコンが要る。DTPソフトが要る。これは非常に高い。そして少なくない数のフォントが要る。これまた高価である。高性能のプリンターも要る。スキャナーも要る。その他周辺機器も必要だ。
 そうした必需品の使用料も出ない。

 ある時、校正の仕事と比べてみた。どちらも知識やノウハウはあるとの前提である。校正では、設備は要らない。普通には国語辞典と用字用語辞典がそれぞれ一冊ずつあれば、最低限の事は出来る。一般的にはそれほど高度な事は求められていない。 
 もっとも、私は出来るだけ多くの各種事典類を総動員して校正をしているが。
 単純に時間計算をすると、校正の方が遥かに効率が良いのである。しかも設備費が掛からない。変な話、DTPでは一通りの校正までもしているのである。
 私はDTPを個人的な仕事として請け負っているからこれで何とかやっているが、もし会社として受けたら、とてもじゃないが、人件費を払う事すら覚束ない。
 そんな犠牲を払ってまで印刷会社を支える必要は無い。

情報を正しく理解するには正しい文章が必要だ

2008年07月27日 | Weblog
 集合ポストに各戸の防災設備の点検のお知らせが入っていた。7月26日土曜日の午後1時から4時30分とある。
 大分経って、一階のホールの掲示板に同じお知らせが出た。内容は既に知っている。タイトルも同じである。日時も同じだ。だから中は読まなくても分かる。そして一番下に、「御訪問するお宅には事前に御連絡を致します」と書いてある。
 この文言を見て、そうか今回は点検する家としない家があるのだ、と思った。「御訪問するお宅には」と書いてある以上、そう思うのが当然である。そして我が家にはその事前連絡は無かった。今回はパスらしい。
 そうしたら、26日の午後、突然に玄関のチャイムが鳴り、設備の点検に来たと言う。おいおい、待ってくれよ。うちには何の連絡も無かったから何の準備もしていないぞ。当然ながら、点検はすべての部屋に入る。きちんと片付けていない部屋だってある。
 部屋の整理をするまで、どこか他を先にしてくれ、とお願いして、私は慌てて部屋を整理した。

 ホールに貼ってある掲示を見に行った。そこには確かに一番下に先ほどの文言が書いてある。だが、そのすぐ上に「全戸が対象です」と書いてあったのである。その部分を私は見落としていた。
 しかし全戸が対象なら、日時だって分かっているのだから、何も「事前に御連絡する」必要など無い。いつだって、何時何分頃などと連絡がある訳ではない。午後1時から始まり、最上階から始まるから、階数に応じて、大体の時刻が分かる。
 だから「全戸が対象」なら、掲示の文言はそれだけで十分である。何も「御訪問するお宅には事前に御連絡を致します」などと書く必要は無い。そんな事が書かれているから、訪問する家としない家とがあると思ってしまうではないか。「御訪問するお宅には」の言い方は、「御訪問しないお宅」もあるとの前提である。
 点検の業者に聞いてみたら、事前に御連絡する、とは先のチラシの事らしい。しかしちらしは掲示板のお知らせよりずっと前に入っているのである。そんなのが事前の連絡になると言うのか。順序がおかしいではないか。ちらしがそうなのなら、「御訪問するお宅には既に連絡を差し上げてあります」と書くべきなのである。
 掲示板のお知らせがあって、その後に各戸のポストにお知らせが入っているのが筋だろう。それが「事前の御連絡」になる。

 その事を管理人に言った。このお知らせは建物の管理会社がしているのであって、管理人には関係が無い。しかし掲示板に貼ったのは管理人である。管理人は建物の管理会社の従業員でもある。だが、管理人はこの文言に何の疑問も持たなかった。ほかの各家の人達も疑問を持たなかったらしい。私のように解釈した人間は居ないらしいのだ。
 注意不足だよ、と言われても仕方が無い。「全戸が対象」とすぐ前に書いてあるのだから。だが、繰り返すが、それなら「御訪問するお宅には事前に御連絡致します」もくそも無いではないか。それに、連絡はこの掲示板のお知らせで済んでいる。そのお知らせに「事前に云々」が書かれているのである。連絡などしなくても、この掲示板のお知らせで十分用は足りている。この掲示板を見ない人には、「事前に云々」の文言は何の意味も持たない。
 だから「御訪問する云々」があれば、誰だって私のように考えるのではないのか。私の考え過ぎなのだろうか。世間の人は、「全戸が対象」と「御訪問するお宅には」の二つの文言を何も疑問を持たないのだろうか。この二つの文言は絶対に違う事を言っていると私は思う。同じだと言うのなら、「御訪問する前に御連絡致します」と書くべきだと思う。そしてその「御連絡」は当然に掲示板のお知らせの後にするべきである。
 もっとも、二つの文言が矛盾していると分かれば、おかしいではないか、と考えるのが普通ではある。それで、この両方を見た人は、一体、どのように考えたと言うのだろうか。私は最後の文言しか見なかったから、矛盾とも思わなかったのである。

 なぜこんな事を言っているのかと言うと、もしもこの私の考えが通用しないのであれば、私はプログの発信を考え直す必要があるからだ。そして書いている様々な原稿も根本から見直さなくてはならない。上のような考え方で私は世の中の事を見て、そして考えているのである。
 幾つかの原稿を送っているある出版社の編集者は、「何か文句ばかり言っているように思えます」と言うのである。確かに私の言っている事は小さな事だ。だが、大きな事を言ったから、どうだと言うのか。名も無い人間が大きな事を言っても、たとえ、それが真実であっても、多分、聞く耳を持たないはずだ。
 それに我々が実際に出来るのは、小さな事しか無い。小さな一つ一つを積み上げてこそ、大きな事も達成出来る。今、小さいからと見逃されているいい加減な事がたくさんある。それを放っておいて、大きな事を言ったって何の意味も無いではないか。
 掲示板の二つの文言を私が見ていたなら、ははあ、世の中には訳の分からない事を書く人がいるものだ、と呆れるだけで済んだ事だろう。このような文章を平気で書く人は驚くほど大勢居るのを私は知っている。そしてそうした事を批判すると、「つまらない文句を付けている」と思われてしまうのである。

 ここで、我が意を得たりと、しゃしゃり出て来るのが、日本語は言葉に頼らない言語である、との考え方である。言葉に頼らず、気持に頼るのだ、と言いたいらしい。それは反面正しい事でもあるが、だからと言って言葉をいい加減にして良い訳が無い。見ず知らずの人間同士が意思を疎通させるには言葉しか無いのである。性格も何も知らない人間の気持をどうやって汲み取れると言うのだろうか。

テレビの土用の丑の日の説明に疑問あり

2008年07月26日 | Weblog
 いちゃもんに聞こえるかも知れない事を承知の上で言う。
 7月24日は土曜の丑の日だと、テレビ朝日の朝のニュースショーで言っていた。お決まりのように、夏はうなぎが売れないとこぼしていた店の主に平賀源内が知恵を授けたのだとの説を紹介した。
 しかし出演者の石丸弁護士が土用は年に何回かある、と言い掛けたのに、それを遮って今年は二回有ると、夏の土用だけに限ってしまったのはなぜなのか。
 時間が無かったのだとも考えられる。しかしそのあとに、うなぎの産地偽装の話などもしているのだから、時間が無かった訳ではない。それに産地偽装の話は今ここでする話でもない。そんな簡単の話でもない。
 つまり、せっかくの質問を生かせなかったのは、司会者に土用のしっかりとした知識が無かったからに違い無い。
 馬鹿言うな、そんな事は百も承知だ、と言うのなら、夏の土用だけに話を限定する事は無いだろう。視聴者に知識を与える絶好の機会ではないか。普通には夏の土用だけが注目されているのは、暑さの最中だから、食養生が必要との事からだろう。でも、だからと言って視聴者もそうした知識だけで良いのだ、とは言えない。土用の丑の日を話題にするからには、きちんと事前に調べておきなさい。
 何よりも、出演者の発言を無視するのは無礼である。

 土用は立夏・立秋・立冬・立春の前のそれぞれ18日間を指す。だから今年は8月8日が立秋で、その前の18日間は7月19日からになる。これは別の見方をすれば、小暑から13日目になる。そして今年は7月19日からの18日間に丑の日が二回有るのだ、と言う訳だ。
 ついでに、秋の土用は、寒露(10月8日頃)から13日目に始まり、18日経つと立冬になり、冬の土用は、小寒(1月5日頃)から13日目に始まり、18日経つと立春になり、春の土用は、清明(4月5日頃)から13日目に始まり、18日経つと立夏になる、と言う具合である。

 土用を正確に知ったからと言って、大きな利益になる訳でもないが、それなら平賀源内の事も同じである。もっとも、単に昔のCMに乗せられたのか、と気付くのは良い事だが、だからと言って、うなぎを食べなくなる訳ではない。
 平賀源内云々は25日にも別の局が話をしている。「う」の付く食べ物が良いとの事で、うどんや梅干しなども挙がっていた。でもうなぎと梅干しは食い合わせとも言う。最近、それは間違いだ、との説も聞いているが、そんな話をしたっていい。
 中国産のうなぎの売れ行きが非常に悪い、と言う。聞かなくても分かる。24日、私は三軒ほど店を回ってみた。私自身、うなぎを買いたかったからだ。あまりの高さにびっくりし、そしてじっくりと値段を見比べて、大きさと旨そうな焼き具合も見て、一番安いのを買った。旨かった。
 そしてどこの店でも、客の「中国産はねえ」と敬遠する声を聞いた。
 餃子事件のほとぼりも冷めつつあったのに、うなぎの偽装が発覚した。一気に中国産への嫌悪感が沸き上がってしまったと私は思っている。心無い業者が業界の足を引っ張ってしまった。
 本当に中国産は駄目なのか、旨くないのか、との大きな問題がある。単に人々が嫌っているだけに過ぎない面もあるはずだ。国産の上等品に比べて味が落ちるかも知れないが、現在は国産の三分の一、ちょっと前までは二分の一の値段だったのだから、十分に視野に入れるべきだろう。
 業者側に立って、変に消費者を誘導するのは許さないが、真剣に問題提示をすべきだろう。それは改めて話題にする事であって、こんな短い時間では出来ないと言うのは当然だが、そうした意向も感じられない。だから、土用は年に四回あって、云々の話をしても罰は当たるまい。

文化庁は間違った日本語を許容するのか

2008年07月25日 | Weblog
 前述しました、今日の二回目の発信です。
 文化庁の国語調査の結果が7月25日の新聞に載った。テレビでも報告していたから、ほとんどの人が結果を知っているはずだ。駄目な結果は毎度の事で今さら驚きもしないが、同庁の主任調査官の言葉には驚いた。
 「あと十年もすれば、本来と違う意味に変わっていく可能性がある」
 当たり前だろう。誤用は30代以降が圧倒的なのだ。10年もすれば、そうした年代が社会の中核になるのだ。当たり前の事を平気な顔をして(顔は見ていないが、記事は別に驚いてなどいない)言うのにも驚かないが、何の策も持っていない事には仰天してしまった。
 誤用を仕方のない事だと思っているらしい。誤用を放置している限り、誤用とは気付かないし、そのまま定着してしまう。どうしたら誤用に気付かせ、正しい使い方を奨励出来るのか、を考えるのがあんたらの仕事だろうが。

 誤用がこんなにも圧倒的な勢力を持っている理由は明確に分かる。
1 他人の言葉の使い方に何の疑問も持たない。おかしいな、と思えば国語辞典で調べれば良い。辞典の説明は様々だが、「げきを飛ばす」を「元気づける」などと説明している辞典は皆無のはずである。はず、と言うのは時々、とんでもない説明をしている辞典が存在しているからだ。
 もちろん、自分が言葉を知らないと分かっても、調べようとは思わない。
2 国語辞典の説明が悪い場合がある。間違いとは言えなくても、よく分からない説明をしている。そうした国語辞典の説明の幾つかを私は拙著『こんな国語辞典は使えない』(洋泉社)に書いた。辞典が曖昧な説明をしている限り、正しい言葉は普及しない。
 その後もそうした国語辞典の調査は続けており、今度は全く別の趣向で本を書き、目下売り込み中である。としっかりと宣伝をしてしまった。
3 間違った使い方を何のかのと理由を付けて、認めようとしている連中がいる。本当に屁理屈としか思えないような理由を付けている。それでもれっきとした日本語学者なのである。どのような人々かは言わないが、私のブログを見て下さっている方には察しが付くはずだ。
4 正しい事よりも、簡単な事、てっとり早い事が好まれている。間違っていたって何のその。言葉は拡張高く変化する事はほとんど無い。すべて次元の低い方へと変化する。それは過去の日本語の歴史を見れば一目瞭然だ。
 もっとも、「ら抜き」言葉などは、横着なだけではなく、「受け身」と「可能」を区別したいとの欲求もあると、私は思っているが。

 様々な理由があって放っておけば、言葉はどんどん悪くなる。私は常に気になっているのだが、子供の自称である「僕」が今や大手を振って、社会人の間を闊歩している。テレビ人達(「ども」とは言いません)が当たり前の顔をして使っている。仲間内の会話ではないのだ。視聴者に面と向かって「僕は」などと言うのである。無礼だとは思わないらしい。つまり、彼らは「僕」が標準語の自称だと思っている。テレビだから、すぐに全国に広がってしまう。
 前にも言ったが、幼児に向かって「ぼく、おなまえなんていうの?」と聞くのは「ぼく」が子供言葉だからである。そうではない、と言うのなら、大人に対して「僕、お名前何とおっしゃるのですか」と聞いたらいい。張り倒されるから。
 自国の文化に誇りを持っているフランスでは国が正しいフランス語を守る事をしている。自意識の強さではお隣の韓国も同じだから、韓国も韓国語を守ろうとしているに違い無い。何しろ、中国語から生まれた字音語でさえ、漢字を使わずに、ハングルで表そうと言うのだから。
 人任せ、成り行き任せの文化庁に日本語を守ろうとの気概はまるで感じられない。文化庁の仕事って一体何なのでしょうね。そして「文化」の意味も正確に知りたいのですが。

歴史の教科書が変わったのは正しいか・2

2008年07月25日 | Weblog
 前回、聖徳太子では諡号(死後に贈られた名前)ではだめで、だが、天皇は諡号で良いのだ、との不可解な話に疑問を呈した。これが新しい教科書のやり方なのだと言う。
 聖徳太子などの場合に諡号ではなく、生前の名前で呼ぼう、と言う理屈はよく分かる。だったら、天皇だって、そうしてくれよ、と私は言うのである。後に出て来るが、「天皇を皇太子とした」などと言う珍妙な表現はやめてくれよ、と言いたい。
 ホント、馬鹿言っちゃいけないよ。皇太子の地位にある天皇なんて居ない。後年の天智天皇は別だ。彼は皇太子の地位のまま、天皇の役目を果たした。これを「称制」と呼ぶ。しかしこれは例外だ。皇太子である天皇なんて普通には存在しないのである。
 だが天皇を諡号ではなく呼ぶとしたら、どうしたら良いのか。どのような歴史書でも、と言っても私の知っている限りではなのだが、天皇は諡号で呼ばれている。一般的な歴史書ならすべて漢風諡号だ。
 我々はそれしか知らない。だから仕方が無いと言うのでは、理屈になんかならない。

 天皇の名前に関しては昔から複雑な事情がある。『日本書紀』で天智天皇の巻を見てみよう。同天皇の和風諡号は「天命開別天皇」(あめみことひらかすわけのすめらみこと)である。以下、それぞれの天皇の読み方は省く。( )内の呼び名は原文には無い。

 天命開別天皇は、息長足日広額天皇(舒明天皇)の太子である。御母を天豊財重日足姫天皇(皇極天皇)と申し上げる。天豊財重日足姫天皇の四年に、天皇は皇位を天万豊日天皇(孝徳天皇)にお譲りになり、天皇を皇太子にお立てになった。

 さて、ここに出て来る、単に「天皇」とされている二人の天皇が誰か、お分かりだろうか。
 最初の「天皇」は天豊財重日足姫天皇である。これは天智天皇の当代記だから、登場する「天皇」はただ一人。「天皇=天智天皇」しか無い。ここでは天豊財重日足姫天皇は過去の人であり、従って諡号になる。ただ、「天豊財重日足姫天皇の四年に、天皇は」の場合は直前の「天豊財重日足姫天皇」を指す。現代なら「同天皇は」とする所である。
 次に出て来る「天皇」が「天皇=天智天皇」である。そして「皇太子」なのだから、まだ天皇ではない。「天皇を皇太子に立てる」などと言う事があろうはずが無い。天智天皇の皇子の時の名前は「中大兄皇子」「葛城皇子」である。「中大兄」は単に兄弟の順番を表す言い方だから、通称だろう。正式には「葛城皇子」のはずだ。
 だから、日本書紀のこの文章は、正確には「葛城皇子を皇太子にお立てになった」になる。

 しかしながら、原文のように「天皇を皇太子に立てる」なのだ。これが後世での記録になれば、当然に「天命開別天皇を皇太子に立てる」になる。漢風諡号なら、「天智天皇を皇太子に立てる」である。

 この変則的な表記の理由がお分かり頂けただろうか。実は、私自身、まだよく分かっていない。ただ、言えるのは、過去の天皇なら、その時は天皇にはなっていなくても「天皇」と呼んで何の疑問も抱かない、と言う事実である。
 だから、「聖徳太子が推古天皇の摂政になった」との表現は当然ながら成立するはずなのだ。だが、それが駄目だと言うのだから、こうした表現の仕方は天皇だけに限って許される事になる。
 こうした考え方の根拠も実は日本書紀にあるのではないか。推古天皇の条には次のようにある。

 夏四月の庚午の朔己卯に、厩戸豊聡耳皇子を皇太子にお立てになって、政務を総裁させ……。

 厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)即ち聖徳太子である。推古天皇の当代記だから、当然に聖徳太子の名はまだ無い。日本書紀は「聖徳太子」なんて言ってないぞ、と言う訳なのだろう。
 この日本書紀の記述は正しい。だからこそ、天智天皇の条では「葛城皇子を皇太子にお立てになった」が正しいのだ、と私は考えたのだ。しかしこの二つの違いは、日本書紀が「天皇紀」だと言う点にある。当代の記録として、臣下は正確にその名前を表記するが、天皇は別格なのだ、と言うらしい。「葛城皇子」は口に出来ない名前ではないのだから。

 天皇を諡号で表現する以上、聖徳太子だって、諡号で良い、と言うのが私の考えである。歴史を中途半端に複雑にする必要は無い。するなら、きちんと天皇の称号について学習させるべきである。でも、多分、難しくて出来ないんでしょうね。
 馬鹿にしているのではない。本当に難しいのである。生前の天皇の呼び名は無いのである。
 無いんだからしょうがないじゃないか、とは私は考えない。これは歴史である。後の世に記述した事柄である。だから天皇は諡号にならざるを得ないのだし、後世から見れば、厩戸皇子はまさしく聖徳太子ではないか。何か、現在進行形の歴史ドラマと勘違いしてやしませんか?
 歴史を少しでも正しく、と言う考えは分かる。だが、あまりにも杓子定規過ぎはしないだろうか。正しくと言うのなら、諡号と諱を明確に分けて、一人一人の天皇の正確な名前から始めるべきだと考える。中途半端な正確さは始末に負えない。
 それに昔の人は途中で名前を変えるのが普通だった。例えば勝海舟は人名事典によれば、「名は義邦、通称は麟太郎、昇進して安房守を称したが、明治維新後に安芳と改称し、さらにこれを戸籍名とした。海舟は号」とある。
 だからその時々によって、呼び方は変わって来るし、号に至っては、一体いつから使っているのかを調べないと安易に「勝海舟」などとは呼べなくなる。
 そうした事も踏まえての上の「厩戸皇子」なのか。

 それともう一言。
 天皇はただ一人しか存在しない。そして皇后陛下もただ一人である。今上天皇を「明仁様」などと呼ぶ人はいない。何よりも無礼である。それなのに、皇后を平気で「美智子様」などと呼ぶ。昭和天皇の皇后は「良子」(ながこ)だったが、「良子様」などと呼ぶような非常識な人間は一人も居なかった(はずだ)。親しい呼び方なら「皇后様」だった。
 誰も彼もが非常識極まる。開かれた皇室とこうした問題はまるで関係が無い。要は人としての常識の問題、他人に対する節度の問題なのである。

 きょうは、もう一回、別の事を発信します。言いたい事がある時は重なってしまう事が結構あって、でも賞味期限もある事だし。ホント、無い時は本当に無いのです。そんなにアンテナは発達していないので。でも私は書きためた様々な原稿があるので、それに代えてもいいのだけど、唐突に言い出すのも何かおかしい気がするのです。

歴史の教科書が変わったのは正しいか

2008年07月24日 | Weblog
 歴史と地理の教科書が変化している、とテレビで知った(7月23日、TBSテレビ)。我々が鎌倉幕府の成立年だと思っていた1192年(いいくに)は、今では1185年と訂正されていると言う。これは歴史的事実の話である。645年の大化改新は乙巳の変(いっしのへん)だと言う。これもよく分かる。ただし別に新発見の事実ではない。誰もがずっと以前から知っていた話である。645年はあの蘇我馬子暗殺に始まる蘇我宗家滅亡の年であり、改新はその後の事なのである。従って、正しい言い方に直したに過ぎない。
 そして、十七条の憲法を作ったのは誰か、との問題も正しい言い方に直しただけの話になる。新しい教科書では、聖徳太子では不正解、正解は厩戸皇子(うまやどのみこ)だと言うのである。理由は、その時はまだ聖徳太子とは呼ばれていなかったから、である。
 理屈は正しい。
 だが、そんな事を言い始めたら、歴史は滅茶苦茶になるではないか。何しろ、「○○天皇が」とは絶対に言えなくなってしまう。なぜなら、「○○天皇」の名前はすべて諡号(しごう)であり、死後に贈られた名前だからだ。死んだ天皇が何かをした訳が無い。

 593年は従来なら聖徳太子が推古天皇の摂政になった、とされる年である。新しい教科書なら、「593年、厩戸皇子が」となるが、では、どの天皇の摂政と言えば良いのか。聖徳太子同様、推古天皇の名前はまだ存在しないのである。
 推古天皇の生前の名前は何だったのか。この話になると、歴史書や百科事典も非常に曖昧な物の言い方しかしていない。「額田部」(ぬかたべ)とか豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)の名前を挙げ、それを諱(いみな)と言ったり、諡号と言ったりしている。諱と諡号は違う。

 諱は、恐れ多くて口に出せない名前との意味である。皇子や皇女だった時は名前を呼べるが、天皇となったからには名前は呼べない、と言う訳だ。では何と呼ぶのか。
 実は名前は必要無いのだ。なぜなら天皇はただ一人しか存在しない。従って、その時々の天皇に対する呼び方、「大王」や「天皇」「帝」など、いずれもで良いが、それだけで用が足りる。「今上陛下」の言い方は平安時代には既にある。
 現代だって同じである。明治天皇、大正天皇、昭和天皇と続いて、現在の天皇は「今上天皇」なのである。確か皇太子時代のお名前は「明仁」様だった。いや、今だって同じである。だから署名は「明仁」のはずである。私は天皇の御署名をテレビなどでも拝見した事が無いが、昭和天皇の場合は「裕仁」であった。
 そして、戦前はそうした署名のある詔勅を読み上げる時、その部分を「御名」(ぎょめい)と読んだ。実名を読み上げるのは不敬である。いわゆる「御名御璽」である。

 諡号は亡くなった天皇に贈る名前である。生前の業績にふさわしい名前が贈られる。これはずっと和風の名前だったが、桓武天皇の時から漢風の諡号も贈られるようになった。今では、この漢風諡号の方がずっと通り易く、すべてそれで通している。それがこの場合は「推古天皇」になる。
 そして和風諡号が「豊御食炊屋姫天皇」のはずなのだ。この事については、どの歴史書もそんなの常識だよ、と言わんばかりに、何の説明もしてはくれない。だから必死になって色々と探った結果に過ぎない。だから間違っているかも知れない。
 では推古天皇の実名は、と言うと、それが「額田部」になる。「額田部皇女」と呼ばれていたから、本当はそのまま「額田部天皇」になると思うのだが、昭和天皇が「裕仁天皇」などと呼ばれた事がないのと同様、「額田部天皇」なる名前は無いのだろう。「天皇」だけで良いのだから(もっとも、昭和天皇の場合は「天皇裕仁」なる言い方は存在するが、それは特殊な事で、また別の話である)。

 だが、後代になっての著述では「天皇」だけでは分からない。和風でも漢風でもいいから、諡号を使わなくては話にならない。それが「聖徳太子が推古天皇の摂政になった」との記述になる。だがそれが駄目だと言うのなら、「厩戸皇子が」はいいが、天皇の名前ではたと行き詰まってしまう。

 テレビでの報道だから、どこまで信じて良いか分からないのだが、「聖徳太子」では駄目だ、と言うからには、上のようにならざるを得ない。もしも、天皇は別だ、とでも言うのなら、臣下だって同じにしなければ筋が通らない。
 私がとても不審に思うのは、この話を採り上げた時、リポーターはこのように説明し、それでそこに出演している人々が何も疑問を抱かなかったと言う事である。もちろん、番組関係者の誰もが不思議に思わなかった。なぜ、では天皇はどうなるのか、との疑問が生まれないのか。
 これは前もって用意していた話ではないのかも知れない。だが、事前に何の検討もしないで直接放送で流したなどと言う事のあるはずが無い。きちんと、今日はこれこれの内容である、と検討しているはずである。だから、その時にも誰も疑問に思わなかった。
 この話は長くなるので、続きは次回に。


『問題な日本語』に異議あり/「汚名挽回」

2008年07月23日 | Weblog
 「汚名挽回」は「汚名返上」「名誉挽回」の混同した言い方だと言われている。しかし『問題な日本語』(大修館書店)はそうは考えない。

 「挽回」には、巻き返しを図る意があって、これで解釈し直すと「衰勢[劣勢]を挽回する(=巻き返す)」「衰退した家運を挽回する(=建て直す)「不名誉[汚名]を挽回する(=巻き返す)」などのすべてが正しい言い方となる。「汚名挽回」を「汚名返上」に訂正する必要など最初からなかったのだ。
 
 などと言い、続巻でも同じ事を言っている。同じ執筆者達が作っている『明鏡国語辞典』では「挽回=失ったものを取り返して、もとのよい状態に戻すこと」と説明して、「勢力を挽回する」「勉強の遅れを挽回する」「名誉を挽回する」の用例を挙げている。
 説明も用例も正しい。
 「勢力を挽回する」では、失った勢力を取り戻すのである。
 「遅れを挽回する」では、元の良い状態に戻すのである。
 「名誉を挽回する」では、失った名誉を取り戻すのである。
 だからいずれも正しい。
 しかし、この三つの用例で考えるならば、この三つは微妙に違う。
 「勢力」は同辞典は「他をおさえて従わせる勢いと力」と説明している。つまり、これには優劣がある。強い勢力と弱い勢力がある。
 「遅れ」は同辞典は「遅くなった距離や時間の幅」と説明している。ちゃんと「幅」だと言っている。大きな遅れと小さな遅れ。小さな遅れは更に小さくなれば、ほとんど正常になる。従って、「遅れ」は大きな遅れと小さな遅れがある点で、「勢力」と同じになる。
 「名誉」は同辞典は「世間からすぐれていると高く評価されること。また、それをほまれに思うこと」と説明している。これには優劣は存在しない。名誉でなければ不名誉になる。つまり、名誉には幅は無い。実際には名誉にも優劣はあるが、そうした事を言っているのではない。言葉としての「名誉」と「不名誉」の事を言っている。そうでなければ、こうした事は考えても意味が無い。「名誉←0→不名誉」と言う幅は無い、との意味である。

 それでは、同書の言う「衰勢・劣勢」は上のどれに当てはまるだろうか。当然に「勢力」「遅れ」と同じになる。
 では「汚名」はどうか。当然に「名誉」と同じになる。
 もうお分かりと思うが、マイナスから次第にプラスに向かい、0点があって、以後はプラスになると言う情況にあるのが「衰勢・劣勢・勢力・遅れ」なのである。
 従って、これらを挽回する、取り戻すと言うのは、プラスの方向に向かって動く、との事である。
 それに対して、プラスからマイナス(マイナスからプラス)への方向を持たないのが「名誉・汚名・不名誉」なのだ。名誉の程度がだんだん小さくなって、0点になり、今度は不名誉の程度がだんだん大きくなって不名誉になる、のではない。汚名の程度がだんだん小さくなって、0点になり、逆に名誉の程度がだんだん大きくなって名誉になる、のではない。
 「勢力・衰勢・劣勢・遅れ」などが白から次第に黒さを増して灰色になり、最後には黒となる、あるいはその逆であるのに対して、「名誉・不名誉・汚名」などは白か黒かなのである。ここには灰色の段階は無い。繰り返すが、言葉として白か黒なのである。
 マイナスからプラスへの段階を持っている言葉なら「挽回する」は妥当である。それには元の、と言うか理想とする段階があるのだ。だから、それを「取り戻す」事が出来る。
 しかしながら、プラスかマイナスかのどちらかしか無い言葉では、「挽回する」はマイナスの場合には成り立たないのだ。そこには理想とする段階が無い。

 最初の『問題な日本語』には様々な問題点がある。私はその8割に近い部分がおかしいと思っている。きちんと反論も書いた。本にはなっていないが、いつだって、その原稿をお目に掛ける事は出来る。だから、呆れて続巻は読む気もしない。が、書店でほんの一部の立ち読みをしてみた。そこにこの「汚名挽回」が正当であるとの説明がまたまた有ったのである。ホント、しつこいよ。
 同書の執筆者達は言葉を本当に表面的にしか考えようとしていない。表面的に考えれば、確かに「挽回」は「失った物を取り戻す・元の良い状態に戻す」である。そこで、「名誉」も「不名誉」も同じだと考えてしまう。「勢力を挽回する」は「強い勢力」との暗黙の了解がある。だが、「汚名」には「名誉」との暗黙の了解などあるはずがないのである。
 それに「名誉挽回」と「汚名挽回」が同じ意味になるなんて、おかしいではないか。「名誉」なら名誉その物を取り戻すのだと言い、「汚名」なら汚名を着せられる前の名誉を取り戻すのだと言う。そんな勝手な言い分が通ると思うのか。

 他の辞典が「汚名挽回」などの用例を載せていないのはなぜなのか。『明鏡』自身、「汚名挽回」などの用例は載せてはいない。
 同辞典の「可能性」の説明では、あってはならないと思える「全員遭難の可能性が強い」などと言う、まるで遭難を期待しているかのような用例を「可能性」の唯一の用例として挙げて、それが正しいのだと強弁している。
 もっとも、「遭難の可能性」の用例はやはりどう考えてもまずいと思い直し(おかしいと指摘されたらしい)、第二版からはその用例はそのままに「審査に合格する可能性が高い」をまず最初の用例として挙げる事にしたのである。全く反省などしていない。
 そうした事をしているにも拘わらず、同辞典の「挽回」には「汚名を挽回する」などの用例は載せていないのはなぜなのか。同書の考えからは、「遭難の可能性」よりも遙かに用例としてはふさわしいのである。なのに、その用例は無い。

 こうした、言葉を浅くしか考える事が出来ない人達が作っている国語辞典を私は全く信頼する事は出来ない。言葉をもっと深く踏み込んで考えてみようと、なぜ思わないのかと、不思議でしかたがない。学閥と言う物が存在するから、師がそうであれば、弟子もそうなるのは当然と言えば当然だが、浅はかな考えで『問題な日本語』などと称して三冊も本を出しているその見識が私にはまるで理解が出来ないのである。
 上記の見解にしても素人の私の言う事など、どこまで正しいかは疑問である。しかし多くの人が漠然と考えている事を筋道立てて説明したつもりである。言うならば、日本語学ではなく常識で対処しているつもりなのである。
 この「挽回」について、『問題な日本語』と私の考えとどちらが合理的か、判定して頂けると嬉しいのですが。

梅雨の明けた今が本当の水無月なのだ

2008年07月22日 | Weblog
 梅雨明けはいつだったのか、と言う事がテレビで話題になった。毎年の事である。だが、それがいつだったかが、そんなに大きな問題だろうか。ああ、あの時が梅雨明けだったか、で済んでしまうような話ではないか。
 我々はいつから春だ、夏だ、などと考えている訳ではない。漠然と、ああ春だなあ、夏なんだなあ、と思えばそれでいいのである。
 暦には二十四節気と言うのがあって、そこには四季の始まりの日が設定されている。立春、立夏、立秋、立冬。我々は、それを「暦の上では今日から夏だ」などと言っている。言うまでもなく、これらは旧暦であり、しかも立春を一年の始まりと定めた事によるから、現在の季節感とずれている。
 だからそれぞれ、大胆に言えば、2カ月ほど実際には遅れる。
・立春=2月4日頃→4月上旬
・立夏=5月6日頃→7月上旬
・立秋=8月8日頃→10月上旬
・立冬=11月7日頃→1月上旬、とはならず、立冬だけは暦通りとも言える。中国の季節と日本の季節の違いだろう。

 二十四節気は一年360日を24で割っているから、一つが15日間になる。それを更に三等分したのが七十二候である。つまりは5日ずつの天候の最少変化である。ただ、あまりにも細かいので使われなくなった。
 その中でも今でも使われている一つが半夏生。「はんげしょう」と読み、野草の名前である。これは夏至(6月21日頃)の第三候で7月2日頃になる。
 二十四節気では立夏の一カ月後の6月6日頃を芒種と呼ぶ。芒とは「のぎ」の事で、「のぎ=稲や麦の実の殻にある硬い毛」である。芒のある作物を植える、つまりは田植えの時期が芒種である。
 その芒種から一候過ぎた6月11日頃が入梅となる。そして先の半夏生は田植えの最終の目安とされ、また梅雨明けとも言われている。つまり、梅雨明けは7月2日頃となる。実際からは一、二候ほど早い訳だが、すべて暦の上の事なのだから問題は無い。

 春夏秋冬と違って、梅雨は明確に他の季節と違う。だから梅雨に入ったのか、梅雨が明けたのかが気になるのは当然だが、何も、はい、今日から梅雨です、昨日で梅雨は明けました、などと言う必要は無い。どうやら梅雨に入ったようだね、どうやら梅雨も明けたようだね、でどうしていけないのか。

 話は違うが、二十四節気は一年を360日としている。これは太陰暦である。つまりは月の動きを基にしている。ところが、春分、秋分、夏至、冬至は太陽の動きで定められている。おかしいではないか。
 旧暦のついたちは、朔日、つまり新月の日である。まさしく月の動きで決まっている。それなのに何で四つの節気だけは太陽暦なのか、と。
 これは実は考え方がおかしいのである。四つの節気だけが太陽暦なのではなく、二十四節気その物が太陽暦で決められているのである。それを旧暦で使っている。そこからねじれのように思えてしまう事が発生している。
 この辺をもっと突き詰めて行くと面白いと思うのだが、現に我々は太陽暦の中で暮らしており、旧暦がどうも実感にはならない。梅雨時の6月は旧暦の呼び方では水無月なのだが、実際には水有月である。6月=水無月=7月、と言う無理を冒しているから、そんな事になる。
 この無理の原因は水無月=6月、にある。ほかもすべて同じ。水無月に6の意味は全く無い。単に睦月から始まってその6番目に来るのが水無月だ、との意味しか無い。だから、本当は今の7月を水無月と呼べば最も自然になるのだ。従って、「皐月晴れ」は5月の晴れた空ではなく、正しく梅雨の晴れ間の意味に出来る。
 だが、残念な事に年の始めと終わりが自然現象ではなく、人為によって決められている。睦月は人々が睦まじくなる月で、師走は師が忙しく走り回る月である。これは現在の1月と12月にしか相当しない。それで困るのである。
 更に、10月は神様が主題になっている。10月は全国の神様がすべて出雲に集まる。だから神無月。でも出雲では反対に神有月と言うと聞いている。
 1月を正月とし、2月を睦月とし、3月を如月、以下順に4月=弥生、5月=卯月、6月=皐月、7月=水無月、8月=文月、9月=葉月、10月=長月、11月=霜月、12月=師走とすれば自然の暦とも合う。少なくとも旧暦扱いをするよりはずっと自然である。
 こうした月の異名は当然にその月の自然現象に合わせて発生したのだから、1とか2などの数字にはまるで関係が無いのである。ただし、上のような考え方では神無月が無くなってしまう。でも出雲では神有月だと言うのだし、睦月や師走と比べれば、別に必然性が無いとも言えそうである。
 梅雨の明けた今、7月。まさに水無月と呼ぶにふさわしいではありませんか。