夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

国会がやっと良心を発揮した

2012年07月07日 | 政治問題
 福島第一原発事故で、国会事故調査委員会が発表した報告書を見て、ほっとした。最悪レベルの事故が起きた直接の原因を地震で重要な機器が壊れた可能性があると指摘したからだ。あの津波は想定外だったかも知れないが、地震はそうではない。だから東京電力と政府は必死になって原因は津波だ、と主張し続けて来たのである。
 そして更には東電と政府とで責任のなすり合いをしたのである。
 何とも恥ずかしい人々である。でもやっぱり、一番恥ずかしいのは東電だ。
 そのほんの少し前にも、東電は福島県浪江町に対して無責任な対応をして、町長の激怒を買った。町が公式文書で依頼した報告書を持参しなかった。

 これらの人々は「人」ではない。「人間」の形こそしているが、「人」としての最低のモラルさえ持ち合わせていない。そんな人間がぬくぬくと育ってしまう所に東電の大いなる欠陥が存在している。

 欠陥人間と言えば、大津市の中学生自殺問題での、学校と教育委員会も欠陥人間だらけである。教育委員会とは、校長や教頭などの退職者の天下り先ではないのか、と思えてしまう。とても教育者とは思えない。テレビで顔を映されるだけでも穴があったら入りたくなるのが普通だが、彼等は「鉄面皮」に見える。

 いじめ問題は難しい。だから、そこまで発展しない前に、教師達は年中アンテナを張って、子供達を見守る必要があるはずだ。少しくらい勉強が出来たって、人間性が伴わなければ何にもならない。しかし、教師自身が人間性が伴っていないから、いじめの芽を摘む事が出来ない。

 私は小学生の登下校の安全誘導の仕事をしているが、下校途中での喧嘩やふざけ合いには神経を尖らせている。ちょっとした事には関わらないようにしているが、殴ったり、あるいは泣き出したりしている子が居る場合には、すぐさま駆け付けて、様子を見たり、尋ねたりしている。簡単には収まらないだろうが、少なくともエスカレートする事だけは避けられる。
 ふざけ合いの場合は即座に注意する。押し合って車道に出たり、荷物を投げ合って車道に出たりするから、危険この上無い。私はもの凄い剣幕で怒る。中途半端な怒り方では、言う事を聞かない。子供達も私の真剣さを見て、大人しくなる。子供達の安全を思えばこそである。
 そんな事で部外者の干渉を受ける筋合いは無いが、何かと言うと、口を出す輩も居る。しかし、単なる感情ではない怒り方なら、納得してもらえると信じている。

偉そうに見えていた人が突然馬鹿になる日

2012年06月28日 | 政治問題
 今回の国民を無視した与党と野党の合意はもちろん、国民を裏切った民主党執行部には多くの国民が怒っている。早く総選挙にならないかと心待ちにしている。多分、与党を意のままに操ろうとした野党も民主党もほぼ全滅に近いだろう。
 野田総理はもちろんの事、執行部も全員がアホ面に見える。いや、そうではない。もとよりアホ・馬鹿だったのだ。それなのに、我々が単に錯覚していただけに過ぎない。
 野田総理は総理になる前は財務大臣を務めていたと新聞で読んで、改めて、財務省がこいつなら自分の言う通りになると、野田を総理に就けた、との話が合点が行く。そうした筋書きで、野田総理の一つ一つの言葉を振り返ってみれば、きっと面白いストーリーになるだろう。

 それにしても、いつも思うのだが、日本人はあまりにも物分かりが良過ぎる。これはとても危険な事である。「物分かりが良い」などと言うからいけないのだ。「何も考えていない」と言い替えれば、真実に近くなる。あきらめが良いのでもない。本当に、きちんと物事を考えないのである。たとえ考えたとしても、他人の意見や考え方を取り入れて考えてしまうから、自分自身の考えがいつまで経っても成長しない。
 いい加減な思いでこのような事を言うのではない。私の専門的研究分野、と言っても勝手にそう思っているだけの話だが、それは日本語と日本語による文章だから、どのような表現が曖昧で真実を隠してしまうか、などと言う事を常に考え続けている。

 そうした結果、曖昧な考え方が曖昧な文章を生み、その曖昧な文章が更に曖昧な考え方を導き出してしまう。いわゆる悪循環である。外国語と日本語とを比較している学者も、日本語が曖昧だと言われているのは、日本語の文法がそうなのではなく、日本人の考え方が曖昧だからだ、はっきり言っている。
 これは国民性であり、長い伝統のたまものだから、一朝一夕には改善出来ない。つまり、政治だって、総選挙をしても、多分、劇的に変わる事は無いだろう、と私は悲観的に考えている。でもそれじゃあ、駄目じゃん、と春風亭昇太さんではないが、反省はするのだが、うん、やっぱり日本は駄目なんだろうなあ。

原発都民投票否決に疑義あり

2012年06月23日 | 政治問題
 32万人を越える原発稼働反対の署名が、簡単に否決されてしまった。否決側の主張の代表に、「二者択一では多様な都民の意思が反映出来ない」がある。でも、そう言っている都議会の議決は賛成か反対かの二者択一しか無いではないか。それに、都民の意思が二者択一だとの考え方がそもそもはおかしい。多様な都民の意思が反映して原発稼働反対の署名が集まったのである。単純に、賛成か反対かの意思表示をしたと決め付けるのは間違っている。

 都議会委員会での自民党の主張もおかしい。「都民が快適な生活を享受出来るのは、原発立地地域が葛藤を経て原発を受け入れ、電力を送ってくれたから」だと言う。本当にそう思っているのだろうか。原発立地地域が原発を受け入れたのは、一にも二にもカネが入るからではないか。原発停止での地元の住民の意見は、収入の道が途絶えて困る、と言うのが圧倒的である。危険を承知で東京都に電力を送って上げたいから、などでは絶対に無い。
 そんな殊勝な気持があれば、沖縄の基地をとっくの昔に自分の所に受け入れているはずである。目の前に原発の危険と原発によるカネを並べたら、目に見えず、しかも確率の低い危険と、目に見えて、しかも100%の確率のあるカネの方に手が出るのは当然と言えば当然なのである。

 都民投票賛成の議員達は、32万人の都民の署名を背負っている。ならば、反対の議員達は、32万人を越える反対署名を集めるべきではないか。
 都議会では、賛成41、反対82だった。従って、反対した議員達は32万人の倍の64万人の都民投票反対の署名を集めてしかるべきである。いや、64万人の署名が無ければ、反対は出来ないはずではないのか。
 都民一人一人の声を無視するな。32万人は自分の意思を署名に反映させたのである。だから、自分の意思を署名に反映させた64万人の意志を我々に確認させるべきである。
 そうした事が出来ないのに、議員がおのれだけの「才覚」で32万人の署名を否決するのは言語道断、思い上がりもはなはだしい。上に「才覚」と書いたが、こうした議員達が「才覚」など持ち合わせてはいないのは言うまでも無い。持っている才覚は、偉そうに見せる術とカネ儲けの算段くらいだろうと、私は思っている。

森本防衛大臣に対する批判は筋が通らない

2012年06月09日 | 政治問題
 森本氏が防衛大臣に任命された事に対しては、素人を起用してとんでもない、と言う意見があった。それが次には文民統制に反する、との意見が主流となった。森本氏は素人ではないからだ。
 そもそもは、閣僚にどのような専門家が居るのか、と考えるべきだろう。
 閣僚の一人一人の事は知らない。けれども、野田総理を始めとして、今の内閣が専門家の集まりだ、などとはとても思えない。専門家だと言うのなら、嘘をついたり、ごまかしたりする事の専門家だと言いたい。

 防衛大臣は文民でないといけないのか。たとえそう決められていても、軍の事も防衛の事も知らない文民が果たして防衛大臣と言う重要な職務を全う出来るのか。日本を守るためには、それこそ専門的な知識が必須だろう。国防意識などまるで無いからこそ、様々な国々から勝手気ままに操られて来たのである。

 日本には軍隊は無いし、要らないのだ、との考えがそもそもはおかしい。どこの世界に外国に守ってもらう事で満足し安心している国があるか。
 誰だって、自分の身は自分で守らなければならない、と考えている。だから交通事故に遭わないように注意し、家には鍵を掛け、現金や貴重品は人目には簡単には付かない所にきちんと保管している。警察があるから大丈夫、などと誰も考えてなどいないし、車に対する警戒心は常に持っている。
 今の日本は、警察があるから大丈夫だ、車は安全に運転しているのだ、である。

 何も知らない人間が何も出来ない事は、今度の原発の事故であれほど明確になってしまったと言うのに、多くの人がそうは考えていないらしい。原発の事を何も知らない人間が原発を造り、それを監視していたからこそ、今度の大災害が起きたのである。後始末さえ出来ていないではないか。

 大飯原発の周辺首長の、見事と言うか、天晴れと言うか、あまりにも節操のない変節ぶりにはただただ唖然とするしか無い。私は大阪市民でも、滋賀県民でもない事をこれほど嬉しいと思った事は無い。ええ、そうですよ。私はとかく批判もある石原都知事の東京都民で良かった、と心から思っていますよ。あれくらいしっかりと物事を考えなければ、とても東京都民を守る事は出来ない。

 節電は困る、との単純な考え方だけで、原発ありき、に突っ走っている政府やそれを支持する馬鹿どもの言いなりになる必要は全く無い。多くの人々が民主党に改革の期待を込めて同党を支持したに違いない。もちろん私もその一人である。
 しかし金輪際、民主党など絶対に支持しない。私の周辺には民主党はもちろんの事、自民党を支持する人も一人も居ない。もっとも、そうした人と私は関わりを持ちたくないから、自然とそうした人とは疎遠になっているのだろうが。

 あまり関係の無い話だが、私は民主党の幹部の岡田氏がイオンの創設者の子息であるから、とイオンには好意を持っていた。でもだんだんとイオンが嫌いになって来ている。イトーヨーカ堂はアメリカ資本のセブンイレブンの傘下だから、好きではなかったが、これからはイトーヨーカ堂にしようか、などと考えている。近くのイトーヨーカ堂の焼き鳥は本当に旨いしね。

脱原発とは何なのか

2012年06月01日 | 政治問題
 一体、脱原発って何だったのでしょうねえ。
 15%とかの電力不足を何とか乗り切ろうとしていた大阪市長は何を考えたのだろうか。関西広域連合は、再稼働はあくまでも暫定的、限定的であるとの意思表示をしたのだ、と言っているが、そのような事が野田政権と原子力ムラに果たして通じるか。
 自分達の事だけしか考えず、自分達の保身に関してはとても頭がよろしいが、他人の事になると途端に極端に頭の悪くなる、大変都合良く出来ている政治屋さんと、利権屋さんに、そんな高度な事を要求するのが間違っている。

 大飯原発再稼働についての安全性については、何の保証も無い。それなら他の原発に関しても同じ条件になる。それではなし崩しに原発OKとなってしまうではないか。
 ほんのわずかな後退が全面的な後退を引き起こしてしまう危険性は十分にある。蟻の一穴が頑丈な堤防をも崩す、とのたとえもあるではないか。

 電力不足を危機として、関西から拠点を移そうと言う有力企業があって、それでは関西の経済は駄目になる、との不安があると言うのだが、そんなに簡単に圏外に拠点を移せるものだろうか。カネによる脅しがそんなにも怖いのか。
 考えてみれば、いつもいつもカネに脅されているのが現代の我々だ。一度贅沢を味わってしまったから、元の貧乏暮らしには戻れない。いや、そんな事は無いのだ。贅沢と貧乏が即、豊かさと貧しさなのではない。贅沢でも非常に貧しい人も居るし、貧乏でもとても豊かな人も居る。
 これからの日本は、貧乏でも豊かな暮らしを目指すべきなのだと思う。

日本は本当に「国」なのだろうか

2012年04月28日 | 政治問題
 今朝の東京新聞の第一面のトップの見出しを挙げる。

・脱原発「国に任せられぬ」
・首長会議きょう発足
・「目先の利益でなく日本人の品格の問題」
・政府は世論を読めていない
・全基の廃炉へ国有化要請も
 写真は、村上・東海村村長である。
 これだけで、何が語られているかは一目瞭然に分かる。

 世論を読めない政府って一体何なのだろうか。主権在民とは世論を読み、それを認めて初めて成り立つ。1億人の国民が政治の舵取りをする訳には行かないから、政府に委ねているだけの事である。世論が読めない政権など、要らないし、存在してはならないのだ。
 顔の美醜ではなく、野田総理は、その貧相な考え方が顔に現れていると私は思っている。

 「目先の利益ではなく日本人の品格の問題」とは、まさに的を射た表現である。これは本当に我々の目の前にぶらさがっている問題だ。しかし経済界とか、日本を引っ張って行く力のある連中は全く問題になどしていない。「していない」のではなく、「出来ない」のだ。総理と同じく貧相な考え、貧相な心しか持てないからだ。

 結局、長い間の悪習のツケが回って来ている訳だ。政治の事をきちんと考えて来なかった。だから、一票の格差がやっと認められたにも拘らず、国会はその是正をしようとは考えていない。そうした国会議員を育ててしまったのも、また我々の責任である。
 その我々の多くは今、目覚めている。着実に自分達で出来る節約を真剣に考えようとしている。けれどもそれをやられては困る、余分なカネを使わせて儲けたい連中がそれを阻止しようと躍起になっている。そうした連中の手先としか思えない政府なんか要らない。あってはならない。

大飯町の原発再稼働に地元が期待するのは勝手ではないか

2012年04月17日 | 政治問題
 テレビで大飯町の商店や旅館が開業休店状態であると報道している。経営者の声は一様に、原発を再開してもらわないと生きて行けない、である。これは非常に具体的だから訴求力がある。一方、反対派の意見はほとんどが個人の発言で、将来への不安だから、具体的だとは言えない。この点で、既に再稼働賛成派に分がある。こもは決して公平な報道にはならないと思う。

 地元が困っているのは確かだ。では、大手の企業が廃業になって、その企業を頼りにしていた下請けの企業が、生きて行けないから大手企業を復活させてくれ、と言えるだろうか。置かれている立場は同じだろう。
 下請け企業は大手の丸抱えになっていてはいけないのである。利口な経営者なら、普段からそうした手を打っているはずだ。たとえ仕事をくれている大手がいい顔をしなくても、自分自身の生き残る道を考えるのが当然だろう。
 しかし原発の地元の経営者達は、一様に原発だけに頼って来た。原発に対する自らの不勉強を反省こそすれ、文句を言える筋合いではない。

 私は自分が今、大飯町の地元と同じ境遇になっているから良く分かる。私は色々な出版社の下請けの仕事をして来た。仕事を出してくれる出版社だけを頼りにして来た。自らを売り手にする努力を怠って来た。そのツケが回って来て、すべての出版社が担当者が辞めたり、代わったりして、私の仕事は無くなった。独自の販路を開拓していなかった結果である。どこに尻を持って行きようも無い。

 前にも書いたが、原発を頼って来た人々が苦しいのは分かる。しかし、その陰に、どれほど原発の事故で苦しんでいる人々が居るかを、片時も忘れはならないはずだ。これまた再度の発言になるが、原発の再稼働で自分達が生きて行けると言うのなら、その生きて行ける中から、万一事故が起きた時の賠償金をすべて支払えるような事を考えなくてはいけない。
 そんな事が出来るはずが無い。多分、事故の危険性はほとんど無い、と考えているのだろう。でもそれなら、賠償金を支払う義務もまた発生しないのだろうから、最後には積み立てたカネが自分の所に戻って来る可能性は高いのだから、原発再稼働で得たカネは賠償金として積み立てて置くべきだ、と言う論理が成り立つ。しかし、それでは実際には生きて行けない。

 つまり、おかしな自分勝手な論理だけが優先先行している。野田政権が自分達の目の前しか見えていないのと同じように、多くのマスメディアも先を見る目を持っていない。いい加減な報道で庶民を騙すのは許されない。

馬鹿を頭に頂く国民の悲劇

2012年04月14日 | 政治問題
 あれほどの被害を生み、いまだに放射線の影響を受けて、食べる物も制限され、更にはふるさとに帰れない人々が大勢居ると言うのに、原発依存の体質から抜けられない。何の理念も持てないような人間を我々は頭に頂かなければならないのか。
 政権を担うにふさわしくない、それどころか、政治家としても議員としても、それ以上に人間としてふさわしくない連中が国の運命を決めている。こんな馬鹿な事があって良いのだろうか。

 エネルギー不足が目に見えているのは確かな事だ。だからと言って、悪魔と手を握る事が許されるはずが無い。考えてみれば、現在の我々は、それカネ儲けが一番だ、と煽られてその結果破綻したバブルの影響をもろに受けている。要らない物も買わされ、その挙げ句、本当に大切な物とは何か、を見失わされてしまった。
 原発の事故は、バブル崩壊と同じではないのか。
 北朝鮮のミサイル発射の情報さえも、ろくに手に入れられない連中が日本を仕切っている。もうやめようよ、馬鹿達の茶番劇は。

財務省って変な役所だなあと思う

2012年04月06日 | 政治問題
 東京電力に対する国の出資で、国は議決権を支配出来るような出資をすると言う。しかしその議決権の割合に関して、財務省は出来るだけ少なく抑えようとしていると言う。国の管理が強くなり過ぎるのを防ぐためらしい。
 なぜ国の管理が強くなってはいけないのか。民間企業のくせに、電気料金の値上げは企業の権利であり義務である、と寝言をほざいた企業をのさばらせて置いて良いとでも言うのか。自由主義経済であり、民間企業である、との思いから、東京電力の馬鹿げた発言が出ている。

 民間企業だからふざけた事を言うのだから、国営にするしか無いではないか。国営だからと言って、我々庶民の声をきちんと聞くとは言えない。けれども、一応は民意を問う、との姿勢は持っている。一切口を出すな、と言う民間企業とは天地雲泥の差があるはずだ。
 財務省その物が、本当は我々の民意を聞いて、我々のために働かなくてはならない省庁であるのに、何様だと思っているのだろう。長年の悪癖がすっかり染み付いてしまって、まるで水戸黄門のような気取りぶりである。ちゃんちゃらおかしい、と言いたいのだが、もちろん、聞く耳を持たないし、何しろ、天下の総理を左右するだけの力をお持ちのようだから、何を言っても無駄だろう。

庶民は皆、政治と世の仕組みに絶望している

2012年03月06日 | 政治問題
 今日の東京新聞の投書欄の見出しは次の通り。
・聴取応じぬ東電追及を
・睡眠貯金の没収悲しい
・脱原発せず値上げ論外
・国民不在の政治やめて
・与野党協議で知恵絞れ
 国民の政治と世の仕組みに対する絶望をこれほど分かり易く説明するのは難しいだろう。現在の日本の最大の不幸は、原発事故による膨大な被害である。そしてそれをそのままに認容している「国民不在の政治」がある。与党はもちろんの事、野党にも「知恵」は全く無い。現在の日本を作ったのは現在の野党・自民党だ。その反省すらまるで無い。

 別の紙面で、特別報道部の田原牧と言う記者が書いている。

 (脱原発)には都市住民の協力が不可欠だ。原発に頼ってきたツケを払うことに等しい。脱原発はただではない。
 (略)
 「福島の痛みを共有する」といった大それたことは言えない。けれども、この事故は「誰かの犠牲」を無言で認めるような社会を変える機会でもある。

 多くの人々が、ツケを払いたくないと考えている。特に官僚や政治家はその権化だとも言える。だから、これもどこかに書いてあったが、最高裁が違法だと判断を下した国会の定数是正が出来ない。
 「馬鹿」と「強欲」が日本を牛耳っているから、どうにもならない。大多数の国民は馬鹿でもなければ、強欲でもないと思うのだが、上記の記者が語っているような「社会」を、つまりは、ビラミッドの頂点に居るほんの一握りの人間が世の中を決めてしまうような「社会」を、変える事なしには、日本の将来はあり得ない。