夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

またまた産經新聞のコラムに驚いた

2012年05月21日 | 外交問題
 5月16日の「産経抄」である。経済白書が「もはや戦後ではない」という有名な言葉をはいたのは昭和31年のことである、との書き出しで始まる。色々な戦後の事件を挙げ、沖縄返還へと話は進む。私が驚いたのは次のような文章である。

 沖縄返還をめぐっては、佐藤栄作首相が「祖国復帰が実現しない限り戦後は終わらない」と述べ、多くの共感を呼んだ。しかし復帰は同時に、平和に対する幻想を国民に抱かせた。戦後の冷戦構造が去り、米軍がいなくとも日本の平和は守れるという勘違いだった。このため沖縄の米軍基地について常に「本土の犠牲」とか「負担」という声が聞かれ、邪魔物扱いにもされてきた。だが復帰から40年たった今、日本の守りはむしろ厳しさを増す一方だ。

 「米軍がいなくとも日本の平和は守れるという勘違い」と言うが、本当に勘違いだと考えて良いのだろうか。この「勘違い」は日本が戦争を永久に放棄した事に始まると私は思う。もちろん、戦争を仕掛ける事は永久に放棄で当然だ。しかし日本を自分の手で守る事を放棄したのは間違いだ。冷戦構造が無くなって米軍がいなくとも日本の平和は守れる、のではなく、米軍がいなくとも日本の平和を守らなければならない、と考えるべき所を勘違いしたのである。
 上のコラムで、沖縄の米軍基地が「本土の犠牲」とか「負担」だとの声が間違った声だと言っている。つまり、沖縄人の辛さを微塵も感じていないらしい。沖縄が本土の犠牲だ、と言っているのは、当然に、沖縄以外の都道府県が基地を自分の所で負担しようなどとはまるで考えていない事を指摘しているのだ。
 コラムは次のようにも言う。

 中国の温首相の言葉は、「尖閣をよこせ」という恫喝にも聞こえる。そうした危機感抜きで米軍の駐留を論じるのはあまりにも無責任というものだ。

 「尖閣をよこせ」の恫喝が危機感になるのは、米軍の駐留に頼り切って来たからではないのか。アメリカを頼りにして、日本は自分の言いたい事を言わずに来た。そうした姿勢が「尖閣をよこせ」の危機感を招いているのではないか。諸外国から嘗められ切っているのは日本の自主性の無い外交である事を棚に上げ、米軍の駐留のお陰だと言い切る、その考え方に驚くのである。

石原氏はさすがだ

2012年04月18日 | 外交問題
 尖閣諸島を東京都が買うとの発言が大きな話題となっている。当然である。石原氏でなくてはこの発言は出来ない。官房長官がのこのこと顔を出して、国が買う事も考えられるなどと言っているが、遅いのである。石原氏が言っている「外務省がびくびくしている」はまさにその通り。だから、海上保安庁だったか、日本の船に体当たりした中国漁船の船長を釈放してしまった。
 これで国が動き出さなかったら、本当に日本は「国」などと言う存在とは言えない。

 テレビでは秋葉原などで買い物をしている中国人の発言を流しているが、百害有って一利無し。大事な客を逃したくないとの思いが透けて見える。
 都民が負担するのはおかしい、などと言う人も居るらしいが、石原都政がそんな事を勝手にする訳が無い。これで国もやっと動き出すだろうと踏んでいるのは明らかだ。
 もしも栗原家が中国側に売り渡すような事をしたら、日本中の袋だたきに遭うだろう。それこそ文字通り「売国奴」になり下がる。

 私は東京新聞の夕刊を購読していないから分からないのだが、同紙の今朝のトップは「校庭線量 非公開で緩和」である。これは文科省のだらしなさの現れだと私は思うが、それが現在の「日本の国の姿」なのである。こうした事はもうすっかり慢性化してしまっていて、今更言うまでも無い、と私などは思ってしまう。それよりも、尖閣諸島を東京が買い上げる、とのニュースの方がよっぼど重要だと思う。

TPP参加の意義が分からない

2011年11月10日 | 外交問題
 共同通信の全国電話世論調査では賛否がほぼ拮抗している。参加した場合の影響について政府が説明が出来ていないと言うのが最大の理由である。
 意見がまっぷたつに割れているのは、それぞれの利害が対立しているからだろう。最も大きな利害は関税撤廃による日本の農業などの衰退だろう。そして食糧の自給率が現在の40%から14%にまで落ちてしまうと言う。それだけを聞くと非常に恐ろしい事になるが、あの古賀氏の説明によれば、そもそもは食糧の自給率そのものがおかしいのだと言う。何か訳の分からない事柄を規準にして出しているらしい。そうした事を農水省が明確に説明していない。

 アメリカに牛耳られてしまう事を懸念する人も居れば、古賀氏のように、それはこれからの交渉次第だと考える人も居る。当たり前だろう。参加している国にはオーストラリアも居れば、ニュージーランドも居る。そうした国々が日本のようにアメリカに牛耳られっぱなしのはずが無い。
 何で中国や韓国は参加していないのか、とか、参加した場合のメリットとデメリットについて、しっかりと考えられていないし、それが公表されてもいない。
 それぞれが自分達の立場だけを主張しているとしか思えない。もちろん、まず第一に自分の事を考えるのは必要だ。それなら具体的で現実的な事がよく分かっている。ただし、そこから発展して、それでは自分達以外の人々にはどのような影響があるのか、と考えるのが常識人の思考の仕方だろうと思う。

 そうした常識人の常に先頭に立って、人々の幸福のために情報を発信するのがマスメディアの役目であるはずだ。それが役目を果たそうとしていない。多分、カネが動いているのだろうが、どちらか有利な方に傾く傾向がある。
 今朝のテレビで、都道府県の幸福度の順位が取り上げられていた。一位は福井県、そして富山県と石川県が続く。幸福感なんて人様々だが、福井県のある女性が言っていた「のどかな事が良い」が印象に残った。そして大阪の女性が、気取らずに済み、しかも物価が安い、と言っているのも印象的だった。
 のどか、とか、気取らずに済む、と言う気持にはカネは関係が無い。そう、カネ、カネ、で動き回っているから幸福とはどんどん離れてしまうのである。
 TPP参加についても、一度自分の利害から離れて考えてみる必要があると思う。そしてそれを導くのがマスメディアの重要な役割だと思う。

中国の列車事故隠蔽体質

2011年07月29日 | 外交問題
 日本中、いや世界中がびっくり仰天、そして呆れ果てただろう。人間を人間とも思っていないその考え方には驚き呆れる以前に戦慄を覚える。まあ、中国の共産主義政府を信用などしていなかったが、ここまでえげつなく、恥も外聞もなくその姿を見せられてしまうと、ただただ言葉も無い。
 先日、久しぶりに秋葉原に行ったら、楽しそうな中国人達の買い物客に出会った。勝手ながら、私は彼等に違和感を感じた。何か、自分だけ一人幸福に酔っている、とそんな感じがしたのである。私の心の底には、中国のひどい差別情況などがあったのは間違いない。
 そして話はあの日本の領海内で、安全を守る船に体当たりをして来た中国漁船の問題になる。あの時、日本は中国政府に遠慮して、漁船の船長を釈放してしまった。中国政府に対してもきちんと抗議などしなかった。肝心の撮影したビデオでさえ、国民の目から隠した。それに賛成した議員達も少なくなかった。

 人を人とも思わない中国に対して、何でそんなに遠慮し配慮をする必要があるのか。こうなると、多分、そうした配慮は自分達の利益のためだけだったのではないか、と疑られても文句を言えないだろう。あの時の新聞の縮刷版を見て、政府や役人、そして議員達、産業界の大物達、有識者と称する人達、マスコミの態度などなどをきちんと総括して置く必要がある。
 無条件に相手を信用した、その相手の素性を実は知らなかったのだ、とは言わせない。

アメリカの沖縄愚弄問題

2011年03月10日 | 外交問題
 アメリカの国務省長官が「沖縄県民はごまかしとゆすりの名人で、ゴーやも栽培出来ない」と発言していた事が問題となっている。問題発言は更に色々とあるらしいが、これはアメリカン大学が沖縄と東京に2週間の研修旅行を計画していた同大学の学生14人にした講義の内容だと言う。
 対象がごく少人数に限られているから、そんなに大きな害になるとは思いにくいが、何よりも私はそうしたアメリカの考えは何も今更始まった事ではないと思っているから、そんなには驚きもしないし、怒りもしない。
 元々アメリカは日本など黄色人種を馬鹿にしているのだと思っている。アメリカはイギリス人が宗教的迫害を逃れて建国したのが始まりだ。元々そこには先住民族が居た。いわゆる「インディアン」だ。西部劇で何度も何度も見た。「野蛮で獰猛な」彼等を「文明人」であるアメリカ人達が追い詰め、殺し、彼等の土地を奪って行った歴史を。元々が侵略者なんだから、自分達以外の人種に大きな偏見を持っているのは当然の事だと思う。
 欧米のいわゆる白人種の考えている事なんて、だいたい、そんなものだろうと思う。以前よく「白豪主義」なる言葉を見聞きした。オーストラリアは徹底的な白人主義の国なのだ、と。オーストラリアだって、ヨーロッパの白人に奪われた土地なのだ。何しろ「オーストラリア」とは白人達にとって「未知なる南の土地」と言う意味が語源なのだから。

 アメリカは弁明に努めているようだが、単に本音が明らかになったに過ぎない。我々はこれはアメリカの本音である事をきちんと認識している必要があるはずだ。もちろん、建前である日本との友好を信じて行かなければだめだが、心の底で常にこうした米国の本音をきちんと理解している必要がある。そうした心構えが無いから、簡単にアメリカの様々な誘いに乗ってしまうのである。郵政民営化なんか、最たるものだ。
 やっぱり日本人は徹底的にお人好しなんだろうねえ。インディアンのように、あるいはオーストラリアの先住民族達のように、「駆逐」された経験など一度たりとも持った事がないのだから。あの太平洋戦争では何十万人もの日本人がわずか一日で殺された経験をあちこちで持っていると言うのに、すっかり忘れていると言うのは、お人好しなのではなく、多分、馬鹿なんだろうねえ。アメリカと付き合うのに、毎度毎度そんな事を意識していろ、と言うのではない。しかし心の奥底に「何をっ」と言う怒りを持っている必要が絶対にあると私は思う。それはロシアに対してだって言える事だと思う。

国後島での中ロ合弁事業についてもっと明確に

2011年02月19日 | 外交問題
 この所、忙しくてブログを一週間近く休んでしまった。新聞もテレビもほとんど見ないけれど、それでも一向に困らない。見た所で何事かがよく分かる訳でもない。むしろ、見ない方がよく分かるのかも知れない。何しろ、自分勝手な解釈を繰り広げるのがマスメディアの本性だから。ただ、中国がロシアと合弁で北方領土で事業を始めるらしい、との情報などは見逃す訳には行かない。でも、日本としてのその対応の仕方が問題だ。
 前回、菅首相が 「ロシア大統領の北方領土訪問は許し難い暴挙だ」 と発言した事に対して、佐藤優氏が正論ではあるが、面と向かっては言えない同首相の考え方とか根性について批判をしていた事を取り上げた。その佐藤氏の書いている中で、ロシアは前原外相を信頼している、とあったのだが、そうした 「前原氏への信頼」 が果たしてこうした中ロの北方領土での合弁事業に対して、どのように発揮されているのか、はなはだ興味深いものがある。
 まるで、北方領土は歴史上、ずっと以前からロシア領だったんだよ、と言わんばかりの中ロ合弁事業を見れば、前原外相への信頼感なんて言ったって、一体どの程度のものなのか、と思いたくもなる。日本人の寛容度の広さを巧妙に利用されているだけではないのか、と、単純な考え方の私は疑心暗鬼に陥ってしまう。

 もちろん、外交とはそんなに短兵急なものではないのは分かっているつもりだし、その後の展開について知らずに言うのは無責任ではあるが、中国はもちろんの事、ロシアだって独裁国家ではない、との明確な証明はされていないと思う。

政治家があまりにも信念が無さ過ぎる 

2011年02月12日 | 外交問題
  昨日、菅総理がロシアの大統領が北方領土を訪問した事を 「暴挙」 だと批判した事に対して、配慮が足りないと言っている人々を私は非難した。交渉、交渉とお題目ばかりを唱えているのではなく、具体的にどう踏み出せば良いと考えているのか教えて欲しいと書いた。
 これはその日の10時半頃のテレビ朝日のニュースショーで、コメンテーターが配慮が足りないと言い、そうした風潮がある事が根拠だった。私はその日の東京新聞の朝刊の 「本音のコラム」 での佐藤優氏の発言を読むべきだった。そのタイトルは 「卑怯者」。
 同氏は菅総理の 「許し難い暴挙」 との非難を 「日本の国民感情からすれば正しい」 と評価している。しかし次のように書いている。

 それならばなぜ菅首相は選挙直後の11月13日に横浜で行われた日露首脳会談でメドベージェフ大統領に対して面と向かって「あなたのやったことは暴挙だ。許せない」と伝えなかったのか。目の前では温和しい態度で、3ヶ月後に公開の場で激しい発言をするような人をロシア人は卑怯者とみなす。

 そうとは知らなかった。だから迂闊には物は言えないのだが、さりとて、私如きがすべてを知っている訳ではない。つまり、この菅発言は、首相としての一貫性を欠いているから不適切になるはずだ。佐藤氏が「国民感情からすれば正しい」と言う趣旨の事を書いているのがその証拠だろうが、実は、このコラムにはもっと価値のある事が書かれている。報道には表れないが、ロシア側の前原誠司外相に対する信頼感は強い、と前置きして、次のように書いている。

 前原氏が 「マスメディアや記者会見を通して外交交渉を行うつもりはない。ラブロフ外相と交渉する。そして閉ざされた扉の中で合意した内容に反するような発言は外でもしない」 という態度を一貫して取っているからだ。パフォーマンスに依存する菅首相よりも、ロシア要人との信頼を取り付ける前原外相の姿勢の方が国益に適う。

 重要な外交方針がころころと変わるはずが無い。そこには明確な信念があるはずだ。それこそ不退転の決意が要るだろう。不退転なのだから、言動にぶれがあるはずも無い。信念とか決意などのあまりにも無い人々が多過ぎる。
 私は自分自身、知恵は無いが勇気はある、と書いた。ロシアが仕掛けて来たら受けて立とうじゃないか、と言う勇気である。それをある人が、じゃあ戦争になったらどうするんだ、と言う。私の勇気は戦争をする勇気ではない。それは勇気ではない。ロシアだって馬鹿じゃないんだから、戦争など仕掛けはしないだろう。するとすれば、あの中国がやった姑息な手段のように、重要産物で日本には徹底的に不足している物を輸出禁止にするとか、兵糧責めとかの経済的な手段で攻めて来るだろう。だから、欲しがりません、勝つまでは、と戦争中の標語みたいな覚悟をするだけである。ケイタイが無くても平気、旨い物が食えなくても平気。
 現代人はあまりにも贅沢だ。我慢と言う事を知らない。それでは外国に侮られるだけだろうと思う。