夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

箱根駅伝で、ごぼう抜きって何だろう

2011年01月06日 | 言葉
 昨日、箱根駅伝の事を書いた。その中継で 「5人を一気にごぼう抜きにした」 のようなアナウンスがあった。凄いな、と思うと同時に 「ごぼう抜き」 の言い方にある違和感があった。「座り込みの人達をごぼう抜きにした」 のように使うが、「何人をも一気に抜き去る」 のように使うとは思っていなかったからだ。
 そこで辞書で調べた。

・岩波国語辞典=ゴボウの根を土中から引き抜くように、一気にぐいと抜き取ること。また、多くの中から一つずつ順順に抜き去ること。(競技などで )何人かの者を一気に追い抜くこと。

 「まとめて抜き去る」の意味が挙がっている。となると、単に私が使い方を勝手に制限していたのか。

・新選国語辞典=〔ごぼうを抜くように〕
1 草木の根を、土の中からすっぽりとひき抜くこと。
2 すわりこんでいる人たちを、ひとりずつひっぱり出すこと。
3 おおぜいの中から、すぐれた人をえらび出して用いること。
4 競走などで、数人の競争者を一気に追いぬくこと。

 岩波と同じく 「一気に抜く」 「一つずつ抜く」 「まとめて抜く」 の三つを挙げ、そのほかに 「選び出す」 をも挙げている。でも、「選び出す」 は本当だろうか。

・新明解国語辞典=〔もと、ゴボウを抜くように、草木の根などをすっぽりと引き抜く意〕
1 一人ずつ片端から順順に引き抜くこと。〔誤って、間を置かずに数人を追い抜く意にも用いられる〕 「座り込んだデモ隊をごぼう抜きにする」
2 〔釣で〕 まっすぐ上に、勢いよく引き上げること。

 原意は 「一気に抜く」 で、それが 「一つずつ抜く」 になった。釣りではその原意が生きている訳だ。そしてありました。「間を置かずに数人を追い抜く」 は誤った使い方だと。ただし、間違いではあっても、使われていると言っている。

・明鏡国語辞典=
1 ゴボウを引き抜くように、棒状のものを一気に引き抜くこと。
2 多くの人の中から一人ずつ抜き出すこと。
3 競走などで、数人を一気に追い抜くこと。▽本来は誤用。

 新明解国語辞典とほぼ同じ見解になる。「まとめて抜く」 は 「本来は誤用」 だから、やはり現在はその意味で使われている事になる。新選国語辞典の 「すぐれた者を選び出す」 は他の三冊には無い。私も初見である。

 さてさて、一体どれが正しい説明なのだろうか。
 これは 「ごぼう」 を抜いては (それこそ、「ごぼうぬき」 にしては) 考えられないはずである。同じような根菜である大根でもにんじんでもないのである。ごぼうだからこその意味があるはずだ。それは何か。
 思い当たるのは、ごぼうは長さの割に細い。だから下手に抜けば途中で折れて、土の中に残ってしまう。葉を持って抜くから抜けるのであって、根だけになってしまったら抜けない。だから 「一気に」 「すっぽりと」 抜く事が重要になる。
 従って、元、 「すっぽりと抜く」 であっても、その意味は現在も生きていてもおかしくはない。そしてそれは、「抜きにくい物を一つずつ抜く」 意味に使われるようになった、と考えられる。スクラムを組んで座り込んでいる人達を一人ずつ抜き去るのは簡単な事ではない。そしてそれは特殊な光景でもある上に、「ごぼうぬき」 の言葉でその情景がいっそう鮮やかに目に浮かぶ。
 言うまでも無いが、ごぼうの収穫で一本ずつ抜くのは当然の事である。まとめて4本も5本も抜く訳が無い。つまり 「まとめて一気に抜く」 は新明解国語辞典や明鏡国語辞典が言うように、間違いのはずである。
 そして上記の二冊は、間違いでも多くの人が使っているんだから、仕方がないか、と諦めている感じであある。しかし岩波と新選国語辞典は違う。堂々と、それで正しいんだよ、と言っている。

 間違いではあっても使う人が少なくないから、間違いとは言えない。そう考えて、言葉はどんどん変化して行く。変化はいい。しかし間違いを認める事は本来は 「変化」 とは違うはずだ。こうして安易に間違いに妥協してしまえば、日本語はどんどん貧しいおかしな言葉になって行く危険性がある。実際に、我々はそうした使い方を目にしている。「気が置けない」 は「心を許せる」 の意味なのに、「油断ならない」 の意味に使う人が出て来て、それを正しいと認めてしまう辞書がある。それは日本語の破壊になる。
 「あの人って、気が置けない人だねえ」 と褒めたつもりなのに、「油断がならない」 と思われたのでは立場が無いではないか。真っ正面から対立する二つの意味を許すなんて、とんでもない事である。
 「ごぼう抜き」 の「 まとめて一気に抜く」 が正しいとされる事も、同じ事なのである。
 確かにほかには「 まとめて一気に抜く」 の言い方は見当たらない。それは多分、現在のようなマラソンや駅伝などを頻繁に放送するような事が無かった事も理由の一つだろうし、何も 「ごぼう抜きにした」 などと言わず、「一気に5人を抜いた」 と言えばそれで済む問題でもあるからだろう。
 「ごぼう抜き」 が、言い得て妙、と言える傑作な使い方なら文句は言わない。しかし、「まとめて一気に抜く」 とは思っていない人だって、私だけではなく、大勢居るはずなのだ。そうした従来の正しい言葉を破壊してまで使うような言い方ではないと私は思う。
 こうした言葉の使い方は、最初にした人間が居る。それで、それは間違いだ、と無視すれば良いものを、おっ、これはいい、と飛び付く軽薄な人間が居る。多分、「一気に」 だけに注目したに違いない。「まとめてごぼう抜きにした」 なら間違いではない。「まとめて一気に抜いた」 なのだから。つまり、今までには無かった 「まとめて」 の意味を付け加えてしまった。それは絶対に間違いである。その軽薄な人間が、大勢に向かって発言するような人間だったからこうした事が起きている。