NECの次期社長が「クラウド・コンピューティング事業の強化で成長路線を描く」と言っている。記事の見出しは「クラウドを強化」である。パソコンは毎日使っているが、こんな言葉は初めてだ。話している内容が「(インターネット経由で様々なソフトを利用できる)クラウド・コンピューティング事業の……」となっているから、それで内容は分かる。どうも、インターネット経由で、と言うのがミソらしい。
我々がフリーソフトを使うのは、たいていがインターネット経由である。だから目新しい事ではない。ただ、事業としてのインターネット経由と言うのは,もっと規模が大きくて、と言う事らしいが、それを麗々しく「クラウド・コンピューティング」などと呼ぶ必要があるのだろうか。もっとも、米国企業が先行していると言うから、もちろん、その名称はそうした企業が付けたのだろう。英語国民だからそれで良い。多分、人々のよく知っている言葉であるはずだ。
英語の辞書でクラウドを引いてみた。簡単に思い付くのがcrowdである。「人、物の集まり」とある。多分これに違いない。インターネット経由で様々なソフトを集めるのだから。辞書にある意味を挙げると次のようになる。
1 群衆、人ごみ、雑然とした多人数
2 大衆、民衆
3 (口語)(特殊な)グループ、仲間、連中
と、極めて易しくしかも卑近な意味ばかりだ。この中では、口語だが、「グループ・コンピューティング」が一番ふさわしいのではないだろうか。クラウドがもっと違った綴りの言葉なら、この考えは当たらないが。
つまり、何も「クラウド・コンピューティング」などと称する必要は無いだろう、と言うのが私の感想だ。もちろん、英語圏ならごく日常的な言葉だから、麗々しい言い方にはならないだろう。だが、それを日本語にそのまま持って来るから、麗々しくなる。もっともらしくなる。
でも、その実、ちっとも麗々しくももっともらしくもないじゃないか。そう、だからこそ、「クラウド・コンピューティング」などと言う言い方をしなければならなくなる。つまり、言葉で素晴らしい見せ掛けをする、と言う例の手段である。
この記事のすぐ横には大きな見出しで「トヨタ、マツダHVで提携」とある。もちろん、記事中にも「ハイブリッド」とある。確か「複合」の意味だったと思う。これは日本語で易しく言い替えたい言葉の候補の一つになっている。しかしマスコミは一向に意に介しない。その方が立派な響きがあるからだろう。
こうやって、どんどん英語が日常語の中に入り込んで来る。日本語に言い直してくれないから、我々は仕方なくそのまま受け取るしかない。冗談じゃない。
言葉を、意味を分からなくして、単にかっこ良く見せ掛けるためだけに、やたらと難しい言い方をする事は絶対に許されてはならないのだ。そうした「仮面」の下で、一体何が企まれているのか、分かったもんじゃない。
分からない言葉、感覚にすとんと落ちて来ない言葉、そうした言葉を私は絶対に使わない。そうでしょう。話すにしても書くにしても、そこにはありのままの自分が無くてはいけない。そのありのままの自分が、感覚的にぴたりと来ない、あるいは感覚的に納得出来ない言葉で語れるか。言葉だけの優雅な遊びをしている余裕は私には無い。だから、やたらと難しい言葉や外国語を使う人の話は聞かないし、読まない。
もっと自分達に分かる言葉で話をしましょうよ。
我々がフリーソフトを使うのは、たいていがインターネット経由である。だから目新しい事ではない。ただ、事業としてのインターネット経由と言うのは,もっと規模が大きくて、と言う事らしいが、それを麗々しく「クラウド・コンピューティング」などと呼ぶ必要があるのだろうか。もっとも、米国企業が先行していると言うから、もちろん、その名称はそうした企業が付けたのだろう。英語国民だからそれで良い。多分、人々のよく知っている言葉であるはずだ。
英語の辞書でクラウドを引いてみた。簡単に思い付くのがcrowdである。「人、物の集まり」とある。多分これに違いない。インターネット経由で様々なソフトを集めるのだから。辞書にある意味を挙げると次のようになる。
1 群衆、人ごみ、雑然とした多人数
2 大衆、民衆
3 (口語)(特殊な)グループ、仲間、連中
と、極めて易しくしかも卑近な意味ばかりだ。この中では、口語だが、「グループ・コンピューティング」が一番ふさわしいのではないだろうか。クラウドがもっと違った綴りの言葉なら、この考えは当たらないが。
つまり、何も「クラウド・コンピューティング」などと称する必要は無いだろう、と言うのが私の感想だ。もちろん、英語圏ならごく日常的な言葉だから、麗々しい言い方にはならないだろう。だが、それを日本語にそのまま持って来るから、麗々しくなる。もっともらしくなる。
でも、その実、ちっとも麗々しくももっともらしくもないじゃないか。そう、だからこそ、「クラウド・コンピューティング」などと言う言い方をしなければならなくなる。つまり、言葉で素晴らしい見せ掛けをする、と言う例の手段である。
この記事のすぐ横には大きな見出しで「トヨタ、マツダHVで提携」とある。もちろん、記事中にも「ハイブリッド」とある。確か「複合」の意味だったと思う。これは日本語で易しく言い替えたい言葉の候補の一つになっている。しかしマスコミは一向に意に介しない。その方が立派な響きがあるからだろう。
こうやって、どんどん英語が日常語の中に入り込んで来る。日本語に言い直してくれないから、我々は仕方なくそのまま受け取るしかない。冗談じゃない。
言葉を、意味を分からなくして、単にかっこ良く見せ掛けるためだけに、やたらと難しい言い方をする事は絶対に許されてはならないのだ。そうした「仮面」の下で、一体何が企まれているのか、分かったもんじゃない。
分からない言葉、感覚にすとんと落ちて来ない言葉、そうした言葉を私は絶対に使わない。そうでしょう。話すにしても書くにしても、そこにはありのままの自分が無くてはいけない。そのありのままの自分が、感覚的にぴたりと来ない、あるいは感覚的に納得出来ない言葉で語れるか。言葉だけの優雅な遊びをしている余裕は私には無い。だから、やたらと難しい言葉や外国語を使う人の話は聞かないし、読まない。
もっと自分達に分かる言葉で話をしましょうよ。