夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

箱根駅伝はやはり興奮する

2011年01月05日 | スポーツ
 以前はスタートからゴールまで全部見ていた。録画もしていた。でも近年は最初と最後くらいしか見なくなった。当たり前の事だが、番組を全部見ていても、競技の全部が見られる訳ではない。局が伝えたいと思った部分しか見られないのだから、全部を見てもしょうがない、と思った訳ではないが、考えてみればそうなる。私の出身大学は全く関係が無いから、別にどこに肩入れするのでもないが、今年のように接戦になると、東洋大に連覇をさせてやりたいし、早稲田に18年ぶりの優勝をさせてもやりたいし、としなくても良い心配をしてしまう。
 中継で二つばかり心外な事があった。
 一つは選手がコースを間違えた事である。コースが左折するのに、一人が直進した。気付いてあわてて戻ったが、コースは大きくふくらんで、その分遅れた。確かシード権争いの4人グループだったと思うから、その損失は大きい。ただ、シード権は獲得したはずである。画面で見た限りでは、明確に左折になっていたようには見えなかった。道なりではないのだから、もっと明確に直進ではなく左折なんだよ、と分かるようにすべきではないのか。係員がコースに立ちふさがって、直進ではないよ、と示したって良いではないか。
 もう一つはゴールのテープを係が落として拾わなかった事である。ゴールする寸前に落としたのではない。拾ってテープを張る余裕は十分にあった。なのにテープを張らなかった。30キロも走って来たのである。その必死の努力を思えば、何としてでもテープを切らせてやりたい、と思うのが人情ではないか。それを平然と見送った係員に怒りを覚えた。
 どちらも小さな出来事ではある。しかし走っている選手、応援している人々の事を思えば、決して小さな事だとは言えない。何か事務的な対応をしているように思えて心が寒くなった。競技に燃えられないような人は係員になってはいけない、とまで私は思う。危険を避けるためには冷静な判断力が必要だ。しかしこれは冷静さとはまるで違う問題だと思う。

フィギュアスケートを見るのが怖い

2010年02月26日 | スポーツ
 このブログは本当は25日に発信するはずだった。なのにそれを忘れてしまった。だからタイトルは「フィギュアスケートを見るのが怖かった」と言うのが正しい。
 今や冬季オリンピックでテレビは盛り上がっている。そのニュースもう見たよ、と別のチャンネルに回すと、そこでも同じシーンを放映している。変えても変えても同じシーンが追っ掛けて来る。すると、いつもは馬鹿にして見ないバラエティー番組が何と、新鮮に見える。
 私は肝っ玉がちっちゃいのだろう。興味のある種目で、日本人が出場するシーンは不安で見るのが苦痛になる。何も勝たなくても良いではないか、とは思う。何しろ、オリンピックは当初から「参加する事に意義が有る」なんだから。そこで精一杯自分の力を発揮すれば良いではないか、とは思う。でもでも、力が発揮出来ない場合がある。プレッシャーは相当なものだろうし、平常心を持ち続けるだけでも大変だと思う。だから出場出来るだけでも良いではないか、とは思うものの、やはり勝って欲しい。勝たせてあげたい。言うならば、自分勝手なのだ。
 だから白状するが、強い相手だと、失敗した時、あっ、残念、とは思うが、反面、心の隅では結構ほっとしている。そんな自分の心が許せない。
 フィギュアスケートなんかになったら、もうそれこそハラハラドキドキのしっぱなし。だから出来るだけ見たくない。でも見なかった種目で、見事に成功したと知ったなら、ああ、見ておけば良かったのに、と絶対に後悔する。だから、見事だった種目はビデオでいいから、実況と同じように全場面を見せて欲しい、などと勝手な事を考えている。
 でもみんな実に見事だし、世界一になった選手など、どうしたらあんな技を身に付ける事が出来るのかとほとほと感心してしまう。努力もあるが、天賦の才能なんだろうなあ。
 でも果敢に4回転ジャンプに挑戦した彼等に負けずに、私も仕事に挑戦しなければ。島田洋七さんは「佐賀のがばいばあちゃん」の原稿を持って、数十社も回ったとか。でも、私には数十社もの当てが無い。それに闇雲に回ってもねえ。
 それにしても、どこも認めなかった原稿を、徳間書店だけが認めた。そして現在の盛況に至っている。認めなかった理由は何か,認めた理由は何か。それが知りたい。

相撲協会の素顔がはっきり見えてしまった

2010年02月03日 | スポーツ
 立浪一門の安治川親方が理事選で貴乃花親方に投票した事で、所属の立浪一門の意向に反したとして、相撲協会を退職すると言う。一体何のために選挙をしたんだ? 彼は貴乃花親方の勇気と心意気を持って出馬した、との言葉を聞いて投票を決めたと話している。それは何を意味するか。協会には勇気も心意気も無いのだと言う事を如実に示している。
 立浪部屋では造反者は誰だ、と「犯人捜し」に夢中になった。造反、つまりは選挙には自由は無かった。選挙ばかりではない。協会にはどこを探しても「自由」などほんのひとかけらも無いのである。それが国技である相撲の協会だと言うのか。
 馬鹿な親方連中が考えを改めない限り、相撲ファンだって付いて行きはしないだろう。もしもそうではないとするなら、相撲ファンは目の見えない連中ばかりだ、と言う事になってしまう。

 造反者を捜し出すなどと言う馬鹿げた事をしなければ、これほどまでにはっきりとその腐った内容が世間に知られる事は無かっただろう。薄々と感じてはいても、証拠が無い。それなのに、こんなに明確に証拠を示されてしまえば、嫌でも内容を知る事になる。
 でも本当に何でそんな分かり切った事が分からないのだろう。多分、自分達の体質にすっかり馴れてしまって、それがどんなに世間とはかけ離れているかが分からないだけの事だろう。
 これは相撲協会だけの話ではない。毎日世間を騒がせている出来事も同じだ。

東京オリンピックがついえた

2009年10月04日 | スポーツ
 東京がオリンピック開催地に落選して良かったのではないだろうか。国民の支持が無いのだから。国民が白けていては、やって来た選手だって観客だって白けるよ。私は東京でオリンピックをやろう、と言う情熱があっても良いと思っていた。でも皆さん、テレビで十分観戦出来るからだろう、まるで熱意が無い。
 それに商業主義に毒されたオリンピックにはあまり魅力を感じないのだろう。ゴルフが種目になった。日本のテレビだってゴルフゴルフと騒いでいる。朝からずっと中継をしている馬鹿な局もある。
 大体、若者が簡単に高額の賞金を手に出来る事がおかしい。なんでそんなにゴルフは賞金が高いのか。そうやって考えて、そうか、ゴルフは素人が参加出来るからか、と気が付いた。野球が盛んになっても、普通人が我も我もと野球場に押し掛けて野球をやったりする訳ではない。しかしゴルフは違う。ゴルフ場は大盛況になるはずだ。だから儲かる。
 以前からオリンピックは金儲けの手段だと言われて来た。古代ギリシアで、戦争ばかりやっていたポリスが、オリンピアードの時だけは戦争を中止した、そのオリンピアードの精神とはずいぶんと離れてしまったのではないか。中共は北京オリンピックでウイグルやチベットの弾圧をやめなかった。オリンピックをやるからこそ、弾圧を強めた。
 そうしたオリンピックに興味は無くなった。選手一人一人が全力を尽くして闘う姿は素晴らしいと思う。でも金儲けだけが目的の人々の手の上で転がされるのを見るのは不愉快極まる。
 日本人全体が白けムードだったのは、そうしたオリンピックの素顔が見えていたからかも知れない。シカゴが落選して、その票がリオデジャネイロに回ったと聞く。アメリカは時差が無いので、まるまる放送出来る。だから儲けに繋がる。そんな魂胆が渦巻いている候補地選びなんか臭食らえ。
 こんな事を言うと、頑張った石原都知事や鳩山首相には申し訳ないが、案外、御本人もほっとしていたりなんかしていて。あーあ、俺も嫌みな人間になって来たなあ。