夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

思いやりのある社会を作ろう

2011年01月03日 | 社会問題
明けましておめでとうございます。
 初日の出も初富士も拝んだし、初詣にも行った。日の出も富士山も条件さえ良ければいつでも見られる。それなのに「初」が尊ばれる。それは毎日を大切にせよ、との教えなのだろう。初めての日の出を拝むように、毎日の日の出を拝め、と。
 元日の東京新聞は二つの朗報を伝えている。元日早々、訳の分からない、我々には何の役にも立たない政治のニュースや経済のニュースでは面白くもおかしくもない。
 朗報の一つは、 「首都の地下鉄 利便向上」 の大見出しで、経営の異なる地下鉄の乗り継ぎ割引が少し多くなる。民営の東京地下鉄は初乗りが160円、都営地下鉄は170円。二つを乗り継ぐと本来はそれぞれの初乗り料金が掛かるが、それが現在は70円割引されているのを、80円とかの割引にするらしい。割引額はもっと上がるかも知れない。それと共に改札を通らずに乗り換えが出来るよう駅を改造するのだと言う。更には経営統合についても協議が続けられると言う。
 東京だけは例外的に二つの地下鉄が存在している。公共機関は公営であるべきだ、と言うのが私の持論である。公営はぬるま湯に漬かった経営だ、との意見もあるが、利益むさぼり放題の民営よりずっと良いと思っている。公共のためのなのだから、利益はほどほど、経営の安定と鉄道機能の発展を保証する程度で良いのである。一つの経営であれば、利益が上がれば利用者に還元出来る。運賃が安くて困る事は何も無い。
 自由主義経済が社会の発展の基本だ、と考えられているようだが、私はそうは思わない。共産主義はどうやら失敗だったと世界は知ったのだろうが、だからと言って自由主義が良い、とはならない。自由は認めるべきだが、何でもあり、ではない。自由の名の下にそれこそ独占が許されたりしてはならない。 「独占」 と同じ考えに自分さえ儲かれば良い、との考え方があるのだと思う。
 儲けられるから社会が発展するのか。そうではないだろう。世のため、人のため、の精神が社会を発展させるのだと思う。その気持が回り回って自分の所に幾らかの利益として帰って来る。それで良いのではないのか。

 朗報の二つ目は 「歩行者に優しい信号」 である。横断歩道を渡っている人の歩き方が遅ければ、自動的に歩行者の青信号が延長される方式である。もちろん、赤信号に変わる寸前に渡ろうとすれば、警告が発せられる。本来、歩行者用の信号は青になったのを確認してから渡るべきものである。信号にたまたまぶつかったら青だった、は、いつその青が終わるか分からないのだから、危険この上ない。
 見ていると、横断歩道を素早く渡れない人は少なくない。青になったと同時に渡り始めるのに渡り切れない人が居る。車の通行量の多い道路では歩行者の青信号は延々と待たなければならないのだから、もっと歩行者に親切にすべきなのだ。毎日利用している霞ヶ関のある横断歩道は、平行する車が優先で、まず車用信号が青になる。歩行者用は赤のまま。そして車が点滅になって、やっと歩行者が青になる。ところが、その青が非常に短い。見通しの利く信号だから、少し離れた所からでも青になったのが分かり、横断歩道に駆け付けて、足早に渡るのだが、どんなに早足で渡っても、渡り切ると同時くらいに点滅になり、すぐに赤になる。
 車の出足は非常に速く、恐怖を覚えるくらいである。人の事など考えていないように思える。ある時など、赤で待っていたバイクが、車が青の点滅になると同時に飛び出した。普通の信号なら待っている車が青になる。しかしそこでは、次は横断する歩行者が青になるのである。左折車に巻き込まれる危険を避けた信号なのだろうが、危険な信号でもある。これは最初に歩行者を青にして、それから車を青にすれば避けられるのではないだろうか。
 人間が大切にされていないとつくづくと思うこの頃である。社会を動かしていると自認している人達が、多分、他人の事などまるで考えていないからなのでしょうね。