夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

日本は本当に「国」なのだろうか

2012年04月28日 | 政治問題
 今朝の東京新聞の第一面のトップの見出しを挙げる。

・脱原発「国に任せられぬ」
・首長会議きょう発足
・「目先の利益でなく日本人の品格の問題」
・政府は世論を読めていない
・全基の廃炉へ国有化要請も
 写真は、村上・東海村村長である。
 これだけで、何が語られているかは一目瞭然に分かる。

 世論を読めない政府って一体何なのだろうか。主権在民とは世論を読み、それを認めて初めて成り立つ。1億人の国民が政治の舵取りをする訳には行かないから、政府に委ねているだけの事である。世論が読めない政権など、要らないし、存在してはならないのだ。
 顔の美醜ではなく、野田総理は、その貧相な考え方が顔に現れていると私は思っている。

 「目先の利益ではなく日本人の品格の問題」とは、まさに的を射た表現である。これは本当に我々の目の前にぶらさがっている問題だ。しかし経済界とか、日本を引っ張って行く力のある連中は全く問題になどしていない。「していない」のではなく、「出来ない」のだ。総理と同じく貧相な考え、貧相な心しか持てないからだ。

 結局、長い間の悪習のツケが回って来ている訳だ。政治の事をきちんと考えて来なかった。だから、一票の格差がやっと認められたにも拘らず、国会はその是正をしようとは考えていない。そうした国会議員を育ててしまったのも、また我々の責任である。
 その我々の多くは今、目覚めている。着実に自分達で出来る節約を真剣に考えようとしている。けれどもそれをやられては困る、余分なカネを使わせて儲けたい連中がそれを阻止しようと躍起になっている。そうした連中の手先としか思えない政府なんか要らない。あってはならない。

藤村官房長官は皮肉が分からない人らしい

2012年04月25日 | 言葉
 大阪府知事と大阪市長が政府と直談判をするために上京した。8か条の提案書を突き付けた橋下市長は、飲めないのなら無視すりゃいいんですよ、と言った。橋下氏は、こうした提言をして国民の意識を盛り上がらせる事が目的だ、と言っている。お粗末な対応しか出来ない政府をとうに見放している。
 それに対して官房長官はこう言った。「自分で提案して置きながら、無視すれば良いなどと、支離滅裂な事を言う」。

 本当に馬鹿な人なんだなあ、と思う。痛烈な皮肉が通じない。その程度の言語力と言うか思考力だから、大切な事が何も分かっていない。明確な言い方は覚えていないが、確か「大飯原発を再稼働して、安全対策をその後で実施すれば良い」と言うような意味の事を言っていたと思う。間違っていたら、お許しを。

 話は違うが今朝のフジテレビで番組を仕切っている小倉氏が、目下の電力不足をどうするか、としきりに発言していた。ゲストは、本当に電力が不足するのかどうか、明確な資料を出すべきだ、と言っている。そうした発言はあちこちでされていると言うのに、電力会社と産業・経済界の一方的な情報だけを信用して、番組が成り立つのだろうか。

朝から晩まで私は犬に監視されている

2012年04月22日 | ペット
 朝、起きたが最後、愛犬のポンタ(今年5歳になるポメラニアン)の監視から私は逃れられない。実は寝ている時も監視されているのだが。食事中は、自分の欲しい物があれば甘い妻の足元に居続けるが、満腹していれば、必ず私の足元に居る。だからうっかりと椅子をずらそうものなら、烈火の如く怒る。フンギャー、オレが居るんだ、気をつけろ、このヤロー、と言っている。仕事部屋へ向かえば、すぐ足元を付いて来る。だから踏んづけないようにと、私は常に足元に注意を向けていなければならない。

 妻と息子の言うには、私の居ない時はポンタはとても大人しいのだそうな。ところが私が帰って来ると、途端に元気一杯はしゃぎ出す。妻は、ほら、お前のお母さんが帰って来たよ、と言う。時には「お母さん」が「仲間」になる。
 ペットショップで子犬が仲間とじゃれ合っている姿を見て、私は、ホント自分はポンタの仲間なんだ、と実感した。私が床やソファーに寝転がろうものなら、途端に顔にじゃれつく。爪を切らせないので、痛くてたまらないから、両腕で必死に顔をかばう。すると今度は手を嘗めまくる。放って置けば、5分でも10分でも嘗めている。

 私の行動もすっかり読まれている。朝、トイレに行くと、次は洗面所だ、と読んでいる。だからわざと違った行動を取ってやる。まあ、私も楽しんでいるのは間違い無い。
 今、すぐ足元に居たのに居ないので、見回すと1メートルほど離れた所で寝ている。でも即座に私が見回しているのを察知して、こちらを向く。それじゃあ、安心して寝ていられないじゃないか、と心配をしてしまう。その寝ている姿を見ただけで、何となく嬉しくなって来る。同時に、ああ、足の豆を触りたい、冷たく濡れた鼻を触りたいと思う。そう、私は犬に癒されているのである。

石原氏はさすがだ

2012年04月18日 | 外交問題
 尖閣諸島を東京都が買うとの発言が大きな話題となっている。当然である。石原氏でなくてはこの発言は出来ない。官房長官がのこのこと顔を出して、国が買う事も考えられるなどと言っているが、遅いのである。石原氏が言っている「外務省がびくびくしている」はまさにその通り。だから、海上保安庁だったか、日本の船に体当たりした中国漁船の船長を釈放してしまった。
 これで国が動き出さなかったら、本当に日本は「国」などと言う存在とは言えない。

 テレビでは秋葉原などで買い物をしている中国人の発言を流しているが、百害有って一利無し。大事な客を逃したくないとの思いが透けて見える。
 都民が負担するのはおかしい、などと言う人も居るらしいが、石原都政がそんな事を勝手にする訳が無い。これで国もやっと動き出すだろうと踏んでいるのは明らかだ。
 もしも栗原家が中国側に売り渡すような事をしたら、日本中の袋だたきに遭うだろう。それこそ文字通り「売国奴」になり下がる。

 私は東京新聞の夕刊を購読していないから分からないのだが、同紙の今朝のトップは「校庭線量 非公開で緩和」である。これは文科省のだらしなさの現れだと私は思うが、それが現在の「日本の国の姿」なのである。こうした事はもうすっかり慢性化してしまっていて、今更言うまでも無い、と私などは思ってしまう。それよりも、尖閣諸島を東京が買い上げる、とのニュースの方がよっぼど重要だと思う。

大飯町の原発再稼働に地元が期待するのは勝手ではないか

2012年04月17日 | 政治問題
 テレビで大飯町の商店や旅館が開業休店状態であると報道している。経営者の声は一様に、原発を再開してもらわないと生きて行けない、である。これは非常に具体的だから訴求力がある。一方、反対派の意見はほとんどが個人の発言で、将来への不安だから、具体的だとは言えない。この点で、既に再稼働賛成派に分がある。こもは決して公平な報道にはならないと思う。

 地元が困っているのは確かだ。では、大手の企業が廃業になって、その企業を頼りにしていた下請けの企業が、生きて行けないから大手企業を復活させてくれ、と言えるだろうか。置かれている立場は同じだろう。
 下請け企業は大手の丸抱えになっていてはいけないのである。利口な経営者なら、普段からそうした手を打っているはずだ。たとえ仕事をくれている大手がいい顔をしなくても、自分自身の生き残る道を考えるのが当然だろう。
 しかし原発の地元の経営者達は、一様に原発だけに頼って来た。原発に対する自らの不勉強を反省こそすれ、文句を言える筋合いではない。

 私は自分が今、大飯町の地元と同じ境遇になっているから良く分かる。私は色々な出版社の下請けの仕事をして来た。仕事を出してくれる出版社だけを頼りにして来た。自らを売り手にする努力を怠って来た。そのツケが回って来て、すべての出版社が担当者が辞めたり、代わったりして、私の仕事は無くなった。独自の販路を開拓していなかった結果である。どこに尻を持って行きようも無い。

 前にも書いたが、原発を頼って来た人々が苦しいのは分かる。しかし、その陰に、どれほど原発の事故で苦しんでいる人々が居るかを、片時も忘れはならないはずだ。これまた再度の発言になるが、原発の再稼働で自分達が生きて行けると言うのなら、その生きて行ける中から、万一事故が起きた時の賠償金をすべて支払えるような事を考えなくてはいけない。
 そんな事が出来るはずが無い。多分、事故の危険性はほとんど無い、と考えているのだろう。でもそれなら、賠償金を支払う義務もまた発生しないのだろうから、最後には積み立てたカネが自分の所に戻って来る可能性は高いのだから、原発再稼働で得たカネは賠償金として積み立てて置くべきだ、と言う論理が成り立つ。しかし、それでは実際には生きて行けない。

 つまり、おかしな自分勝手な論理だけが優先先行している。野田政権が自分達の目の前しか見えていないのと同じように、多くのマスメディアも先を見る目を持っていない。いい加減な報道で庶民を騙すのは許されない。

馬鹿を頭に頂く国民の悲劇

2012年04月14日 | 政治問題
 あれほどの被害を生み、いまだに放射線の影響を受けて、食べる物も制限され、更にはふるさとに帰れない人々が大勢居ると言うのに、原発依存の体質から抜けられない。何の理念も持てないような人間を我々は頭に頂かなければならないのか。
 政権を担うにふさわしくない、それどころか、政治家としても議員としても、それ以上に人間としてふさわしくない連中が国の運命を決めている。こんな馬鹿な事があって良いのだろうか。

 エネルギー不足が目に見えているのは確かな事だ。だからと言って、悪魔と手を握る事が許されるはずが無い。考えてみれば、現在の我々は、それカネ儲けが一番だ、と煽られてその結果破綻したバブルの影響をもろに受けている。要らない物も買わされ、その挙げ句、本当に大切な物とは何か、を見失わされてしまった。
 原発の事故は、バブル崩壊と同じではないのか。
 北朝鮮のミサイル発射の情報さえも、ろくに手に入れられない連中が日本を仕切っている。もうやめようよ、馬鹿達の茶番劇は。

犬を踏んで、犬に怒られた

2012年04月11日 | ペット
 仕事場の明かりを消して、暗い廊下に出た途端に、ギャイン、と犬が吠えた。足元に居た犬を踏んづけてしまったのだ。いつもは私がパソコンに向かっていれば、その部屋のどこかか、私の足元に必ず居るのに、その時はたまたま廊下に居たのだった。私も、あれっ、今日は居ないぞ、と思ったのだが、まさか部屋の出口の真ん前に居るとは思いもしなかった。
 我が愛犬は私のしている事に常に注意を向けていて、パソコンの電源を落としただけですぐにそれと察知して部屋の外に向かう。マウスで単に画面に触るだけなのに、どうしてだろうと不思議だが、多分、私の念波を感じているのではないだろうか。電源を落とす時、私は、あーあ、やっと終わった、などとは思わない。十中八九、時間が無いから仕方が無い、ここで終わりにしとくか、といつも残念に思っている。いつも同じ思いが流れて来るから、嫌でも気が付いてしまうのではないか。

 踏まれた犬だが、怒る、怒る。歯をむき出して吠える。いくらごめんごめん、と言い続けてもなでてやっても、許そうとは思わないらしい。吠えるだけではなく、ぐじゅぐじゅ、むにゃむにゃ言い始める。まるで人が怒鳴って文句を付けているように訴え続けるのである。この野郎、踏みやがって、痛いじゃないか、気を付けろ、てめえ、目が見えないのか、と言っているのである。
 幸い、骨も折れていないし、ほっとしたのだが、なだめるのにずいぶんと時間がかかった。

 そしてその翌日、今度は毛を引っ張ってしまってまたまた怒られた。私が外出の支度をすると、よその犬もそのようだが、決まってお気に入りのおもちゃを持って来て、投げてくれ、と言う。そのくせ、しっかりとくわえて、放そうとはしない。ぽろっと落としたのを見て、すかさず拾い、投げる。その繰り返しが楽しいらしい。
 口から放さないから、こちらは手を引っ込めるのだが、すると手のひらの上に乗せて来る。でも口からは絶対に放さないのである。そうした事を何度も繰り返していて、間違っておもちゃではなく犬の毛を引っ張ってしまったのだ。踏まれた時よりは痛くなかったらしいから、前ほどは怒られなかったが、それでもなだめるのに骨が折れた。ちょっと間違っただけじゃないか、の言い訳は犬には通じないらしい。
 結局は、こちらがいいように遊ばれている気がして来る。まあ、喜怒哀楽が大きいから、なんか、やんちゃ坊主が一人居るようで、楽しい事は楽しい。

財務省って変な役所だなあと思う

2012年04月06日 | 政治問題
 東京電力に対する国の出資で、国は議決権を支配出来るような出資をすると言う。しかしその議決権の割合に関して、財務省は出来るだけ少なく抑えようとしていると言う。国の管理が強くなり過ぎるのを防ぐためらしい。
 なぜ国の管理が強くなってはいけないのか。民間企業のくせに、電気料金の値上げは企業の権利であり義務である、と寝言をほざいた企業をのさばらせて置いて良いとでも言うのか。自由主義経済であり、民間企業である、との思いから、東京電力の馬鹿げた発言が出ている。

 民間企業だからふざけた事を言うのだから、国営にするしか無いではないか。国営だからと言って、我々庶民の声をきちんと聞くとは言えない。けれども、一応は民意を問う、との姿勢は持っている。一切口を出すな、と言う民間企業とは天地雲泥の差があるはずだ。
 財務省その物が、本当は我々の民意を聞いて、我々のために働かなくてはならない省庁であるのに、何様だと思っているのだろう。長年の悪癖がすっかり染み付いてしまって、まるで水戸黄門のような気取りぶりである。ちゃんちゃらおかしい、と言いたいのだが、もちろん、聞く耳を持たないし、何しろ、天下の総理を左右するだけの力をお持ちのようだから、何を言っても無駄だろう。

ゴミは収集日に出して下さい、と言うのだが

2012年04月03日 | 暮らし
 住んでいるマンションの掲示板に次のような掲示が貼り出されている。

 ゴミは収集日を守って出して下さい。

 つまり、生ゴミなどを収集日ではないのに、ゴミ置き場に出すな、と言っている。そしてその「ゴミ」には資源ゴミも入っているはずだ。資源ゴミの収集には区共通で使われているゴミ容器がある。各町会の集積所には、資源ゴミの収集日には朝早くからそのゴミ容器が出されている。
 しかしながら、住んでいるマンションでそのゴミ容器が出されるのは、朝「遅く」なのである。しかも出される容器は、ペットボトルとスチール缶、瓶だけで、カネになるアルミ缶はゴミ置き場に「大切に」しまわれている。アルミ缶はいつ捨てても構わないのである。

 何と自分勝手な、と呆れてしまう。収集日を守れと言うのなら、朝早くからゴミ容器を出しなさい、と言いたくなる。いいですよ、そんなに収集日を守れと言うのなら、アルミ缶も収集日に出しましょう。でもゴミ容器が出ていないのだから、すぐそばの町会の集積所に出す事にしましょう。

面白過ぎるテレビは食事中には見ない

2012年04月01日 | 暮らし
 昨日、日本テレビの「ダマされた大賞2012? 超ド級ドッキリ第3弾」を見ていた。息子は食事を終えていたが、私は酒を飲みながらだったので、食事の最中だった。面白おかしいのが食欲増進になるだろう、くらいの気持で見ていた。普段は、あまりこの手の番組は私は見ない。
 そして、あき竹城の美容室でのシーンで、笑いが爆発してしまった。その時、私はワインを口一杯に入れていた。飲み易い白ワインなので、口一杯だったのだ。日本酒や泡盛などなら、本当にちびちびと味わうのだが、ワインだったのいけなかった。吹き出す訳にも行かず、ぐっとこらえた途端にむせ返ってしまった。体験した事の無いような苦しいむせ方だった。

 妻と息子はただ笑い転げていただけだったが、私は本当に死ぬかと思うくらいの辛い思いをした。だから、これからは食事中には面白い番組は見ないと決めた。