夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

テレビの字幕を作るなら、日本語くらい勉強せよ

2011年01月23日 | 言葉
 日曜日の朝の娯楽番組で、あわびを獲る漁師が登場した。一日の収穫は 「2~300」 とあった。さて、これを何と読むか。
 番組は当然に 「二三百」 のはずである。しかしこの表記を真面目に読むなら、「2から300」 としか読めない。これを 「二三百」 と読めと言うのは無理な話である。この 「二三百」 にしても、今は普通は 「二、三百」 と書く。
 まずはこの 「二三百」 から考えよう。これは日本語の数字の表記と密接に関係がある。日本語では 「10」 の位から単位語が決まっている。英語などの11から19などとは違う。十、百、千、万などと漢字でその単位が書ける。従って、「200」 なら 「二百」 に、 「300」 なら 「三百」 になる。もちろん、これを洋数字表記にして、 「2百」 「3百」 とも書ける。
 だから「 にさんびゃく」 と言う場合は 「にさん」 は「 百」 と言う単位語を前提にしている。それで 「二三百」 と書く事が可能になる。これは絶対に 「2千3百」 ではない。けれども、単位語を抜いて数字を表記する事が行われて、 「二十三」 を 「二三」 と書くようになってしまったから、 「二三」 ではどちらだか分からない。そうした実情があって、 「二三十 」はそのままでは 「二百三十」 と読まれてしまう恐れがあると言うので、 「二、三十」 と書くようになったのである。考えてみれば馬鹿な話である。
 このように、数字の表記に単位語を書かない風習が広まったが、それでも言い方は 「にさんびゃく」 と、はっきりと単位語の 「ひゃく 」などを意識した言い方をしている。これは 「二三百 」としか掛けない。もちろん、今風の 「二、三百」 でも構わない。これを 「2、300」 とは書けないのは誰にだって分かる。しかしそれをしてしまうのが、冒頭に挙げた 「2~300」 の表記になる。これは単に 「、」 を 「~」 に変えただけに過ぎない。

 こうした弊害が概数にも及んでいる。普通に 「にせん」 とか 「さんぜん」 とか言う場合、それは明確に 「二千」 や 「三千」 の事である。これと 「2000」 「3000」 が違うのは、確か小学校の上級で習ったのではなかっただろうか。 「二千」 は 「2千」 でも良いが、こうした表記は 「千」 を単位とした数ですよ、との表示である。だから 「二千人収容の会場」 とは、 「約2千人」 なのであって、「 きっちり2千人」 なのではない。だからこれを 「2000人収容」 とは書けない。しかし現在では新聞でさえそう書いて平然としている。
 「三千メートル級の山々」 は絶対に 「3000メートル級」 とは出来ない。 「級」 とは 「概数ですよ」 との意味なのだから、そこに一位の数字も0ですよ、との表記である 「3000」 は使えない。
 もちろん、 「5000円」 の品物を 「5千円」 と書いたからと言って、 「約5千円」 などにはならない。物の値段と山の標高では数字の表す性格が違う。そうした事を全く無視してしまうから、おかしくなる。数の表記だからと言って馬鹿にしてはいけない。こうした小さな積み重ねが大切なのである。それを守らないから、日本語はどんどんいい加減な言葉になってしまうのである。