夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

我が家の犬がビールが嫌いな訳が分かった

2012年07月22日 | ペット
 またまた犬の話で失礼します。我が家の犬は大の酒好きだが、ビールは大嫌いだと書いた。そしてきのう、私は夕食時にビールを飲んで、えっ? こんなにまずかったか、と大いに驚いた。ビールと言っても、私の飲んでいるのは主に第三のビールである。

 きのうは、一日中パソコンに向かっていて、買い物にも出なかった。だから汗もかいていないから、ビールが旨くないのだ。考えてみれば、私は平日は毎晩汗びっしょりになる労働をしていて、だから、帰ってからのビールがものすごく旨い。
 つまり、ビールはアルコール飲料ではなく、アルコールは入ってはいるが、私にしてみたら清涼飲料と同じなのだ。それでも、サイダーでは満足出来ないのは、わずかのアルコールに騙されているのか。あるいは、ビールじゃなきゃ駄目だ、と自己暗示に掛かっているのか。

 それで、犬がビールが嫌いな訳が分かった。汗をかかない犬がビールを旨いと思うはずが無い。もっとも、これは日本のビールあるいは第三のビールの話であって、ドイツのビールなら、どうなのかは分からない。

愛犬は大の酒好きだが、ビールは駄目

2012年07月21日 | ペット
 愛犬が酒が好きだと気付いたのは、まだ1歳にもならない頃だった。夜、私は赤ワインを飲んでテレビを見ていた。少し疲れたので、横になってテレビを見ようと、ワイングラスを持って、床に移動した。
 テレビに夢中になっていたら、ピチャピチャ音がする。何だろうと振り返って見たら、何と、犬がグラスのワインを舐めているではないか。それも赤ワインである。私は白ワインも好きだが、渋みのあるフルボディの赤ワインが特に好きだ。この夜も、フルボディではないが、それに近い赤ワインを飲んでいた。そのワインを舐めているのである。

 そうか酒が好きなのか。で、次には日本酒を与えてみた。盃に注いだ酒は舐めないが、指に酒を付けて舐めさせると、ペロペロと舐める。指を取り替えて、「はい、駆け付け三杯だよ」と言って、指三本までは舐めさせる。家内もそれをやるから、合計「六本」になる。
 一升瓶から注いだ時は、瓶を床に置くとすぐにやって来て、瓶の口をペロペロと舐め回す。そして酒の善し悪しが分かるらしい。上質の、私が特に好きな酒では、その舐め具合が真剣になる。

 焼酎も、甲類、乙類を問わず、またウイスキーもバーボンも、飲んだ私の口を舐めに来る。甲類焼酎は別として、私は割ったりはしないから、アルコールもその香りも十分に犬の好みに合うらしい。

 それなのに、ビールだけは絶対に駄目なのである。グラスを向けるとそっぽを向く。私もビールはアルコール飲料とは思っていない。しっかりと汗をかいた後に飲むから旨いのだ、と思っている。だから第三のビールで結構。最近はホッピーを愛飲している。アルコール度数がその時の情況に応じて好みに変えられる所が特に気に入っている。
 でも、その後にはちゃんとした「酒」も飲むから、今の所、犬に嫌われてはいない。

愛犬は言葉が分かるらしい

2012年06月18日 | ペット
 さて、ひげでもそるか、と言った途端、ソファーの上で寝ていた犬が、ワンと一声高く鳴いて、ソファーから飛び降り、洗面所にすっ飛んで行った。我が愛犬は洗面所のすぐ隣にある風呂場が大好きなのである。
 私がひげをそるのは、日によって時刻が大いに違う。だから、時刻を察してなのではない。明確に私の言葉を理解してなのである。犬が風呂場が大好きなのは分かっている。だから我々夫婦は「風呂」などの言葉は禁句にしている。「ニューヨーク」とか、隠語を使っている。昨日も、「湧かしたら入る?」と聞いただけなのに、やっぱり、ワンと一声高く吠えて、洗面所にすっ飛んで行った。

 今日は布製の袋に入ったティッシュペーパーが落ちていたのを目ざとく見付け、玩具にしていた。飽きて放ってあるのを見て、息子がティッシュ拾わないと、と言った途端に、全然別の所に居たのに、ティッシュに向かって突進した。息子も、何で言葉が分かるんだ、と呆れている。
 確かに言葉が分かる。散歩の時、やたらと交差点が多い。信号など無い細い道だから、必ず「ストップ!」と声を掛けて止まらせる。左右の安全を確認して、「よしっ」と言うと歩き出す。まあ、これは条件反射とも言えそうだから、言葉を理解してとは言い切れない。そして、言葉が分かるらしいのに、吠え立てて騒いでいる時の「静かにっ?」などの自分に不利な言葉は分からない振りをしている。したたかな犬である。
 俗に、馬鹿の子ほど可愛い、と言う。それと同じで、私はこの「馬鹿犬」が可愛くて仕方が無い。それは特に私にべったりである事も関係している。朝起きたら最後、寝るまで私は犬に付きまとわれてしまう.まあ、それほどまでに信頼されているのなら、応えてやろうじゃないか、と言う気にもなるではないか。そう、犬は無邪気な振りをして、すっかり見透かしているのである。どうも私は、妻にも息子にも見透かされている傾向がある。
 しかし、そうだからと言って、今更に性格を変える訳にも行かない。

朝から晩まで私は犬に監視されている

2012年04月22日 | ペット
 朝、起きたが最後、愛犬のポンタ(今年5歳になるポメラニアン)の監視から私は逃れられない。実は寝ている時も監視されているのだが。食事中は、自分の欲しい物があれば甘い妻の足元に居続けるが、満腹していれば、必ず私の足元に居る。だからうっかりと椅子をずらそうものなら、烈火の如く怒る。フンギャー、オレが居るんだ、気をつけろ、このヤロー、と言っている。仕事部屋へ向かえば、すぐ足元を付いて来る。だから踏んづけないようにと、私は常に足元に注意を向けていなければならない。

 妻と息子の言うには、私の居ない時はポンタはとても大人しいのだそうな。ところが私が帰って来ると、途端に元気一杯はしゃぎ出す。妻は、ほら、お前のお母さんが帰って来たよ、と言う。時には「お母さん」が「仲間」になる。
 ペットショップで子犬が仲間とじゃれ合っている姿を見て、私は、ホント自分はポンタの仲間なんだ、と実感した。私が床やソファーに寝転がろうものなら、途端に顔にじゃれつく。爪を切らせないので、痛くてたまらないから、両腕で必死に顔をかばう。すると今度は手を嘗めまくる。放って置けば、5分でも10分でも嘗めている。

 私の行動もすっかり読まれている。朝、トイレに行くと、次は洗面所だ、と読んでいる。だからわざと違った行動を取ってやる。まあ、私も楽しんでいるのは間違い無い。
 今、すぐ足元に居たのに居ないので、見回すと1メートルほど離れた所で寝ている。でも即座に私が見回しているのを察知して、こちらを向く。それじゃあ、安心して寝ていられないじゃないか、と心配をしてしまう。その寝ている姿を見ただけで、何となく嬉しくなって来る。同時に、ああ、足の豆を触りたい、冷たく濡れた鼻を触りたいと思う。そう、私は犬に癒されているのである。

犬を踏んで、犬に怒られた

2012年04月11日 | ペット
 仕事場の明かりを消して、暗い廊下に出た途端に、ギャイン、と犬が吠えた。足元に居た犬を踏んづけてしまったのだ。いつもは私がパソコンに向かっていれば、その部屋のどこかか、私の足元に必ず居るのに、その時はたまたま廊下に居たのだった。私も、あれっ、今日は居ないぞ、と思ったのだが、まさか部屋の出口の真ん前に居るとは思いもしなかった。
 我が愛犬は私のしている事に常に注意を向けていて、パソコンの電源を落としただけですぐにそれと察知して部屋の外に向かう。マウスで単に画面に触るだけなのに、どうしてだろうと不思議だが、多分、私の念波を感じているのではないだろうか。電源を落とす時、私は、あーあ、やっと終わった、などとは思わない。十中八九、時間が無いから仕方が無い、ここで終わりにしとくか、といつも残念に思っている。いつも同じ思いが流れて来るから、嫌でも気が付いてしまうのではないか。

 踏まれた犬だが、怒る、怒る。歯をむき出して吠える。いくらごめんごめん、と言い続けてもなでてやっても、許そうとは思わないらしい。吠えるだけではなく、ぐじゅぐじゅ、むにゃむにゃ言い始める。まるで人が怒鳴って文句を付けているように訴え続けるのである。この野郎、踏みやがって、痛いじゃないか、気を付けろ、てめえ、目が見えないのか、と言っているのである。
 幸い、骨も折れていないし、ほっとしたのだが、なだめるのにずいぶんと時間がかかった。

 そしてその翌日、今度は毛を引っ張ってしまってまたまた怒られた。私が外出の支度をすると、よその犬もそのようだが、決まってお気に入りのおもちゃを持って来て、投げてくれ、と言う。そのくせ、しっかりとくわえて、放そうとはしない。ぽろっと落としたのを見て、すかさず拾い、投げる。その繰り返しが楽しいらしい。
 口から放さないから、こちらは手を引っ込めるのだが、すると手のひらの上に乗せて来る。でも口からは絶対に放さないのである。そうした事を何度も繰り返していて、間違っておもちゃではなく犬の毛を引っ張ってしまったのだ。踏まれた時よりは痛くなかったらしいから、前ほどは怒られなかったが、それでもなだめるのに骨が折れた。ちょっと間違っただけじゃないか、の言い訳は犬には通じないらしい。
 結局は、こちらがいいように遊ばれている気がして来る。まあ、喜怒哀楽が大きいから、なんか、やんちゃ坊主が一人居るようで、楽しい事は楽しい。

犬と私は親子なのか仲間なのか

2011年01月14日 | ペット
 私が居ない時、犬はとても静かなのだ、と言う。だが、私が家に入ると途端に騒ぎ出すのだそうだ。勤めから帰って来た時、誰も迎えてくれないのに、犬だけは大喜びで迎えてくれると言うのが相場らしいから、私の場合もそれなのだろう。しかし我が愛犬の場合は度が過ぎている。
 家に入って、まずは鞄を置き、鍵や定期や腕時計などをしまい、コートなどを脱ぎ、などをしている間にも、早く挨拶をしろ、とうるさくせっつく。分かったよ、ちょっと待ってくれよ、などと声を掛けながらそうした事をしているのだが、一向に収まらない。それにトイレにも行きたい。本当は玄関を入るなり、すぐに抱き上げたりすれば良いのだろうが、コートに毛が付くのが煩わしい。特に毛の付き易く取れにくい材質のコートなのである。
 食事の前に風呂に入ろうかと眼鏡を外せば、ワンワンワンと大興奮して風呂場に走って行く。息子が、うるさいから、抱いて行けば静かになるよ、と言うのだが、すぐに走り出しているんだから、とても追っ付かない。それに洗面所には家内が行こうが息子が行こうが知らん顔をしているのに、私の場合だけ騒ぐのである。別に私と一緒に風呂に入る訳ではない。子犬だった時には一緒に入っていた。風呂場の椅子はちょっと大きめで、その後ろにちょこんと座る。だから私は前半分にやはりちょこんと座って体を洗う。湯を掛ける時にも犬にあまり掛からないように、遠慮して掛ける。
 で、いつの間にか一緒には入らなくなった。その代わり、私が洗面所でひげをそったりしていると、風呂場に入れろ、とうるさく催促する。仕方がないからドアの鍵を外してやると、風呂場に入ってドアを閉めて、ドアをガリガリ引っ掻いて騒ぐのが定番となってしまった。うるさいからドアを開けると出て来て、すぐにまた中に入り、中からドアをバタン。それでまたまたガリガリ。何が面白いのか、その繰り返しなのである。ドアを閉めておけば、開けろとうるさい。
 それで今では洗面所に居る時には犬を洗面台の上に乗せてしまう。不思議な事に、それでおとなしくなる。

 最初にきつく叱らなかったのがいけないのだ、と今更言われても後の祭り。それに、やるのは私の場合だけなのだから、しつけのしそこないとばかりも言えないと思う。で、私を親だと思って甘えているのか、それとも仲間だと思ってやりたい放題なのか、と考えてしまうのである。家内は、もちろん、仲間よ、と突き放す。いや、そうじゃないよ、と私は反論する。この犬はね、自分が我々と同じ人間だと思ってるんだ。だから仲間なら、みんなも同じ仲間になる、と。
 じゃあ、母親だと思ってるのよ、と家内。いいよいいよ。どうせ私は甲斐性がないさ。一家の主人にはふさわしくないんだから、母親で結構さ。うん、本当に犬は私を父親ではなく、母親だと思っているようだ。朝だって、家内はとっくに起きているのに、私が寝ている間は犬も私のそばで寝ている。仕事場に行けば付いて来るし、ベランダに出れば、やっぱり付いて出る。
 あんまりそばにいるもんだから、時々、ついうっかりと踏んでしまう。すると猛烈に怒る。キャイン、痛いじゃないか、気を付けてよ、と言うなら可愛らしいが、鼻にしわをよせて、猛烈に抗議をする。この野郎、気を付けろ、俺が居るじゃないか。
 本当にもの凄い剣幕なのである。ごめん、ごめん、と撫でたり抱いたりして謝るのだが、どうしてどうして、許してはくれない。怒るのは誰に対しても同じである。冗談で、お前なんかダイッ嫌いだ、などと言おうものなら、誰が言っても途端に怒り出す。こうなると、親子関係ではない。仲間意識である。
 うーん、やっぱりどこかで間違えたのだ。犬はボスに従う習性があるから、人間を、我が家では三人だが、我々の誰をもボスと思わせて置かなくてはいけなかった。三つ子の魂百までも、と言うから、この我が儘で、でも馬鹿ではないこの犬とこれからも丁々発止とやって行く事になる。
 どうも私は犬に教えられる所が多分にあるらしい。

犬と私は丁々発止

2010年10月10日 | ペット
 我が愛犬は4歳になるおすのポメラニアンだが、おおげさに言うなら、毎日が戦いである。もちろん、しつけの問題であり、そのしつけが私は上手く出来ていないだけの話ではある。
 馬鹿な犬ではないのだが、困るのが外ではマーキングを絶対にしないくせに、家の中では平気でマーキングをする事なのだ。ベランダに置いたゴミ箱にするのはいい。しかし家の中のゴミ箱にまでする。私の仕事部屋にある掃除機などは特にお気に入りらしく、常にマーキングの対象になってしまう。最近は少し減って来て、どうも満足している時にはしないらしい。私も大いに気に入られているらしく、ある時などは、寝ていて背中にマーキングをされたのである。それ以来、寝室には絶対に入れない。

 そんな訳で、入れたくない所には柵をしてある。だが、今度はその柵に向かってマーキングをする。「こんちくしょう、こんな所に柵をしやがって」だろうとしか思えない。業を煮やして、猫を防ぐプラスチック製の針の山になったポードを買った。犬だって踏めば痛い。そのボードを柵の前に置いた。だが、思惑は見事に外れた。何と、そのポードをおもちゃにして遊ぶのだ。上手にくわえて行って、がりがりとかじっている。作戦は失敗か、と諦めたのだが、まだ続きがある。
 夜中にトイレに行こうとして、すんでの所でその針のボードを踏んづける所だった。なんと、私の出入り口の前に置かれていたのである。もちろん、犬が勝手に置き場所を変えたのである。
 まあ、私の部屋の前は多分、彼のお気に入りの場所の一つだから、そこで遊んでいて置いて行ったのだろうが、「こんな物を買って来やがって」と置いたように私には思えてしまう。何しろ、こちらの会話や雰囲気にひどく敏感で、私が妻に「今日さあ」と言っただけで、普段は行かないリードをしまってある場所の下に行って何度も飛び付く。「これの事なんだろう。さあ、早く行こうよ」と言っているような具合である。完全にこちらの胸の内を読んでいる。

 夕飯時、犬の大好きな物がおかずになっていた。自分のえさもそこそこに、妻のそばにべったりと座っている。妻が甘いのを見越している。絶対にくれると信じている。先に食事を終えた息子が台所で、「そんな物やらなくていい」と言った。途端に犬はくるりと向きを変えて飛んで行き、息子に向かって猛烈に吠え立てた。「余計な事、言うんじゃない」と言っているのである。もう笑うしか無い。
 一日二十四時間人間と一緒に居るのだから、人間ぽくなるのは自然なのかも知れない。そうは言っても、わがまま勝手にはさせていない。えさやおやつを与える時には、きちんとお手、お代わりをさせて、待てもさせている。真剣になって私の目を見詰め、よし、と言うのを待っている。あまりにもひたむきなので、つい少しばかり待たせて、よし、と言ってしまう。そのタイミングも今は計られてしまっているから、今度はもっと長く待たせようかと考えているが、多分、かわいそうになって、出来ない気がする。

 家の中は毛だらけになるし、私は常に毛を拾って歩いている。でも犬が居るお陰で楽しい事もたくさんある。家族なんだなあ、とつくづく思うが、動物としての限界ももちろんある。でも息子は「お父さんよりも頭いい」などとぬかす。

犬は時間が分かる?

2010年09月02日 | ペット
 ご無沙汰しました。今日は犬の話をさせて下さい。
 私の帰宅時刻は夜の9時15分。きちんと決まっているのは、一刻も早く帰りたいと退社時刻を待って飛び出すからだ。仕事は30分も前に終わっている。でも私は戸締まりをして帰る役目を仰せつかっている。その時刻に帰るのは私一人しか居ない。その時刻が8時30分と決まっているのだ。
 最寄り駅ではホームに着いて1分以内に電車が入って来る。途中駅で乗り換えるが、この電車に乗らないと、乗り換えの電車が7分後になってしまう。だからすべてが大忙し。
 で、犬の事なのだが、私は外に居るから当然知らないが,ある日帰ったら、珍しく息子がまだ食事の最中だった。そして言う。
 「ねえ、この犬時間が分かるんだよ。ずっと俺のそばに居たんだけど、お父さんの帰って来るちょっと前に玄関に出て行ったんだ。そうしたら、ちょっとして玄関がガチャッと開いて、お父さんが帰って来た」
 タイミングから見て、エレベーターの音が聞こえた訳ではない。それこそゆっくりと尻尾をゆさゆさと振りながら、のんびりと玄関に向かったと言うのだ。その姿は容易に想像が出来る。そしてそれは私がまだマンションの玄関のドアを開ける以前の時刻なのである。
 「もうそろそろおじさんの帰って来る頃だな」
 そう思って玄関に行ったに違いない。
 妻が買い物から帰って来る時などは様子が違う。エレベーターの音が聞こえて、妻の足音が聞こえて、ワンワンと吠え立てて玄関に飛んで行く。タイミング的にはそうなっている。たとえ私のすぐそばで寝ている時でもそうである。私が仕事をしている部屋は道路に面していて,車の走行音がうるさい。それでもかすかなエレベーターの音と足音を聞き分けている。
 買い物は定時ではないから、物音だけが頼りなのだろう。それに対して、私の場合は定時だから、物音ではなく、時刻を計っているとしか考えられない。

読売テレビの「愛犬と45年ぶりの再会」を見て

2009年12月20日 | ペット
 志村けんの動物番組。「飼い犬との45年振りの再会」のタイトルに負けて見た。でもまさか45歳も長生きする訳ないしなあ、と思いながら。
 主人公は茨城県で幼稚園に電車で通う女の子。家のある玉造町駅から幼稚園のある石岡駅まで15・8キロを毎日電車で通う。飼い犬のコロが毎朝8時半に女の子を玉造駅まで送る。一度は電車の車内に入るが、発車間際に降りて家に帰る。3時半(4時半だったかな)になると再び玉造駅まで出迎えに行く。当時は犬がひとりで出歩く事は普通だった。
 ところがある日、電車に乗ったまま石岡まで行ってしまった。気付いた車掌が誰の犬だ、と怒鳴った。女の子は怖くなって,自分の犬だとは言えなかった。コロは追い出され、どこかに消えた。
 女の子も父親も探したが、見付からない。そして時が経った。45年後、彼女は新聞で石岡の駅近くの小学校の愛犬になっていた犬が居た事を知った。それはあのコロだった。コロは可愛がられて17年間生きた。長生きである。
 そのコロの日課があった。8時半と3時半になると決まって石岡駅まで行き、飼い主が現れるのを待ったのである。最後の日、起き上がる気力も無かったコロがチャイムを聞いて、起き上がろうとした。校長先生が、もういいよ、と優しくなだめて、コロは旅立った。

 番組の出演者はみな泣いた。妻も涙だし、私も涙。お陰で、夕食を半分残してしまった。どうにも箸が進まない。夕食時には全くふさわしくない、と怒っても、決して嫌な涙ではない。感動の涙なのだが、出来れば、このような感動はしたくない。あまりにも犬がかわいそうである。
 でも、と私は思う。犬とはぐれたのは石岡駅だった。どうして彼女も父親もその周辺を探さなかったのか,と。駅から遠くはない小学校で、犬は17年間も暮らしていたのである。見付からないはずが無い。
 もしかしたら、私の勘違いなのか。それとも番組の進行に手違いがあるのか。番組は作られた部分がある。何しろ実話とは言っても再現ドラマである。だが、肝心要の事は間違えたりはしないはずだ。私の見間違いや思い違いではないとするなら、私は飼い主の愛情を疑ってしまう。何で誠意が無いのかと。
 45年ぶりに再会を果たした彼女は、本当にこの番組で納得しているのか。私は真剣になって見たつもりだから、どうにも腑に落ちないのである。

人慣れしていない犬に困っています

2009年12月12日 | ペット
 買い物に行かなくてはならないし、犬の散歩もさせてやりたい。ああ、時間が無い。そこで犬を連れて買い物をする事にした。だからスーパーなどには入れない。すべて外だけで用が済む店を選んだ。と言ったって肉屋と八百屋だからどうって事は無い。夕飯の買い物は前の日に済んでいる。足りない物だけを買えば良い。
 肉屋では無事に買い物が済んだ。ところが八百屋で、店の奥さんがいらっしゃーい、と大きな声で呼び掛けた途端、犬がワワワンと吠えた。奥さんはびっくりして店の奥に逃げ込んでしまった。私は犬を叱るのに大変。奥さんは大きな声を出してごめんね、と言うが、どういたしまして、こちらこそ済みませんね、と謝った。奥さんが言う。いつも人慣れした犬ばかりなもんで。そう、みんな大人しい犬ばかりだ。確かに私の犬は人慣れしていない。それに買い物にはほとんど連れて行かないから、犬も人混みで興奮したのかも知れない。いつもはほとんど人が通らない所ばかり歩いているのだから。
 目的はみかんだったのだが、申し訳ないから、いちごも買った。新鮮だったし、50円負けるよーと言っていたから、まっ、いいか。

 私は犬をあまり散歩に連れて行かない。ほとんどの人が外で用を足させるために連れて行くのだと言う。だが、私の犬は外では絶対に用を足さない。その点では飼い主としては安心なのだが、犬の生理としてはどうなのだろうか。ほかの犬がマーキングした所をくんくんと嗅ぐのだが、マーキングをしようとはしない。多分、マーキングを知らないのだろう。これって、本当は良くない事じゃないのか。でも、だからと言ってどうにもならない。だから外に連れ出さなくても困りはしない。ただ、犬は外に出たい。散歩に行くと分かると、もう手の付けられないようなはしゃぎようである。
 たいていは決まったコースで、家の近くまで来ると一目散に家に入りたがる。よく、もっと外に居たいよう、と抵抗している犬がいる。飼い主も、いい加減に家に帰ろうよ、となだめているが、聞く耳を持たない。私の犬はその点、楽と言えば楽だが、なんでそんなに家がいいんだよ、と思ってしまう。それまでは私の顔を見い見いだったりするくせに、ぐんぐん私を引っ張るように先に立つ。そして家に入った途端、自分のトイレに駆け込んだりする。
 そんな犬でもベランダの植木鉢とゴミ箱には決まって小便を引っ掛ける。用足しなのかマーキングなのかは分からないが。
 犬一匹、飼い主が利口にならなければ育てられない。私は案外、犬に教えられているのかも知れない。