昨日、学童交通安全誘導の仕事の講習会があった。様々な仕事でプロの仕事とはどのような事かを教えるのが専門の講師が来て話をした。我々のしている仕事を良く知っている女性だった。だから、渡された資料もごく一部を除いては理解出来るし、具体的も話も筋が通っている。
ごく一部を除いては、と言うのは、「基本動作を知り、分かっていることと出来ることの違いを認識しましょう」との文言がおかしいからだ。これは講師の説明で分かったのだが、「分かっていることと出来ていることの違い」なのである。わずかの違いだが、この違いは大きい。
何で講習会が開かれたのかと言うと、区民からの我々の仕事の仕方に対しての苦情があるからだ。その多くはほんのちょっとした行き違いが原因であり、言葉や態度がカギを握っている。だから、そうした対応の仕方の講習なのである。
私達が日頃からしている事を改めて言われていると言った感じだから、疑問には思わないが、何もわざわざ呼び出されてまで受ける講習ではない、と思った。
しかしながら、私が感じた大きな違和感はもっと別の事にある。この講習は二回に分けて行われていて、私達のグループの半分の三人は既にこの講習を受けている。その彼等が言うには、区民がお客様なのだから、学童以外の区民にもいつもニコニコして居なさい、と言われたと言うのである。
事前にその話を聞いた我々は、そんな馬鹿な、それじゃ、単なる馬鹿じゃないか、と思ったし、児童の安全を守るのにニコニコしながら出来るか、と怒りさえ覚えた。
そこで私は、今回の講習と前回の講習とは中身が違うのか、と質問した。答は、説明の取り方が人によって違うのだ、であった。そうだろうと私も思う。確かに「ニコニコ」のような表現は今回もある。だから、我々の仲間にこうした説明が分からない人が居ると言う事になる。で、私はそうした事も述べた。
講師は言った。こうした事を理解するのは結構難しいので、何度も講習をする必要があるのだ、と。反論はしなかったが、そんな馬鹿な話があるものか。こんな易しい話が分からない人に、こうした仕事をさせる事自体が間違っているのだ。
そうした事をもっと象徴的に示す事柄がある。クレームの中に、疲れた犬を道の端に寝かせていたら、我々の仲間が犬の腰を叩いて、「家と間違えているんじゃねーぞ」と暴言を吐いたと言うのである。日時と場所から担当した人が分かった。それは女性で、「あら、雑巾みたいになっちゃって、どうしたの」と言うような事を言っただけだと言う。
この二つには天地雲泥の差がある。特に「雑巾みたいになっちゃって」はリアルな表現だから、この言葉に間違いは無いはずだ。クレームは男性が暴言を吐いた事になり、言った本人は女性なのである。
これに対して、講師は、こうした被害妄想の人が居るのが、クレームが多い原因の一つでもあります、と言う。自分が受け取った印象が、実際とは大きく隔たっているのに、それが分からない。そうと思い込んでしまっている。
これが何で象徴的な出来事かと言うと、私達の仲間に、それもリーダーに典型的な被害妄想の男が居るのである。私はどちらかと言うと記憶力が悪くはない。だからその男が、前にどのような情況でどのような事を言ったのかをはっきりと覚えている。ところが、彼は次には全く違った事を主張するのである。
そうした事で我々は何度も被害を蒙っている。
そして今回講習を受けた我々三人は、この講習の説明書を我々の仕事場の机の上に置いて帰った。次には前回の三人が仕事の担当だからだ。私は、本当は次のようなメモを付けたかった。
「前回受けられた講習とは、内容が大きく違っているように思えますので、御参考までに」
それではあまりにも嫌みになる、との事でやめた。でも本当に、訳の分からない人が多過ぎるのである。そして講習会でも、私は本当は、こうした講習の内容が理解出来ない人には学童の安全を守る資格は無い、と主張したかったのである。
ごく一部を除いては、と言うのは、「基本動作を知り、分かっていることと出来ることの違いを認識しましょう」との文言がおかしいからだ。これは講師の説明で分かったのだが、「分かっていることと出来ていることの違い」なのである。わずかの違いだが、この違いは大きい。
何で講習会が開かれたのかと言うと、区民からの我々の仕事の仕方に対しての苦情があるからだ。その多くはほんのちょっとした行き違いが原因であり、言葉や態度がカギを握っている。だから、そうした対応の仕方の講習なのである。
私達が日頃からしている事を改めて言われていると言った感じだから、疑問には思わないが、何もわざわざ呼び出されてまで受ける講習ではない、と思った。
しかしながら、私が感じた大きな違和感はもっと別の事にある。この講習は二回に分けて行われていて、私達のグループの半分の三人は既にこの講習を受けている。その彼等が言うには、区民がお客様なのだから、学童以外の区民にもいつもニコニコして居なさい、と言われたと言うのである。
事前にその話を聞いた我々は、そんな馬鹿な、それじゃ、単なる馬鹿じゃないか、と思ったし、児童の安全を守るのにニコニコしながら出来るか、と怒りさえ覚えた。
そこで私は、今回の講習と前回の講習とは中身が違うのか、と質問した。答は、説明の取り方が人によって違うのだ、であった。そうだろうと私も思う。確かに「ニコニコ」のような表現は今回もある。だから、我々の仲間にこうした説明が分からない人が居ると言う事になる。で、私はそうした事も述べた。
講師は言った。こうした事を理解するのは結構難しいので、何度も講習をする必要があるのだ、と。反論はしなかったが、そんな馬鹿な話があるものか。こんな易しい話が分からない人に、こうした仕事をさせる事自体が間違っているのだ。
そうした事をもっと象徴的に示す事柄がある。クレームの中に、疲れた犬を道の端に寝かせていたら、我々の仲間が犬の腰を叩いて、「家と間違えているんじゃねーぞ」と暴言を吐いたと言うのである。日時と場所から担当した人が分かった。それは女性で、「あら、雑巾みたいになっちゃって、どうしたの」と言うような事を言っただけだと言う。
この二つには天地雲泥の差がある。特に「雑巾みたいになっちゃって」はリアルな表現だから、この言葉に間違いは無いはずだ。クレームは男性が暴言を吐いた事になり、言った本人は女性なのである。
これに対して、講師は、こうした被害妄想の人が居るのが、クレームが多い原因の一つでもあります、と言う。自分が受け取った印象が、実際とは大きく隔たっているのに、それが分からない。そうと思い込んでしまっている。
これが何で象徴的な出来事かと言うと、私達の仲間に、それもリーダーに典型的な被害妄想の男が居るのである。私はどちらかと言うと記憶力が悪くはない。だからその男が、前にどのような情況でどのような事を言ったのかをはっきりと覚えている。ところが、彼は次には全く違った事を主張するのである。
そうした事で我々は何度も被害を蒙っている。
そして今回講習を受けた我々三人は、この講習の説明書を我々の仕事場の机の上に置いて帰った。次には前回の三人が仕事の担当だからだ。私は、本当は次のようなメモを付けたかった。
「前回受けられた講習とは、内容が大きく違っているように思えますので、御参考までに」
それではあまりにも嫌みになる、との事でやめた。でも本当に、訳の分からない人が多過ぎるのである。そして講習会でも、私は本当は、こうした講習の内容が理解出来ない人には学童の安全を守る資格は無い、と主張したかったのである。