夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

国土の安全化を図れないか

2009年07月29日 | 社会問題
 ここの所の各地の雨による被害はまことに悲惨な情況になっている。災害のたびに思う事がある。もしも縄文時代に日本列島がプレートの上に載っていて、地震の巣窟であると分かっていたら、日本列島に漂着した人々はすぐに逃げ出しただろう。気候も結構温暖で、自然にも恵まれているのでうっかりと定住してしまった。それでも大地震は滅多には襲わないから、何とかやって来られた。人口もまだまだ少なかったから安全な場所に住む事が出来ていた。
 それがそうではなくなった。人口が増えて、人々は今までは住まずに済んでいたような場所にも住まなくてはいけなくなった。森林地帯が国土の7割を占めている島国で、ほかにどこに行きようがあると言うのか。

 でもそれならそれで覚悟を決めて、何とか住み易く努力するのが人間だ。野生の動物達を追い詰めているくらいだから、過酷な自然を開発する事は出来ている。野生の動物とも共存しながら、人間の安全に住める場所を切り開く事は出来るはずだ。
 変な話だが、自然は飼い犬とよく似ている。愛情を込めて面倒を見てやれば素直に言う事を聞く。しかし人間が勝手をすると、途端に牙をむく。我が家の愛犬は、自分が納得しなければ、とことん反抗する。納得しないのには何か訳がある。今の所、飼い主の私の努力が足りないので、うまく飼いならせていない。
 自然も同じである。勝手に河川の改修をしたり、海を埋め立てたりしているから、自然からしっぺ返しを受ける。森林を変にいじくるから地下に逃げられない水が暴れ出す。
 関東地方ではその昔、暴れ川だった利根川を江戸湾から太平洋へ導く大工事をしたと言う。東京湾に流れ込んでいた古い川は「古利根川」として残っている。東京では大正時代には既に荒川の下流を隅田川とは別に「放水路」として東京湾に流す工事が始まっている。現在のような人口密集地ではなかったから、大規模な土木工事が出来た。
 そうした事を災害の起こりそうな地域で実施する事は出来ないのか。

 地方では道路の建設が住民の生活の向上のために必要だと言う。そのために多額の費用を掛けて道路を造る。確かに交通は便利に越した事は無い。しかし多少不便であっても、安全に暮らせるならその方がずっといい。交通が不便なら不便なように暮らしは成り立って行くのではないのか。
 世間一般と同じような暮らしが必ずしも良い訳ではないだろう。私など、暮らして行けるなら、あまり贅沢は望まない。自由にあちこちに行けなくても構わない。もともとが狭い島国ではないか。私は外国生まれのくせに、成長してからは外国に行った事が無い。それでもまあ、いいか、と思っている。
 安全な国土造りを考えようではないか。島と島を結ぶ道路建設ばかりに夢中にならずに、島には島の良さがあると得心していればそれで良いではないか。今の日本には便利さよりも何よりも安全性が求められていると思う。
 豪雨などのたびごとに尊い人命が失われるのは、自然の偉大さではなく、自然を侮った結果ではないのか。飼いならせる自然をそのままに放っていたりはしていないだろうか。

 防府市の高齢者の施設に土石流が流れ込んで何人かが亡くなった。国の担当機関は危険を察知して自治体に連絡をした。ところが防府市は担当の職員がその重大性が分からず、市民への連絡が遅れたと言うのである。呆れて物も言えない。そんな事の分からない人間が市役所の職員、それも管理職を務めているのである。いやいや、務まってなどいない。これは単に「勤めている」としか言えない。と言うのは、「勤め人」の中には仕事の出来ない人もいるからだ。
 でも念のため、二つの言葉を調べておく。
・務める=自分に与えられた任務・役割としてその事を責任を以て行う。
・勤める=団体の職務や引き受けた役割を怠りなく行う。
 これはあるユニークさを売り物にしている辞書の説明。「勤める」には「務める」にある「責任を以て」が無い。代わりにあるのが「怠りなく」である。「怠る=なまける」だから、なまけさえしなければ、責任はまるで問題にはならない。
 別の辞書を見る。
・務める=役目を受け持つ。
・勤める=仕事につく。
 これだけ見ている限りではあまり明確な違いは無さそうだが、「役目=仕事」だから、「受け持つ」と「つく」の違いがある。その辞書の「受け持つ」の意味は「自分の責任範囲として、引き受けて扱う」である。やはり「務める」には「責任」がある。
 防府市の先の担当職員は文字通り「勤め人」なのである。そしてそれは実は氷山の一角に過ぎない。