夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

国政の民営化を取り戻そう。選挙制度も考え直そう

2009年07月10日 | 政治問題
 近所の行き付けのスーパーが三日間休んで店内の大改装をした。大改装と言う割には変わっていないし、ほとんどの商品が元通りの所に置いてある。けれども確実に通路は広くなり、品物も見易くなった。外側は全く変わらないのに、中をちょっといじるだけで、それだけの事が出来る。
 我が家も絶対に同じ事が出来るはずだ。だが、私の場合はそれが出来ない。なぜならカネを掛けられないからだ。テレビは大型だがいまだにアナログのブラウン管だから、これを液晶にすれば、ぐっと広くなる。
 仕事場は既存の本棚や組み立て家具を使って、空いている部分を色々と工夫を凝らして物を収容しているが、だからちぐはぐで収納の効率は悪いし使いにくい。これを一度、全部取り払って、最初から天井までの高さで棚を設計すれば、格段に効率が良くなる。既にその設計は出来ている。しかしそれにはかなりの費用が掛かる。だから出来ない。
 仕事の内容はすっかり定まってしまっていて、もうこれ以上発展はしない。衰退するばかりである。だからパソコンなども増える可能性は低い。むしろ、今ある5台のパソコンを最終的にはマック1台とウインドウズ1台に収めるのが得策だろう。待ったなしの仕事が入って来る可能性などさらさら無いのだから。仕事の分野も決まって来たから、資料なども大幅に整理出来る。

 我々の家でも近所の店でも頭とカネさえあれば出来る事が、政治ではなぜか出来ない。政治の場合は、屋台骨を縮小する事も、内容を縮小する事もカネを使わずに出来る。だがやらない。やれない。世間はリストラの嵐が吹き荒れていると言うのに、政治の世界だけは安泰なのだ。リストラは経営が危なくなったとの理由でやられているが本当はそうではなく、一部の大企業の場合は、利益が少なくなるから、である。
 政治の世界も、自分達の取り分が減るのは嫌だから絶対にリストラなどはしない。国民の利益になると分かっていてしない。自分だけが可愛くて大切なのだ。
 政治は経営がいくら危うくなっても知らん顔を決め込む事が出来ている。なぜなら、資金は我々の税金だからだ。他人のふんどしで相撲をとっているんだもの、危機感なんかありゃしない。カネだけはふんだんにあって、ただ、頭が無い。それは悲しいくらいに、徹底的に無い。いや、そうではない。金儲けの頭だけは非常によろしい。

 私がプールの利用で通っていた東京のYMCAの本部は、数年前、経営が行き詰まってとうとう、歴史ある建物を売り払い、どこかに行ってしまった。その後にはかっこいいオフィスビルが建った。行き詰まりは、聞いた所では、経営陣が自分達の利益だけを確保して、経営の安定化を図らなかったからだそうだ。
 この話、何かに似ていないだろうか。そう、簡保の宿だ。国鉄だってそうだったんじゃないのか。ほとんど同じ組織と路線なのに、国鉄時代は一日52億円もの赤字を垂れ流していたと言う。それがJRになってからは一日26億円の黒字体質に生まれ変わった。これはJR東日本のトップの書いた本に書かれている事だから信用出来る。
 つまり国鉄時代は税金だからと、収入に見合わない高給を取っていた事になる。他人のカネだからそうなる。

 まさか国政を民営化は出来ないだろうが、いやいや、国政は元々民営なんじゃないのか。国鉄や郵政とは違って、国政は我々が一人一人の議員を選んでいる。これは立派に民営だ。だが、その途中で民営を骨抜きにしている者が居る。肝心の選ばれた議員達である。議員になった途端に民営だった事を忘れてしまう。国政だから国営だと勘違いしてしまう。その国営は監督責任者が居ない。責任者自身が民営である事をまるで無視している人間だから、どうしたってやりたい放題になる。
 国政の民営化を取り戻そうではないか。方法は簡単だ。国営だと勘違いをしてしまうようなおそまつで愚かな議員を選ばない事である。それに尽きる。ただし選ぶ選挙民もまたおそまつで愚かであってはならないが。それが意外と簡単ではないのかも知れない。私自身、選ばない事は可能だが、では誰を選んだら良いのかと言う事になると、とても自信が無い。それだけの情報を持っていないのだ。国営になってしまうような候補者の情報ばかりが多くて、民営の期待が出来るような候補者の情報が無い。これは選挙制度その物が完全には出来ていないからではないのか。