夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

世論調査について、新聞のコラムの記事に疑問がある

2009年07月08日 | 言葉
 東京新聞のコラム「筆洗」に、「A」か「B」か「どちらでもない」かの三者択一があるが、それが目的を達していない事がある、と書かれている。7月7日朝刊。
 例えば、結果が、A=19%、B=22%、どちらでもない=59%などの場合だと言う。理由は、回答者の多くにAもBも選びたくないと思わせたなら、それは選択肢が悪いのだ、である。
 えっ? と思って、そんな事は無いだろう、と考えたのだが、よくよく考えてどうもこの文章に誤解させる原因があるのでは、と思い付いた。
 問題は「選択肢が悪い」にある。私は最初、そうした選択肢を設けた事が悪いのだ、と解釈した。そうなるとおかしな事になる。なぜなら、こうした世論調査は数多く行われているからだ。当の東京新聞だって、支持政党・会派を尋ね、選択肢には自民党、民主党、公明党、共産党、社民党、生活者ネット、その他、の六つを挙げ、支持政党なし、も選択肢に入れている。
 その結果、自民党=19・3%、民主党=21・2%、支持政党なし=44・1%となっている。先に同紙が挙げた、「A」か「B」か「どちらでもない」か、よりは選択肢は多いが、形としては三択に非常に近い。数値もほぼ似ている。この調査では公明党7・3%、共産党3・8%の支持もあるが、国民も調査をした側もそれらは始めから勘定には入れていない。自民党か民主党かだけが調査の目的なのだ。公明党も共産党も支持政党なしの人々が興味を持つような対象にはなり得ない。はっきり言えば、根っからの拒否反応を示す人の方が絶対的に多い。つまり、同紙のやった世論調査は三択であり、選択肢が悪かった事になる。だが、これ以外の選択肢は無いのである。まさか最初から自民党ですか、民主党ですか、とは聞けまい。

 そこで次に考えたのが「選択肢が悪い」とは、選択肢に選ばれている物その物が悪い、である。つまり、自民党が悪い、民主党が悪い、と言う訳だ。
 そうした考え方でこのコラムを読んで行くと、言っている事が分かって来る。
 いずれ近い内に「A・自民党」中心か「B・民主党」中心か、と言う政権選択を迫る。それが今まではBが優勢のようだが、鳩山代表の個人献金虚偽記載問題が持ち上がって、またもやカネの問題か、とBに傾いていた人をがっかりさせている、と言う。Aに失望して、やむを得ずBという消極的支持者は「どちらでもない」に向かうよりなくなるかも知れない、と言う論調になっている。
 これなら、AもBも悪いから、との話が成り立つ。コラムの締めくくりでそれが明確になる。先の神奈川県横須賀市の市長選ではA、Bが選択肢にふさわしい自覚を持たなかったから「どちらでもない」候補に破れたのだと言っている。

 そう、これはまさしく正論である。だから、コラムの先に挙げた「選択肢が悪い」は「選択の対象その物が悪い」になる。だから、コラムのあの文章は駄目なのである。「選択肢が悪い」との表現は「候補としての選択肢の選び方が悪い」としか普通は解釈出来ないはずである。
 更にはもう一つおかしな論理になっている。横須賀市長選では自民党か民主党か、そのどちらでもないか、ではなかった。自民党、民主党、公明党の相乗りか全くの無所属か、の選択肢なのだ。自民党と民主党が駄目だから無所属候補が勝ったのであって、自民党が推した候補が駄目で、民主党が推した候補も駄目で、その結果無所属の候補が勝ったのではない。これは三択とは言えない。明らかに二択である。コラムの書き出しとは明確に方向が違ってしまっている。
 コラム氏は自分の書いている事が正しいと信じているから少しも疑問を持たない。誤解をする人が居るなどとは思いもしない。実は私は最後までそうだとは気が付かずに読んで、コラムのこの結論に達して、そうか「選択肢が悪い」とはそうした事を指していたのか、とやっと気付いたのである。
 そうなると、このコラムの場合には校閲はされていない事になる。もしも校閲がされていて見逃しているのだと言う事になれば、校閲の面目は丸潰れになる。
 あんたの早とちりだよ、読み方が悪いんだよ、と言うかも知れないが、これでも私は読み方は上手な方だと思っている。世の中には私よりもっとずっと読み方の下手な人が大勢居る。新聞はそうした人達にも誤解をさせないような記事を書く必要がある。校閲とは言うまでもなく、原稿などの誤りや不備な点を調べて、正す事である。これは何冊辞書を替えても同じである。