夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

冤罪事件でなぜ裁判官は無責任で居られるのか

2009年07月06日 | 社会問題
 今日午後7時からテレビ朝日で痴漢の罪に問われ、冤罪だと叫ぶ人々の話をドキュメンタリーにした。テレビを見るまでも無い。圧倒的に多数が冤罪である。テレビでは実刑判決を受けてこれから収監される人の顔も名前も公表しなかった。当然である。だがその判決を下した裁判官の名前は当然に公表すべきである。当然に真剣な仕事の結果なのだから、何も隠したりする事は無い。裁判の記録を読めば当然に分かる事である。
 私は二十何年か判決文の校正をする仕事をしていたから知っているが、裁判官の名前が仮名になっている場合がある。判決を複製するに当たってそうしたのかどうかは知らないが、それでも圧倒的に大多数がきちんと裁判所の名前と裁判官の名前を明記している。

 裁判官、特に裁判長は自分の名誉に掛けてその判決を下したのである。高給と地位に見合った真面目な判決を下したのである。何を恐れる事があるか。判決を堂々と下しているのだから、同じく堂々と自分の名前を公表して何の差し障りがあろうか。
 冤罪事件では、判決を下した裁判官に、受刑者と同等の刑を科すべきだと私は堅く信じている。そうであれば、いい加減な裁判官だってもっと慎重に、真剣になるだろう。今は、どんないい加減ででたらめな判決を下したって何の責任も問われないからのうのうとしているのである。恥を恥とも思わず、特権意識を振りかざしているのである。
 先日も書いたが、悪い事をした人の顔と名前は是非とも記録しておくべきである。あまりにも悪い奴らが多過ぎるから、いちいち覚えていられないから、記録するのである。冤罪の判決を下した裁判官も、もちろん、悪い奴である。
 非常に責任の重い仕事をしているはずなのに、その責任は決して重くはない。重いのは待遇と給料だけである。そんな奴らをのさばらせているから、いつまで経っても悲劇は無くならないのだ。
 自分が冤罪の当事者になってみれば痛いほど分かるはずだ。幸いにしてそんなひどい目に遭っていないから、多くの人が身に沁みて感じていないだけに過ぎない。でも油断は禁物。いつそんな悲惨な目に遭ったっておかしくはないのである。

 以前、私は書いた。痴漢の捜査をする警察・検察関係者も審判を下す裁判官も自分が男だから痴漢をする事に変な共感がある。自分もやりかねないから、被告も当然にやったのだ、と思ってしまうのだろうと。下劣な奴らが寄ってたかって下劣な罪を作り上げてしまうのである。