夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

日食が見られなくてがっかりした。テレビ局にもがっかりした

2009年07月22日 | 文化
 東京では部分食だが、それでも期待をしていた。フィルムの露光していない真っ黒の部分を切り取って、他人の分も用意していたのに、全く出番が無かった。で、テレビを見た。日本では46年ぶりだと言うのに、民放各社の扱い方は最悪と言うしか無い。皆既食が始まっていると言うのに、CMである。そりゃあ、CMあっての民放だが、スポンサーだって少しくらい融通したっていいではないか。何度も言うが、そうした決定的瞬間にCMで割り込むスポンサーには嫌悪感しか持てない。そんな事も分からないのか。
 CMが時間で割り振られているとしても、こうした世紀のショーの場合には融通を利かして欲しい、とテレビ局に申し入れをしたって罰は当たるまい。テレビ局も馬鹿ならスポンサーも馬鹿だ。

 仕方が無いから、我が家では非常に映りの悪いNHKを見た。どうした訳かゴーストが本当に半端じゃないのである。何しろ、太陽が二つあるのだ。それでもきちんと報道をするからと見た。だが、やっぱりがっかりさせられた。
 局アナの感想など聞きたくも無い。ゲストの感想も同じ。それよりもしっかりと日食を報道して欲しい。ただ黙って日食だけを映していればそれでいいのだ。皆既食のダイアモンドリングやコロナ、プロミネンスなどはしっかりと見せて欲しいが、空が真っ暗になって、金星やオリオン座が見える光景も映してもらいたい。画面を二分すれば簡単に出来るではないか。金星はかろうじて見えたが、オリオン座などは単に話に出ただけではないか。それとも我が家の受信状態が悪過ぎて、見えなかったのか。

 どのテレビ局も同じだが、何とか面白くしたいと知恵を絞る。しかし決して面白くなどなっていない。大体、テレビは面白いもんじゃないんだよ。忠実にその場の光景を報道する事に意義があるんじゃないのか。その場に行けない人に代わりにその場を見せてくれる。その光景をどのように解釈しようが、それは見た人の勝手である。
 それを臆面も無く、自分の解釈を押し付けようとする。視聴者とほとんど同じ人間が何を出しゃばってしゃしゃり出て来る必要があるか。人間、ちょっとばかり特殊な立場に立つと、そうした基本的な事を忘れてしまうんですね。
 夕焼けのような光景が360度広がるのも、考えてみれば不思議な光景である。だが、上空が暗くて地平線が赤く染まっている風景は普通の夕焼けと変わる所が無い。単にそれが普通は夕日の沈む方向にしか無いのに、皆既日食ではあらゆる方向が夕焼け状態になると言うのが不思議ではある。だが、それだって、周りをぐるりと見渡さなければ分からない。その場に居る人には不思議とも言える光景だろうが、テレビで見る側にとっては、自分で見るほどの不思議さは無い。
 そんな事よりは、本当に皆既日食その物をしっかりと見たいのである。解説を加える事で、何か非常に素晴らしい事をしていると錯覚をしているのだろうが、そんな事は全く無いのである。自然その物が素晴らしいのである。自然の神秘さの前には言葉を失うのが正常な人間の感覚なのである。
 テレビ局はそうした人間の正常な感覚を失ってしまっている。公営だと称して、堂々と受信料を取る放送局がそうなのだから、あとは推して知るべし。テレビ東京が放映する隅田川の花火大会も同じである。只で良い桟敷に居られるゲスト出演者の感想などどうでもいいのである。そんな事よりも花火その物を見たいのである。
 本当なら花火などは会場に行けば良いのである。でもそれが出来ないからテレビで我慢をしているんじゃないか。そのせめてもの楽しみを何の遺恨があって邪魔するのか。いい思いをしているゲストの感想なんか聞きたくも無い。やっかんで言っているだけではない。幸運に有頂天になっている馬鹿なゲストがあほらしいだけなのである。