夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

残間里江子さんの人生相談に疑問

2009年01月20日 | Weblog
 20日の東京新聞の人生相談。
 父親が物を捨てないので困っている。切り抜きのための新聞、仕事関係の書類、衣類などが自分の部屋だけでなく、居間にもあふれているのだと言う。
 残間さんの回答は二つに分かれる。
1 若い頃から物を捨てない人の場合
 父親の価値観になっている。従って、よほどの事が無い限り、「片付け好き」にはならない。解決方法としては、価値観の違いを認識してとことん話し合うか、駄目なら別居、最終的には離別するくらいの覚悟が必要。
2 加齢による場合
 多くは片付けが面倒くさいだけの単なる「だらしない人間」である。もったいないブームと不況で、本人は色々と言い訳をするだろうが、何と言われても片付けてしまえば良い。
 しかし、いきなりすべてを処分すると父親のメンツにも関わるので、時間をかけて少しずつ廃棄する。案外、父親も何を保有しているか分かっていない事もある。

 提案の2は、なるほどとも思える。加齢が原因だと言うからには、精神的な障害でもあるのかも知れない。であれば、「何を保有しているか分かっていない事もある」のは「案外」なのではなく、「実際に」の場合の方が多いはずだ。「案外」なら、加齢が原因とは限らない。
 加齢が原因で、何を保有しているのか分からないのであれば、処分したって問題は少ない。そうでしょう。持っている事を知らない物を捨てられて、誰が文句を言うか。捨てられたと思わないのである。

 しかし、1は大きな問題だと思う。回答者自身、「価値観になっている」と考えている。つまり、「とことん話し合う」は価値観の変更を迫る事になり、「別居・離別」は価値観の否定その物である。
 へーえ、本当にこの人はこのように考えているのかと、驚いた。優秀なプロデューサーと聞いているが、もしかしたら、私の勘違いだったかも知れない。しかも、取ってあるのは「切り抜きのための新聞」「仕事関係の書類」だとも言う。私だって、それを場所を取るからと勝手に処分しようと言うなら、烈火の如く怒り狂う。
 とことん話し合えば、価値観を変更する事は可能かも知れない。しかしそれは並大抵の事では出来ないと思う。そんなに簡単に変えられる価値観だったのか、と言う事にもなる。とことん話し合え、と言うのなら、どのように話し合えば良いのかを具体的に示してくれなければ、無責任だと私は思う。

 誰だって、はたから見れば、何でこんな物を、と思われてしまうような物が大事な事がある。物を持つ、と言うのは単に保有するのではない。使えば用が済む、あるいは価値が無くなる物を取っておく事はまずは無い。取っておくのはそれ以外の物だ。
 欲しくてたまらなかった物。持っていて愛着の湧いた物。そこには、持ち主の考え、ひいては人生がこもっている。だから、他人からは何の価値も感じられないのは当然なのだ。持ち主本人だって悩んでいるのだ。使用価値が減っているあるいは無になっているにも拘わらず、自分の感じている価値観は少しも減ってなどいない。
 そこで、自分自身の悩みを解決するには自分で自分の価値観を変える必要がある。それがどこまで出来るのか。
 価値観、それは人生観でもあるはずだ。それを簡単に、他人から言われて変えられるのなら、そんな人間を私は信じたくはない。人間、誰しも価値観、人生観がある時、パッと変わる事がある。それには大きな転機が必要なはずだ。
 他人の価値観、人生観を安易に否定するなら、自分の価値観、人生観も安易に否定される。そんな事、当たり前の真実である。