夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

漢字いじりはやめて欲しい。常用漢字と表外字

2009年01月10日 | Weblog
 常用漢字に新しく文字が加わる。その事は歓迎すべきだと思う。現在の常用漢字は制限があまりにも多い。戦後のどさくさに紛れて、いい加減な考えで当用漢字を決めたから、それがそのままずっと尾を引いている。重要な文字を幾つも外して使えなくしてしまった事もその一つだが、醜悪な文字の直しもその一つ。その最たる物が、「犬」を「大」に変えたり、横に突き抜けるべき線を途中で止めてしまったり、全く漢字の知識の無い改悪である。
 今日の東京新聞の「コトバ 言葉 知っている? 知りたい」と言うコラムに編集委員が「しんにゅう」について書いている。現在、常用漢字ではしんにゅうの点は一つだが、表外字では点は二つである。正しくは点二つなのだが、当用漢字の制定でおかしな事が行われてしまったのである。表外字は執筆者や編集者、校正者などは意識して使うから、これで成り立っている。
 だが常用漢字の見直しを進めている文化庁の文化審議会では、新たに常用漢字に追加したい漢字の中に「謎」「遡」「遜」を入れ、二点しんにゅうのままにすると言う。この事は正しい。馬鹿な改悪に歩調を揃えて、再び悪行を繰り返す馬鹿は居ない。
 だが、問題は常用漢字なのに一点しんにゅうと二点しんにゅうの二種類の文字が出来てしまう事にある。もっとも、そうした漢字なのだ、と思っていれば問題は無いのだが、そこに疑問を挟む場合が出て来る。このコラムの執筆者は次のように言う。

 「そうなると学校などでは混乱が生じそうです。児童や生徒から一点と二点が混在している理由を聞かれた時に、先生はどう答えるのでしょうか。疑問はつきません」

 これを読んで私は呆気にとられた。何て馬鹿な事を言ってるんだ。確かに混乱は生じるだろう。同じしんにゅうなのに違うのだから。でも先生はきちんと答えられる。
 「本当は二点が正しいのです。戦後、当用漢字を制定する時に、急いでいい加減な仕事をしたために、一点の方が易しいだろうと安易に考えて一点にしてしまいました。ですから、今でも常用漢字以外では二点なのです。それで今度、常用漢字ではなかった文字から新しく常用漢字にされた文字では本来の正しい二点のままにしているのです」
 これで良いではないか。それとも、これは当時の文部省のやり方を批判する事になるので、文部科学省からにらまれるとでも言うのか。
 誤りを正すのに遅いと言う事は無い。これを機会に正しい文字とは、などと考える事も出来るではないか。文字は所詮、約束事である。だが、同じ約束事なら由緒正しい、即ち合理的で理解し易い方に倣うのが正当なはずである。

 役に立たない公共的な土木工事を進めているケースがある。財政も悪化している事だし、工事をやめたい。だが、今まで投入してきた資金を考えると、金をどぶに捨てるも同然で、もったいなくて出来ない。だから無駄とは分かっているのに、工事がとめられない。
 この執筆者の考え方は、まるでこの無駄な工事と同じようだと言うのは言い過ぎだろうか。いやしくも編集委員である。そんな情けない事を言わず、学校での混乱など取るに足らない、こうした正しい措置を通して、漢字文化を考え直す、子供達には考える機会を与えようではないか、などとなぜ言えないのだろうか。

 常用漢字ではない「吠える」がなぜ口偏に「犬」なのか。犬だからこれで成り立っているのである。子供達に説明しようとしても、これで十分に理解させる事が出来るのである。この事を通して、犬とは家畜とは我々にとってどのような存在なのかを考える事にも繋がる。これを常用漢字にした時に、口偏に「大」などとしていたら、果たして子供達は理解が出来るだろうか。口偏に大のようなおかしな漢字は数え切れないほどもある。
 現状に流される事なく、常に正しい道は何なのか、と考える事が重要だと思う。